統べるもの、その意思
ヴァル・グラナドは、古代語族の中でも最も古くまた最強と名高い王ロヴァスと悠久ドラゴンと称されたラグナルダとの間に生まれた唯一の子であった。それだけ、ラグナルダは王ロヴァスを愛していた。というよりも、その時の王と古代語族達が建国してゆく様が、生命力に溢れた創始次元が愛おしかった。
ラグナルダはこと細やかに惜しげもなく古代語族達の治世の発展に尽力していた。いくら古代語族が長命であったとしても、人としての寿命はラグナルダにとってはほんの一瞬に過ぎなかった。いくら愛する者が現れたとしても、我が子の姿さえ見せることは叶わない。儚い望みであった。
そんな折、ちょうどラグナルダが出産で古代語族達に関わってやれなかった100年ほどの期間があった。ラグナルダにとっては大した時ではなくとも、彼らにとっては苦難の連続の100年であった。
とうとう困り果てたカウル王の時代に、彼らは次元の谷に棲むという千年ドラゴンに会いに行った。ドラゴンの名はシムルグといった。シムルグはラグナルダの代わりに古代語族を助けた。
当時、古代語族の間には谷の千年ドラゴンから助力を賜ったら、その助力には同等の見合った対価を払わなければいけないという伝承が存在した。それは、遠い遠い昔にラグナルダが古代語族に言って聞かせたことでもあった。それが暗黙の掟のように伝承という形で残っていったものだった。
そんな伝承があることを知らないシムルグは困り果てたが、ラグナルダが決めたことだろうから従った方が良いと判断した。シムルグにとっては対価などどうでもよかった。そこで、懐妊中だと聞いていたカウル王の王妃が産んだ子が、もしも女児なら娶っても良いかということになった。
果たして、往々にして運命とはそういうもので、生まれてきた子は女児でありしかも能力を持っていた。カウル王は大切に育て、成人すると王女リステルをシムルグの元へと嫁がせた。数年後、リステルはシムルグの子を身籠った。
ラグナルダが古代語族の元へ戻った時にはすでにすべて事は終わっていた。たった100年のことであった。
自分が言って聞かせたとはいえ、このような形で返ってくるとは思いも寄らなかったろう。大切に思っていたからこそ、呆れ果て、悲しくなり、終には小さな怒りとなって燻り続ける。いっそのこと一思いに消えて無くなるような感情ならよかったものを。
ラグナルダは次第に古代語族との関わりを疎うようになっていった。
そのまま、離れていけばよかったのだ。古代語族達は歳月を経るごとに、段々と傲慢な種族へと成り果てていった。王の座を巡り戦も厭わなくなり、王と言う名の玉座の奪い合いが常となっていた。そして、古代語そのものも忘れ去られていった。
古代語を使用する時は、術師がまじないを使う時だけになった。乱世では、策略に長けるだけでなく、やはり武力に勝った方が生き残る。
そんな中、一人の少女がどこからともなく創始次元に現れた。少女は魔術士に次元を渡らせる術式はないものか、働きかけ召喚術式を新たに生み出そうとしていた。こちら側へ呼び出す召喚術式があるのならば、反対にこちら側から還帰する召還術式があっても不思議ではない。少女は能力を貸す代わりに術を用いての儀式を繰り返した。少女が還りたかったのは隠された場所だった。
何千何百と繰り返すうちに、古代語族が失ってしまった能力ある者が現れるようになった。彼らは否応なしに玉座の奪い合いへ駆り出されていく。首尾よく行けば英雄と呼ばれ歓待された。
隠された場所ーー閉された次元からの召喚は熾烈を極めた。なぜなら、一度は離れていったラグナルダを擁し、召喚は繰り返されたからだ。成功すればわずかながらでも能力ある者が手に入る。たとえ失敗したところで使い道などいくらでもあった。
その中で、二つの形なきものが生まれた。それは悲哀魂と影と呼ばれた。
ヴァルは母ラグナルダが棲む創始次元に着いた。いつしか、荒廃した風景が当たり前となってしまっていた。もう一度、太陽のように眩しく輝いていた創成期を取り戻したいと、ヴァルは考えていた。
