メールを書く、君のとなりで
喫茶カルンのテーブルに、空になったクリームソーダのグラスが並ぶ。
静かな店内に、ティースプーンがカップの縁に触れる、小さな音だけが響いていた。
「……ラジオ番組は見つけた。けど、これからどうしよう」
スマホを握ったまま、史狼がぽつりと呟いた。眉間には、わずかな緊張のしわが寄っていた。
「番組にメールを書いてみるのはどうかな。……丁寧に、できるだけ伝わるように」
海都はそう言って、タブレットを取り出す。スッと背筋を伸ばし、静かに指を走らせた。
——拝啓。いつも番組を楽しみにしております。
突然のご連絡をお許しください。
私たちは、あるカセットテープに録音された“ひとつの声”に出会いました——
向かいの席からその様子を眺めていた史狼は、じっとしていられなかった。
言葉を選ぶ指の動き、伏せられたまつげ、画面の向こうに浮かび上がる“あの子の声”。
海都がどんなふうに届けようとしてくれているのか——そのすべてが、やけに胸をざわつかせる。
もっと近くで見たい。
——気がつけば、席を立っていた。
「……あのさ、隣、いい?」
耳まで赤くしながらもじもじと立つ史狼に、海都は小さく笑った。
「もちろん」
ちょこんと隣の席に腰を下ろす。
肩がかすかに触れ合う距離。
声に出さずとも、体温で“そばにいる”とわかる近さだった。
「……なあ、邪魔じゃない?」
「全然。むしろ、隣で見守っててほしい」
「……な、何だよそれ」
少し焦ったような言葉とは裏腹に、史狼の横顔にはどこか安心した色が浮かんでいた。
海都は小さく笑うと、再び真剣な表情で画面に向き直り、文字を打ち込む。
——その声は、小さなラジオのようでした。
番組の真似をしながら、大切な人に語りかけていたのです——
史狼の指が、そっと膝の上で握られる。少し汗ばんだその手が、緊張で微かに震えていた。
「……ありがとな、海都さん」
「ん?」
「オレ……なんか、今になってちょっと怖くなってきてさ。もしメールが届かなかったらとか、……あのテープが誰にも聴いてもらえなかったらとか」
その不安ごと抱きしめるように、海都はやわらかな視線を向ける。
「大丈夫。大切なものは、ちゃんと届くようにできてるから」
そう言って、画面を史狼に見せるように傾けた。
「……ほら。これでどう?」
史狼は黙って頷く。
メールの文面には、少女がどれだけ一生懸命“誰かに”語りかけていたか、そして、その声を聴いた二人の想いが、丁寧に込められていた。
——“この声を、どうか彼女の大切な家族に届けさせてください”——
「送るよ」
海都が送信ボタンを押した瞬間、史狼は小さく息を呑む。
閉店間際の喫茶店で、ささやかな灯りが二人を静かに包み込む。
未来はまだ見えない。
けれど——今夜、この距離にいる人だけは、確かにそこにいてくれた。
その温もりが、ずっと続けばいいと思った。
◇
店を出ると、夜風が頬をやわらかく撫でた。
街灯の下に伸びる二人の影が、少し重なって揺れている。
「……さっきの、メール書いてるときさ」
史狼は少し間を置き、横を歩く海都を盗み見る。
「なんで、あんな……『隣で見守っててほしい』なんてふうに言ったんだ」
海都は足を止めず、横顔にかすかな笑みを浮かべた。
「……言いたくなったから、かな」
「は? そんな理由……」
「理由なんて、それで十分だと思うけど」
軽く言いながら、歩幅を詰めてくる。肩と肩がまた触れた。
その、わずかな接触だけで心臓が跳ねる。
夜風に冷やされていたはずの頬が、じんわりと熱を帯びていく。
——この人、わざとオレをドキドキさせようとしてるんじゃないか。
そう思うのに、直接聞いて確かめるのが怖かった。
こんなふうに意識してるなんて、知られたくない。
海都の言葉の奥に、何が隠れているのか——わからないままでいい気もしていた。




