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好きって言うまでそばにいる  作者: 華月AKI


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10/17

夢が描く場所

 夜の静けさが、ウルフネストを優しく包んでいた。

 史狼はベッドに横になり、静かに目を閉じていた。


 昼の疲れが体の芯に残り、まぶたの裏には光と音の残像が滲んでいる。


 そして——やがて、意識がゆっくりと沈み始めた。


 ◇


 

 足音が、吸い込まれる。


 目を開けた、はずだった。

 けれどそこは、見知らぬ場所だった。


 古びた木造の廊下。天井は低く、床板がわずかにきしむ。

 裸電球がぽつんと揺れており、壁には雨の染みがじんわりと広がっている。


 窓の外には、静かな雨。

 細い雨粒が、曇ったガラスをつたっては落ちていく音が、妙に耳に残った。


 史狼は、自分がなぜここにいるのかもわからなかった。

 けれど、不思議と恐怖はなかった。


 懐かしさのような、寂しさのような。

 それでいて、誰かの感情が染みついているような空間。


 ——その時だった。


「……あのね」


 幼い少女のような声が、どこかから聞こえてきた。


 はっきりとは聞き取れない。けれど、その声は確かに、何かを伝えようとしていた。


「……ここ、ちょっとだけ静かでね。だから……きっと、大丈夫って……」


 史狼は、ゆっくりと声のする方へ歩き出す。

 けれど廊下の奥は暗く、どれだけ進んでも声の主は見えない。


「ねえ、君は……だれ?」


 問いかける声は柔らかく、けれど寂しげだった。


 言葉が霧のように漂い、空気に混ざって溶けていく。

 足音も、呼吸も、どこか遠くで反響しているようだった。


「わたしね、ずっと、だれかと話したくて……ここにいるの」


「でも、みんな、どこにもいなくなっちゃって……」


 史狼は言葉を返そうとする。

 けれど、声が出ない。


 喉が閉ざされたように、言葉にならない。


 手を伸ばす。けれど、何もない。


 ただ雨の音だけが、ぽつ、ぽつ、と静かに続いていた。


「ねえ、聞こえる?」


「……わたしの声、きこえる?」


 それは問いかけであり、願いのようでもあった。


 返せなかった。その言葉に、何も応えられなかった。


 けれどその瞬間、史狼の胸に、何かが小さく灯った。

 ——あの場所で感じた気配だ。



 あの空間に、残っていた“誰か”。

 まだ名も知らぬ誰かが語りかけてきてる。

 


 そんなふうに感じた次の瞬間、目が覚めた。

 薄明の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


 史狼はゆっくりとベッドから身を起こし、胸に手を当てる。

 さっきまで聞こえていたはずの“声”が、まだ耳の奥に残っていた。


「……夢、だよな……」


 けれどその“夢”は、あまりに生々しく、現実のように確かだった。


 史狼は、ブレスレットにそっと指を添えた。

 無意識の癖。何かに触れていないと、現実に戻ってこられないような気がした。


 起き上がってキッチンに向かい、コップに水を注ぐ。

 冷たい水が喉を通っても、胸のざわつきは消えない。


「……聞こえたんだよな」


 ぽつりと漏らした声が、空っぽのリビングに溶けていく。


 “誰か”がいた。

 名前も、顔もわからないけど——。

 確かに、自分に話しかけていた。


 どこかで、誰かが“待っている”。


(なんなんだろ、あの子……)


 ぼんやりしたまま、食卓の椅子に腰を下ろすと、海都の部屋の方から足音が聞こえてきた。


 海都が、白いシャツの袖をまくりながらダイニングのカーテンを開ける。


 差し込んだ光が、ふたりの間に朝を告げるように広がった。


「……おはよう、シロ君」


 優しい声だった。

 けれど史狼は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まり、曖昧に「……おはよ」と返す。


 目が合うと、何かを見透かされそうで、視線をそらした。


 夢だったのか、現実だったのか——。

 でも確かに“あの声”は、オレに届いていた。


 そう、思ってしまったのだった。




 朝の光が、ウルフネストのダイニングをやわらかく照らしていた。

 カーテン越しに差し込む陽射しと、かすかに香るトーストの匂い。

 テーブルの上には、ミネストローネとスクランブルエッグ、焼きたてのパン。


 けれど史狼は、手元のスプーンを持ったまま、どこか浮かない表情をしていた。


 海都がコーヒーを注ぎながら、その様子にそっと視線を向ける。


「……変な夢、見た」


 静かに、史狼が口を開いた。


「夢……?」


 海都はカップをテーブルに置き、話を遮らないように頷いた。


「うん……ただの夢かもしんねぇけど、……でもなんか、やけにリアルで……もしかしたら、昨日行った場所とも関係あるのかなって」


 そう言って、史狼は少しうつむく。


「どんな夢だったの?」


 促すように、けれど焦らせない声で海都が尋ねる。


 史狼は、記憶をたぐるようにゆっくり言葉を選んだ。


「……古い建物の中だった。木造で、廊下が細くて、天井も低くて……。裸電球が一個だけ吊ってあって。窓の外は雨でさ。……その音が、やけに印象に残ってんだ」


「結構鮮明に覚えてるんだね。床は? 歩いた感じ、どんな素材だった?」


「たぶん……木。古くて、軋んでた。足音が、響くっていうより、吸い込まれてくような感じだった」


 海都は軽く眉を上げ、思案するように顎に手を添える。その表情があまりに真剣で、史狼はなぜそんなことを聞くんだと尋ねようとしてやめた。彼はさらに細かく聞いてきた。


「じゃあ、壁は?」


「うっすら汚れてて、白っぽかった……ってか、全体的に古びててさ。なんつーか、今じゃあんま見ない感じだった」


 海都は頷きながら、空になったカップを指先でなでる。


「照明が裸電球、廊下が細くて低天井。すりガラスじゃなく、単板のフロートガラスっぽい窓……。うん、昭和中期〜後期に建てられた中規模集合住宅か、木造の簡易施設かも。戦後の応急住宅に近い雰囲気かな」


「は? そんなにわかるの?」


「構造のイメージって、素材と光の取り方でけっこう判別できるんだ。……君が見たの、空想の風景じゃないかもしれないよ」


 史狼が驚いたように目を見開く。


「まじで? じゃあ、どっかにあんの? オレが見た場所……」


「可能性はある。君に心当たりがないなら——」


 海都は、ふっと視線を伏せ、それからまた静かに史狼を見つめる。


「それは、“君じゃない誰かの記憶”かもしれない。たとえば、その夢の中で聞こえた声の持ち主の記憶とか」


 史狼は思わず、ブレスレットに指を添える。


 ——ねえ、きこえる?


 その声が、耳の奥にまだ残っている気がしていた。


「……オレに、何か見つけてほしいのかな。その子」


「うん。君がその声を“感じた”ってことは、何かしらの意味があるはず。……気配や情景は、意外と記憶の中に正確に残ってる。後で、スケッチに起こしてみようか。もしかしたら、似た建物を探せるかもしれない」


「スケッチって……絵とか、オレ得意じゃねぇけど……」


「大丈夫、僕が描くよ。君は思い出したままに、さっきと同じように語ってくれればいい」


 ふわりと笑う海都のその声に、史狼の胸がわずかに熱くなる。


 さっきまで夢だと思っていたものが、少しずつ“手がかり”に変わっていく。


 そして同時に、それを一緒に拾い集めようとしてくれる人が、すぐ隣にいる——。

 その事実が、なぜか少しだけ、こそばゆかった。

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