そのためにはどうしても必要なことがあった。母親の砕け散った玉石を取り戻すことであった。玉石には所持する者、使う者以外の、玉石自体の意思があるのだと聞いた。その言葉を強く信じて、ヴァルはラグナルダと対峙するために来た。
ラグナルダは息子ヴァル・グラナドがやってきた理由は、だいたい見当がついていた。
「玉石のことであろう?」
煩わしそうに、ラグナルダは先に口を開いた。
「そうです。玉石はドラゴンにとって、守護の力を得るためにも必要不可欠なもの。それをまたなぜ、訳あって砕け散ったからとはいえ、リィンの元にあのような形で預けてあるんです!?」
ラグナルダは深い、深いため息を吐いた。ヴァルの姿は髪の色さえ違えば、父ロヴァスによく似ていた。どうして今このようなことになっているのか。
「最初はおまえのためだった。もっと強い子孫を残すためにできることは、おまえに能力ある者を娶らすことだと盲信していた。うまく口車に乗せられていたのですよ、この私が」
「俺のため!?そんなことは、今まで一言も聞いたことはない。正直に答えてください、母上」
ヴァルにしてみれば、この期に及んで自分のためだと言われても、どう返答してよいやら。すでに悠久の時を生きると言われている彼女にさえ老いが感じられるのだ。
「母とは愚かな者なのですよ、殊にたった一人の我が子。父親にさえ会わせることも叶わず、一人生み育てた」
「俺は、今まで母上がやってきたことで、聞いていることはすべて許してるっ!!もういいんだっ!!」
ヴァルは母親の手を握ると、まっすぐな眼差しを向けていた。
「だから、聞かせてください。あなたの口から。剣を見たことはないけど、アクシーから聞いてる。鞘から外された欠片石が無ければ、元の玉石には戻せない。そう聞いた、本当なんだね?」
「ああ、ただそれだけじゃない……」
目を伏せ、まぶたを閉じ、決意をしたかのように、重々しく話し始めた。
「あの娘は、人の生気を吸い取り生きてきた。召喚の儀に協力する代わりに、使い物にならない凡庸者を与える約束だった。それを知ってかどうか、シムルグによって召喚の儀は禁術とされた。それでも召喚を続けようと思えばいくらでもできた……」
ラグナルダの瞳はますます暗い色へと変わっていった。まるで己が罪を贖う術のなさに気づきでもしたかのように。そしてこれを話してもなお、息子ヴァルは見放さずにいてくれるのか。
「起源次元にて召喚に失敗した時、あの娘は事もあろうにあの界にいた者を食おうとしたのじゃ。なにやら、とてつもない怒りと力が満ち満ちて、娘を止めようとした途端に玉石が砕け散った……」
「その娘って、まさか!?」
「リィンと言ったか、とにかくあの娘は。笑いながら、こう言い放った。今までの能力の代価をよこせとな。この私に向かって」
「代価って、何をしたんだ」
アクシーに聞いた、確かタケルの見たという夢にも出てきた、剣のことだろうか。ヴァルの頭の中で目まぐるしく光景が蘇る。
「起源次元から有無を言わせぬ人質と、私の砕け散った玉石を、剣という形の生気を吸い取る道具にしたのじゃ」
「どういうこと!?」
「剣の鞘に付けた3個の欠片石を守らせるという役目を作り出し、海・陸・天次元の海陸空の種族に与え、生気を吸い取るよう仕組んだのじゃよ……いたわしいことに……」
聞き終わらぬうちに、ヴァルの顔からは血の気が引いた。ということは、お役目とは名ばかりの生贄のようなものではないだろうか。ヴァルは話し終えた母親を振り返った。彼女の目からははらはらと涙がこぼれ落ち、ただただ後悔の念を口にするばかりだった。
ヴァルには到底承服できず、なぜ代価とはいえ、関係のない次元の界の者達が犠牲となるのか、意味がわからなかった。それ以前に、大切な玉石がそのような使われ方をしていることに、怒りを抑えることができなかった。
「わかった!!玉石は俺が取り戻す」
泣き崩れている母親に向かい、肩を抱くと強い口調で、だが優しく伝えた。
