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無常堂夜話

結縁と離縁の物語【無常堂夜話8】

掲載日:2026/01/24

ソラは、川津媛との約束の里に行き、媛を『無常堂』に連れ帰ることにする。

媛の父から祝福された二人だが、山神たちの不満が募り、このままでは祟り神になる恐れがあるとの相談も受ける。果たしてソラたちはどう解決するのか?

起・続いている約束


「いやぁ、お客さん。あの集落までの道は、もうすっかり荒れ果てているんだ。途中までしか行けないよ?」


 ぼくがタクシーに乗り込み、運転手さんに行き先を告げると、彼はぼくの顔を見ながら済まなさそうにそう言う。


 ぼくが幼少期を過ごした集落は、もうすっかり過疎化の波に飲まれ、最後の住人も5年ほど前に離村してしまった。里の特産だった麦や蕎麦の畑も、今ではすっかり荒れ果て、数軒の空き家と、水車小屋が併設された商店の廃屋しか残っていないことを、毎年そこを訪れるぼくは良く知っている。


 それでもぼくには、その集落を訪れる理由があった。


「どの辺まで行けますか? 三又のお地蔵さんがある所まで行けるのなら、お願いしたいですが」


 運転手さんはじっと考えていたが、やがて、


「……そうだなぁ。もうちょっと手前、川俣の集落までが限度かなぁ。それより上は、もう落石なんかで車どころかバイクでも危ないよ」


 そう答える。三又の地蔵よりは下になるが、川俣集落まで行ってもらえるのなら、ぼくがいた月宮の里まではそこから4キロ、ゆっくり歩いて2時間ほどだ。


「じゃ、お願いします」


 ぼくがそう言うと、運転手さんはうなずいてタクシーを出した。


「お客さんは去年も一昨年も、月宮集落に来てなかったかい? 里帰り……でもないよな。

あの集落にはもう、住人は誰もいないはずだし」


 数キロ行ったところで、運転手さんが興味深げに聞いてくる。ぼくはうなずいて、


「まあ、里帰りみたいなものです。小さいころ住んでいた神社の管理もしていますので」


 そう答えると、運転手さんは


「ああ、今はお客さんが月宮様を管理しているのかい? だが、人が住まなくなったから、近頃あの辺りでもクマが目撃されているんだ。気を付けた方が良いよ」


 そう注意してくれた。


 それから狭い道を、周囲の若葉を眺めながら走ること1時間半。タクシーは川俣の集落にぼくを降ろして、狭い道を麓へと引き返して行った。


 川俣集落は、瀬織川が大きな川に合流する地点にある。ここにはまだ、辛うじて人が住んではいるが、みんなお年寄りばかりなので早晩『消滅集落』の仲間入りするだろう。


「……瀬緒里せおりさんにも、どうするか決めてもらわないといけないかな」


 ぼくはそうつぶやくと、月宮集落へと続く町道を歩き始めた。


 運転手さんの言うとおり、町道はすっかり荒れ果てていた。この道は山を越えてどこかの町に繋がっているわけではない。だから、住民がいなくなった集落へのアクセスを考慮する必要もなく、必然的に保守もされなくなる。


 ましてや月宮集落が無人になったのは5年も前のことだし、何か保守整備せねばならない公共の施設や機器が設置されているわけでもない。落石や倒木はそのまま放置され、ガードレールや中央線も途中で消え、しまいには土砂崩れで道そのものが埋まってしまっている場所すら数か所もあった。


 だからぼくが月宮集落の入口である三又のお地蔵さんまでたどり着いた時には、お日様はすっかり昇りきり、正午近くになっていた。


「……これは、水車小屋に着くころには1時近くになっちゃうかもな」


 ぼくはそう言いながら、軽自動車が1台やっと通れるくらいの道を歩き始める。橋を渡って右の道を行けば、町道が続いているので道幅は広い(例によって保守がされていないので障害物が多いが)のだが、左の道は瀬織川に沿って続いているので、こっちが近道だ。


 細いダート道を歩くこと30分、ぼくの耳に、ゴットン、ゴットンというリズミカルな響きが聞こえてきた。水車小屋の水車は、里の人たちが誰一人いなくなっても変わることなく回り続けていた。まるで水車自身が在りし日のにぎわいを思い出し、懐かしんでいるかのように。


 ぼくが立ち止ってその響きに昔を思い出していると、水車の陰から着物を着た女性が姿を現す。一見すると20歳そこそこだが、17年前、ぼくが5歳の頃に彼女と初めて会った時、彼女は15・6歳くらいの見た目だった。


 水色の鹿の子地の振袖に、臙脂色の帯を締め、艶やかな黒髪は肩を少し越えるくらいのセミロング。黒曜石のような瞳がぼくを見て懐かしさと喜悦の色を浮かべ、牡丹の花びらのような唇が動き、鈴の音のような声で言った。


「また今年も来てくれたのですね。月宮の坊」


 ぼくはその微笑みに微笑で返した。



 彼女の名は、瀬織川津媛せおりかわつひめ。里の中央を縦貫する瀬織川の神である。

 そして彼女はぼくの命の恩人でもあり、この里に昔祀られていた月詠命つくよみのみこと様のお声がかりで縁が結ばれた仲でもあった。


 ぼくは彼女のことを『瀬緒里さん』と呼んでいたし、彼女はぼくのことをこの里の人たちが呼んでいたように、『月宮の坊』と呼んでいた。


 ぼくは、瀬緒里さんから誘われるままに、瀬織川の上流にある彼女の家にお邪魔した。ここは春先には梅が咲き乱れ、清らかな滝もある良い所だ。


 瀬緒里さんは嬉しそうに、ぼくにお茶を出しながら言う。


「……途中の道はかなり荒れていたでしょう? 道は悪いし、月詠命様が課した誓約は一昨年に果たされたので、もう月宮の坊はこの里には来ないと半ば諦めていました」


 ぼくは、瀬緒里さんの目を見て答える。


「ここには思い出も多いですし、最初は瀬緒里さんが神去るのが嫌でここに帰って来ていました。でもぼくが20歳になってあなたが神去る恐れがなくなった時、それでもここに来てあなたに会いたいと思う気持ちは無くならなかったんです」


 瀬緒里さんはぼくの言葉を聞いて、うれしそうに顔を伏せていたが、やがて真剣な表情でぼくを見て言う。


「……月宮の坊とは、最初見た時から運命的なものを感じていました。でも、私は人ならざる存在で、私との縁を結ぶことは、あなたから人としての幸せを奪うことになります。

だから私は、あなたが20歳になるまで毎年私と会ってくれただけで満足しようと思っていました……」


 途中から瀬緒里さんの声が震えて来たが、彼女は続けて言う。


「……でも、昨年もあなたは来てくれた。私は心が躍りました、あなたが私との縁を受け入れてくれたのではないかと勝手に思い込んでしまったんです。


ところがお父様が、月宮の坊は私に対しての報恩は終えた。月宮の皇子様のお声がかりとはいえ、過大な期待はしない方が良い。人間は人間らしく生きるべきで、それを見守るのが神の役目だ……そう仰いましたので、私もそう思うことにしたんです……」


 瀬緒里さんの肩が震えている。その目には涙が光っていた。


 ぼくは黙ってお茶を喫する。彼女の話はまだ終わっていない。ぼくの気持ちを伝えるのは、彼女が想いのたけを吐き出してからでも遅くない……そう思ったからだ。


 目を閉じて彼女の話を聞いているぼくに、瀬緒里さんは訊いてきた。恐らく一番知りたいこと、そして一番訊くのが怖いことを……。


「……月宮の坊、何度も言いますが、私を選ぶことはあなたの人間としての未来を奪うことになります。それをお解りでしょうか?

