ラ・ルヴ・リール次元 西域の異変
タケルとシムルグの話がちょうど終わりかけた頃を見計らって、シムルグの陰から1頭のドラゴンの子供が出てきた。嬉しそうにアクシーの名前を連呼して近づいてくる。翼が大き過ぎるのかまだよくバランスが取れないようだ。
「ピンディ!!」
アクシーの声が明るく響き渡る。
間髪入れずに子供のドラゴンは一際大きな声を出す。
「僕、フィンディ!!またわざと間違えてる!!」
なんだか兄妹のように見えるほど、四翼ある翼が虹色の光を放っていた。ドラゴンで四翼とは珍しい。そして思った通り欠片石を持っていた。
「あっちっち!!」
フィンディと呼ばれる子竜は、持っていた石を思わず放り出した。それを難なく受け止めたアクシーは、ハッと表情を強張らせてルゥダ姫を振り返った。
「欠片石同士が近づいたので、力が強くなったのかも知れません。大丈夫ですか?」
アクシーは急いでフィンディの持つ欠片石をクアドラルからもらった袋に入れた。石同士の反応は少し弱くなったようだった。
「僕、何かやっちゃった?ごめんねぇ、ルゥダ姫。やっと戻ってきたんだね、大丈夫?王様めちゃくちゃ心配しててね、何回もここへやってきたよ」
「そっか、それなら急いで帰らないとね」
空の鑑を使おうとして、アクシーは思い出したようにフィンディに尋ねた。
「なんで、ここにいんの!?」
「それなんだけど、大変なんだよ!!《竜の島》の空が歪んでて、なんか変な風が時々吹いてくるんだもん。僕、怖くてシムルグに話に来たんだ」
「あそこの島にはワーウルフが居着いてるはず。どうしてる?」
「ワーウルフなんて言っちゃダメだよ、美しい鬣ってお母さん教えてくれてたよ。アクシーのお母さんが名前つけたって」
「わかったよ、はいはい」
シムルグはアクシーを注意すると、彼らが空の異変にいち早く気がつき大陸へ避難してきたことを話した。そうして、とにかく大勢なので、猫族の王の好意で《天球の丘》から続く《昼闇の森》へと分散してなんとか生活しているという。
「そうか、どうして《風の草原》を避けたんだ?」
「アクシーが出かけてすぐ、大変だったんだよ。時々風が切り裂くみたいに吹いてケガしちゃうんだ」
最初は一番西にある《竜の島》に異変が起き、北西の空が歪んだようになり次元の境が安定しない。風によってか海流もおかしくなり、それに乗って山猫族が住む《北の荒地》手前の森にまで風がぶつかり始め、《風の草原》に至っては風が切り裂くように吹いているという。
「北西部が集中的に影響を受けてる、みんなどうしてる?」
「リィンが森の中に避難したら森沿いに《豊穣の平原》へ行くようにって」
「そっか…」
あの辺りは蹄のあるもの達が治めているだろうに、リィンの鶴の一声というわけか。
今はそんなことはどうでもいい。とにかく早くルゥダ姫を界へ送らないと、先程から疲れを見せるのが頻繁すぎる。
「その石、俺が預かってやるよ」
タケルが見兼ねてルゥダ姫から石を取り上げようとすると、ルゥダ姫は思い切りタケルの腕を引っかいた。
「おやめください!!これは私の役目なのです!!」
「何言ってんだよ、そんな苦しそうな顔して!!」
「そうだとしても、私からお役目を取り上げないでください。そのために、私は能力を持って生まれてきたのです。生まれてからずっと、私にしかできないお役目を喜んで引き受けて参りました。そのためにたとえ不自由な生活をしようとも、それが私がこの世に生を受けた理りなのだとしたら…誰しも何かしらお役目があって生まれてくるのです」
そう言うと、ルゥダは静かに微笑んだ。若いなりに確固たる意思を持っている。
「そうなんだ…じゃあ、それをできるよう守ってあげるのが、俺の役目かな」
タケルはそう言うのが精一杯だった。恥ずかしい、と思った。
ーーこんなに小さな体で、歳だって俺と大して変わらないのに
あの日、隣人から渡された、痩せこけた猫は、その小さな体の中に収まりきらないほどの大きな覚悟を持っていたのだ。
谷を抜け、ラ・ルヴ・リール次元へ到着すると、アクシーからの連絡が入っていたこともあり、すぐに迎えの者達が来ていた。次元の谷へと繋がる森を抜けると、《天球の丘》へ向かうまでに多くのムゥンハルフ達が野営の支度をしていた。丘の上には猫族が住まう城壁都市があった。
「避難してきて野宿だなんて、あんな小さな子供もいるのに…」
