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26.

「そう言えば、コルネリア。お前の父母はどうだったのだ? ……確か、既に亡くなって、養父母の元で育ったのだよな」


 そう問われると、コルネリアが首を傾げた。


「……ご存じだったのですね」


「ああ、仮にも帝国の皇后に迎える姫だ。身辺調査はさせてもらった。悪いな」


 その言葉に対して、コルネリアは首を横に振る。


「いえ、当然の処置かと存じます。国家として賢明なご判断です。……それで、私は皇后にふさわしい姫でしたか?」


 少しいたずらを仕掛けるかのような口ぶりで、コルネリアがヴォルフに尋ねた。すると、ヴォルフはコルネリアの額を指先で優しく小突いた。


「家柄も容姿も、資質も完璧な姫だ。だが、離婚を切り出してくる様な気丈な姫だったのは想定外だったったな」


 そう評価されると、コルネリアは軽く唇を尖らせて見せる。


「それは陛下が三年も私を放置なさるからです。私はいらないのではないかと思うではないですか」


 そうして初めて、本音をヴォルフに告げるコルネリア。


「……その。前の婚約者との間に関係があったんじゃないかと……気にしていたんだ」


「関係、と言いますと?」


「その、正式な婚約者となって、宮殿で生活を過ごしていたのだろう? その、男女のだな……」


 そう言われて初めてコルネリアは最初放って置かれた事情の一端に感づいた。


「まさか陛下、私がアッヘンバッハ王国の王太子と関係を持っていたと、そうお考えになっていたんですか!?」


 コルネリアが驚いて強い口調で問いかける。そういえば、初めての夜のときも、陛下はそれを口になさらなかっただろうか?


「そう考えてもおかしくはあるまい。婚約者同士が同じ屋根の下で暮らしているのだ。そういう過ちは、ままあることだろう。若い男女のことだし。それに、お前は男が放っておかないような美しい容姿をしている。だから、初めてではないと……勘違いをした」


 すると、コルネリアは激高するかと思ってが、顔を下に向けてしまった。それはヴォルフにとっては意外な反応だった。


「どうした、コルネリア」


「どうしたもこうしたも、私は王太子殿下にはないがしろにされておりました。そんな下世話な詮索をされるような関係ではありません」


 そう言ってコルネリアは手で顔を覆って顔を伏せてしまう。


 逆にその言葉にヴォルフは驚かされる。そして、俯いているコルネリア顔を覆っている手を優しく取り除く。それから彼女の頤を取って、顔を上向けさせた。


「こんなに賢いのに?」


「こざかしくて面白くないと言われました」


「こんなに美しいのに?」


「……王太子殿下は私の義妹の方が良いと言って、浮気をして子をもうけました」


「ああ、調査結果で聞いている」


「さすがに、お調べになっておられましたか」


「ああ」


「それ故に、私は婚約者の座を降りざるを得なくなりました」


「……アッヘンバッハの王太子は見る目がないのか……?」


「……陛下も、私を三年放置なされたでしょう?」


「それは、今聞いた事情を知らなかったからだ。正式な婚約者になりながら、婚約破棄されて我が国に人質同然と知りながら送られてくる姫など、どんな姫かと疑っていたのだ」


「ほら、陛下も私をそう思っていらっしゃる」


「今はそうじゃない!」


 そう言って、思わずヴォルフはコルネリアを強く抱きしめた。そして、はっと我に返って彼女と体の距離を取る。


「……済まない。その、私は、もう、お前をそんな女だと思っていない。賢く、美しく、そして優しい女だと思っている」


「好きだ」と続けたかったが、賭けのことがあったので、それはまだ口にしては卑怯だろうと口をつぐむ。


「……そう思ってくださっているのなら、光栄に思います」


 互いの距離が少しぎこちなくなったのをヴォルフは感じた。婚約破棄から、ヴォルフの誤解の話をするのは、悪手だったのかもしれない、と思う。


「そういえば、コルネリア」


「……はい」


 コルネリアの返事には覇気がない。自分との会話に気が削がれてしまったのかもしれないと後悔する。だが、と思い直して、ヴォルフは気になったことを尋ねることにした。


「確か、王太子を義妹に奪われたそうだが、それは義実家にも素直に受け入れられたことなのか? 普通もめるだろう?」


 その問いに、コルネリアはふるふると首を横に振って答えた。


「むしろ喜んでいました。私は義家族からないがしろにされてきましたし、多分、私から義妹に王太子殿下を奪わせることは、既定路線だったのではないかと思っています」


「……既定路線?」


「はい。義妹が王太子の子を産み、その子が王太子、ゆくゆくは王になれば、義父母は外戚として力を振るうことが可能です」


「……な……ッ!」


 それを聞いたヴォルフの、膝に置いた拳が、怒りに震える。


 ──私のために怒って下さっている。


 そのことがコルネリアの心が明るくした。


「私のために、怒って下さるんですね。嬉しいです」


「当たり前だ! 仮にもお前を引き取った血縁関係のある義父母だろう。それに、お前にそんな扱いをするなど、許しておけるものか!」


 その怒り方を見て、コルネリアはなんだか嬉しくなってしまった。


 ──私のために、心底怒って下さっている。


 コルネリアは、なんだか自分がとても大事にされているような感じがして。そして、それは本当の両親がいたときから初めてのような気がして。とても嬉しく思えた。


 この方なら、私が抱えている本当の疑念を語っても信じて下さるかしら。一緒に憤ってくださるかしら?


