閉ざされた次元〜能力(ちから)ある者
タケルは思いがけない客人にどうしたらいいか、頭をフル回転させた。まずは猫がなついている様子から、猫の飼い主が引き取りに来たのだろうと考えた。
「あの…その猫の…」
「ありがとう、感謝する。ずっと探してたんだ、猫も石も」
少女はスラスラと日本語を喋っていた。そう言うと、タケルがまだ片付けきらずにいる荷物を指差して開けていいかと聞いてきた。タケルの返答を待たずに、彼女はトランクに手をかけた。
「ちょっと!?」
タケルは慌ててやめさせようとした。すると猫がタケルの手に飛びかかってきた。驚いたタケルは手を引っ込めると少女を見た。目と目が合うと少女はニコッと笑いかけながら猫を手元へ呼んだ。
「ええと、私はアクシー。探し物がここに紛れ込んでるみたいでさ」
「どうしてわかるんだ」
「ルゥダ姫がそう教えてくれてるんだよね」
少女は猫を放すと、猫はまっすぐトランクに向かうと上に飛び乗った。そういえば猫はよくトランクの上に乗っていた。その場所が好きなのかと思っていたが、引っ越しの荷物の一部をトランクに詰め変えてから、猫はトランクを見張ってでもいるようだった。
「何を探してるんだ?」
ーーニャアニャア!!
タケルが身構えてなかなか応じようとしないでいると、おとなしかった猫が豹変したようにタケルめがけて飛びかかった。
「おやめ下さい、ルゥダ姫」
少女は訳のわからない言葉で叫んだ。同時に、タケルは驚いて猫を振り払っていた。それを少女が抱きかかえ立っていた。少女の腕には鋭い爪痕がつき、スッと血が滴っていた。白銀のフサフサの猫の毛に血がついている。猫の瞳がタケルを見つめているが、タケルは初めて猫の瞳の色が違うことに気がついた。濃いブルーと濃いコッパー。こんなにハッキリとしたオッドアイはいないんじゃないかというくらい。どうして今まで気がつかなかったのか。
猫は瞳を閉じると、まるで人のようにフウッとため息をついた。
「ごめん、コレ…」
タケルはタオルを手渡そうとしたが、まだ猫が怒っているような気がしたので、フワッと投げて渡した。少女は受け取ると、自分よりも先に猫の毛を拭いた。
「猫より傷が…」
「大丈夫。それよりもトランク開けてもらえない?」
タケルは言われるがまま大きなトランクを開けると、ウワァッ!!と驚いて大きく退いた。
ーー何でこんな物が!!
強い光を放つソレは、石のように見えるが、何より触れてはいけない畏れとでも言うのか。とにかくヤバイの一言に尽きる物、だった。
「おまえ、見えてるのか?」
パッと見は、ただの石ころに過ぎないソレは、能力ある者が見れば石の持つエネルギーと言うかパワーとでも言うか、とにかく力が見えるのだ。
「何だよ、コレ。隕石か何か?」
「ル・ルリールの石」
そう言うと少女は事も無げに石を鷲掴みにした。
唖然とするタケルに少女はもう一度、しっかり目と目を見合わせて名乗った。
「ちょっと、一緒に来てもらえないかな」
アクシーと名乗った少女は、猫をタケルに手渡すと石を皮袋に入れ革紐をしっかりと腕に巻きつけた。片方の手は宙を舞い、何かを探し当てると静かに空を切るように振り下ろされた。すると、そのまわりだけが景色が揺れ始めた。
アクシーはタケルの手を引っ張ると、そのまま背中をドンッ!!と突き飛ばした。
「ウ、ウ、ウワアァァァ!!」
タケルが抱いていた猫は、姿形は猫のまま人と同じくらいの大きさになると、倒れたタケルの腹の上に乗っかっていた。猫はタケルの腹から立ち上がると、優雅にお辞儀をした。見るからに上質な、ただところどころ擦り切れボロボロになった裾の長いドレスのような服を着ていた。
「ごめんなさい、せっかく助けていただいたのに…」
「大丈夫?」
アクシーはタケルの手を取って助け起こした。次元の境を越えた影響か、タケルはフラフラと二、三歩歩くとまた座り込んでしまった。
ーー何が起きている!?
