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05.

 そうして何度も季節は過ぎていった。


 私は十四歳になり、王太子殿下の正式な婚約者として王宮に入って妃教育を受けることになった。


 王宮に入ったといっても、王太子殿下が私の部屋を訪れてきたことはほとんどないけれど。


 私は、礼儀作法に政治学に歴史、舞踏に社交術と、王妃となるのに必要なものありとあらゆるものを叩き込まれるようになった。けれど、元々『深奥の図書館』を有している私。教えられる教育は植物が水を吸うように貪欲に吸収されていく。そして、失うことなく蓄積されていくのだ。


 何より嬉しかったのは、実家の書庫とは比べものにならないほどの本が収められた図書館が王宮にはあることだった。私は、妃教育の合間を縫って、暇さえ出来れば図書館にこもった。


 それらは全て私の知識となった。


 そうして、私は各国の歴史や文化、地理、外交状況、語学を学ぶ。


 そして舞踏に至ってはアッヘンバッハ王国の周辺各国のものまで、アッヘンバッハ王国で学べるものはいくらでも習得した。


 音楽も、ひととおりの楽器は弾くことが出来るようになった。


 さらに、社交に関しても、一辺倒のものではなく、どこの国へ行っても恥を掻かない程のものを身につけた。


 実際の舞踏の動きや、語学の会話の発音などは、家庭教師に教えを請えば、「なんと熱心な姫だ」と歓喜して教えてくれた。


「コルネリア姫は天才です! 姫こそ王太子妃にふさわしい!」


 私を教える教授たちが口々に国王陛下に賞賛の言葉を奏上したと聞く。


「きっと王太子殿下が王におなりの暁には、姫が王太子殿下をお支えして、共に立派に国を統治なされるでしょう!」


 そう。『お支え』するのである。教授たちの言うとおり、遊び好きの王太子殿下は、勉強熱心とは言えなかった。王となる者が修めるべきである帝王学でさえまるでおぼつかない。褒められるといえば、好きな楽器を弾くことと舞踏くらいだろうか。


 私の支えがあってこそ、王太子殿下の治政は成り立つであろうというのが国王陛下を筆頭とした大人たちの考えだった。


 そうして王太子殿下が勉強を避けてやっていたことといえば、隙を見て王宮を抜け出し、エルザの待つ我が家へと向かうこと。そうして、義妹との逢瀬を重ねていた。


 野心家な叔父さまと叔母さまはそれを喜ばしいものと受け入れていたようで、積極的にその逢瀬を隠す手助けをしていたようだ。


 ◆


 そんな頃、アッヘンバッハ王国へ、彼の国が属するロイエンタール帝国から一通の書簡が届いた。


「王家に連なる姫を帝国皇帝ヴォルフ陛下に差し出すように」


 要は、王家の血を引く姫を、人質兼花嫁として差し出せということを意味していた。


 しかも、相手は戦好きで有名な『冷酷無慈悲な銀狼』ことヴォルフ・ロイエンタール陛下である。アッヘンバッハ王は震えた。


 まず、王家には適齢期の姫はいなかった。それにはアッヘンバッハ王は安堵した。そうすると次は公爵家だ。公爵家の一部は、王族と血縁がある家があり、コルネリアの家であるライトマイヤー家もそのひとつだった。


「ふむ……。コルネリア姫の下の姫でも送るか」


 最初に白羽の矢が立ったのはエルザだった。


 それを、アッヘンバッハ王はコルネリアの叔父のダニエル・ライトマイヤーに伝えた。


「……私の……娘、エルザを……ですか」


 目をこれでもかと見開き、肩を落として愕然とするダニエル。戦好きで有名な『冷酷無慈悲な銀狼』に嫁いで、見た目だけが取り柄のけっして賢いとは言えない娘が、果たして無事にいられるのだろうか、しかも遠い帝国に。そう彼は悩んだ。


「……少し、考えさせてください……」


「ああ、娘の人生にとって大事なことだ。よく考えて決めるが良い」


 アッヘンバッハ王は寛大に受け入れた。


 その足で、自宅に帰ると、ちょうど王太子殿下がエルザの元へ訪れていた。ちょうど良いと、ふたりにダニエルは事情を話す。


「私は嫌です! 私は妻にはエルザをと心に決めている!」


「私もです! 私はカール殿下を愛しています……! それに、私……」


「どうしたんだい? エルザ」


 カールが尋ねる。


「私……私……。実は、カール殿下のお子を宿しているんですっ!」


 恐る恐るエルザがそう告白し、お腹に手を添えた。


 想い合う年頃の男女ふたりを幼い頃から好きにさせておけば、自然の成り行きだった。


「……エルザ……!」


 いっときの喜びに沸く若者ふたり。


 喜ぶカールの様子に安堵したのか、エルザの瞳にも喜びの光が灯る。


 その様子を見て、ダニエルはニヤリとほくそ笑んだ。


「ならば殿下、お耳を……」


 そうして、コルネリアを陥れる罠が張られるのだった。


 ◆


 その日は国王主催の夜会が開かれる予定の日だった。


 私は、婚約者である王太子殿下の髪と瞳の色に合わせた、緑柱石(エメラルド)色のドレスを纏っていた。そして、衆人の中に紛れている。人々は好き好きに会話を楽しみ、夜会が始まるのを楽しみに待っていた。