「これは俺達だけの問題じゃないんだ。玉石は赤、青、黄と三種揃わないと次元のバランスが取れなくなるらしい。たとえ玉石でも、やりたくないことやらされていたら機嫌だって悪くなるだろうよ」
疑問が一つ、また一つと解けていく。
「母さん、ありがとう!!」
ヴァルは早く戻って、皆に知らせたいと思い急いだ。母親のことを責められるだろう。しかし、それ以上に早く玉石を取り戻したかった。
ディスカージェ、甚だドラゴンの血を引くとは思えぬ様相の持ち主の彼女は、創始ドラゴンと呼ばれるクアドラルとダークエルフとの間に生まれた。クアドラルは他のドラゴン達と違い多産だった。ディスカージェには二人の兄と姉妹がいた。魔人の兄ガーナバル、妖魔の兄ルイード、妖魔の姉ルシリス、ハイエルフの妹リシュリュー。そのうちガーナバル、ルイード、リシュリューの3人がリィンの元で氷柱の棺に囚われていた。ル・ルディーアの他7人と共に、剣を守るという役目を与えられた、人質に代わりはなかった。それはラグナルダがやった事だと信じて疑わなかった。
しかし、ディスカージェには感応の能力が備わっていた。彼女は生まれながらに、自らの持つ能力を持て余していた。そのため時が来るまで封じることにした。それを解き放つべく時は、遠からずやって来た。兄妹が囚われの身となったからである。その標的から免れ得たのは能力を封じていたからに他ならなかった。それだけ、ディスカージェの能力は兄姉妹随一と言ってもよかった。
ディスカージェは生まれた時からずっと、悲哀魂と影の存在と慣れ親しんでいた。なぜなら、彼女の生まれ育った起源次元には、それら形なきものが溢れていたから。なのになぜ、ラ・ルヴ・リール次元にも悲哀魂が存在したのか。
「よっ!!お袋、元気ぃ?」
「おやまあ、珍しい。谷に行ってたんじゃなかったの?」
ディスカージェはよく次元の谷にいることが多かった。あそこはいろんなもの、形のない、目には見えないものが多く行き交っていた。それさえ、ディスカージェ並みの感応の能力があってこそやっと感じ取れる、それだけうっすらとしたものだった。時の記憶のような。そんなはっきりとしないものだからこそ、ディスカージェにとっては楽な居心地の良い場所でもあった。
「聞きたいことあってさ、例の形のないもののこと」
「ああ…それならちょうど良かった。彼らに聞くといい」
クアドラルの指差す方には、この界では見慣れないワーウルフの集落があった。
「少し前に訳あって移り住んできた、流浪の民だからな。美しいだろう、私は美しいものは大好きさ。おまえと釣り合いそうな、いい年頃の連中が多いが、そこそこの年の首長がいる。彼女ならきっとおまえの知りたいことを教えてくれるだろうさ」
「どういう腹積もりで言ってんだよ、やらしいなあ、もぅ!!」
それどころじゃないとばかりに、母親が茶化す相手もそこそこに真剣な表情でディスカージェはワーウルフの元を訪れた。
「待ってたよ」
まるで来ることがわかってでもいたように、用件を告げる前に若い女が声のするテントへと彼女を案内した。テントの中には、確かに年の頃は周囲にいる者達の倍以上は生きていそうな、しかし勇壮な女のワーウルフがいた。
気圧されてしまったのか、上手く言葉が出てこないディスカージェに代わって、その女は彼女の手を取ると頷きながら呟いた。
「おまえは悲哀魂を感じることができるんだね。アレの正体はな、魔鬼に生気を吸い尽くされて死んだ者の魂だよ。まさか、ここで出会うとは思いも寄らなかったよ。」
「何!?魔鬼?それって何者!?」
「遠い昔に、戦い続けた魔物だよ。戦いの最中、地が裂け、空には竜巻が起こり、私達は命からがら逃げたと祖先から聞いている。あいつらも巻き込まれていくのが見えたと。まさか、生き残りでもいるのかね」
渋い表情をして、首長は口を真一文字に閉じた。
「なになに!?そいつが生き残ってると、悲哀魂は無くならないってこと!?」
「そうだね。生き続けていたらね。この界に来た時に感じた悲哀魂はもう随分と時が経っているように思えるよ」
首長は顔を上げ、天を仰いだ。
「影については知ってる?」