タケルは順序立てて、一瞬のうちに起きた出来事を理解しようと努めた。
ーー石だ
石が光って、体が勝手に動いて、逆らえなくて、気がついたら…。タケルは心配そうに覗き込む猫の眼差しを見つめ返した。
ーーああ、おまえ…
タケルは優しく猫の頭を撫でていた。なぜか、自然と涙が出てきていた。
「よかった、怪我はすっかり治っていたみたい」
今のタケルには、猫はまだ小さいままのように見えていた。そうして、徐々に大きな猫へと、あるべき姿へと変わっていった。
「感謝の言葉もありませんわ。本当にありがとうございます」
猫はルゥダという名の姫だった。本当のお姫様だったのか、そりゃ母親がお姫様と呼べば言うことを聞くわけだ。こんなに美しい猫だったのだ。美しいブルーとコッパーの瞳。
タケルは立ち上がると、アクシーの腕を引っ張った。驚いて手を振り払うアクシーにタケルは優しく声をかけた。
「腕、血が出てたでしょ、大丈夫?」
タケルの様子を見返すと、アクシーは軽く頷いた。
「おまえこそ、大丈夫か?……驚かせて悪かったな。知ってるとばっかり思ってたんだ。次元のこと」
そうだ、タケルは能力ある者だ。だから当然、猫のことも石のことも知っていて1ヶ月近くも側に置いていたとアクシーは考えていた。
「よくわかんないけど、そういう映画とかゲームとかはたくさんあるよ」
ハアッと軽くため息を吐きながらタケルは言った。
「主人公はたいてい巻き込まれるんだ」
仕方がないと言わんばかりに、タケルは一応自分のことを話した。アクシー達の様子を伺う限り、すでに自分のことなどよく知っているに違いなかった。
アクシーがルゥダ姫を連れてタケルと共に現在いるのは、交錯次元にある次元の谷と呼ばれる場所だった。どんな者も他の次元へと移動する時は、この場所を通り抜けなければならないし、そうでなければ他の次元へは辿り着けない仕組みとなっていた。3種の竜、シムルグ、ラグナルダ、クアドラルも例外ではなかった。次元の境を守護するためにも必要なことであった。
アクシーはシムルグの元へ向かいながら、タケルに次元の説明をしていた。
次元は無数に存在するが、取り立てて現在関係あるのは、アクシーが住んでいる交錯の次元、ルゥダ姫が住む海・地・天次元だった。
「俺の次元は?」
「ああ、閉ざされた次元」
「閉ざされた次元?なんで!?」
「そうだよな、なんで閉ざされてるのか、知りたいよな」
会話へ割って入ってきたのは、見るからに人ではない風貌の女性だった。浅黒い肌に編み込んだ髪は長く、全体に濃い黄金色に所々青赤黒のメッシュバンドが入り、角膜は紅く瞳孔は黒く結膜は金色、まるで熱帯魚のように鮮やかな色彩に満ちていた。
「ディスカスみたい」
タケルは思った通りのことを言って、思わず自分でウケて笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ!!」
動く熱帯魚は、タケルに掴みかかってきた。
「やめろ、ディスカージェ、私の客だ」
「ふざけんな、私を見て笑いやがった!!」
「気のせいだ、それより何の用?」
アクシーは一瞥して、取り合わなかった。とにかく早くシムルグに会って、ルゥダ姫を界に返したかった。
「そのお姫様を助けるよう、クアドラルからの贈り物さ」
ディスカージェは鱗のようなものでできた袋を3枚、アクシーへ手渡した。
「こ、これはまさか」
「おふくろの鱗だよ。ル・ルディーアの欠片石に負の影が見えるってさ。放っときゃいいのに。そういうわけにはいかないんだとさ」
クアドラルは現在実質的な起源次元を守護するドラゴンとなっていた。ル・ルディーアの剣の事件以後間もなく、ラグナルダと決闘をしてついに彼女を追い落としたのだ。元々、クアドラルは創始の次元を守護するドラゴンであったが、自由気儘な性格であったため、シムルグの古代語族との婚姻が決まると、お役御免でいいかとでも言うように、起源次元へと移り住んだ。クアドラルは堅苦しい古代語族より、ル・ルディーアに住む新しい種族達を気に入っていた。
しかしその後ラグナルダは創始次元の一部の古代語族と手を組み、幾度となく召喚の儀を行うようになっていった。そのうち見かねたシムルグによって、創始次元での召喚の儀は固く禁じられてしまう。そのためラグナルダは密かに己の守護する次元である起源次元で、古代語族だけではなくそこに住まう種族達をも利用して召喚の儀を続けていった。
