覚醒 形なきもの〜悲哀魂(トリエンナ)
ーーニャアァォウン
タケルはふと思い出した。自分を呼ぶ、猫の声を。自分が呼んでも無視するのに、猫から呼ばれることは時々あった。
ルゥダ姫が息をひきとった。南の入江で海人族の争いをやっと鎮めることができたのを見計らったように、報せは届いた。遠く《天球の丘》にある猫族王の館から、ヴァルとディスカージェの空の鏡によって。二人はシムルグの使いで急遽訪問していた。どうやら問題が起きているようで、向こう側からは葬儀にしては騒々しい様子が伝わってきた。
「すぐに来れるか?」
ディスカージェが心配そうにあたふたしている。アクシーは首を振りながら様子を聞いた。
「どうした?何が起きてる?」
鏡の向こう側で、なぜか武装した人物が行き交っている。緊急事態が起きていることは間違いない。
鏡を通して一瞬にして、タケルには館どころか城壁を取り囲む山猫族達が見えた。彼等は城壁周辺にいた避難民達にまで暴行していた。まるで空の上から見ているように、その醜い様子がタケルには手に取るようにわかった。そしてその向こうに館の部屋でベッドに横たわるルゥダ姫まで。
「すぐには無理だ、タケルが…」
無理だと言おうとした矢先、目の前で鏡にいとも簡単に難なく入っていくタケルの姿にアクシーは驚いた。しかも向こう側に着いたかと思うと、迷うことなく城門へ向かい走っていった。一人の美しいワーウルフが一族の者達を庇いながら森へと逃しているのが見えていた。そうだ、いつか出会っていた、印象的な瞳の。そして聞こえた、こっちだという声。
「待って!!そっちはっ!!」
ディスカージェの制止を振り切り、タケルは丸腰のまま武器を持ち詰めかけた山猫族の前へ出ようとした。そこにはヴァルが仁王立ちになって彼等と睨み合っていた。
突然やってきた丸腰のタケルを制そうと一瞬触れたヴァルは、瞬間小さくだがガクガクと体が震えてきた。そして、そこにいた者達は全員タケルに向かって行こうとしていたが、まるで凍りついたように体が動かなくなった。おもむろに、タケルは声に力を込めて言った。
「や・め・ろ」
その声は、静かに怒りがこもっていた。決して大きくはない声に、ただたったその一言に、山猫族は大層恐ろしいものでも見たように、ワッと我先にと退いていった。
その様子を震撼して見ていたのは、山猫族だけではなかった。ディスカージェ、ヴァル、そして誰よりアクシーだった。彼女の表情は、目を見開き、眉間には皺寄せて、口を真一文字に結んでいた。他の二人の唖然とした様子に比べて、殊更険しいものだった。
アクシーは微動だにせず、タケルを見つめていた。タケルは丘にいた一族の者達を連れて森へ入っていくサーキアから目が離せなくなっていた。彼女は森の入り口でしんがりを務めていた、森へと消える最後にもう一度丘を振り返ると、確かにサーキアはタケルに向かって、来い…と言っている声がタケルには聞こえた。
「いやぁ〜、タケルだっけ?どぉなるかって〜、ヒヤヒヤだったけどさぁ」
黙りこくった雰囲気に耐えかねて、最初に口を開いたのはディスカージェだった。それに続き、見事だったとヴァルが感嘆の声を上げた。先程仁王立ちの時は真っ赤な髪が鶏冠のように逆立っていたが、今はもう漆黒の髪とのメッシュにと変わりいい感じにエモ系のビジュアルに戻っている。
「こいつ、ヴァルね」
「ヴァル・グラナドだ、よろしく」
やはり先程のタケルを見てしまうと、どうにも言葉が続かない。アクシーに至っては、無表情で無言だった。皆は連れ立って、ルゥダ姫に会いに行った。
部屋に案内される頃には、タケルはさっきまでの勇壮な様子はどこかへ消え去り、今にも泣きそうに目を瞬かせていた。眠っているように穏やかなルゥダ姫の頰を撫でた。いつも気まぐれに膝に乗ってくると、首元をグルーミングで整えてあげると嬉しそうにしていた。あの時は温かく柔らかく…もう今ではフサフサな髪だけが冷たさを隠してくれているようだった。
「ゆっくりおやすみ、ルゥダ姫」
声が震えて、タケルは上を向いた。今にも涙がこぼれそうだった。
「ルゥダ姫、お役目、ご苦労様でした」
アクシーの言葉に、なぜかやり切れなさが募ってくる。タケルは今にも爆発しそうな心を抑えた。
ーーお役目、守り人。なんの?石の欠片だ。
