第十話
別れを告げられることには慣れていた。慣れてしまっていた。そもそも慣れる以前の問題だったのかもしれない。
いつだって相手からそれを切り出されることが大半だった。もしくは言葉もないままに距離を置かれて、いつの間にかに関係性を解消していることもあった。そのどれもが俺から動くようなものではなく、いつだって誰かから、他人から押し付けるように別れを告げられてきていた。
だが、そのどれもに感情が動いたことはなかった。
別れとは一つの喪失であることを俺は知っている。人が離れていくことは寂しいことであると理解をしている。その寂しさは心に穴をあけるものだと、そうして孤独であることを自覚する時間が苦しみになるのだと、俺はよく知っていたはずだ。
それでも、彼女らと関わって、恋愛的に関係性を紡いでいても、何かしらで心が震えることはなかった。
『ねえ、付き合ってみない?』
そんな言葉を、似たような言葉を他人は投げかけてくる。それは俺に対して好意を抱いているのか、それとも大学生として恋人がいることが相応の立ち位置を誇示するものなのか、そのために言葉をかけているのかは知らないが、いつもそんな言葉から関係性は始まっていた。
俺から声をかけたことはなかった。そんな気もなかった。恋愛、という価値観が自分の中ではどうでもいいもの、という風に映っていた。まず自分にとっては恋愛以前の問題があった。他人との関係性が希薄な自分だからこそ、身の振り方を考える日が続いていた。だからこそ、恋愛ごとが自分にかかわることを想像できていなかった。
でも、断ることはなかった。そうして断らなかったのは、恋愛も友人の関係性の延長だと、どこかで思っていたからかもしれない。
関係性というのは連続したものである、と俺は思った。連続するもの、積み重ねたものだからこそ紡がれるものだと俺は思ったのだ。
こうしてそんなお声がかかるのも、俺が身の振り方を適切に行えてきたからこその保証、証拠のようなものであり、ある種、他人に認められたものだからこそ、そんな声がかかるのだと思った。
俺は、うれしく思った。
他人が俺に対して好意を抱いているかは定かではない。それを知ることなんてできやしない。どれだけ言葉を繕ったとしても、その裏腹では笑っているかもしれない。それは敵意であっても同じだ。無関心であっても同じだ。そのどれもに本物を見出すことはできやしない。
でも、うれしかったのだ。俺は他人とかかわることができる、できている。だからこそ、彼女らは俺にそんな提案をしたのだ、と。
だから、いいよ、と言ってやった。当たり前のように、至極当然のように。関係性とはここで帰結するものだとそう思いながら、彼女たちの言葉をそれぞれで受け取ってきた。
その結果が今のこれだ。
数か月ほど関係を続けた。そのうえで関係性さえも重ねていった。恋人らしいこととはなにか、それっぽいことをネットで知ろうとしてみたり、友人といえるかわからない微妙な知人に相談してみたりもした。その相談によって知人でしかなかったそれは俺に深くかかわろうとしてきたし、別に悪い気はしなかった。弱みを見せることで人が近づいてくることを俺は知った。そんな相談を踏まえたうえで、付き合っている恋人に対して尽くすように行動をしてきた。そのうえで身体だって重ねた。
まあ、よくわからなかったが。
関係性を重ねて、身体を重ねても、なにもよくわかりはしなかった。何かを理解しようとしても、その何かがわからない上では何も理解をすることができなかった。
なぜ俺はここで相手に言葉を並べるのだろう。なぜ相手は俺に言葉を並べるのだろう。なぜ俺は相手に身体を重ねるのだろう。なぜ相手は俺に身体を重ねるのだろう。
快楽が愛の証明になるのだろう。その気持ちの本質を確かめることになるのだろうか。だから、相手の体の快楽を確かめればいいのだろうか。指でなぞればいいのだろうか。舌を這わすようにすればいいのだろうか。相手の体液をこちらに閉じ込めればいいのだろうか。相手の空洞を俺の性で埋めればいいのだろうか。その果ての快楽を相手に見せつけることで気持ちを証明すればいいのだろうか。
よく、わからなかった。
好き、という感情がわからない。わからなくなっていた。別に身体を重ねればいいというわけでもない。好きでなくとも勝手に身体は快楽を感じてくれる。勝手に身体は快楽に対する反応を見せつけるようにする。好きでも嫌いでもないのに。互いが互いに、それを愛だと偽るように。
それに、何の意味があるというのだろう。
この行為に依存する人間がいることは理解できた。そう陥ってしまう人間がいることも把握できた。納得もすることができる。だが、そんな依存以外にこの行為を行う理由がどこにも見つかりはしなかった。
でも、相手は求めてくる。相手は求められることを求めてくる。
次第に、俺は相手がこちらに望んでいることを察しては、それに対して尽くすようにした。
何も感じない、何も感じられないまま、俺は自分を捨てることにした。
「それがダメだったんじゃねーの?」と田口は言う。
「なにが?」
「なんというかその、相手本位な部分、とか?」
田口は四杯目になるビールの大ジョッキをすすりながら、そんな言葉を返してきていた。
別れのきっかけとなることを、とりあえず言葉に並べてはみるものの、それでも俺に落ち度はないように思えたが、それを軽くあしらうように田口は言葉を紡いでいく。俺はその言葉を、やはりいまいち理解することはできなかった。
「別に、望まれていることさえやっていればそれでいいだろう」
「そういうわけじゃないだろ。恋人に対してはわがままになってほしい、とかそんな気持ちがあるんじゃないのかね」
「……いや、でも」
それが相手の求めていることだとすれば、俺もそれなりの対応をしてきたはずだ。
嫉妬心が欲しいのだろう、そんなことを表情で察させてくる場面では、相応に言葉を並べて吐いた。俺のそばにいてほしい、どこにもいかないでほしい。安易すぎる言葉だと思うが、相応に俺を大事にするための相手への言葉を、求められるがままに紡いだはずだ。
「やっぱそうだ。それしかないね」
それでも田口は、俺が間違っている箇所があることを示すように、がはは、と勢いのいい声で笑う。
「あんた、いつまでも自分がねえんだもん。どれだけ相手の求めることに応えていたって意味なんかねえっしょ。だって、相手の中にいる自分を演じているだけなんだから」
そんなつまんねェ男、フラれて当然じゃん、と笑い声を混じりながら、彼は四杯目になるそれを勢いよく飲み干していく。
その言葉に、ようやく俺は頭が冷えるような感覚を思い出していた。