クアドラルは自らが愛した種族達を限りなく守護してきた。その種族達との間にも多くの子を儲けた。そのためもちろん、ラグナルダにも再三再四、召喚の儀を止めるよう働きかけていた。そこで、ラグナルダとクアドラルによる対立が生じるようになると、元々の守護者であるラグナルダは己に都合の良いように次元を創り替えることを思いつく。
そうこうするうち、ラグナルダは次元にかかる計り知れない負荷のためか大事件を起こした。それがル・ルディーアの剣が生まれることになる事件である。その時、ラグナルダが行った事は、クアドラルには甚だ承服しかねるものであった。剣の力を抑えこみ守護するために犠牲となった10種族の代表にはクアドラルの子が含まれていたからだった。
「切羽詰まってたからって、ラグナルダのくそババアのやり方はひでぇよ。知ってっか?おふくろ、シムルグに食ってかかって、とうとうリィンの代わりをあのババアが召喚するのも無しにしたんだぜ」
ディスカージェは早口でまくし立てると、カッカッカッと豪快に笑った。
アクシーはキラキラ光る袋へ、石を皮袋から移し替えると、ルゥダ姫に見せた。
「これなら、あなたでも、もう大丈夫ですね」
「ええ、クアドラル様にはお礼を申し上げないと」
「いいってことよ」
「おまえに言ってんじゃないよ」
アクシーはうるさいディスカージェに、早くどこかへ行けとばかりにあしらった。タケルは聞きたかった閉ざされた次元の話をお預け食らって、どう切り出したものか迷っていた。
「おまえら、シムルグのとこに向かってんだろ?気をつけろよ、さっきまでおふくろとババアがマジ喧嘩してたから。何と言っても、ドラゴン同士だからな」
ドラゴン同士の喧嘩と聞いて、タケルは思わず面食らった。その様子を面白がったディスカージェは、あることないこと、いやほとんどないことだらけ大げさに話して大笑いした。
「ディスカ、いい加減にして」
呆れてアクシーは遮った。
タケルの頭の中は、炎を吐きまくるドラゴン同士のタッグマッチが展開されていた。ディスカージェはゲラゲラ笑いながらタケルの肩に腕をかけた。
「そんなわけないじゃん。オバンとババアの取っ組み合いだよ。まあ、髪の毛くらいは毟ってたけどね」
「それで、父上は?」
「見てた。ヴァルと一緒に」
大きくため息を吐くと、アクシーは足早に谷の奥へと向かい歩き出した。しかしまたもや、ディスカージェが邪魔をし始めた。
「なあ、こいつ凡庸者だろ?」
いい加減、わざとじゃないかと思うくらい、彼女は次々とタケルに余計な話を振っていた。
「父上のところで話す。もう消えて」
サアアッとアクシーの髪が逆立った。
「おー、怖えぇっと」
そう言ったかと思うと、ディスカージェはさっさと先に谷の奥へ消えていった。どうやら、アクシーが来るのを待たず、袋だけ渡しに来たようだった。
それもそのはず、谷の奥はあちこち崩れて、確かにそれなりの格闘が行われた片鱗が見受けられた。
自分はまだマシな方だと思いたいが、先日も禁忌と知って召喚の儀を繰り返す古代語族の王族の首を刎ねたばかりだ。血の気が多いのは変わらない。そう思いながら、気をつけて歩いていった。
千年ドラゴンの住む洞窟は欝蒼と蔦の生い茂る森の奥深くにあった。樹々は皆大きく背も高く、人が歩く分にはさして邪魔にはならなかった。アクシーの案内で洞窟へ入るとなぜか明るい、光苔が水晶のような鉱石に反射してやわらかな光で洞窟内を満たしていた。急に大きく開けたホールのような場所へ辿り着いた。その奥に、凛としたオーラをまとった、白金に輝く見事な鱗と透けるように美しい銀の髪を持つ勇壮なドラゴンがいた。
「はじめまして、ルゥダ姫。そして、タケル殿」
深い声でドラゴンが挨拶をすると、さすがにタケルも少々緊張気味になった。
そしてドラゴンが話し始めて、やっとタケルは気がついた。そうだ、猫が大きくなってからずっと、誰彼問わず喋っている言葉がわかるのだ。ドイツ語一つに四苦八苦しているのに。
「不思議がることはないのですよ。タケル殿もお持ちなのです、この能力を。ただ、あまりにも奥深く潜めてしまっているだけのこと。ここは交錯次元、徐々に慣れてくるでしょう」
「そのことなんだけど、聞いてもいいかな」
ハッと、恐る恐るドラゴンを見上げると、不躾な自分の態度に関わらず、シムルグは優しく穏やかな声で応じてくれた。その深い藍の瞳はすべてを見透かしでもしているようだった。
