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02.

 まだ月明かりが部屋を照らしていた。帝国皇帝ヴォルフは、汚れた体を清めようかと思い、ローブを羽織った。


 長い戦役の間、女を断っていたヴォルフは、その間の飢えを癒すかのようにコルネリアの体を貪った。体も汗か何かも判別も付かない体液でべたついていて、水浴びしたかった。


 ──今夜はやり過ぎたかもしれない。不覚にも彼女に溺れてしまった。


 コルネリアを置きざりにして、水浴びをし、隣の自室で眠ろうか。そう思ったが、それも名残惜しいと思えた。


 ヴォルフにとっては、昨夜の出来事は予想外だった。


 戦に出ている間、ヴォルフは女に飢えることはない。その程度の自制は出来ていた。


 彼にとって女は宮殿で適当な女を見繕うだけだ。手慣れた女を適当にはけ口にするだけで、一時たりともひとりに夢中になることもない。


 宮殿で育ち、長い間たった一人の皇子だったヴォルフは、年頃になると、宮殿中の女からそういう目で見られた。


 彼の子を孕めば妃に取り立てられる。


 欲に駆られた女が彼に群がった。


 長じて彼が美しく逞しく育てばなおさらだ。ただ見目麗しい皇子に見初められたいと、身分の上下問わず、女たちが彼の気を引こうとした。


 そんなヴォルフが童貞を失ったのは、十二の頃。婚前の行儀見習いとして宮殿で働いていた侍女に、人気のない部屋に引き込まれ、何も分からないままに純潔を奪われた。その女は父に言いつけて即時に解雇させた。


 そのあと、宮殿に招かれていた夫のいる婦人の手ほどきによって女の悦ばせ方を数多教わった。その女とも、教わることを教わるとヴォルフはさっさと袖にした。


 そのあとも、生々しくあからさまに空いている部屋に引き込まれそうになることも一度や二度では済まない。


 そうして、ヴォルフは女嫌いになった。誘惑に弱く、怠惰でだらしなく、権力に貪欲で狡猾な生き物。それだけを生きる術としている生き物。


 しかし、ヴォルフ自身も男である以上、性欲はどうしても生じる。だから、女嫌いといっても、性欲を晴らすために女を利用した。


 今や、相手にする女は、子が出来ても皇子だと認知する必要もない高級娼婦ばかりだ。彼女たちはその道のプロで、あと腐れもなく便利だった。さらに、大抵誰でも一夜限りと決めていた。そうして一周すると、また一周する。ひとりの女にのめり込むことはなかった。


 その後、大陸中の一国に過ぎなかったロイエンタール王国で、美姫と名高かったヴォルフの母を奪おうとした他国の王の手によって母を奪われ、その母が命を落とした。その喪失が彼を大陸統一へと駆り立てることになった。大陸から戦をなくす、そのために。


 やがて父と継母との間に腹違いの弟ハンスが生まれると、後継者たり得る弟がいるから妻は持たなくても良いだろうと言い張り、未婚で通してきた。


 そうして、大陸平定の名の元に、戦に明け暮れる毎日を送った。


 武力で制圧するなり、恭順を受け入れるなりして、次々と周囲の国を属国化し、ヴォルフは一大帝国を築き上げていった。


 やがて彼に付いた異名は『冷酷無慈悲な銀狼』だ。


 戦での残忍さと、銀色の髪、狼の意味を持つその名をもってして、その異名が自然と定着していった。


 ヴォルフはそんな名も、意に介さなかった。その名が、敵共を恐れさせるならそれも良い、そう思っていた。


 そんな戦に明け暮れる間に彼の父も亡くなり、ヴォルフ自身が王となり、皇帝となった。


 やがて、一度戦を終え帰国したヴォルフに、結婚の話が再び持ち上がる。


 弟ハンスの母クリスティーナは、元宮殿に仕えていた侍女で、ヴォルフの母が亡くなったあと父が手を付けた女だった。彼女は、子爵家出身の元侍女だった。


 そのため、皇弟は皇太子にするには母親の身分が低すぎると囁かれ始めた。また、皇弟ハンスの髪が、王家由来の銀でなく、母親譲りの栗色だったせいでもある。


 そうしてヴォルフが二十四の頃に、宰相と側近が、どうしてもと彼に妻を迎えるよう請うた。


 ヴォルフは彼らに勝手にさせることにした。


 そうして彼らが目星を付けたのが、帝国の属国のうちの一国であるアッヘンバッハ王国だった。アッヘンバッハ王国は、隣国といっても帝国との姻戚関係がなく、結婚により結束を強めておくほうが適切と判断されたからだった。