それも彼等にしたら遠い昔の、本来なら次元という界を守護るべきドラゴンのやらかした罪深き行為の尻拭いだ。本来なら、彼等がすべき事ではない。
そうだ。
「役目なんかじゃない!!ただの犠牲だ!!」
タケルはたまらず口に出してしまった。ディスカージェが、胸で組まれていたルゥダ姫の両手をそっと掌で包み込んだ。ポロポロと涙をこぼして頷いていた。
「こんな…、死んじまったらどっか行っちまうような石ッコロのために、バッカじゃねーの!?なあ、ヴァル?おまえもそう思うよなあ!?」
ディスカージェはヴァルに掴みかからんばかりの勢いだった。
「よさないか、ディスカ。ルゥダ姫の葬儀だ」
アクシーが止めに入ると、遠くからソナがルゥダ姫のために歌ってくれているのが聴こえてきた。それは、悲しみを癒してくれる歌声だった。
「ディスカ、ごめんな…、俺には謝ることしかできねぇ」
「私こそ、ゴメン。ヴァルのせいじゃないのはわかってるんだ、けどね」
「そういやあ、リィンから、欠片石の様子がおかしいせいか剣の様子もおかしいから、母親の能力引き継ぐ俺に一度見に来いみたいに言われてさ」
アクシーがその話に怪訝そうな表情を見せた。
「リィンがそんなことを?おまえに?」
タケルも何か思い出したような顔をして、アッと叫ぶとアクシーに向かって慌ててフィンディがまだソナのところにいるかどうか尋ねた。ソナが勇敢で美しい四枚翼の竜の歌を口ずさみ始めた。それに次いで、ルゥダ姫を勇気ある守り人として讃えた歌も葬送の歌の代わりに歌ってくれた。
「タケル、私達もこの能力を授かって、誇りを持って欠片石を守るお役目を引き受けています。心配はありがとう…」
そうなのだ。だからこそなんとかしたい。ふと、タケルは先程からもう一つ引っかかっていることがあって質問した。
「ルゥダ姫は欠片石を守ってる時、石の様子がおかしい時があるって言ってた。ソナも同じこと言ってる。フィンディの石はどうなんだ?」
アクシーは南の入江でフィンディから預かった欠片石を取り出して見てみても、取り立てて変わりはない。石をマジマジとよく見つめながら、アクシーはふとヴァルがリィンから言われたことが気になりもう一度聞き直した。
「リィンが、剣がおかしいから見に来いって?」
「ああ…」
アクシーは考えながら、とりあえずフィンディへ声でソナから欠片石を預かって一旦シムルグのところへ持っていくよう頼んだ。ソナもその方が良さそうだと先程のアクシーとのやり取りで決めていた。
「ソナには僕の玉石を預けていくよ。そしたら安心でしょ?」
フィンディは首からかけていた袋から自分の石を出すと、クアドラルの袋へ入れてソナに渡した。預かった欠片石は自分の袋へ入れて落とさないようギュッと封をすると、スーファルと一緒にソナの元から飛び立った。
その頃タケルは欠片石についての疑問がいくつもあって、訳がわからなくなっていた。
「ていうかさあ、ルゥダ姫の欠片石はどこに行ったわけ?」
タケルには素朴な疑問だった。そんなことも知らないのかと言わんばかりにアクシーが口早に答えた。
「守り人がいなくなると、新しい守り人のところに現れる。そうだな、いつもならリィンの予見があって、数日後には…」
そう言いかけて、アクシーは頭を傾げた。何かが引っかかる。
「その間、守り人がいない欠片石はどうなるの?」
タケルがさらにアクシーへ問いかける。
「アクシーはここの次元の人じゃないよね?でさ、石はどこも異常がないんだよね?」
「頼むからさ、もう1回順序立てて説明してくんない?ていうかさあ、思い出したんだけど、俺も石の夢見てんだよね」
タケルが思い出したように夢の話をし始めた。
「ドラゴンがさ、割れた石10個と欠片石3個で剣を作って、棺に納めて封をしたんだよね。そん時に棺と同じ材料で10本の柱を立てて、そこに守る役目で一人ずつ入ってもらってるんだ。なのにわざわざ、女の子がさ、後で棺開けてブツブツ言いながら鞘の欠片石取り出したんだよ。なんでそんなことやる必要あるのさ。そう思わね?」
「どういうこと?」
「俺さ、ルゥダ姫と出会う直前に、スッゲェ雷ん中飛行機っていう乗物乗ってて空飛んでてさ、雷が手みたいになって掴まれそうになったんだよ。その日の夜に夢見たんだよね。ドラゴンが出てきたとこからしか覚えてねーんだけどさ」
アクシーはもちろんのこと、他の二人も食い入るようにタケルの話を聞いていた。
ーーどういうことだ?