ルゥダ姫はどこまでも守るということに純粋なのだ、自分のことより他者に不憫がないか。今でも横になってほしいのに、半年以上も留守にしていた界の様子ばかりを心配している。
「ルゥダ姫、あなたが欠片石と共に飛ばされていたのは、閉ざされた次元です。そのこと皆にお話しすれば心配をかけるだけでなく、不安も広がってしまいます」
「ええ、アクシー、心得ています。ただ、父王には話さないと…」
二人の乗った車はホードー鳥というダチョウによく似た車専用に引く筋肉質の鳥に引かれていた。姫の体に障るので、いつもより随分とゆっくりめに進んでいた。もう一つの車にタケルとフィンディが乗っていた、フィンディはラ・ルヴ・リール次元で生まれ育っているのでタケルにいろいろ教えていた。
「僕はね、玉石と一緒に生まれてきたんだ。それがこの首からかけてる皮袋に入ってるの。これは僕だけの石なんだよ。で、こっちのピカピカ鱗の袋に入ってるのが3個の欠片石。持ってるのは僕のほかはルゥダ姫と、人魚のお姫様。時々変わるんだ」
「どういうこと?守ってる人が死んじゃったら、しばらくするとこの界のどこかで守る人が生まれるんだ」
タケルは、胸がドクン!と波打ったように思えた。
「外にいっぱいいる人達はね、美しい鬣族って言うんだよ。難しい名前だけど、美しいたてがみって意味なんだって。アクシーのお母さんが名前をつけてあげたんだよ。あの人達も別の次元から逃げてきたんだって」
「どういうこと?なんだか俺みたいな人の形してるんだね」
「シムルグにさっき教えてもらったよ。あの人達の次元もある時戦争が起きて、空が歪んできて変な風が吹いてきて。避難するのと一緒に消えちゃったんだって。まるで今、僕が住んでた島で起きてるみたいな」
「なんだって!?そんで、消えたって!?」
シムルグがまさかウソを教えるとは思えない。きっと本当のことなのだろう。今回の事象が、今起きていることがもし運が悪ければ、次元の空間が収束して次元ごと消失してしまうのかも知れない。
ーーあり得なくない
今までは想像の中だけのことだと思っていたが、サイエンスフィクションと呼ばれるものでは理論立てて説明されることもある。いやすでに物理学や天文学の中では理論的に証明できそうだ。
一つの世界が終わる。
タケルは険しい表情をして窓から車の外を眺めていた。フッと、自分を見つめる視線と目が合った。ライオンのような美しい鬣の奥の金色に光る瞳。消失したであろう次元から逃げ果せた彼ら。
だが、いくら避難してきたからといって、どこか様子がおかしい。いつもこう、緊張感を持って辺りを伺うような雰囲気。手慣れた野営の姿。
すると天空を切り裂くような風が、丘の上の方にまで流れてきていた。
「ルゥダ姫、お加減はいかがですか?到着しましたよ」
疲れていつの間にか、アクシーの膝の上に伏して寝ていたルゥダ姫が体を起こした。
ーー本当に軽くなられた
ルゥダ姫は車を降りると、広間では待ちきれなかった父王が駆け寄り、再会を抱き合い喜び合っていた。もう会えるかどうかさえわからなかったのだ。周囲には侍従達が集まり涙を流さない者はいなかった。しばらく騒然としていたがアクシーの一言で、我に返ったように動き出した。
「私達のことは後回しでいい。姫様は大層お疲れだ。早く休ませてほしい!!」
アクシーからの提言に、皆ワッとルゥダ姫を取り囲み、館の奥へと連れて去っていった。残った姫の父王は、恭しくアクシー達を王の謁見室へ案内した。父王の姿は最後に会った時より、随分とやつれ果て小さくなっていた。
「そうして、どうなのですか」
父王は溢れんばかりに涙をためていた。やっとの一言だった。
アクシー達への礼の言葉より、姫のことだった。
アクシーは礼などいいという対応で、父王を労わった。欠片石が失くなったことだけでも、どれほどの重責がかかったろう。その上、姫がいなくなったのだから。
ルゥダ姫は産まれると間もなく、例に漏れず母を失った。育てたのは先程真っ先に姫を連れていった乳母だった。
アクシーは重い声で父王へ告げた。
「姫様はお役目を全うしようと懸命です。誰の言葉にも耳をお貸しにはならないでしょう。欠片石を我々がお預かりしようとしたのですが、頑として聞き入れられませんでした。幸い、クアドラル殿が自らの鱗に能力を込め作られた袋に石は収められております。父シムルグも同様に袋を作って二重に被せようということになりました」