そしてなぜ、約束の期間を超えてもなお、ここに戻って来てくれるのですか?」


 ぼくは眼を開けると微笑み、瀬緒里さんに逆に質問した。


「瀬緒里さんは、ぼくの『無常堂』に来る気持ちはありませんか?」


 一瞬、彼女は意味が分からずに呆気に取られたような顔をしたが、言葉の裏の意味とぼくの気持ちを理解すると、顏を真っ赤にして下を向いた。


「瀬緒里さんはもう、神去る恐れはありません。それに神力も回復しているはずです。この里を離れても神徳は陰りません。そうでしょう?」


 ぼくが畳み掛けるように訊くと、彼女は顔を上げて、


「……それはよく考えた上でのお誘いでしょうか? 神と契るのは、あなたが神饌になってしまうのと同じで、もはや人間としての幸せは手にすることはできないのですよ?」


 そう念を押すように訊く。


「ぼくは一度、黄泉の国をてきました」


 ぼくが言うと、瀬緒里さんは吃驚したような顔で押し黙る。


 ぼくは彼女に一つうなずくと、化野家の男にまつわる伝統とぼくの経験を話した。


「……ぼくは父によると『厄介なモノたちを祓う宿命がある』そうです。

そもそも、ぼく自身が異界との境界を曖昧にする存在でもあるらしいので、人間としての普通の暮らしはできないと最初から諦めていますし、それは父も認めています……」


 ぼくの言葉を、瀬緒里さんは血の気が引いたような顔で聞いている。


「……月詠命様も、ぼくのそんな宿命をお知りになられたからこそ、伴侶に相応しいお方として瀬緒里さんとの縁をご紹介されたのでしょう。

だからぼくにとって、あなたとの縁は必然で、必要なものでもあります」


 ぼくがそこまで言った時、瀬緒里さんの頬に血の気が戻り、その目に慈愛とも思える光が宿った。


「……本当は20歳の時にこの話をしたかったのですが、まだ学生でしたし、世の中のことも余り知りませんでした。高校卒業後、4年間『無常堂』をやってみて、仲間もでき、あなたを迎える準備もできたので、今年はお迎えに上がったんです。

ぼくのために、『無常堂』に来ていただけませんか?」


 ぼくがそう話している間にも、瀬緒里さんは目を見る見るうちに潤ませ、最後は両手で顔を覆って泣き出した。


 ぼくはそんな彼女の背中を黙ってさする。やがて彼女は泣き止むと、桜色の頬に笑みを浮かべて言った。


「まるで夢のようです。不束者ですが、末永く可愛がってください。

もちろん私も、我が背を神力の及ぶ限り守り、力になることを約束いたします」



 ぼくたちはそれからすぐに、上流にある水分みくまり神社へと参詣する。ここは瀬緒里さんの父上である水分みくまり高良命こうらのみこと様が鎮座しておられる。


 この里の川の神である瀬緒里さんを里の外に連れ出すのはいいが、父君である高良命様に一言ご報告しないと筋が通らないと考えたからだ。


「私と我が背のことは、月宮の皇子様のお声がかりであり、父君もこの縁を喜んでおられました。わざわざ報告する必要もないと思いますが?」


 瀬緒里さんはそう言うが、それではぼくの気が済まない。ただ、もしも反対されたらという心配は確かにあった。瀬緒里さんがいなくなれば、瀬織川が枯れてしまうかもしれないし、そこに棲む生物たちも絶えてしまうかもしれないんだから。


 だが、それは杞憂に過ぎなかった。


 高良命様は最初ぼくの言葉に驚き、喜びながらも、瀬緒里さんと同様、ぼくに考え直すように勧めた。それは娘神である瀬緒里さんがいなくなることが寂しいからではなく、ぼくのことが心底心配だから言ってくださっていることだとよく分かった。


 それでも、ぼくが瀬緒里さんに言ったように、ぼくが背負っている宿命を話したところ、


「……ううむ、月宮の皇子様はそこまで見通してわが娘をお選びくだされたか……」


 そう、唸るように言った後、瀬緒里さんに笑いかけた。


「……分かり申した。川津媛はもとより月宮の坊と縁を結びし娘、月宮の坊の側で暮らしたいというなら、それを止めることはできません。


ただ、この里はいつでも人間たちを迎えられるようにしておきたい。生きることに疲れた者が、自然を感じ安らげるような里は残しておくべきだと思いまする。


川津媛、わしの気持ちが分かるなら、たまにはこの里に戻り、神徳をこの里にも与えてくれ。それがわしの望みだ」


「はい。私もたまにはお父様のお顔を見たくなる時もあるでしょうし、頼る部分もございます。この里にも気を配ることは確かにお約束いたします」


 瀬緒里さんが答えると、高良命様は安心したようにため息をつき、ぼくたちに言った。


くう殿、縁を大切にし、わが娘を迎えに来てくれるとは正直、感心し安堵もしている。そなたが宿命に負けず、川津媛と幸せになることを祈り置くぞ。


ところで、媛を連れ出すなら、もう神婚は済んだのだろうな? それが済まぬうちは、里を離れたら媛の神力は里に残ってしまうぞ?」


 ぼくはそれを聞いて、思わず瀬緒里さんを見る。今のままでは神力が里に残るなんて、聞いていなかったからだ。瀬緒里さんは耳まで真っ赤にしてうなだれていた。


 それを見て高良命様は、にこやかに笑い、


「媛は奥手だったな。言い難いことでもあるし、媛から言ってはいけないことでもある。

くう殿、神力は最初、神がった土地に由来する。そこで崇敬を集め、神力は神に移行するのだ。


川津媛の場合、自らの社や祠を持たぬゆえ、神力をその身に移行するには神饌たる婿と神婚を契るか、社や祠を建てて人々の崇敬を集めるしかない。

この里は今や無人となっておるゆえ、後者の方法は使えない。よって神婚の儀を執り行わないと媛はこの里を出たら神力を失ってしまうのだ」


 ぼくにそう説明してくれた後、その儀式の執り行い方や準備するものを訊くぼくに、たいそう楽しそうに笑って答えてくれた。


「準備するものは何もいらん。時あたかも仲春ではないか。これから媛の家に戻り、早速神婚の儀を執り行うがいい。

ただ、問いかけは空殿からせねばならん。伊弉諾いざなぎ伊邪奈美いざなみ命の故事にあるように、女神からの言問いは避けよ。よいな?」


 ぼくは全身が熱くなったが、瀬緒里さんが幸せそうにぼくを見ているのを知って、彼女の手を取り言った。


「……瀬緒里さんの家に戻りましょう」


 瀬緒里さんは微笑んでうなずいた。


   ★ ★ ★ ★ ★


承・里に残るもの


 神婚の儀が滞りなく済んだ翌朝、ぼくが奥の8畳の間で目を覚ますと、瀬緒里さんはすでに布団から抜け出していた。襖を隔てた12畳の居間で、忙しそうに動き回る気配がしている。


 ぼくはゆっくりと起き上がり、寝間着代わりの着流しのまま東側の襖を開け放つ。雨戸はすでに開けられていたので、ぼくと瀬緒里さんの布団を庭の物干しに掛けた。


「あ、くう様。そのようなことは朝餉の後で私がやりましたのに……」


 物音で気付いたんだろう、瀬緒里さんが土間の流しの側から声をかけて来た。まだお日様は東の峰の向こう側にいる。それなのに瀬緒里さんはきちんと着物を身に着けていた。


 ただ、昨日までの振袖とは違い、薄い紫地の留袖を着ている。神婚の儀も終わり振袖から卒業したことで、愛されているという自信がついたのか、これまでのどことなく遠慮がちな態度が影を潜めていた。