ディスカージェからの質問に、首長は少し驚きながらこう言った。
「おまえさんは、みんな感じるのかね。今まで大変だったろう。能力のコントロールはできるのかい?」
「少しなら。感じる時は窓を開けるか、扉を開けるか、イメージによって感じる大きさが違ってくるよ。それくらいしかできない」
「十分さ。決して、全部を感じようとしちゃいけないよ。魂が食われてしまうからね」
「えーっ!!どーゆうこと!?」
「それだけ大きな大きな力を持った相手、だと思うよ。気をつけて頑張るんだね。あんた達がやろうとしてることは、決して間違っちゃないけど、用心が必要だ」
そうそう…と、影については、ここで行われていた呪術か何かで体を失ったことに気づかないで、体を探して彷徨っているものだと教えてくれた。それよりも、首長はまるでディスカージェがやろうとしている事がわかってでもいるような口振りで、くれぐれも気をつけるよう気遣ってくれた。
「私の娘が、ラ・ルヴ・リール次元にいる。サーキアという。訪ねていけば、力を貸してくれるだろう」
首長とディスカージェはテントを出ると、集落の出入りする所まで送ってくれた。
「ああ、思い出したよ。《いのちの樹》だ。それを大きく大きく育てると悲哀魂の嘆きを癒してくれるんだ。魂が生まれた時に戻っていくように。」
「それって、どこにあるんだよ!!」
「さあねえ…。祖先からの代々の口伝えだからね。だが、信じた者は谷を見つけてくれた。そのおかげで私らは助かった。おまえさんなら見つけられるかもしれないね。クアドラル殿に相談してみるといいかも知れない」
首長は集落の奥へと戻っていった。
ディスカージェは急いで母親の元に戻ると、聞いてきた話を一気にまくしたてた。
「《いのちの樹》なんてどこにあるんだ!?」
「そうか…そう言ったか」
クアドラルは目を伏せ、自分の玉石をじっと見つめていた。豊穣の象徴はどこまで力を貸してくれるだろうか。娘のやろうとしている事を考える。いったいどこまでのことをやろうとしているのか。それによって結果は変わってくる。準備はしておいてやろう。
初めてディスカージェが自分の殻を破ってやろうとしていることだった。
「とりま、私戻るわ、みんなんトコ」
今まで見せたことがないような明るい笑顔で、ディスカージェは出発していった。
《昼闇の森》の外れにいたアクシーは、ソナとフィンディの欠片石のことで一旦シムルグの元へ赴かねばと考えていた。タケルはどうしようかと頭に浮かんだところへ、森の奥の方から明るい笑い声が聞こえてきた。声のする方へ少し歩いていくと、木々の合間から赤ん坊を取り合うように抱きながらはしゃいでいるタケルとサーキアの姿が垣間見えた。
なんとなく二人の姿を見ていると、アクシーはこのまま出発してしまいたくなった。そうだ、ちょっと行って帰ってくればいいだけのことだ。アクシーはそのまま森を後にして次元の谷へと向かった。
シムルグの所へ着くと、フィンディが待ってましたとばかりに飛び出してきた。
「アクシー!!僕の欠片石は?」
「ここにあるよ。長い間、持ってこれなくてごめんね」
「ううん、いいんだ」
そう言って安易に受け取ろうとするフィンディに、アクシーは持っている欠片石が大丈夫か見た。フィンディはすでにシムルグからもらった鱗の袋を持っていた。アクシーから欠片石を入れると、もう大丈夫とばかりに見せてきた。
「ソナの欠片石はどうかな?父上に頼んだ袋が完成してるなら、もう返しても…」
「待ってて!!」
フィンディは大急ぎで自分の欠片石をシムルグに預けると、ソナの欠片石を見て見て!!と言わんばかりに持ってきた。
「ねえ、影がなくなったんだよ!!不思議でしょ!!」
確かに、預ける前にあった影のようなものが消えていた。やはり、力を封じ込めるより解放させた方が良かったようだ。これなら安心してソナに返してやれる。フィンディは自分の玉石を代わりに預けてあるので、一緒に行くとついてきた。
「僕ねえ、スーファルに飛び方教えてもらってるんだよ!!」
大きな声で嬉しそうにはしゃいでいる。