アクシーはあの日の記憶を辿り始めた。確かに、私はラグナルダが13個に割れた玉石で剣と鞘を作り櫃入れられていたのを見た。その周りにはル・ルディーアからの守護者10名が氷柱に納められていたのを見た。そうだ、剣はすでに櫃に納められていた。そして、欠片石は…リィンが3個持ち。
ーー私に向かってこう言った。
「これから私と一緒に剣を守ってもらうために、欠片石を海陸空の各種族から1名ずつに与えることにします。それくらいなら大丈夫でしょう?」
ラグナルダが持っていた玉石は赤い生命を司る色だ。シムルグは青い知恵を司る、クアドラルは黄色い豊穣を司る。
その赤い欠片石に黒い影があった。それは、ラグナルダの玉石が長年取り込んだ生命を脅かす悪いものだろうか。その形をなさない悪いものは、玉石が砕け散った時点で四散しているのではないだろうか。
アクシーは必死になって考えた。
ソナは歌が上手い、歌にも聖なる能力がある。ルゥダ姫には清らかな心と闇を払う能力があった。二人の欠片石の共通点は、影があっても能力でなんとかしようとして石が熱くなることだった。フィンディは竜種だからそこそこの力には動じない。それがルゥダ姫の欠片石に近づいた途端に急激に熱を発した。そして、フィンディの欠片石には影がない。
ということは、欠片石に現れる『影』は一体何なのか。
「役目って、石の欠片を守ることだろ?ったい、何から守るのさ!?」
タケルの問いかけに、全員がそれは…と言いかけて詰まった。ディスカージェがお気軽に悪いものからだと答えると、その悪いものは何かと聞いてくる。
「俺さ、思うんだけど。何からも守る必要ないんじゃね?ていうか、元々ヴァルの母ちゃんのドラゴンの宝珠だろ?たとえ欠片だって、超絶強力アイテムじゃん!!それにさ、もしなんか悪いもの吸いこんで閉じ込めてたって、そういうのってさ、玉割れた時点で外に出るっしょ、フツーに考えて」
「そうだっっ!!」
アクシーはずっと引っかかっていたものが解けたような気がした。
「やはり父上には、欠片石を守護するのではなく、解放するための袋を作ってもらうことに決めた」
「どういうことさ、ちゃんとおバカな私でもわかるよう説明してよぅ」
今までの重い空気感がやっと取れた気がしたせいか、ディスカージェの明るい声が響いた。
そうだ、何かどこか歪になってしまっている、この界をどうにかしたい。そうして、助けたい者達が集まっている。
「そういえば、リィンってどうしてる?」
ヴァルが聞いてきた。ルゥダ姫が亡くなって、もうそろそろ日が暮れようとしていた。
4人は、ルゥダ姫が明朝の埋葬まで寂しくないよう、父王の好意でルゥダ姫の部屋で過ごすことができるようになった。しかし、タケルには気になっていることがあった。あのワーウルフは、確かに「来い…」と声というか、そんなものを送ってきていた。
今夜は、できることならこれから自分達がどう動いていくのか、4人集まることは滅多にないので話し合わなければならないと思った。
「ねぇ、さっきのタケルの話なんだけどさぁ、ドラゴンの玉が割れたらって、玉石のことだよね?悪いもん全部外に出るって言ったじゃん。じゃあさ、もぉ1回くっつけたらどうなるのさ」
「問題はさ、そのくっつけたヤツ、今回だと作り直した剣?だよね。コレって今どうなってんの?」
「ああ、タケルは知らないんだな。リィンの館にある専用の広間に安置されててリィンが守ってるんだ」
ヴァルがそう教えると、ふうん…とタケルは腑に落ちないとでもいうように考え込む。その様子を見つつ、アクシーも似たような素振りを見せている。ディスカがひらめいた!と目を大きく見開いてニッコリ口の端を上げる。
「悪いものがもう1回剣に戻らないようにするためじゃん、フツーに考えたら」
ディスカがタケルの真似をする。
「けどさ、せっかく玉割れて外に出られた悪いもんがさ、もー1回戻ろうとするもんかな?ってか、悪いもんって、たとえば何?」
矢継ぎ早にタケルがまくし立てる。
「そうだな…母親が繰り返し行っていた召喚の儀とか禁術の際に現れた、次元に悪影響を与えるもの、かな」
「それってさ、なんかの力なの?それとも悪霊みたいに悪く働こうとする意思ていうか、そういうの持ってる?」
「失敗した術式回収とか?」