「気にしないでください。小さな頃から父と二人暮らしだったから、何かしないと落ち着かないんです。瀬緒里さんが朝食を準備してくれる間に、庭でも掃いておきましょう」


 そう言うと、ぼくは箒を手に取って庭に散った梅の花びらを掃き集めようとして止める。

 ちょうど山際から顔を出した朝日の中で、ひらひらと舞い散る梅の花弁……それは15年前に見た風景を思い出させたからだ。川べりに座って糸を紡ぐ瀬緒里さん、舞い散る梅の花びら、そしてせせらぎと糸枠が回る音……。


 ぼくはふと我に返って、頭を振る。箒を縁側に立て掛けると、土間に入った。


「あ、朝餉の準備はもうすぐ終わります。それまで我が背は居間でゆっくりしていてください」


 瀬緒里さんがそう言うのに笑顔で返し、水瓶を覗き込む。やはり急いだためなのか、食事の支度分くらいしか汲んでいなかったのだろう。ほとんど水が入っていなかった。


「水を汲んで来ますね」


 ぼくはそう言って桶を手にすると、下の沢に向かう。桶一杯の水はかなり重いが、2回往復すると水瓶が一杯になった。


「すみません。我が背に台所仕事をさせてしまって……」


 居間に食事を運んでぼくを待っていた瀬緒里さんが、申し訳無さそうに言うので、ぼくは首を振って答えた。


「台所仕事と言っても、水汲みは力仕事だし、水は食事の支度や洗い物だけに使うものでもないでしょう? これくらいはぼくがやりますよ。

それより、『すみません』じゃなく『ありがとう』って言うべきじゃないですか?」


 瀬緒里さんはハッとした顔をして、ぼくに微笑みかける。


「……本当に、月宮の皇子様が仰るとおり、くう様はお優しいお方ですね? 私は皇子様にどれだけ感謝してもしきれません」


「ぼくにとっては、それが習慣になっているだけですよ。瀬緒里さんに甘やかされると、ついつい楽をしそうで怖いですね」


 ぼくは差し出されたお膳を受け取りながら笑って言う。瀬緒里さんはくすくす笑うと、


「いいじゃありませんか。私の方が我が背よりずっとお姉さんですもの。今朝の様子をお父様に見られたら、私が叱られてしまいます。婿を尻に敷く嫁があるかって」


 まんざら冗談でもなさそうに言う。古い考えだが、ぼくは苦笑するしかない。まあ、水分高良命様には、これがぼくたちのやり方だと納得していただくほかない。


 慎ましいが、楽しい食事が終わると、ぼくたちは『無常堂』に引っ越す準備を始める。ただ、『引っ越す』とはいっても、高良命様との約束もある。月に一度は里帰りすることを見越して、瀬緒里さんの家の家財道具は、さしおり必要なもの以外はそのまま残すことにしていた。


 お昼前に準備が終わり、雨戸も締め切ったところに、大きな猪が現れた。ぼくは一瞬緊張したが、瀬緒里さんがその猪を見て、


「お父様の神使でしょうか? 見送りではないようですね?」


 そう問いかけると、猪は凛々しい若武者の姿になり、ぼくと瀬緒里さんの前で跪く。

 そして神使は、顔を伏せたまま言った。


「高良命様からの伝言です。川津媛様と月宮の坊におかれましては、至急宮においでいただきたいとのことです」



 時ならぬ高良命様のお呼び出しに、ぼくたちは取るものも取りあえず水分神社へと向かう。昨日の今日だから、今さら瀬緒里さんが里を出て行くことに反対されるのではあるまい。

 だとしたら、どんなご用事があるというのだろう? ぼくも瀬緒里さんも、道々考えたが、どうにも心当たりがない。


「……お父様のことです、きっと何か頼みごとがあるに違いありません。ただ、どんな内容かは私も分かりませんが」


 結局、お話を聞いてみないことには何も分からないし、分からないことをあれこれ想像しても仕方ない。ただ、どんなことにせよ役に立ちそうなら力を尽くすだけだ……ぼくはそう覚悟を決めて、瀬緒里さんと一緒に緊張した面持ちで水分神社の拝殿に上がった。


 高良命様は、山伏の格好をして床几に座り、ぼくたちを待っていた。


「引っ越しの日だというのに、呼びつけてすまんな……うむ、神婚の儀はつつがなく終えたようで何よりだ」


 そう言いながら、ぼくたちに円座を指さして座れと身振りで勧める。ぼくと瀬緒里さんが座ると、高良命様は身を乗り出すようにして、ぼくに言った。


くう殿に折り入ってお願いがある。聞いてくれるか?」


「……お話を聞かねば何ともお答えのしようはございませんが、ぼくができることであれば力を尽くします。まずはお話をお聞かせください」


 ぼくがそう答えると、高良命様は豪快に笑い、


「わははは、さすがは婿殿だな。川津媛が夢中になるわけだ。媛は15年前から明けても暮れても、くう殿空殿とそなたのことを熱っぽく話しておった。


川下に家をこしらえたのも、まだ幼い空殿を連れ込むためだったからな。奥手の媛には珍しく積極的なことだと不思議に思っておったわ」


 そう言うと、瀬緒里さんは真っ赤になりながらも、


「お、お父様、昔のことは言わないでください。それで、我が背へのご依頼というのは何でしょうか?」


 そう言って、それかけた話題を強引に修正する。高良命様は優しい光を目に残しながらも真剣な顔になって、ぼくたちに話をしてくれた。


「この里から人がいなくなって早5年。里の家々もだんだんと傷みが目立ってきた。数軒の家族は、年に1度家を保つためにここに帰ってくるが、わしはそんな者たちが安全に行き来できるよう、できるだけの神徳を垂れてきたつもりだ」


 それはぼくも感じていたところだ。確かに月宮の里までの道は荒廃が進んでいたが、里そのものは、そんなに荒れた雰囲気は醸し出していなかった。


 もちろん解かれた家も多いが、その他の建物は空き家とはいえまだしっかりとしていたし、何なら掃除とちょっとした手直しさえすれば、すぐにでも住める家も多かった。


 ぼくのうなずきを見て、高良命様は続ける。


「だが一昨年、月宮様の御魂が移されて以降、付近の山神たちが騒がしくなってきている。

この一帯の神々の要であった月宮の皇子様がいらっしゃらなくなったことで、人間の崇敬が絶えて久しい山神たちの不満が噴き出してきておるようだ。


わしや川津媛のように、たとえくう殿一人といえど、崇敬し会いに来る人物がいるというのは幸運な方なのだ。多くの里が無人となる中、御魂を遷してももらえず、忘れ去られるだけの日々を送るのは悔しく、また寂しいものだろう」