「もしかして、一緒に飛んで行こうとか、思ってないだろ?」
アクシーに厳しい声で聞かれると、フィンディは体を小さくした。
「いやいや、なかなかのもんだぜ。そんなにトンがるなよ」
谷の入口でスーファルが待っていた。
「どうしてこうも、アディロン達は口が悪いのかな」
「お互い様だろ」
ヘラっと笑うとスーファルは悪気なく応えた。睨むアクシーなど物ともせず鳥に変形すると背に乗るよう促した。
ソナのいる《海ヘビの口》まで向かうと、洞窟の入り口でアクシー達を下ろすと、まず真っ先にスーファルが異変に気付いた。
「血の匂いがする」
アクシーが洞窟の奥へ駆けつけると、ソナがもう片方の体を抱いてグッタリと倒れていた。
「ソナ!!」
抱き起こそうとすると、片方の体の喉がバッサリと切られていた。騒ぎを聞きつけ、いつもソナの面倒をみている海人達が集まってきた。
「なんということだっ!!まさか、貴様っ!!」
海人族特有の尖った爪がアクシーを狙った。
「早合点するな!!」
スーファルの通る声で、一瞬彼らの動きが止まった。
「待って……」
ソナは双生の人魚で、上半身が二人に分かれている。片方の体を抱きかかえながら、もう一方の無事だった体がなんとか呟いた。
族長が海から上がってきて、どういうことかアクシーに詰め寄った。
「私が来た時には、ソナは喉を切られて横たわっていた」
痛々しい姿のソナを抱き上げると、族長は海へと入っていった。すると、ソナの喉の傷は薄らと傷痕を残しつつも閉じていった。族長は戻ってくると、ソナが倒れていた辺りを見回し訝しんだ。
「これはおかしい。ソナは一人では海から上がれないのだ。こんな奥まで…」
確かに、岩肌には引きずり上げたのだろうか、鱗が何枚も引っかかっていた。
「アクシー殿、一瞬でも疑って申し訳なかった。もしもあのままだったら、いくらソナでも血を失いすぎて命も危うかった。なんと礼を言ってよいのか!!」
すると、フィンディが大きな声で泣き叫んだ。
「僕の玉石が割れてるーっっっ!!」
ソナの欠片石を預かる代わりにと、クアドラルの袋に入れたフィンディの玉石は真っ二つに割れていた。アクシーが手に取って見ると、袋には血が垂れていた。割れた衝撃で誰か手を傷つけたようだった。ソナに聞くと怪我は喉だけだという。
思いのほか深い喉の傷に、当分歌は無理だということだった。族長からはしばらくソナは海中で過ごし養生するとのことで、欠片石はそのままアクシーの方で預かることとなった。
ソナが喉を切られた事件は瞬く間に知れ渡った。ただ尾鰭が付き、犯人としてアクシーが疑われる事となってしまっていた。
「僕の玉石割った人が怪しいよ。アクシーじゃないよ」
悔しそうに、フィンディはシムルグに言った。フィンディの割れた玉石をしげしげと見つめながら、シムルグは何かを感じ取っていた。だがそれをフィンディに説明したところで、どうすることもできず持て余すだろう。まだ、フィンディは幼すぎて能力が安定しなかった。
「よし、私が全部預かっておこう」
シムルグはアクシーにも、持っているソナの欠片石を渡すよう手を出した。
「ですが…」
「今、どういうわけか、ラ・ルヴ・リール次元では、管理を任せたアクシーには良くない噂が出回っている。その反面、なぜだろうな、リィンは各種族からの人望が厚いようだ」
「それは、私がそのように…」
「なぜだ?」
アクシーは言葉に詰まった。確かに、管理を任されたのは自分だが、いつの間にかリィンに主導権が移っている。
いつからだろうか。考えってみれば、欠片石の守り人という役目を各種族に課すようになってからだ。
アクシーは自分の落ち度には気付いていた。ラグナルダがどういうわけかリィンの能力を頼りに、割れた玉石の管理を任せた。
その時、アクシーはまだ幼く、初めて次元の管理を任されたのだった。しばらくして、ラグナルダの事件が起きた。本来なら、アクシーは事のあらましを聞き検討しなければならない立場のはずだ。幼かったが故、というのは言い訳にもならない。