「そうですか、クアドラル殿のみならなずシムルグ殿まで…」
「避難してきたムゥンハルフまで受け入れていただき感謝する。数は多いと思うが、よろしく頼む。そうだ紹介しておこう。遅くなって申し訳ない」
アクシーはタケルの肩を抱くとそのままグイッと前へと押した。
「タケル、と言う。姫様はどうやら欠片石の力で巻き込まれでもしたのか、別の次元へと飛ばされてしまっていた。そこで姫様を見つけケガを治し世話してくれていた者だ」
「な、なんとっ!?ルゥダは別の次元へ!?」
父王の驚きは至極当然のものだった。よく無事でいたものだと言わんばかりに、タケルの手をしっかりと握って、またひとしきり泣きながらブンブン振り回した。そうして、まじまじとタケルの顔や背格好を見渡すとおもむろに一体どこへ行ったのか聞いてきた。
アクシーは低い声で人払いをさせると、王の目を見据え他言無用と付け加えた。
「閉ざされた次元」
緊張が走る。王はタケルの方を向くと動きを止めた。
「タケルは、凡庸者だが、強大な能力ある者だ。リィンが予知夢を見たと報告してきた。きっとその者に違いない」
「えっ!?聞いてないんだけど…」
「父上が全部話したろっ!!」
呆れたとでもいう顔で強い口調で言うアクシーに向かって、タケルは王の顔を見返しながらどうしていいか困り果てていた。王の顔には愛する愛娘への思いが溢れていたからだ。
「いやいや、予知夢に出てきたとか初めて聞くんだけど」
ーーああ、こうして断りきれず巻き込まれるんだな
そう考えが頭をよぎったが、タケルはもう決めていた。ルゥダ姫を助けられるのなら、巻き込まれるのも悪くはないと。
アクシーは猫族の王の前で、タケルがリィンの予知夢の人物に間違いないことを示すため、リィンと空の鑑で話を聞くことにした。
タケルは初めてリィンを見た。小柄な色の白い薄い金髪で、なんだか具合が悪そうに見えた。リィンは微笑んで軽くお辞儀をした。その後ろには立派な一角獣、ユニコーンが控えていた。それにはタケルは驚いた。まさか想像上の生物がいるとは思いもしなかったからだ。
ユニコーンに傅かれている少女は、鏡ごしにタケルを見ると嬉しそうに頷いた。
「やっとお会いできましたね。猫族の王よ、心強く持ってください。そこに居るタケルが必ず、この界の危機を救ってくれます。私には感じます」
「リィンって言ったよね、君もとっても辛そうに見えるよ。君にも大事な役目があるんだね。待ってて、きっとなんとかするから」
タケルがリィンと話していると、フィンディが心配そうに後ろから覗き込んだ。リィンはフィンディにもお役目ご苦労様と労うと、アクシーと変わって話し始めた。
「今、一番にやってほしいことは、この界の西域で起きている諍いを鎮めることです。その気の刺激が、剣や欠片石に悪い影響を与えているようなんです。特に、海人各種族。そして、できれば人狼達の協力が得られるよう」
「人狼とは?リィン、初めて聞く…」
「ごめんなさい、勘違いしたみたい。美しい鬣達のこと、お願いね」
珍しくアクシーを遮ると、リィンは言い間違いでもしたようにごまかして会話を終えた。アクシーには引っかかっていたが、しばらく様子を見ることにした。
ルゥダ姫のことは気にかかるが、タケル達は早くこの状況を収縮させるために猫族の元を後にした。
行先は《昼闇の森》を抜けた先にある南の入江と、その先に浮かぶ島を互いに住処として所有を主張している半漁人型の海人族の2部族、バラダとドゥマの元であった。特に気性の荒いことで有名な種族だそうで、一度諍いが始まると決着つくまで争い、結果的には小競り合いが戦いにまでなってしまうらしい。
アクシーは森に入る前に、フィンディにお使いを頼めるか聞き始めた。内容は《海ヘビの口》に棲む人魚型の海人族のところにいる双頭の人魚姫ソナへの言伝だった。
「僕、大丈夫かなぁ」
空の高い所は風が巻いている、南の島沿いに行くこと。砂漠のある半島へ着いたらアディロンが来るのを山間部で風を避けながら待つこと。彼が《海ヘビの口》ヘ連れていってくれる。海人族はとても用心深く、アクシーでも直接出向かねば相手にしてくれない。
