第十一話
「本当に田口は容赦がないな」
俺は乾いた笑いを浮かべた後、息を孕ませながらそう返した。それ以上に返せる言葉は思いつかなくて、手元にあった酒を手繰り寄せて、それを一気に頬張ってみる。
つん、と来るようなアルコールの酸味を感じる。確かに俺は今酒を飲みこんでいる。そんな実感を覚えてみる。だが、そんな実感を抱いてもなお素面でいる自分を誤魔化しきれなくて息を吐く。どこまでも俺は自分でしかないのだ。
どれだけの酒を飲んでみても、そのアルコールを身体に蓄積させても、心の底から酔えることはなかった。
意識は酩酊していた、アルコールに絆されている部分も確かにあった。頭を振れば雑音のようなラグが視界を左右した、手を振ればブレるような感覚が手元にあった。
だが、そんな酔っている場面においても、心の底から、自分の芯が酔えたためしは一度もなかった。酔ったうえで、いつまでも他人の振舞いを気にしては、相手が欲しい言葉、その態度、テンションとして抑揚を求めるままに返して、それを前提に自分を演出していた。他人は弱みを見せれば信用してくれることを知ってしまったから、そうあるように心掛けて振舞っていた。その実、弱みなんて一切見せていないくせに、それが自分であるように振舞った。自分ではない自分をそのままに振る舞っていた。
田口の言葉の通りでしかない。彼の言葉に刺さってしまう自分がいたのはそういうことでしかなかった。
いつまでも素面でいるのだ。素面にしかなれないのだ。
相手に自分の本質を見てほしい、とどこかで思っているはずなのに、人間関係を円滑に進めるための行動しか考えていない。高校生活を振り返ったからこそ、誰かに迷惑をかけたくないという気持ち、そして誰かに嫌われたくはない、というぼやっとした気持ちが心を支配している。その上で誰も好きに放っていないはずなのに、無駄な行動を繰り返している。無意識にそんな演技を振りまいてしまう。
俺は、そんな自分が嫌いでしかなかった。
「容赦なんてするもんかよ」と田口は笑った。それは冗談を含めたような声だと思ったが、その実、本音をぶつけているようにも思えた。それが本物かどうかなんてわかりはしないけれど、それでも田口であればそう思っているかもしれないと考えてしまう。
だからこそ、俺は彼が一番信頼に値する人間だと思っている。
奇妙な縁ではあるものの、こうして大学生活の中で、彼という人間に再会することができた。周囲がどのような振る舞いをしようとも、彼は俺に対して敵対心、もしくは憎悪が確実にあるような振舞いをしてくれる。そして、その憎悪の根拠に足る過去が俺と彼の間にはある。だからこそ、彼の振舞いには演出等は関係なく、本当に嫌いだからこその言葉を運んでくれる。そんな確証があるからこそ俺は彼を信用できた。
「ほんっと、なんで深夏先輩もこんなやつを好きになったのかねぇ」
田口は天井を仰ぐようにしながら、呆れたようにそう言葉を、……彼女の名前を零した。
深夏、という名前を久しぶりに聞いたような気がする。いや、今までは聞こうとしていなかっただけだ。幼馴染である彼女を会長と呼び、その本質に届かないように、俺はいつまでも彼女を遠ざけていた。中学生のころまでは彼女を、深夏、と確かな名前で呼んでいたはずなのに、彼女の嘘があってから(あれが嘘なのか本当なのかは知る由もないが)は、深夏、という名前で呼ぶことはしなかった。それが俺の彼女に対する逃避の方法だった。
あの彼女との会話から数年ほど経過している。今でこそ彼女に想っていることはそんなにはないと思っている、いや、そう思いたい自分がいる。
既に深夏と自分は切り離したようにしたのだから、俺の中に彼女はいない、とそう思っていたい。だからこそ、円滑な大学生活、その人間関係を振舞うことができていると思っているからこそ、もう深夏については真に無関心であることを、自分で定義づけたかった。
「そういや、最近あいつらってどうしてんの?」
無関心だからこその関心、安易に話題に出すことだってできるはずだ。自分でそう思っているからこそ、自分でそう言葉を運んでみる。
何も気にしない、気にしていないからこその話題。もし気にしているのであれば、俺の中に取り残されている部分があるのだったら触れようとはしないはず。自分の精神状況を把握したうえで、そんな言葉を紡いでみる。田口はそれを鼻で笑うようにした。
「気になるんすか?」
「……まあ、それなりに」
「嘘だね」
俺は彼の言葉に動揺することなく返事をしたはずだが、それを気に食わないように田口は表情を歪ませる。実際、俺は無関心を貫くことができているからこその言葉を選んだ、というのに、それが彼としては苛立ちにつながったらしい。
「気になるんだったら自分で聞けばいいでしょ。携帯だってあるんだし」
「……いや、ほら、連絡先とか知らないしさ」
「別にラインとかじゃなくても、インスタなりツイッターなりで探せばいい話でしょ。今どきラインを使わなくてもいいことなんて、あんたが一番知ってそうなことだろうに」
「……」
彼の苛立ったような声に、俺は何かを返すようなことはできなかった。思いつきもしなかった。彼が本当に怒っているような態度を見せるからこそ、それ以上に引き下がることはできないような気がした。
やはり、彼は本音で俺に食い込んでいるからこそ、俺の芯を理解しているような気がする。だからこそ、俺のすべてを俺以上に知っているような、見抜いているような、そんな薄ら寒い感覚が心を支配するのだ。
「……わかったよ──」
「──まあ? ここの飲み代を払ってくれるって言うんなら、俺も妥協してあげるけど──」
「──……」
諦めたような言葉を返そうとすれば、それに割り込むように田口は言葉を運んだ。
結局、代償はいるんだな。
そんなことを思いながら俺は、わかった、と苦笑を返した。ポケットに忍ばせている財布の重みを確かめながら、必要経費、という言葉を頭に巡らせて、それから彼の言葉を待つことにした。