 そう思えたのだった。だから、コルネリアは恐る恐る口を開いた。


「七歳の子供の頃の話です。聞いてくださいますか?」


 コルネリアはヴォルフに尋ねた。


 すると、今までの怒りを静めてヴォルフが聞く体勢を取る。


「大丈夫だ。何か、子供の頃にあったのか?」


「はい。私の本当の父母が亡くなりました」


「……そうなのか」


 慰めようとしたのか、ヴォルフがコルネリアの肩を抱いた。その手のひらは温かい。腕は逞しく、安心感を与えてくれる。コルネリアは、それをそのままにして、払いのけようとはしなかった。むしろ、甘えるようにして彼の手に頬を預けた。


 その仕草に、ヴォルフは少し動揺する。


 ──可愛らしい。私に弱さを見せるなんて。


 そんな意外な一面に、淡い庇護欲が湧くのだった。


「話を続けても?」


「ああ、大丈夫だ」


 そのままの姿勢のまま、ふたりは話を続けることにした。


「私が七つの頃です。本が好きだった私は、夜に、本を取りに行こうとして、階下に降りていきました。そこで、扉の隙間から、父母とのちに義父母になる叔父夫妻が居間でワインを飲みながら話しているのを見かけたのです」


「ああ、それで?」


「父母のワイングラスが空になり、叔父が新しいワインの栓を開けました。そして、それを叔母が父母のグラスに注いだのです。そして、それを飲んだ父母は血を吐いて倒れました」


「なっ! それは毒を盛られたのでは……」


 ヴォルフは驚いて立ち上がる。そして、はっとして再び腰を下ろし直した。


「……ええ、そうです。私も叔父夫妻が父母に毒を盛ったのだと思っています」


 コルネリアが静かにヴォルフに告げた。


「叔父がワインを持ち込み栓を開け、叔母がワインを注いだのだから……ふたりは共犯だな」


「はい、私もそう思います」


 コルネリアは頷いた。


「七歳の私は憲兵にそのことを訴えようとしました。ですがきっと、子供の証言などあてにはならないと思ったのでしょう。さらに、叔父夫妻が、私の父母は肺病に冒されていたと証言したために、それが正しいとされ、事件は明るみに出ることなくうやむやにされてしまいました」


「それは確かか?」


「はい」


「事件が起こったのは、王都の屋敷か? それとも領の屋敷か?」


「王都の屋敷です」


 それを言い終えると、みるみるうちにコルネリアの瞳に涙が込み上がる。そして、悔しさと悲しさでコルネリアの肩が小刻みに震えた。ヴォルフが再び彼女の肩を抱きかかえた。


「泣いて良い。ここは私しかいない。泣きたいだけ、泣け」


「陛下ぁ!」


 ああ、と頷いて、ヴォルフはコルネリアの肩を優しくさする。


「私、悔しいんです。お父さまとお母さまの死を、……本当の死因を、明るみに出すことが出来なかったことが! そして、それで利を得た義父母や義妹たちが、今、アッヘンバッハでこの世を謳歌していることが! 私、私……。人を妬んでいます。私は性根の卑しい女なのでしょうか」


 そう問われて、ヴォルフは「そんなことはない」とことさら優しい声音でコルネリアを慰める。


「大丈夫だ、コルネリア。父母を殺められ、その上、義父母となった叔父夫妻や義妹に酷い仕打ちを受けたのだ。ああ、それに、王太子にも浮気され婚約破棄されるなど……。悔しいと思って当然だ。それを悔しがるお前の言葉を聞いて、私はお前を見損なったりはしない」


 そう言って、ぎゅっと励ますようにコルネリアの肩に力を込める。


 そして、言葉を続けた。


「そうだ! お前の父母の死の件だが。私はお前の証言を信じる。そして、その毒殺の疑惑だが、我が国の暗部の者たちに調べさせてみようか? 何ぶん大分前のことだ。証拠が出るとは限らないが……。そうだコルネリア、そなたの父母は土葬されたのか?」


「はい」


「ならば、墓を掘り起こして、毒が検知されるかどうか調べさせてもらうことにもなると思うが、構わないな?」


「……はい!」


 新たに湧いた希望からだろうか。流れる涙は止まっていた。ヴォルフが濡れたままの頬を手の甲で優しく拭ってくれた。


「コルネリア、もう一度抱きしめ直しても良いか?」


「……はい」


 コルネリアは、ヴォルフに優しく抱きしめられた。ヴォルフの体は分厚かった。だから、コルネリアの手が余り気味に宙をさまよってしまう。どうしようかと思ってから、そうっとヴォルフの背に回した。


 子供の戯れ言とあしらわれて、誰も信じてくれなかったことを、ヴォルフは信じて調べてくれるという。私を信用してくれる上に、手を打ってくれるというそのヴォルフの頼もしさに、コルネリアは情以上の何かを感じ始めていた。


 ──私は陛下を頼もしく思っている。愛情のようなものを感じる。これは……恋? それとも愛?


 そうして揺れるコルネリア。


 そんなコルネリアを抱きしめたまま、ヴォルフはコルネリアに問いかけた。


「そうだ、コルネリア。お前は賢いと聞く。どうせなら各国から上がってくる書類の検査にお前も同席しないか?」


「……え? よろしいのですか?」


 私は本ばかりではなく、活字なら何でも好きなので、コルネリアは前向きに答えそうになる。


「私の執務室にはアッヘンバッハ王国からの書簡も来る。それらは、そなたの悲願を達成させるための情報も紛れているかもしれない」


「……ッ!」


 コルネリアは、ヴォルフの意図を知って息を呑む。


「ぜひ、手伝わせてください!」


 そうして、コルネリアはヴォルフと共に執務室で彼の執務を手伝うようになるのだった。


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