 ぼくはうなずく。『神力は人間の崇敬によって神の身に移行する』……それは逆を言えば、人間の崇敬なしでは神去るか、荒魂が勝って荒ぶるかの道をたどることになる。


 ばくの考えが分かったのか、瀬緒里さんが悲しそうに言う。


「同じ地祇として、こんなことを言ってはいけないのでしょうが、荒ぶって祟り神になるよりは神去る方がいいと思ってしまいます。

私も、我が背とこうしていられないのであれば、神去ることを選んだかもしれません」


 ぼくは、瀬緒里さんの手を黙って取ると、高良命様に問いかける。


「それで、高良命様はその山神様たちをどうされようと仰いますか?」


 高良命様のお考えは、ぼくが想像もしていないことだった。


「空殿は、確かいろいろな呪物を商いしておったな?」


「は……『無常堂』のことでしょうか? 確かに呪物やいわくある物も扱っていますが?」


 ぼくの答えに、高良命様は厳つい顔をほころばせて言った。


「神は祓えぬ。それが祟り神でも祓うことは叶わぬ。

だが、依り代に封じ、あるいは新たな崇敬を受けられるようにはできる」


 それを聞いて、ぼくは高良命様が何を考えていらっしゃるかを悟ってうなずいた。



 その日の午後、ぼくは懐かしい月宮神社を訪れていた。御祭神である月詠命様の御魂が移されて以降は人の手が加わることもなく、当初拝殿や本殿、境内や社務所は荒れるに任されていた。だからぼくは、里に来るついでに神社を管理することにしたのだ。


 さすがに拝殿や本殿はただ傷みが進んでいるだけだったが、社務所の壁には落書きがされ、境内もゴミが散らかり、焚火の跡なんかもあった。廃墟マニアや心霊スポットを巡る人たちの中にも心無い者がいると見える。


 ぼくはまず、境内の掃除から始め、ゴミは一か所にまとめた。これは後で麓の集積所に持ち込もう。


 その次に、社務所を開け(ぼくは父の口利きで、社務所の管理を条件に鍵を預かっていた)、室内の空気を入れ替えながら掃除をする。それが終わると壁を墨で塗り始める。これは落書きを消すためでもあったが、板壁の腐食を遅らせるためでもあった。


 そうこうしているうちに春真っ盛りの山は早い夕暮れを迎え、全部が終わる頃、日はとっぷりと暮れていた。


 水は境内の神域にある井戸で汲むことができたが、社務所には電気もガスも来ていない。ぼくは登山用の携帯ランプを灯すと、揺れる火を見ながら明日の神事について考え始めた。


(御神鏡も御神体もお遷ししているが、明日はこの神社に再び月詠命様を神降しせねばならない。山神様たちをまず落ち着かせるには、それしか方法はないだろうな……)


 その時、社務所の戸ががらりと開き、瀬緒里さんが若武者四人と巫女一人を引き連れて部屋に入って来た。巫女と若武者のうち二人は何か荷物を抱えている。


「瀬緒里さん、夜の山は危ないですよ。高良命様の宮に泊まるはずじゃなかったんですか?」


 ぼくが驚いて言うと、瀬緒里さんはにこりと笑って


「大丈夫です。お父様の神使が護衛でついて来てくれましたから。それより我が背は昼餉も摂っておられぬでしょう?」


 そう言うと、巫女が持っていた包みを受け取る。


「冷めてしまいましたが、せめて夕餉は精の付くものをと思いまして。一緒に食べましょう? そなたたちも、あちらの部屋で食事を摂りなさい」


 瀬緒里さんは重箱を開けながら言う。巫女と武者たちは瀬緒里さんに一礼すると、何も言わずに隣の部屋に下がった。


 ぼくは小皿を受け取りながら言う。


「ありがとうございます。わざわざ準備してくれたんですね?」


「我が背がお父様やこの里のために心を砕いてくれているのです。私がそれを助けるのは当然のことですよ?」


 瀬緒里さんは微笑んでそう言いながら小首を傾げる。その様は、彼女が神であることを忘れさせるほど可愛らしかった。


「……午後の間に、私も何人かの山神様を訪ねてみました」


 山菜の揚げ物を食べながら、瀬緒里さんが言う。彼女の話では、社や祠があり、かつ、人の手が届いている山神様たちは、割と穏健なお考えのようだ。


「でも、お父様がお話ししに行かれた皆さんは、人間から忘れ去られた方たちで、その方々の恨みや哀しみは、私が想像していたより深いものがあるみたいです。

中には、お父様や私に妬みを持ち、我が背を害すると面と向かって言った山神様もいらっしゃったとか……」


 ……その気持ちは解らないでもない。高良命様も仰ったが、瀬緒里さんたちは山神様たちから見ると『運がいい』のだ。月宮の皇子様に選ばれた瀬緒里さんがいて、ぼくという毎年欠かさず会いに来る参詣者がいるといないとでは、神様にとって大きな違いだろう。


 そんな神々が、嫉妬のあまりぼくという存在を害しようとしても不思議ではない。


 ぼくは、心配そうにぼくを見ている瀬緒里さんに、薄く笑って言った。


「……気を付けておきましょう。でも、その気持ちは理解できますが、受け入れ難いものでもありますね?」


 瀬緒里さんはぼくの微笑を見て、心配と哀しさがないまぜになった表情で言う。


「……そうですね。他を羨む気持ちは、そのまま奇魂や荒魂が大きくなっていることを意味しているのですから。その気持ちが膨れ上がり、祟り神にでもなったら、お父様もどうしようもなくなるでしょう」


 ぼくは、そんな瀬緒里さんの眼を真っ直ぐ見ながら言った。


「だからこそ、明日は月宮様にぜひとも再降臨を願わなければなりません。ぼくも力を尽くしますから、瀬緒里さんも力を貸してください」


 瀬緒里さんはぼくの視線をしっかり受け止めると、頬を上気させながら答えた。


「はい、私の神力が及ぶ限り。一緒に頑張りましょう」


 その顔には、神としての決意と威厳が現れていた。


   ★ ★ ★ ★ ★


転・神降し


 次の日、瀬緒里さんは日の出前には護衛の神使や巫女たちと共に高良命様の宮に戻り、山神様たちを月宮神社に招集する準備を始めた。


 ぼくは日の出と共に神域の井戸で身を清め、まずは清浄な気が漏れぬよう、そして邪気が神域を侵さぬように神域一帯を結界で閉じた。


 そして、白い麻糸で織られた布を本殿に安置する。これは瀬緒里さんが心を込めて織ってくれたものだった。月詠命様という三貴子みはしらのうづのみこに降りてきていただくには、あまりに素朴だとも思ったが、ぼくと瀬緒里さんの縁を取り持ってくださったことに一縷の望みをかけて準備した依り代だった。


 そして本殿に神饌を並べ、拝殿に祭壇を拵える。それが終わったら、ぼくは再び井戸で身を清め、はなだ色の衣冠一重に身を包んで拝殿に上がった。


 御幣で拝殿内を清めると、ぼくは祝詞を奏上し始める。御祭神を再びお迎えするのだが、今回は特殊な事情があって一時的においでいただくのだ。そこはしっかりとお伝えしておかないと、その後の神事にも支障が出てこないとも限らない。


