リィンの予知夢、そして遭遇した
アクシーはリィンの元を訪れていた。今でこそ自由自在に次元を渡ることができるようになったが、それでもなお次元のバランスへの干渉を最小限に抑えるため、いちいち次元の谷を経由している。それは父シムルグとの申し合わせでもあった。
ここには父である千年ドラゴンと呼ばれているシムルグが住んでいた。彼ら能力あるドラゴンは、シムルグの他、悠久ドラゴンと呼ばれていたラグナルダ、創始ドラゴンと呼ばれるクアドラルと3種存在していた。呼び方が違うだけで、持つ能力は大差はなかった。中でも最も若かったのはシムルグだった。ラグナルダには既に能力を分け与えた子ヴァル・グラナドがいた。クアドラルにもディスカージェという能力を受け継ぐ子がいた。この能力あるドラゴン同士で子を成すことはできなかった。予見によって元より無理なあらゆる事柄を、彼らは予め知ることができた。だからこそ、同種族以外の能力あるものを求めた。己が力の存続のために。
その中で古代語族の愚かな争いに少なからず関わりあったのがラグナルダというわけだ。
シムルグはまだラグナルダが古代語族と関わる数百年、そう更に何百年も前に力を貸したことがある。それはアクシーの母となる姫が産まれる前のことだった。当時は天変地異が長く度重なることもよくあった。次元の境目の揺らぎが続きユフラル・イスではとうとうどうすることもできない状況になることも多かったのだ。
だがしかし、千年ドラゴンのような強大な力を持つ存在に、その能力を借りる時には対価を払わなければならなかった。それ以上でも以下でもない、対価を。それが暗黙の了解でもあった。
そうして図らずも、シムルグは助力の対価という形で古代語族からいち早く番いとなる娘を得たのだった。それがアクシーの母リステルだった。そういうと、ただ能力が引き継がれていけばいいだけではないかということになるが、それだけ能力には意味があった。たとえ助力の対価とはいえ、千年ドラゴンから所望されることは、能力を引継ぐ者を育み産むという大役を授かることでもあった。だからこそリステルは己れにも能力があることを知ると歓喜し進んでシムルグの妻となった。
考えもしなかったまさかのその行末を見たラグナルダは、我が子ヴァル・グラナドへさらなる能力ある者を得ようとするあまり暴挙へと出ていた。その顛末が、玉石の喪失へ繋がったのである。
リィンが現在守り管理する、ル・ルディーアの剣は、元はといえばラグナルダの玉石である。その石には、ラグナルダの長年に渡る禁術の影響が計り知れなかった。だからこそ、無垢の乙女としての能力あるリィンの元へ預けられたのであった。
ただし、リィンの能力だけでは抑えきれないのだろうか。リィンが弱っていくたびごとに奇跡のように、剣のある次元に能力ある者が生まれていくのである。それが剣を制する鞘へ埋め込まれた石を管理する3種族、猫族の双瞳の姫。海人族の双生の人魚。空竜族の四双翼の子。それもまたリィンの予見でもあった。
なぜ今、アクシーがリィンの元を訪れているというと。予見の報せがあったからだった。それもただの予見ではない、珍しく予知夢を見、予見のような些細な予知とはまったくの別物に違いないとのことだった。
リィンは能力ある者と呼ばれた、人としては初めての存在であった。いつの時に現れたのかわからないが、ラ・ルヴ・リール次元が確固たる次元として成立した時には存在は知られていた。リィンは無垢の乙女と呼ばれていた。彼女を統主としていた一角獣族は、ラ・ルヴ・リール次元でも最古の種族である。
リィンの能力は計り知れなかった。アクシーでさえ到底無視できない。
アクシーからしてみれば、聞き及ぶには凡庸者だという彼女の能力は恐ろしいものだった。