「千思万考、という言葉を知っているか。そういうことだ」
タケルはサーキア達ワーウルフの元にとどまっていた。何やらアクシーは忙しいようで、時々顔を出しては他の種族の元へ行き、この界が無事であるよう尽力している旨の話をすることで精一杯のようだった。そんな中、アクシーはタケルに欠片石について現状を伝えていた。
3個のうち2個はシムルグが預かっていること。近々欠片石が守り人の所に現れる予見をリィンから聞いたこと。そして、それは先日生まれたワーウルフの赤ん坊である可能性が高いこと。なぜなら、今まで守り人は西域から現れることが多かった上、今現在西域で赤ん坊がいる種族はワーウルフのみらしいことを確認した。
「タケル、もしも赤ン坊の元に欠片石が現れたら、この袋に入れて内緒で一旦回収してくれ。シムルグからの言伝だ。頼んだからな」
アクシーはシムルグの鱗でできた袋をタケルに渡すとまた出かけていった。タケルは赤ん坊と母親がいるテントから一番近い焚火で見守っていた。サーキアも《昼闇の森》に残っている一族の間を見回っていた。
「いったい、どうしたっていうんだい?」
勘の良いサーキアはアクシーの様子がいつもと違うことを気にしていた。
「今までもさ、色々あったみたい。それに、空の様子がさ。ここはちょっと離れてるし、森の木々に覆われてるから」
「そうか…実はな、私もちょっとザワついてる」
サーキアは最初は笑い飛ばしていたが、あれから何度も物見の女と話し合っていた。もっと詳しく感じることはできないのか、手を尽くしているようだった。
その夜も、タケルとサーキアはいつも通り焚火の番をしていた。サーキアが見回りに出て赤ン坊のいるテントから離れた隙だった。
キャアアアアー!!と甲高い女の悲鳴が上がった。タケルはすぐさまテントへ駆けつけた。白い影のようなものが一瞬にして闇に消えていった。赤ん坊は火のついたようにギャンギャン泣いている。
「赤ん坊は無事だーっっ!!誰か逃げていったぞーっっ!!」
タケルの声に、サーキアと数人のワーウルフ達は猛スピードで消えていく白い影を追いかけていった。
母親は無事だったが、倒れたその胸元にはなぜかドス赤い欠片石がねじ込まれていた。タケルは欠片石を袋に入れるとズボンのポケットに入れボタンをかけた。
ギャン泣きの赤ん坊を抱き上げ、倒れた母親を起こして逃げる準備をさせる。すると異変を聞きつけたワーウルフ達がテントにやってきた。タケルはサッと状況を話すと、次元の谷のシムルグの所へ赤ん坊を母親と一緒に避難させると伝えた。
タケルは空の鏡を使うと大きな声でアディロン!!と叫んでいた。そこには《天球の丘》が映し出されており、赤ん坊を抱いたワーウルフの女共々鏡を抜けて行った。
すぐさま、待ってでもいたかのようにアディロンのサージャンが降りてきた。背に全員を乗せると、一気に谷の入口に着いた。
タケルは礼を言うと、赤ん坊と母親をシムルグの元へ案内した。シムルグは無言でタケルへ手を差し出した。タケルも素早くポケットから欠片石を出し手渡した。
タケルが一つの作戦を成功させていた頃、サーキアは追いかけて行った白い影との戦闘の真っ最中だった。一緒に追いかけて行った4人のワーウルフの男達は皆、二人のスピードに追いつけずにいた。
サーキアが拳を振りかざすたびに空気が揺れ、木々の幹には穴が空いていた。
ドッ、ドゥンッ!!
森中に音と共に空気の振動が伝わる。
その一発が、白い影を捉えた。
グッギチャッギチャアアッ!!
肉片が押しつぶされるような音が鈍く響く。
ウウゥゥゥ…オノ、レ……
確かに手応えがあった。
闇に消え入るような声がしたと思った時、サーキアの左胸に硬いものが当たった。
ダ、ダアアアアアン!!……
闇の中、森中に響き渡る。
な、なに、………
サーキアは銃弾の勢いに仰け反って倒れた。
白い影は呻き声を残しつつも闇へと消えて行った。
仲間達が追いついた時には、サーキアはもう心臓を撃ち抜かれ絶命寸前だった。
「クス、…ラ…」
サーキアの手には、一瞬互いに身を寄せた瞬間、掴んだ相手の髪が握られていた。