彼女達も欠片石を持っている、反応し合うといけないからとフィンディの持つ石はアクシーが預かることになった。フィンディには生まれながらの竜種が持つ玉石があるから大丈夫だとアクシーは説得した。私の能力を込めておこう、と言うとフィンディの首から下げている玉石からはアクシーのオーラだろうか虹色の光が漏れてきていた。
「頼んだよ、フィンディ。《昼闇の森》はムゥン・ハルフがいっぱいだから」
「僕は怖くないよ。ずっと《竜の島》で一緒に暮らしてたから。アクシーこそ、ケンカしたりしないでよ」
「マジ!!いいこと言うじゃん」
気をつけてと見送ろうと振り返ると、フィンディの翼が形を変えていく途中だった。もう一つの翼の根本にあった小さかった翼が見事にグイグイと大きくなっていく。元々空竜のフィンディは美しい鱗のような羽根が生えている。
「切り裂く風には用心して。アディロンのサージャンによろしく。彼が来るはずだから」
アクシーはそう言っていたが、来たのは全然知らない若いアディロンだった。名をスーファルと言った。風は想像以上に早駆けするのだそうで、若くてテクニックがある彼が急遽代わりに来たのだと言う。
「おチビの弱っちい羽根は仕舞っときな」
フィンディは一瞬ムッとしたが、スーファルの頰についた切り傷を見るとおとなしく翼を引っこめると恐る恐る背に乗った。
「爪立てていいから姿勢を低くしがみつくんだ」
スーファルは砂漠の上空を飛んでいたかと思うと、風向きを読むと一気に海上を進んでいった。見事に《海ヘビの口》の奥へ着陸し、羽根をたたんで大きな人の形になって休んでいた。
「お前の持ってる石珠のおかげだな、風が避けていくようだった」
あんまり怖くてギュッと背中を掴んでいたフィンディだったが、スーファルはニヤリと笑いかけた。そして洞窟の奥に向かって誰かの名を呼んでいた。
ちょうど同じ頃、アクシーとタケルは南の入江で海人族の戦いをやめさせるのに一苦労していた。
彼等の肌は美しいグリーンやブルーの鱗に覆われつつ所々にタトゥーを入れていた。口元には4本の牙が生え、鬣のようにも見える大きな鰓は幾本もの鋭い骨の間に真っ赤な膜があった。両腕や背にも同じような鰭があり、掌には鋭い爪と共に真っ赤な水掻きがあった。爛々と輝く黄色味の眼球に、やっぱり熱帯魚だなとタケルは思っていた。
そもそもの諍いの理由は、両部族が持つ飾り盾にあった。その昔、海人族が欠片石を預かっていた時、盾は一つとなり真ん中に石が収まっていた。今盾は真っ二つに分かれたまま両部族に一つずつ預かられている。そこで、猫族の元から欠片石が失われたと聞き、盾が一つになればまた覇権を掌中にできるとバラダ部族が言い始め、ドゥマ部族がそうはさせまいと言い争いになったというものだった。
「おまえ達、よく聞け!!欠片石は海の種族には一つだけだ!!今は海人族の双頭の人魚ソナが持っている!!おまえ達の手元には絶対に来ない!!」
「いい加減、頭冷やせよ!!落ち着けって、言ってんだろーがって!!」
タケルの顔めがけて、彼等の三叉槍が飛んできた。
「やめろーっっ!!!」
タケルが叫ぶと、海が大きく揺らぎ激しくうねった。海人族の動きが一斉に止まった。
すると何処からか歌声が響いてきた。
「ソナの歌だ…」
声を用いているようだ。アクシーはこちらから空の鏡でソナに向かって語りかけた。ソナはアクシーからの接触を受け入れると、海人両部族に戦いを止めるよう麗しい歌声で諭した。それは見事な歌だった。
ピタリと戦いを止め心ゆくまで歌声を堪能すると、一人また一人と海の中へ消えていった。
不思議なことに、風がソナの清らかな歌声を連れていくように西へ西へと吹いていった。その様子に気がついたアクシーは、もうしばらくソナに歌ってもらえないかと頼んだ。
「そうしたいのですが、ここのところずっと欠片石の様子がおかしくて、歌い続けているのです…このままでは声が枯れてしまいます」
「フィンディにクアドラル殿からの袋を持たせたが、それに入れてもダメか?」
「時折、熱を帯びてくるので困っているのです」
真っ白な指先は赤くなっていた。人魚は上半身が二人に別れており、その両方の手の指が痛々しいことになっていたのだ。深い海の色のように碧い髪が印象的な双子だが、一度に振り向くと紅い瞳の色だけが4つ暗い洞窟の中で光るので、タケルはゾクッとした。
アクシーが欠片石のことでソナとやり取りしている間に、タケルは一瞬消えそうなルゥダ姫の声を聞いた。
「タケル、ありがとう…」
そう聞こえたような気がした。