 ぼくは昨夜一晩練りに練った祝詞を、心を込めて申し上げることに専念した。


 チリリン……


 突然、涼やかな鈴の音と共に、


「……くう様、結界の外に邪気が集まりつつあります。いかがいたしましょう?」


 ぼくの耳元でそう言う女性がいる。


「山神様が生んだ邪気と思えない節もございます。何者かが動いているのなら、捕えて口を割らせるのもよろしいかと」


 腰までの黒い髪を背中の所で束ねたその女性は、ぼくの隣に位置を変え、茶色の瞳でぼくを見てそう言ってくる。それを聞いて、ぼくは決心した。


 ぼくは祝詞を上げながら懐から麻縄を取り出すと、彼女に手渡す。彼女は心得良くうなずくと、


「承知いたしました。外のことはこの佐代里さよりにお任せください」


 佐代里さんは縄を受け取ると、巫女装束の腰に付けた鈴を鳴らしながら拝殿から出て行った。


「三貴子の一柱たる月詠命が眷属、縛鬼誓約ばくきのうけい龍佐代里が命ず。

汝ら邪気よ、実りの穂が垂れるが如く、山風に草木の靡くが如く、我が前に頭を垂れて、

朝日に夜露の消えるが如く、朝霧の風に吹き散らされるが如く、月詠命が神威にひれ伏し、

葛の葉の巻く山椒の如く、遠呂智に巻かれる猪子の如く、我が神縛を受け霧散せよ!」


 佐代里さんが神の御名において命ずると、麻縄は羂索けんさくとなって邪気たちを縛り上げ始める。邪気は逃げようとしたものも含めて一体も残さず縛り上げられ、光の中で霧のように消えた。ただ1体だけを除いて。


 佐代里さんは結界から出ると羂索を引き寄せ、その邪気に何か鋭く質問している。


 やがて彼女は邪気を滅し羂索を回収すると、ぼくの側に戻って来て、


「空様、一体残らず処理いたしました。後でご報告がございます」


 そう報告する。ぼくは祝詞を上げながらうなずいたが、これがまさかの事態を呼び込むことになるとは思ってもいなかった。


 ぼくは何とか場清めの祝詞を終えた。この後は月詠命様の眷属を呼び出し、その協力の下に月詠命様をお迎えするという手順で、さらにいくつかの祝詞を奏上する必要がある。


 だが、その前に佐代里さんの報告を聞かねばならない。この後の神事は途切れなく祝詞を奏上することになる。聞くなら今しかなかった。


 ぼくは神前に礼拝し、数歩下がる。そこで佐代里さんの方を見た。


 佐代里さんは茶色の瞳に真剣な光を湛えてぼくを待っていた。ぼくが彼女を見た途端、すっと影のように近付いて来て、耳元でささやく。


「邪気のおおもとは天逆毎あまのざこのようです。ただ、天逆毎自身が出て来たのかは分かりません」


 天逆毎とは、また大物が顔を出してきたものだと思った。この国には八百万やおよろずと言われるほど多くの神々が住まわれているが、その手の書物にはっきりと『邪神・悪神』として紹介されている神は少ない。

 その数少ない例外が天逆毎だ。力も強く、ぼくだけでははっきり言って、とてもじゃないが対応不可能だ。


「……その情報を水分高良命様に伝えてくれないか? それと川津媛に、この場に来てもらえるよう伝えてほしい」


 ぼくがそう言うと、佐代里さんは薄く笑ってうなずき、


「承知いたしました。すぐに行って参ります」


 という言葉と共に姿を消した。


(……瀬緒里さんとも話をせねばならないし、その間は神事を続行できないな)


 ぼくは迷った。瀬緒里さんを呼び寄せたからには、ぼくは一刻も早く月詠命様に御降臨いただくために、神事を続けた方がいい。瀬緒里さんなら佐代里さんから話を聞けば、事の重大さを分かって、ぼくがなぜ月宮神社に彼女を呼びつけたかも理解してくれるはずだ。


 そう思うが、もし山神様たちの後ろで天逆毎自身が手を引いているのなら……それが息子の天邪鬼であったとしても……ここを守るにしても瀬緒里さんだけでは手に余るだろう。


 そうなったら、ぼくがなんとかするか、一旦逃げて神降しの時と場所を考え直すかを決めなければならない。


 ぼくが考えあぐねていた時、思わぬ助っ人が現れた。



 ピリッとした感覚がぼくの背中に走る。これは瀬緒里さんでも、佐代里さんでもない。だが邪気や、ましてや天逆毎などのような禍々しさもない。


 ぼくが祭壇の前で床几に座り、前をつぶって気配を探っていると、


「……恐ろしく強力な結界だな。廃神社に誰が、何のためにこんな結界を?」


 そういう男の声が聞こえてくる。鳥居をくぐって入って来たということは、声の主は恐らく人間だろう。それも霊的な訓練を積んだ。


 ぼくの鼻は、かすかではあるが獣の匂いを嗅ぎ分ける。ただ、いわゆる『獣臭』のねっとりとしたものではなく、ざらざらとした感触の匂いだ。決して不快なものではないが、違和感は凄い。


 その男は、玉砂利が敷かれている境内を、かなり静かに歩いて来る。そして拝殿にいるぼくの横顔を見て、何秒か躊躇い、そして思い切ったように声をかけて来た。


「……神事の途中に失礼する。君はひょっとして化野空あだしの・くうか?」


 ぼくはゆっくりと目を開ける。その時には、声の持ち主の正体が分かっていた。


「久しいな、あきら。連れているのは狗神か?」


 ふせ昌は、ぼくの小学校の同級生で幼馴染で、そして親友だ。彼の家はこの神社がある山の向こう側の集落にあったが、今はその集落も無人になっていると聞いた。


「ああ。神事の途中なのか? 邪魔して悪かったな」


 昌はそう言うと、ぼくの表情から何かを読み取ったのか、


「ソラが三界様のように神主になったとは聞いていたが、普通の神主とは違うみたいだな。

よければ、ここで何をしているのか聞かせてもらってもいいか?」


 そう言いながら、拝殿に近付いて来る。彼が祖父の後を継いで、この辺りでも有力な狗神使いになっていることは、風の噂で聞いていた。


「拝殿に上がってもらって結構だ。今はちょっと訳あって神事を中断している」


「……ふむ、神降しの最中に、何か想定外のことが起きたか」


 彼が拝殿に上がった瞬間、彼の周囲から狗神の気配が消える。ぼくが神降しをしていると知って、狗神を結界の外に放したのだろう。


 その時、瀬緒里さんが佐代里さんと共に拝殿にやってきた。


「空様、天逆毎が後ろにいるというのは本当ですか?」


 瀬緒里さんはぼくに問いかけて、昌の姿を見て黙り込む。しかし昌は、『天逆毎』と聞いて眉を寄せた。


「ソラ、どういうことだ? なぜ天逆毎などという悪神と縁が出来た?」


 ぼくは目を据えている昌に、ざっと山神様たちの現状を説明する。生まれたときからこの山の麓で暮らし、この山で修行してきた昌だ、ぼくの言うことを立ちどころに理解し、協力を申し出て来た。


「水臭いなソラ。俺たちは親友だろう? ましてや御山の件で問題が生じているのなら、俺にも一枚かませてくれないか? 俺のスケキヨたちは結構役に立つと思うぜ?」


 ぼくたちの様子を見ていた瀬緒里さんは、昌の申し出に、透き通った光を放ちながら答えた。


「わたしは瀬織川の神で瀬織川津媛命。あなたの申し出、ありがたくお受けいたします。

では、空様にはすぐに月宮様の御降臨のための神事を再開してもらいます。その間に何か変事があれば、わが父たる水分高良命様がおいでになるまで、私と佐代里殿、そして伏殿で抑えましょう」


 神様らしい、堂々たる采配だった。ぼくはうなずいて、次の祝詞を準備する。


 瀬緒里さんの言葉を聞いて、昌は拝殿を降りて境内の真ん中に仁王立ちになり、狗神を呼び出す。白銀の犬、灰色で足先だけ白い犬、茶色で俊敏そうな犬……彼が扱う狗神は3匹だった。