 私だけがひとり、ぽつんとたたずんでいる。


 ──王太子殿下がエスコートしてくださるはずなのに……。


 私は人々を見回し殿下を探す。


 どこにいるのだろう。


 仲があまり良くないとはいえ、ひとり置かれて、私は心細かった。


 そんな中、上段に国王陛下ご夫妻が姿を現わした。


「みなのもの、今日はよくぞ集まってくれた! 今日は思い思いに楽しんで……」


 そう陛下が言いかけたときのことだ。


「待ってください!」


 私が待っていた王太子殿下の声がホールに響いた。私はどこにいるのかと彼を目で探す。


 そんな彼は、大衆の合間を縫って姿を現わす。けれどその隣には、私と同じ色のドレスを纏ったエルザがエスコートされていた。


 ──どういうことなの?


「カール! コルネリア姫を置いて何をしておる!」


 国王陛下が王太子殿下を叱責する。それに構わず王太子殿下の発言は止まらない。


「父上、夜会を始める前に、お伝えしたいことがあるのです! 喜んでください。私に子が出来ました! 世継ぎです! そしてその相手は公爵家子女、エルザ・ライトマイヤーです!」


 そう王太子殿下が言って、宝物でも触れるようにそっと手を添えたのは、エルザのまだ薄い腹だった。


「なっ!? お前にはコルネリアという婚約者がいるだろう! それを差し置いて何を言っておる! それに帝国から王家に連なる姫を差し出すように命が降りており、その娘を彼の帝国ロイエンタールへと贈ると打診中なのだぞ!?」


「……そう、あくまで打診、ですよね、父上。まだ帝国に返答したわけじゃない」

 王太子殿下がニヤリと笑う。そして彼は衆人の中を見回して、一点で止まった。

 私だった。


「帝国から『王家に連なる娘を差し出せ』と命じられているのですよね? その場合、我が国家には適齢期の姫はおりません。それであれば、次に適任なのは、公爵家の娘にして王妹の娘、コルネリア・ライトマイヤーこそ適任なのでは?」


 そう言って、王太子殿下は私を指さした。王太子殿下は我が意を得たりと言わんばかりに傲岸不遜に言い放つ。


 残念ながら王太子殿下の言うとおりだった。


 ただし、私を差し置いて、エルザと王太子殿下の結婚が認められるならば、だ。


「ぐぬぬ……」


 国王陛下が苦悶の表情を浮かべる。


 せっかくここまで教育してきた妃候補だ。それに、国王ご夫妻には娘のように接していただいていた。さぞや心苦しいだろうと私は推測した。


 けれど、と私は考える。


 エルザは王太子殿下の子を懐妊しているという。ならば、妃に据え置くしかないのだろう。せっかく出来た子、国王陛下とて惜しいだろう。それに、どう説得しようと本人たちが離れようとはしないはずだ。まして、王太子殿下の子を懐妊中のエルザを帝国に送るわけにもいくまい。


 そして、エルザを王家に迎え入れた上で、私まで王太子の妃にすることは出来まい。そうした場合、貴族の中で、ライトマイヤー家の力が強くなりすぎる。国王陛下はそれを選択はしないだろう。


 ──そうね。適任は私ね。


 私は瞼を伏せる。私の心は所詮余儀ないものと諦めにも似た境地に至っていた。


 失われた未来への哀惜の念に耐えず、私は深くため息をついた。


「……済まない。本当に済まない、コルネリア。……国のために、行ってはくれまいか」


「……はい、お国のためですもの。……このコルネリア、承知いたしました」


 私は了承の意として、礼を執る。


「……そなたほど、未来の国母にふさわしいものはないというものを。全く悔やまれてならない……」


 国王陛下のそのお言葉を聞いて、私は小さく笑う。


「いまさらです、陛下」


 そうして、ライトマイヤー家の長女を嫁に出すということで帝国に打診がなされた。


 帝国からは快諾の旨が伝えられた。


 そうして、私はロイエンタール帝国へ送られることになったのである。


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