優しい朝
淡い光が、カーテン越しに差し込んでいた。
天井の高いリビングに、朝の気配が静かに降りてくる。
史狼は、ソファの上でごそりと身じろぎした。
ふわふわのクッションに顔を埋めたまま、目を閉じたまま呻くように唸る。
「……ん……う……」
重たいまぶたの奥、じんわりと頭が痛む。
口の中も少し乾いていて、何より背中が凝っている。
「……うっわ……寝たまんま……?」
昨日の記憶が、曖昧な断片でよみがえる。
ワイン、海都の家、ソファ……そして。
「……うわっ……!」
がばっと上半身を起こした拍子に、シャツの襟元がずり落ちて、髪は寝癖でぼさぼさ。
何より、胸の内に浮かんできたのは“昨日どれだけ素直に語ったか”の断片。
「死にてぇ……」
クッションで顔を隠しながら、心の底からの呻きが漏れた。
「……おはよう。水、持ってくるね」
ふと聞こえた声に、史狼はびくっと顔を上げた。
「海都さん……!?」
キッチンに立つ彼は、すでに身支度を整えていて、いつもの白シャツの袖を軽くまくっている。
朝の光の中に立つ姿が、まるで雑誌の1ページのようにきまっていて、
その横で寝癖を抱えたままソファにいる自分が情けなくなる。
「……最悪……」
「顔は平常運転だけど?」
「褒めてねぇ!!」
「ふふ。冗談だよ。ほら、これ」
差し出されたのは、冷えたスポーツドリンクと、水。
そして、湯気の立つ小さな器に入った、透明なスープ。
「……何これ?」
「鶏出汁のスープ。大根とおろし生姜入り。消化もいいし、温まるよ。
あと、軽めに食べられるように、小さなおにぎりも握った。梅と、塩昆布」
「……まじで、用意よすぎ……」
「昨夜の君を見てたら、準備しておくべきだと思ってね」
テーブルには、焦げ目のないふわふわの玉子焼きも並んでいた。
少し甘めの関東風の味。けれど、ほんの少しだけ出汁が効いていて、後味はすっきり。
史狼はスプーンでスープを口に運び、思わず目を細めた。
「……うま……あったけぇ……沁みる……」
「ふふ。言ったでしょ、朝は優しくなるって」
そう言って、海都はさりげなくソファの背に手をかける。
その手が、ほんの一瞬、史狼の髪に触れた。
「……寝癖、すごいことになってるよ」
「うるせぇ……寝起きだし……」
「寝起きでも可愛い、って言ったら怒る?」
「はっ……はああ!? いうなって言ったろ!」
「うん、言った。だから“言ってない”よ」
涼しい顔で返されて、史狼は顔を真っ赤にした。
でも。
温かなスープと、ふんわりした空気。
なんでもない朝なのに、“特別な朝”みたいで、思わず口をついて出た言葉。
「……ここ、やっぱり好きだわ。ウルフネスト。なんか……安心すんだよな」
「そう言ってもらえて、うれしいよ」
海都はカップにコーヒーを注ぎながら、目を伏せて小さく笑った。
史狼の寝癖も、ふてくされた顔も、
何より無防備な寝起きの声も——全部、ずるいくらい愛おしい。
「……もうちょっと、寝てていい?」
「うん。でもあとでシャワー浴びると楽になるよ。替えの服、貸す?」
「ん……お願い……」
「ふふ、了解」
——この朝が、日常になればいい。
心の奥で、海都はそっと願う。
けれど、それが叶わない予感もまた、どこかで確かに知っていた。
そして、テーブルのブレスレットにちらりと目をやり、そっと史狼の寝癖に触れた指をもう一度、手のひらで包み込んだ。
ほんの一瞬だけ、心の奥に“欲”が芽吹く音がした。けれど、まだそれを見せるわけにはいかなかった。