ーーだから凡庸者は困る
そう思いつつ、アクシーはリィンの元にいた。この稲妻といい、嫌な予感しかしない。
「リィン、体調はいかがですか」
アクシーは、リィンから予見の連絡を受けてすぐ、次元谷のシムルグの元から空鏡でリィン館へ着いていた。
「構いません」
「それよりも、アクシー」
そう言うとリィンは、アクシーが今し方考えた通りの言葉を繰り返した。
「やはり凡庸者は…」
泣きそうな声でその言葉を繰り返すと、自分の体を包み込むようにして崩折れた。アクシーは驚きリィンを支えた。
「奴等が、どうしたと言うんだ!!」
彼等がこちら側の様々なる者達や事象を見たり聞いたりしたことがあることくらい、それはどうということはない。召喚の儀によって無理矢理渡って来ることもないことではない。
リィンの取り乱しようは、果たして自分でどうにかなる事が起きているのか、アクシーには見当がつかなかった。
「すみません、アクシー」
震えた声が耳元でやっと聞こえた。
「大丈夫、石の力の暴走は抑えられたようです」
「どういうことだ?」
リィンの一連の言動がまったく理解できないアクシーは、ゆっくりとリィンを座らせると落ち着くよう促した。それだけ珍しくリィンは動転していた。
「何からお話しするのが一番良いのやら…」
「凡庸者から頼む」
アクシーは間髪入れず答えた。
「そうですね、アクシー」
リィンはそっとアクシーに掌を差し向けた。
「どうした?」
震えるリィンの掌を取って、優しくアクシーはリィンを振り返った。リィンの顔は蒼白なままだった。
「顔色が悪すぎる。悪かった、もっと後からで…」
「いえ、同じことです」
リィンはアクシーに抱きつくと、抑えていた涙が止めどなく溢れてきた。
「私は、アクシーこそが次元の管理者だと信じて疑わなかったのです。でも…でも!!」
リィンの涙声とともになだれ込んでくる、ブツ切りに乱れた予見のフラッシュにアクシーもまた動揺を抑えられなくなってきていた。
「ですから、アクシーこそが私の予見では、シムルグの跡を継いで次元の谷の主人となるべく存在だと」
「どういうことだ。まるで父上がいなくなるような口振りじゃないか」
慌ててリィンは言葉を紡いだ。
「そうではなくて!!」
「じゃあ、なんだ!!」
「カノ・クディオが!!」
リィンとアクシーの声が見事に重なった。
一瞬、辺りは静まり返った。しかし同時に、一角獣族特有の神聖なる者への加護がリィン館を包み込んでいた。
「悪かった、セグネード」
一頭の一際大きな一角獣の角が、アクシーの背を貫く勢いで突き立てられていた。アクシーの謝る声が一瞬でも遅れたなら…いや。
「おやめなさい、私が言葉を誤ったのです」
リィンの手がアクシーの背に突き立てられた角を押し戻した。リィンの所作が遅れていたのなら、流血は避けられなかったろう。
「ごめんなさい、アクシー。私にもまったく予期する事ができない夢を見てしまったんです。予知夢とでもいうのでしょうか。いつもの予見とはまったく違ったのです」
「私こそ、取り乱して申し訳なかった」
数多ある次元の中でも、創始の次元には特別な気とでも言うのか、そうしたオーラが漂っていた。もちろん現在でも、それは変わらない。ただ、その気を受け皿とするべき存在が育つはずだったのだが、己が能力を育むことを放棄して手っ取り早く力を得ようとした代償とでもいうかのように、ある時期を境に急速にユフラル・イスは能力を失っていった。それもまたラグナルダがユフラル・イスを利用して行なっていた召喚の影響であった。
そしてまだ他にも影響は及んでいた。起源の次元に多大なる影響力を持っていたのはラグナルダであった。ラグナルダの能力には魔人や妖精など、魔力を持つ亜種族を擁護するオーラが存在していた。そのため起源の次元にはまた違った種族中心に育まれていく土壌が出来上がっていた。