 同じく佐代里さんが、羂索を手に拝殿を降りる。彼女は拝殿を降り切ったところで立ち止まり、空を見上げた。


 瀬緒里さんは、拝殿の真ん中に陣取った。邪気や天逆毎が現れたら、ここから敵を攻撃し、戦局不利なら佐代里さんたちも拝殿に上げて防御に徹するつもりと観た。


「……では、神降しの儀を始めます」


 ぼくは瀬緒里さんにそう言い、彼女がうなずくのを見て、祭壇に向き直って祝詞を奏上し始めた。



 その頃、水分高良命は、山神たちのもとに神使を使わして、月宮神社に集まるよう説得していた。


 社や祠があり、まだ神力を残している神たちは、高良命の話を聞いて


「月宮の皇子様がおいでになられるのなら……」


 と、さしたる問題もなく高良命の誘いに応じた。


 また、社や祠を持たぬ神々も、


「これを機に、社は無理でも祠くらいなら建ててもらえるかもしれん。少なくとも、何もしないで神去るよりはずっとよい」


 そう言った期待を持つ者は、高良命の宮に集まっていた。


「高良殿」


 山伏の装束に羽を生やした神が高良命のもとに来て声をかける。


「おお、綾瀬坊あやせぼうどのか。そなたが『たけの一族』の皆を説得してくれたと聞いているぞ。

世話になったな。いずれお礼に参ろう」


 高良命がそう言うと、綾瀬坊は首を振り、


「我ら一族は、私以外は社を持たぬとはいえ、峰や高木、古木や奇岩を依り代にしているので、人間たちの崇敬を集めやすい。


だが、依り代を持たぬ神は、月宮の皇子様が再臨なされると聞いて、大きな期待を寄せているものも多い。本当に月宮の皇子様はおいでになるのか?


そもそも御神鏡をはじめ依り代たるものは神社に残ってはおらぬし、三界殿のような術者もおらぬ。月宮様に会えなんだら、がっかりして荒魂あらみたまが目覚めるものも多いと思うぞ?」


 そう心配そうに訊く。


 高良命は自信たっぷりに、


「その点は心配要らぬ。神事を執り行うは月宮の坊だからな」


 そう言うと、綾瀬坊は初めて空の存在を思い出したように、ポンと手を叩いて言う。


「おお、化野三界殿のご子息か。

そう言えば高良殿のご息女は、月宮の皇子様のお声がかりで坊を婿取ることになっていると聞いてはいたが、その縁はどうなっている? 月宮の坊ももはや子どもではなかろう?」


 高良命は表情を緩め、


「人間としての幸せをかなぐり捨てて、媛を迎えに来てくれおったわ。三界殿に似て真摯で素直な青年になっておった。川津媛が恋い焦がれ、月宮の皇子様が気に入られるのも当然だと、改めて思ったのう」


 そういうと、真剣な顔に戻って言う。


「……そのくう殿が、神社にて月宮の皇子様に再度の御降臨を願い、神事を奉行しておる最中だ。

ただ、天逆毎の一族が、その神事を邪魔しようとしているらしい。媛が血相変えて神社に先行しておる」


 綾瀬坊は『天逆毎』と聞いて顔色を変える。


「……高良殿、もしそれが本当なら、すでに荒魂を起こした者たちがいると思わねばならんぞ。もうすでに神社にその者たちが突っ掛っておるかも知れんというのに、ここで何をぐずぐずしておるのだ!? 媛と婿殿を見殺しにするつもりか?」


 だが、高良命は微笑んで答えた。


「川津媛は空殿を救い、空殿によって救われた。神婚の儀を終えた二人が揃っていて、滅多なモノには後れを取るまい。

それに、川津媛の姉・兄たちも、もうすぐここにやって来る。それを待っているだけだ」


「……川棚媛と川淵媛、それに緒滝命おたきのみこと早瀬命はやせのみことたちが? ふむ……では我が嶽の一族も戦装束で参らねばならんか」


 綾瀬坊は鋭い目でそう言うと、背中の羽を広げて山頂目指し飛んで行った。


   ★ ★ ★ ★ ★


結・結縁は出会いに非ず、離縁は別れに非ず


 月宮神社の周囲、正確に言うとぼくが張った結界の外に、突然邪気が満ちた。それは拝殿で祝詞を上げているぼくもはっきりと感じたし、ぼくの祝詞奏上を邪魔するように、わあっと喚声や怒声が沸き起こった。


「……我が背は何も心配要りませぬ。月宮の皇子様を早くお呼び出しください」


 ますます大きくなる怨嗟の声の中で、瀬緒里さん……川津媛は落ち着いた声でぼくにそう言うと、


「佐代里殿、伏殿。まだ手出しは無用です。外の結界が破れても慌てずに、内の結界を守ることだけを考えてください」


 そう指示を出す。


「承りました」

「承知!」


 佐代里さんと昌が答える。ぼくの結界を川津媛が上書きして、さらに強靭さを増した結界だ。普通に考えたら邪気なんてものが入り込めるはずなんてない。仮に入り込んだとしても、結界突破時に力を使い果たしてしまうだろう。


 佐代里さんも、昌もそう思っているはずだし、もちろんぼくも、そして川津媛もそう信じていた。


 だが、急に邪気が薄くなってくる。まるで潮が引くように結界の外の邪気が薄れ、そして代わりに空間を揺すぶる感覚と共に、結界の外に数千羽、いや数万羽の鴉が現れる。


「……これだけの鴉、この御山だけのものじゃないな。そもそも実体の鴉でもないようだ」


 昌の言葉が聞こえる。鴉は猪や鹿、鳶などと同様、この辺りの神様たちの神使でもある。

 とすると、月宮の皇子様の御再臨を迎えに上がった神様たちの先触れなのかもしれない……ぼくがそう思って気を抜きかけた時、川津媛が佐代里さんに鋭く命じた。


「……荒魂の波動です。佐代里殿、あの鴉たちを悉皆ことごとく縛しなさい!」

「! 分かりました!」


 佐代里さんはすぐに羂索を鴉の群れの真ん中に投げ入れる。羂索は金の光を伴って佐代里さんの手元から伸びて行き、鴉たちを蹴散らし、絡め捕り始めた。


「……空飛ぶ相手じゃ、狗神の出番はないぜ。地を駆ける魔物が来たら頼むぜ、スケキヨたちよ」


 昌は白銀の狗の首輪を握り、逸る狗神たちに声をかけている。


「川津媛様、鴉は粗方捕縛したしましたが、如何いたしましょうか?」


 羂索を操りながら訊く佐代里さんに、川津媛は結界の外を睨みながら命じる。


「神の眷属です、滅せずに封じなさい。封じる先は鳥居といたします」


 川津媛はそう言いながら鳥居に右手を伸ばす。鳥居の上に白い光が灯った。


「あの中に封じなさい」

「承りました」


 佐代里さんは羂索を操り、光の玉にと羂索を繋ぐ道を開く。もちろん、人の眼には見えないもので、鴉たちは次から次へと光に吸い込まれていく。


「ふぅ、まったく、集落が無人になっていて良かったぜ」


 昌がそう言って笑った時、


『川津媛の婿はどれだ!』

 パーンッ!


 低いが威厳のある声が雷鳴のように轟き、いや、雷鳴と共に轟いた。まさに『晴天の霹靂』とはこのことを言うのか、外の結界は雷に撃たれて一瞬で砕け散り、赤く毒々しい色の大ムカデが空中に姿を現した。


「な……山の神の荒魂? それも集合体だって?」


 昌が大ムカデを見て、信じられないといった声を出す。そのムカデは神社がある山を幾廻りもできるほど大きく、紫色の瘴気を放っている。


「いけません! 二人とも拝殿へと撤退してください!」


 川津媛がそう叫んだ時、ムカデは昌を見つけ、


『貴様が川津媛の婿かぁーっ!』


 怒りで目を真っ赤にしたムカデは、一直線に昌に襲い掛かってきた。


「くっ! スケキヨ、スケタケ、スケトモ、奴の眼を攻撃しろっ!」

 ガウウンッ!


