一緒に暮らそう
何で園田と別れたのかは、聞かなかった。
でも、余りにも普通にめぐが「実は4月に園田と別れたんだよ」と2ヶ月のビハインドの末に言うので、聞こうにも聞けない雰囲気だったのだ。
思い出して言ったというには大事なことだと思うし、二ヶ月置いてなお言おうと思っためぐの気持ちがどうであったか、細かく察しはつかなかったけれど、二ヶ月を要したことがそれを表していた。
高校生活が終わるまで、めぐはそれから誰とも付き合わなかった。付き合わなかったのだと思う。少なくとも私は聞かなかったから。
「結婚式、いつするの?」
「来年の3月」
めぐが窓に向かって吐き出した煙が、夜風に煽られて桜の花の中へと吸い込まれていく。
街道沿いのこのマンションからは、道沿いに植えられた桜がベランダに降りかかるかと思うほどに近くで見物できた。
この桜を今年はまさかこんなに寂しい気持ちで見るとは予想していなかった。
「結構遠いね」
「うん、でも準備とかが結構大変みたいでさ」
「ふうん」
「そう、大変なんだって」
お互いにぼろぼろとこぼすような言葉のやり取りは、きっとめぐも気づいているだろうが、不自然だ。落ち着いて見せても、私の心は今のところどこに落ち着いたらいいかわからずに、手にしていた煙草の灰がこぼれそうになっているのに気づけず、カーペットを汚してしまった。
「で、ここにはいつまでいられるの?田坂のところに行くの?それとも実家?」
きっと、めぐが切り出したかったのはこのことだったろう。彼女がさっきから微妙に上の空で何か言葉を探しているのはわかっていた。
私の出した船に、めぐは眉を下げて乗り込むと煙草の火を消して座りなおした。
「うん、夏前にはね、田坂と一緒に住もうと思って。勝手を言ってごめん。まだ、予定なんだけどね。」
私を気遣った言葉はありがたかったけれど、でもそれが返ってめぐの本心を表しているようで切なかった。まるで他人みたいなよそよそしさじゃないか。
「うん、良いよ。めでたいことで引っ越すなら、私だって願ってもないことだよ。私もね、そろそろ実家に帰ろうかと思ってたんだ。だから、いつでも良いよ」
「え、実家に?」
思いがけない言葉だったのだろう、面白いほどにめぐの目は驚きの色を濃く表していた。
だけど実は、これはただの強がりだ。帰ろうかと思ったんじゃない、帰るしかないのだ。
それほどに私は自分の生活能力のなさを熟知しているつもりだし、今までの生活らしい生活は、めぐあってのものだった。
と、言うのも建前で、本当は一人の暮らしなど、想像しただけでも心細くてごめん被りたいのだ。でも、そんなことを言ったところでめぐを困らせるだけなので、私はあたかも前々から決めていたように口にした。
「お母さんも寂しがってるしね。ほら、私心配ばっかかけてるじゃん?」
笑いかけたところで、めぐは心配そうに私を見つめるだけだ。もしかしたら私の考えは顔に出るほど見え見えなのだろうか。
「今までは、めぐと一緒だからまだ安心してもらえたかもしれないけどさ、一人暮らしなんて、きっとお母さんが毎週末くるだろうからさ、実家に帰るのも変わんないし。」
実際、うちの母親は私よりもめぐの方を信用しているんじゃないかと思うほどで、めぐが一緒だといえば多少の朝帰りも全く怒られなかったし、こうして実家を出るのもさほど文句を言われなかった。
そういえば、一緒に住もうといってくれたのはめぐだった。
高校三年の冬、奇しくも同じ東京の短大に通うことになっていたことが判明した私たちは、何故か何の迷いもなく、本当にただの思いつきで一緒に住もうとしてしまったのだ。
めぐ曰く「部屋で音楽を聴けば、これ以上イヤホンを壊さなくて済むじゃん」とのことだった。親にとっても、どうせ娘を上京させるなら、一人よりも二人の方が安心するだろうとそれほど心配もしていなかった。
早速親を説得しようと、その時初めて私とめぐは連絡先というものを交換したというのは、今考えてもおかしなはなしだ。
そして土曜日になって、めぐはまるで彼女の親にご挨拶に行くような勇ましさで私の家にやってきた。
落ち着かなかったのは私のほうで、隣でお母さんを懇々と説き伏せるめぐの話はちっとも覚えていないし、自分が何かを口に出した記憶もない。気がついたらめぐとお母さんが楽しそうにお茶を飲み交わしていたことだった。
「キヨさんを下さい!って言っちゃうところだった」
駅まで送る帰り道でめぐは、いつものように「うははは」と笑いながら伸びをした。めぐもめぐで緊張していたのだろう。
「彼氏を親に紹介するってどんな感じかわかった気がするよ」
「でも、キヨの彼氏はいいね、キヨママ優しいもん。娘の彼氏でも絶対仲良くしてくれる気がする。」
「そうかなあ。っていうか、私は行かなくていいの?めぐの所。」
「うん、平気。うちは放任主義なのよ。それにキヨなら合わせた瞬間にOK出ると思うし。・・・ごめんね、一緒にこれなくて。どうしても仕事が抜けられないみたいで。引越しの時にはちゃんとお父さんと挨拶するから。」
「ううん、それはいいんだけど。うちも今日お父さん仕事になっちゃったし。」
さっき、めぐは同じことを私のお母さんに散々謝っていた。
めぐの家庭の詳しいことは知らなかったけれど、離婚した挙句に放任主義という言葉を聞いて、私は勝手に一人合点して妙な使命感でいっぱいになり始めていた。
ありがちな冷めた家庭というものを失礼にも想像して、めぐを守ってあげられるのは私だなんていうトンチンカンな発想をしてしまった。
嫁にもらう気分だったのは、私のほうだった。
私が自分のトンチンカンに気がついたのは、引越しの当日だった。
現れためぐのお父さんは、いかにも職人肌の気難しそうな人だったけれど、手土産を私の母に持ってきてくれた。そりゃもう何度言ったかわからないくらいに私に「めぐみをよろしくお願いします」と頭を下げ、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべるめぐみに小突かれているお父さんを見て、彼女の言う「放任主義」が彼女の強引さで成り立っているのを知った。
そういえば、田坂はめぐのお父さんに少し似ている。そんなことを言ったらめぐはものすごく怒るだろうけど。