「王家に連なる姫を帝国皇帝ヴォルフ陛下に差し出すように」


 そうヴォルフの名で彼の国に命じた。


 その結果、王妹の娘であるという公爵令嬢、すなわちコルネリアが花嫁として送られてくることになったのだ。


 だが、想定外だったのは、アッヘンバッハ王国から送られてきたコルネリアが、彼の国の王太子の正式な元婚約者で、王宮に入り王妃教育を受けていた身であったということだ。それにもかかわらず、婚約破棄され、ロイエンタール帝国に送られてくるという。


 その事情とやらは、王太子が他の女を孕ませたからということを、諜報を司る暗部の者たちが調べ上げてきた。


 だが、一度は王宮に入った婚約者同士など、結婚を約束された間柄。年頃の男女が共に同じ王宮で暮らす関係だ。しかも、余所の女にまで手を出すというだらしない王太子だという。ならばコルネリアとも清らかな関係であったわけでもあるまい。


 その上、婚約破棄されるなど。


 ──どんなあばずれか、悪女なのか。


 ヴォルフは、身上調査の結果を見て、すっかりコルネリアへの興味を失った。


 これだから女は、と。


 だから、婚約の話だけをまとめると、さっさと領土拡大の続きを理由に戦に出て、彼女を放置することにした。初めは、もしアッヘンバッハ王国での情事で出来た子が、腹にでもいたらたまらないというまっとうな理由もあった。


 だが、戦況はロイエンタール帝国に優勢で、ヴォルフはついつい興が乗り、戦を三年と長引かせてしまった。


『一年間の子作り』という条件を持ち出したのは、まずは家臣たちの進言があったのが一番の理由だ。そして次に、女であるコルネリアから大衆の面前で、皇帝である私が離婚を切り出されたこと。それによって、恥をかかされたことへの意趣返しでもあった。さらに三つ目に、皇帝である自分に啖呵を切って出られるコルネリアという女に興味を抱いたからでもあった。


 だが、初めて今夜初めて抱くことになったコルネリアは初心で麗しい女性だった。

 ヴォルフは想定以上に昂ぶってしまった。


 なるほど、これなら彼の国の王太子もたいそう満足しただろう。彼女を抱きながらそう思った。


 彼女の秘められた場所は思っていた以上に固く閉ざされていたが、それは三年もの間帝国にひとり留め置かれていたからだろう。だから、ほぐすだけほぐせば、すぐに挿入しても問題ない、ヴォルフはそう思い込んでいた。


 彼女の男を誘うなだらかな肢体も、触れれば絹のようなきめ細やかでなめらかな肌も、初めは固かった仕草もヴォルフの手によって全てが甘く蕩けていく。そして、甘く鳴く声はカナリアのよう。それらはヴォルフを十分満足させた。

 さらに、肢体だけでなく、濃い金糸の髪はシーツに散って美しく、意志の強そうな緑柱石(エメラルド)の瞳が快楽に潤む様はヴォルフを高揚させた。だから、気づけなかったのだ。


 ──どうせ新品でなくても。


 どうせこの女だってそうだろう。


 ヴォルフは眠るコルネリアを眺める。


 ヴォルフがコルネリアを何度も貪ったからだろうか。疲れているのか、コルネリアが起きる気配はない。


 短くて一年の間の関係だ。その間なら、十分楽しめるだろう。いや、この姫ならば女の中でも極上の部類だろう。一年の契約では惜しかっただろうか? そんなことを考えていたときだった。


 そんなとき、「うーん」と小さく寝息を吐いて、コルネリアが寝返りを打った。


 そんな彼女の体の下から現れたものを見て、ヴォルフは目を見開く。


「……血、だと?」


 こぶし大ほどの血痕が、真っ白なシーツを汚していた。


 女が性交をして血を流すのはその女の生涯一度きりだ。


「……処女だったというのか?」


 眠る妻を見下ろしながら、ヴォルフは衝撃に打ちひしがれる。


 状況が理解出来なかった。王宮にいても手つかずだった? だが、ならばなぜそこまで大事にされながら婚約破棄され人質同然に国を出される? いや、浮気されたのだったか。


 ヴォルフには分からないことだらけだった。


 ただ、動揺していた。


 ヴォルフは、処女を抱いたのは初めてだった。


 だから、彼女が初めてだったということに気づけなかった。


 そして、後悔する。


 ヴォルフにも、初めての女を抱くときには優しくしてやるのが男のマナーだということぐらいの知識はあった。女にとって、破瓜は痛みを伴うものであるとも聞いていた。


 初めての女を。なぜ自分は優しくしてやれなかった?


 そこらの女のように扱った?


 ただ、今夜、彼女の体を好き勝手に曝いた自分を殴ってやりたかった。


 そうして思い立つ。


 せめて、好き勝手した償いに、体を拭き清め、寝衣を整えるくらいはしておいてやろう。自分が水浴びをするのはそのあとでも良い。


 そう思って、水と布を用意しに浴室に向かうのだった。


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