 昌の命令と共に3匹の狗神は大ムカデに跳びかかって行ったが、


 ズシャッ!

「がっ!」


 昌は大ムカデに圧し掛かられ、ただ一言発して巨大なムカデの身体の下に埋没してしまった。



「伏殿!」


 何とか昌を救おうとする佐代里さんに、川津媛は鋭く命令する。


「佐代里殿、拝殿に退きなさい!」


 さすがに佐代里さんも、絶対的な川津媛の命令を無視することはできす、悔しそうな顔をしながら羂索を持って拝殿へと後退する。


 佐代里さんが自分の前に来るのを待っていたように、川津媛は拝殿そのものを結界で囲った。内側の結界はすでに大ムカデに破られ、清浄だった境内はムカデやゲジゲジなどの群れに蹂躙されている。


 だが、相手が神の荒魂の集合体であっても、拝殿の結界は破れなかった。大ムカデは何重にも拝殿を取り巻き、締め上げてきたが、一柱とはいえ神である川津媛の結界にはひび一つ入らず、瘴気も中に入って来なかった。


「……まさか、内の結界が一撃で破られるなんて……」


 動揺を隠せない佐代里さんだったが、本殿にぽうっと淡い光が灯るのを見て、


「……依り代が光っています」


 少し弾んだ声で川津媛に報告する。川津媛は、途切れなく祝詞を奏上しているぼくの額に汗がにじんでいるのを見て、


「……我が背が一心に祈っているのです、きっと月宮の皇子様もお応えになられるでしょう。皇子様の眷属がおいでになります。粗相のないように」


 そう、威厳ある声で言った。


 その時、本殿の光の中から、


『三貴子たる月詠命様に呼び掛けるは何者ぞ?』


 涼やかな声でそう言いながら、髪をみずらに結った童子が現れる。童子は桂の木の枝を持ち、数羽のウサギを連れていた。


 童子を見て、川津媛は深々と頭を下げる。


「私はこの山の神、水分みくまり高良命こうらのみことが娘で、麓の瀬織川の神、瀬織川津媛せおりかわつひめのみこと。急ぎ月宮の皇子様にお助けいただきたい儀がございまして、ぶしつけながら願いを奏上奉っております」


 童子は翠の眼で川津媛を見て、僕を見る。そして怯えた表情の佐代里さんを見た後、結界の外にうごめく大ムカデを見て、はっきりと気分を害した表情をした。


「ここは元、月詠命様を祀った神社であろう? そを、あのような穢れを持ち込んで如何する? そちは月詠命様の眷属だったな? 説明いたせ」


 童子は佐代里さんを糾問する。どうやら大ムカデが山神の荒魂であることはご存じないようだ。


 決めつけられて言葉に窮している佐代里さんに代わり、川津媛がことの経緯を説明する。童子はふんふんと話を聞いていたが、媛を見て冷たく言い放った。


「……それは人間が悪いのであろう? 神を忘れて祭祀を怠る、それで山神の荒魂から報復されたと致しても、いわば自業自得。

そなたもこの件から手を引いて、荒魂の好きに任せい。『触らぬ神に祟りなし』と言うではないか?」


 愕然とした表情をする川津媛から眼を離した童子は、ぼくを見て不思議そうにつぶやく。


「この神主は何者だ? 月詠命様の御神徳を受けること、世の常の人間とは思えぬ」


「このお方は、私の神婿にして月宮の皇子様の御寵愛を受けている者でございます。私とこのお方との縁を結んでいただいたのも皇子様でございますれば、その縁をご勘案いただき、どうか月宮の皇子様へのお取次ぎをお願いいたしまする」


 川津媛がそう説明した瞬間、ぼくは次の祝詞に移る。


 これは月宮の皇子様ご自身に差し上げる祝詞で、ぼくたちの縁から始まって、現状とぼくたちの成すべきことを誓い、それへの助力を願うものだった。


「……川津媛命、この者の名は?」


 祝詞を聞いて顔色を変えた童子は、本殿に戻ろうとして質問する。川津媛が答えた。


「化野三界が息子、化野空でございます」

「化野空か……相分かった。しばし待て」


 童子はそう言って、本殿に消えた。



「おお、間に合ったか!」


 息子神や娘神と合流した高良命様は、『嶽の一族』一の岳綾瀬坊らの軍勢に守られて月宮神社においでになった。


 高良命様や綾瀬坊様は、水分神社に来なかった山神の多くが在所を離れているのを知り、一戦交えることも覚悟しておられたようだ。


 しかし、月宮神社の拝殿に月宮の皇子様が立ち、境内に座った山神様たちを睥睨しているのを見て、安堵の声を漏らされた。


 月宮の皇子様は、童子の報告を受けると、


『廃神社でわざわざ麿を呼び出すは、それだけ危機が迫っておじゃるということ。ましてやそちには月宮の里の件は話しておじゃったではないか。

瀬織川津媛と月宮の坊は、麿が仲人したも同然におじゃる。そを、かれこれと難癖をつけて麿の耳に入れぬとは不届きでおじゃるぞ。以後気を付けい!』


 烈火のごとく怒ってそう言うと、すぐに本殿に御降臨あそばされたらしい。


 月宮の皇子様はまず、拝殿を締め上げている大ムカデに対し、腰の佩剣を抜き放って、


『麿が宮で狼藉いたすでない!』


 大音声で叫ぶと、さすがの荒魂たちも静かになり、山神本来の姿に戻った。


『それでよい。話は月宮の坊や川津媛から聞いたでおじゃる。

そちらの気持ちは、麿も理解するが、さりとて月宮の坊に怒りをぶつけて何とする。

麿が神社すら、人間がおらずば斯様に廃されるのじゃ」


 そう、寂しそうに仰られた後、高良命様を見て、


「麿や依り代がある神はまだ良い方におじゃる。行き場のないこの者たちの身の振り方を考えてやらずば、麿が怠慢と責められるでおじゃろう。

何か良い知恵はないか、高良命?」


 そう御下問になる月宮の皇子様に、高良命様はにこりと笑って答えた。


「されば、依り代を与えればよろしいかと」


「依り代を与えると簡単に申すが、社や祠を作るにどれほどの費えがかかるか知っておじゃろう? 麿もそれほど裕福ではおじゃらぬぞ?」


 月宮の皇子様は、言い難いことも堂々と仰る。高良命様は苦笑して、


くう殿にお任せあれ。すでに話はしておりますゆえ」


 ただそれだけ言うと、月宮様もぼくと川津媛を見てうなずいた。


「月宮の坊に何か考えがおじゃるのじゃな? 分かった、やってみよ。麿が許す」


 それからぼくと瀬緒里さんは、急いで『無常堂』に戻った。


 そこで、丸一日かけて神様が依り代としてもおかしくなく、しかも人間が大事にしそうな品物を選び、月宮の皇子様のお力をお借りして、月宮の里と『無常堂』を繋いだ。


 そして山神様一柱ごとに、気に入った品物を選んでいただき、それを依り代としていただいた。


 なお、これらの品物はすべて美術品としての価値があるものだったので、ぼくはそれらの品々に、どのようなご利益があるかの説明書を付け、すべてを一括してぼくが宰領する月詠神社の社務所の隣に資料館を作り、そこで一時保管することにした。