まったく違ったオーラを持つ二つの次元が、ラグナルダという一つの能力によって大きく揺さぶられる事件が起きてしまったことにより、本来干渉しあうことがないはずの波動が乱れぶつかりあってしまった。いくら次元の谷でシムルグが全力で止めてはいても、うねりとなって引き起こされた影響は抑えようがなかった。
そしてそれは別の次元へも大きく干渉する結果となった。
「閉ざされた次元に強大な能力を持つ者が現れました。凡庸者ですが、その能力は大きすぎてわかりません。影があまりにも強い光に包まれて見えるだけなのです」
「そうか、そいつはいつ現れる?」
「すでにすぐ近くに」
この雷光は、彼の者とル・ルディーアの石が反応しあったのではないかというのがリィンの予見だった。そして猫族の姫もまた、彼の者と一緒にいるのではないかというのだ。
「ってことは、ルゥダ姫は石と一緒にそいつといる?」
聞くが早いか、アクシーは空鏡を用意すると一言残して去っていった。
「リィン、ありがとう。ゆっくり休めよ」
「相変わらず無作法な奴だ」
その様子を見てセグネードは呆れていた。リィンは優しく微笑むと、それでいいのですと嬉しそうに見送っていた。
シュツットガルトには日本の企業が集まっていた。タケルが通うインターナショナルスクールにも日本人は多かった。そんな中で、タケルは今、有名人となっていた。というのも、SNSで話題騒然となってから連日ニュースで取り上げられた、雷の中飛んでいた旅客機にタケルが乗っていたからだった。
当のタケルにとっては迷惑この上ない話だ。根掘り葉掘り、何度も何度も繰り返し同じことばかり聞かれる。とにかくその時タケルは頭痛がひどくて、記憶なんてほとんど残っていなかった。
辟易しながら学校から帰ってくる道すがら、タケルは猫のことばかり考えていた。よく食べるようになって、やっと怪我もよくなってきていた。あれから随分経つのに、猫はなかなかタケルに馴れてくれなかった。いつも付かず離れずの場所から様子を伺っているようだ。そのくせ、タケルの部屋から離れようとはしなかった。
ーーなんか、俺っていうより、部屋に慣れてる?
母親に言わせると、大人の猫ってそんなものだそうだ。
まだ生後半年くらいだと獣医は言っていた。それなら遊びたい盛りだとネットで調べるとある。
ーーもしかして、嫌がるのにお風呂に入れたのがヤバかったかなぁ。
考え事ばかりしていたせいか、タケルは思わず人とぶつかってしまった。
「すみません!」
咄嗟に出たのは日本語だった。
ぶつかった相手は何も言わずに、タケルを睨みつけるとすれ違って行ってしまった。
「ヤベッ。いい加減ドイツ語慣れないと」
ぶつかったのは同じ歳くらいの少女だった。凄い形相で睨みつけてきたので、スルーできてラッキーだったとタケルは思った。
ーーあんな子、近所にいたかな?
見事な銀髪で、瞳の色さえ薄いブルーで、確かに色素薄い系は多いけど、ちょっと人間離れした感じがした。ただ何だろうか、良い香りが残っていた。
「ただい…Ich bin zu Hause. 」
「よくできました!Ja, willkommen!」
やれやれという感じでタケルは自分の部屋へ上がっていくと、いつもはベッドでくつろいでいる猫が部屋から飛び出してきた。まるでおかえりとでも言ってくれているようだ。タケルは嬉しくなって急いで部屋に戻ると、突然のことに無言で棒立ちになった。
猫が嬉しそうに少女に抱っこされていたのだ。どうやって入って来ていたのか、一人の少女が部屋の中央に立っていた。思い返せば、先程ぶつかった少女に違いない。見間違えることのない強い印象、これがタケルとアクシーの出会いだった。