「俺のいた次元のこととか、俺のこととか…なんかバカにされてるみたいでさ」
「な、何言ってんの!!まだ何も話してないじゃん!!」
「態度に出てんだよ、おまえの。鼻で笑ったり」
「悪かったな、それはクセなんだよ」
「娘が失礼をしたようで申し訳ありません、タケル殿」
タケルは思わずアクシーを見た。娘と言っていたが、そういえばアクシーも父がどうとか言っていたのを思い出した。
「その、ーー殿、っていうのもやめてもらえるかな」
シムルグは頷くと、静かに語り始めた。
タケルがやってきた次元は閉ざされた次元と言い、そこに住む者達のことを凡庸者と呼んだ。それには深い理由があった。しかし、そうなった事実を知る者は少なかった。
遠い遥か昔、時空も次元さえも超えて現れた者がいた。それはわざわざ召喚の儀のような事をしたわけではなく、忽然と交錯次元に現れた。少女の能力は三種のドラゴンに匹敵するものであった。少女の能力を重く考えたシムルグは、少女と話をし次元の谷話に一角獣セグネードを呼ぶと、少女は彼へと預けられることとなった。のちに少女は隠された場所から来たことを一角獣に話した。隠された場所には彼女のような能力を持つ者が多く住んでいたが、大きな戦と共に天変地異が起き皆消え失せた。ちょうどその瞬間に少女の助けを請う願いに呼応する存在があったのだ。
その隠された場所というのが閉ざされた次元であった。
創始次元には古代語族が住み、徐々に全盛を誇るようになってきた。彼らはドラゴンに頼ると対価が要求されるが、その対価を用意することは至難であることも多かった。古代語族には時折、人ならぬ力を発現させる者が存在した。そうした能力ある者が古代語が持つ力を利用して儀式を行うようになってゆく。すると珍しいことに何千何百とも繰り返すうちに、次元を超えて強力な能力ある者が現れる事象が起きるようになった。
古代語族には元より能力を持つ者が生まれることはさして珍しいことではなかった。しかしその能力は、召喚の儀によって現れる者に比べれば微々たるものに過ぎないことが多かった。そこに目をつけたのは、世の権力者達であった。いつの世も行われることは同じである。召喚の儀は盛んに行われるようになった。
時代が移り変わっていくうちに古代語を操る者達の力も徐々に衰えていった。そしてまた、召喚の儀によって現れる者のうち強力な能力を持つ者はほんの一握りとなり、ほとんどが凡庸な役に立たない者ばかりとなっていった。彼らは凡庸者と呼ばれ隷属されるようになっていく。まだそれなら良い方で、ずさんな召喚の儀によって召喚者が肉塊になって現れる事も珍しくなくなっていた。
そのような時にラグナルダが現れた。ドラゴンであるラグナルダが能力を貸し、古代語族の能力を引き出し、無理やり召喚の儀を繰り返したのだ。ラグナルダにはある目的があった、そのためどうしても強大な能力を持つ凡庸者の少女が必要だったのだ。
閉ざされた次元はラグナルダを拒否するように、そう、まるで意思を持ってでもいるかの如く召喚には応えなかった。
その後間もなく、次元の谷を管理するシムルグの能力によって、凡庸者の次元は閉ざされることとなる。それ以来、一つの次元が閉ざされたことから、その次元を閉ざされた次元、と呼ぶようになった。
ただし、凡庸者と呼ばれる彼らの中にこそ、秘められた能力ある者が存在すること、そして元々の隠された場所でもあることから、閉ざされた次元と凡庸者について語ることは本来タブーとされていた。
「タケル、あなたの祖は、私の想像ですが、元は強大な能力を持つ者だったのです。その能力を与えられ過ぎ、過信し、頼り過ぎた。何事も過ぎれば無に帰する」
シムルグの美しかった藍色の瞳は灰褐色の憂いを帯びたものに変わっていた。
「タケル、あなたは能力ある者です。しかし、それを操る精神を忘れてしまった者でもあるのでしょう。自らの能力を信じなさい。……そして、自らの能力を信じてはなりません。能力は有であり、無でもあるのです。いいですね」
まるで禅問答のようなシムルグの言葉に、何がなんやらさっぱりわからない。ただ、どうやら自分は只事ではない状況に巻き込まれているということだけは、タケルにも伝わってきていた。
ーーどう考えても、俺、巻き込まれたな
タケルは、自分は元に戻れるのか、それとも……と考えたくないことを考えるのを放棄した。