「もちろん、ゆくゆくは山神様と話し合って、元の御座所に安置するつもりです。価値あるものが依り代なら、人間は多少不便でも参詣するものですので」


 ぼくがそう説明すると月宮の皇子様も高良命様も納得された。


「まあ、皆が納得しておるなら、それもいいでおじゃろうよ」


 月宮の皇子様はそう言われると、ぼくを痛ましそうな目で見て、


「しかし、大事な友人が斯様なことで犠牲になるとは……麿は心から月宮の坊の友人を悼む。彼は黄泉の国ではなく、常世の国に行けるよう、麿の姉上や弟者にも相談して遣わすでおじゃるよ」


 そう言って消えて行かれた。



 すべてがひと段落した後、ぼくは再び月宮の里に戻った。昌の件で、まだやり残したことがあったのだ。


 月宮神社は、月宮の皇子様のお力で清浄さを取り戻していた。ぼくは境内に立って、昌がなぜ、拝殿に逃げ込んで来なかったのかを考えていた。


 昌の亡骸は、山神の荒魂に喰い尽くされて、一片の骨、一筋の髪の毛すら残っていなかったが、『想い』は残っている。月宮の皇子様直々の御神徳を受け、彼の魂には憎悪や恐怖と言った負の感情は残っていなかった。


 後は、彼のやり残したことを遂げさせれば、常世の国に行けるはずである。現に彼を迎えに、月宮の皇子様の童子が連れていたウサギたちが境内のあちこちにいた。


 ぼくは、彼から3通の封筒を受け取った。1通は彼の師である祖父宛て、もう1通は弟のめぐるくん宛て、そして最後の1通はぼくに宛てたものだった。


『師匠と周にそれを渡してもらえればいい。俺はこうなる運命じゃないかって、結構前から思っていたんだ。最後にお前に会えて、お前や御山のために死ねるのなら、親友として、術者としては本望さ』


 彼はそう言うと、迎えの者たちと一緒に白い光の中に消えて行った。


 それからぼくは、昌の故郷である山向こうの御犬集落に降り、そこから少し下ったところにある伏屋敷を訪ねた。


 伏屋敷には、老人と青年がいた。ぼくが名乗ると、すぐに部屋に通された。


 ぼくは昌の仏前に手を合わせ、それから師匠であるおじい様と弟の周くんに、山神様たちのこと、月宮の皇子様に再度降臨していただくために昌が力を貸してくれたこと、そして山神様の荒魂の集合体によって命を奪われたこと……あの出来事の詳細を話した。


 おじい様は目を閉じて最後までぼくの話を聞き、やがてすっきりした顔で言ってくださった。


「昌の件は、狗神様から報告を受けていた。あれが使っていたスケキヨたちが、消えかかって戻って来たので、昌が死んだことは知っていた。


だが、なぜ、どんなモノにやられたのか、狗神たちは一切教えてくれなんだ。

今、空くんから話を聞いて、昌の最期は決して恥ずべきものではないと救われた気分だ。


昌と友だちでいてくれて、本当にありがとう。それに話し辛いことだったにも拘らず、話を聞かせてくれて感謝する」


 ぼくは、最後まで心に引っ掛かっていたことをおじい様に尋ねた。


「昌は、拝殿に逃げ込もうと思えば逃げ込めたはずでした。そうしなかったのは何故なんでしょう?」


 おじい様は、目をつぶり、ややあって悲しそうに答えた。


「昌は、長いこと業病に侵されていた。医者からはもう長くないと言われていたらしい。

恐らく、空くんに会えて、思い残すことがなくなったのではないかと思う。

術者として正当な理由がある戦いに参加したからには、そこで最期を迎えたかったのではないかな」


 ぼくは、それからしばらく話をして、伏屋敷を辞した。



 『無常堂』に帰ったぼくは、昌の手紙を読んだ。


 相当身体の具合が悪かったのだろう、筆圧は薄く、文字はかなり掠れていたが、それでも昌らしい端正な品格を感じさせる文字だった。


 そんなに長い手紙でもなかったが、ぼくは何度も読み返し、彼の気持ちを考えると、自然と胸が熱くなる。


 ……ソラ、久しぶりに会えてうれしかった。俺は長いこと病魔に苦しんできたが、お前に俺の気持ちを話さないうちは死ねないと思っていたんだ。


 小学校の卒業式のこと、覚えているか? お前は茜には『10年後に会える』と言いながら、俺については一瞬言葉に詰まったよな?

 だが最後に、『また会える気がする』と言ってくれた。だから俺は、病気と闘い続けることができたんだ。


 お前も、俺と同じ匂いがする。きっと、将来は『あっちの世界』に関する仕事をすることになるんだろうな。俺はじいちゃんの後を継いで狗神様を祀らねばならないが、俺が死んだら弟の周のことは頼むよ。お前にしか頼めないんだ。


 本当は茜と三人で、昔の話をしながら酒でも飲みたかった。でもそれは、未練って奴だ。


 術者は辛いな。周が悩むときがあったら、相談に乗ってやってくれ。お前のことは周にも話しておく。兄と思ってソラを頼れってな。


 じゃ、幼馴染の中で最初に退場してすまん。あっちで待っているから、茜と幸せに過ごしたら、ゆっくりこっちにやって来い。気長に待っている。 伏昌 ……


 ぼくは昌の顔を思い出す。あの時、彼は病気であるなんてぜんぜん感じさせなかった。それほど彼の気は充実していた。


 けれど、子どもの頃から人一倍繊細で気が付く奴だっただけに、自分の運命についても早い段階で納得したのだろう。


 そんなことを考えていると、襖を開けて瀬緒里さんが入ってきた。ぼくの隣に腰を下ろし、寂しげな瞳で言う。


「……悲しいなら、泣いていいんですよ?」


 ぼくは首を振って答えた。


「……昌に託されたことがあるんです。一番の親友だった奴の頼みなので、ちゃんと期待に応えなきゃ」


 そんなぼくに、瀬緒里さんは静かに言った。


くう様、『結縁は出会いに非ず、離縁は別れに非ず』……縁とは出会いや別れのことではありません。結縁も離縁も、運命の交錯を言うんです。


縁そのものには、出会いも別れもありません。ただ、どこかでしばらくの間、同じ時間を生きるだけのことです。


だから、良き縁は途切れることはありません。悪しき縁は再び交錯することはありません。良き縁を大事にし、今を大事に生きること……それが私たちにできることです」


 ふいに、ぼくの眼からは涙があふれてくる。瀬緒里さんはそんなぼくの背中を優しくなでてくれた。

 ぼくは、優しさに包まれながら、切なさを抱いていつまでも涙をこぼしていた。


   (無常堂夜話8:結縁と離縁の物語~終わり)


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、ソラと川津媛がどのようにして『無常堂』で暮らすようになったのか、そして縁について書いてみました。

いくつかの作品で、人間や、亜人などの人外種族の寿命や能力について書いています。普通に通婚可能で、子どももできるって設定にしていますが、神と人間の通婚は初めてのパターンです。(HAMMURABIで近い設定はありますが……)

で、神様側が人間側を先に見初め、人間側も特殊な環境にあって神との通婚がむしろ救いって感じにしています。

なお、川津媛が限りなく人間に近い心の動きをしているのは、なべて日本神話の神様って、人間っぽい面があると思うんですよ。ただ、神は神の立場や働きがあるはずなので、そこはしっかりと活躍してもらいました。

次回は、また戻子&鏡子のお話しです。お楽しみに。

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