タケルとアクシーの声が重なるように部屋に響く。
「私が感じるのはさ、悲しい魂だよ、それがいっぱい。どうしてなんだろ、ただ悲しいの。何にも覚えてないけど、悲しいって、どお?」
ディスカージェの表情は一転して辛そうだ。
「何もかも忘れてるのに、どこか悲しい」
「そんなのを、ディスカは感じるの?どこで?」
「ここでも、感じてる…」
ディスカの視線が横たわるルゥダ姫へ向けられる。
「ねえ、もしルゥダ姫ならさ、今頃役目を果たし終えて、ニッコリしてるよね!?」
ディスカは何かもっと言いたげだった。
そこへ突然、声が届いた。リィンからだった。急なことに場は一気に緊張に包まれた。リィンの声はどことなく力がなく疲れているようだった。
「ルゥダ姫にはご苦労様でした。次の守り人は明日にでも決まるでしょう」
「ちょっと、聞いていいかな」
「タケル!!」
アクシーが制止するのを物ともせずタケルは続けた。
「それって、どうやって決まるわけ?君が決めるの?」
リィンはクスッと笑ったように思えた。
「予見ですよ」
「じゃあ、君にしかわからないんだ」
「タケル、よさないか」
アクシーはタケルに目配せした。タケルはこれ以上続けるのは止めることにした。会話が途切れたところで、いつもリィンの側に控えているセグネードから声の終わりが告げられた。リィンは相変わらず、調子が良くなさそうだった。
「ところで、タケル、ちょっと父上が呼んでいる。一緒に来てほしい」
ヴァルとディスカにはすぐ戻ると伝えて、アクシーの空の鏡で向かうことにした。
シムルグの元に到着すると、思いがけない客人がいた。
「あ…君は」
タケルは驚くと、その横でアクシーが苦虫を噛み潰したようような顔をしている。
「私はサーキア。一応、シムルグ殿の奥方からは美しい鬣族と呼ばれていた。今は訳あってワーウルフで結構だ」
そこでどうしてどうして!とフィンディが騒いでいる。タケルはあの時の呼びかけについて聞こうとすると、サーキアは向きを変えアクシーへと右手を差し出し握手をしようとした。アクシーはシムルグの手前おとなしく握手に応じた。
「アクシー殿とタケル殿に大切なお話とご相談があります。できれば明日にでも早急に、わざわざ申し訳ないが《昼闇の森》の一族の元へぜひお越しいただきたい」
「今ここで申されれば良い」
「いや、無理なのです。とにかく、何とかして…」
「行くよ、朝イチで」
仕方なく、父シムルグの圧からアクシーはサーキアの招待に応じた。
それだけを伝え、約束を取り付けるとサーキアは急いで一族の元へ戻っていった。
すると今度は、フィンディの話を聞く番だった。それと同時に珍しい客が口を開いた。アディロンのスーファルがフィンディと共に来ていた。
「あのね、アクシー。僕ね、ソナのとこにいる時、リィンから声で、ソナの欠片石を自分のとこに持ってきてってお願いされたの。でも、シムルグのとこに持ってってって、アクシー言ったでしょ。でね、僕スーファルに相談したんだ」
「まあ、そういうわけで、シムルグへ届けた方がいいからっていうことで、飛行訓練しながらオレもついてきたってわけ」
「空のことは昔からアディロンに聞けと言いますからね」
シムルグはそう言うと、若いアディロンのスーファルに語りかけた。
「アディロンの情報網は秀逸です。サージャン殿と御一緒に一度話を聞かせていただきたく思います。お待ち申し上げています。」
アクシーはスーファルに向かって、フィンディが本当にリィンからソナの欠片石を持ってくるよう言われたのか確認した。
「本当だ。声が聞こえていた。おチビがソナの欠片石の代わりに自分のを預けてきたのも聞いてた」
フィンディの胸元を見るといつも玉石を入れている袋がない。
「勇気あることをしたな、フィンディ」
少し目を離していると、あっという間に成長している。弟同様のフィンディをアクシーは頼もしく思っていた。
アクシーはディスカの言っていた悲哀魂について話した。アクシーはこの形なきもののために、自分に何ができるのか、シムルグに問いかけた。
シムルグは静かにこう答えた。
「そろそろ戻りなさい。明日も早い。それにな、そういうことは他者に聞いてやるものではないだろう」
アクシーとタケルはシムルグの言葉を噛み締めながら、ヴァルとディスカの待つルゥダ姫の元へ戻っていった。