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めぐとキヨ

「私、結婚することになった」

「え、田坂と?」

そうだ、と言う代わりにくわえタバコのままで頷くと、めぐは煙を深く吐いた。

「おめでとう、田坂めぐみになるんだね」

ありきたりな台詞をはしゃいで口にすれば、めぐは照れ隠しか苦そうに笑って首をかしげ私に煙草を差し出した。ありがたく受け取った瞬間に目に入った、手にしているハイライトの箱にでかでかと書かれた健康への注意書きが、何だか不恰好でめぐには似合わない。

「めでたいかね」

自嘲気味に呟くめぐは、抱えた膝の先で足の指をいじっていて、まるですねた子供みたいに見える。

「いやなの?」

「いやじゃあ、ないけどさ。もちろん嬉しいけど。あたしはキヨと暮らすのに慣れてるからさ、今更ケンジと住んで上手くいくのかって思うのよ」

「マリッジブルー、早くね?」


めぐらしくないめっぽう弱気な台詞に、私はどういったらいいかわからなくて、とりあえず笑い飛ばしてみた。

まだ話には出ていないけれど、めぐが結婚するって言うことは、この家から出て行くということなのだ。

田坂がいるという時点で、いくらある程度の覚悟が出来ていたとはいえ、いきなり結婚と聞かされて私だってああそうかと納得できるほどに心が落ち着いているわけでない。

「いくよ。めぐなら。だって、多分同居人の最悪パターンの私と暮らせたんだよ?ご飯作らないし、ゴミ出し忘れるし。」

「鍵は掛けないしね」

ついさっき私が叱られた原因を口にすると、めぐは漸く僅かに表情を和らげた。


しかし油断をすれば直ぐに戻ってきそうな湿った空気に、私は半ば無理やりに話題を取り繕う。

「でも、田坂の顔はチバじゃないね。」

「うん、ぜんっぜんチバじゃないけど」

やっと、めぐが声をあげて笑った。




「めぐ」こと宮下めぐみと私が出会ったのは高校一年の今頃で、入学して直ぐの桜が風に舞う季節だった。

入学して二週間、既に私のお昼休みの定位置はベランダだった。別に友達が出来なかったわけではなく、窓の外の青空に桜の花びらが舞っているのを見ると、もうどうしてか気持ちが落ち着かず、ベランダに出たくてしようがなくなるのだ。

幸い、そんな私を「おもしろい」と片付けてくれた友人ばかりだったので(後から聞いたら、悩みがあるんだと心配されていたそうなのだが)私は気にせず自由なベランダタイムを過ごすことが出来た。


私がベランダに出始めた日から、隣のクラスにも同じようにベランダで黄昏ている女子生徒がいるのは知っていた。しかし私は別段気に留めるわけでもなく、いつもイヤホンを耳に突っ込んで好きな音楽に浸っていた。

好きな音楽を聴きながら眺める景色はまるでプロモーションビデオでも見るようで気分がよくて、気をつけなければ歌い出してしまいそうだった。だから、最初にめぐに肩を叩かれたときは、自分が無意識に歌いだしていたのかと思って、随分ひやりとしたことをおぼえている。


「ねえ、なに聞いてるの?」

初めてしっかりと見た彼女は、私よりずっと大人っぽく見えた。当時の写真を見れば断然子供なのだけれど、そのときの私には十分憧れに値する雰囲気だった。

「・・・ユニコーン」

答えるのに、少しだけためらった。

五つ上の兄の影響で、私はいつも少し上の世代の人間が聞くようなものを聞いていたので、正直今まで話題が合う人に出会ったことがないのだ。これで彼女が「知らない」と答えたらなんと話を続けようなどと、私は妙に緊張していた。


「ああ、私も好き。どのCD?」

すぐさま返ってきた、あっさりと肩透かしを食らわせられた答えと、好きな話題が出来そうな人物の登場に、私は安心と興奮を押さえ込むように息を飲み込んだ。

「服部」

「うは、いいね。民生も聞くの?」

「民生も聞くけど・・・私はユニコーンの方が好きかな」

「私も同感。私、服部がね、一番好きかも、アルバムで。」

「私も。ジャケットも良いよね」

「うん、すっごくいい。」


めぐみはそういって満面の笑みを浮かべると、私が外したイヤホンを片方奪い、もう片方を私の耳に突っ込み、ウォークマンを指差して私に再生を促した。

実のところ、こうして片方のイヤホンを分け合って聞くのは苦手だった。そうまでして音楽を誰かと聴きたいと思わないし、何だか拘束されている感じが好きになれないのだ。

それに好きなものは一人でじっくりと聞くほうが好きだった。

だから、しゅるるとかすかな音を立ててCDが回りだすのを見て私は、自分がこうして初めて話すめぐとのイヤホンの分け合いに不自由を感じていないことが不思議で、なんだかこそばゆくて仕方なかった。


その日から、私とめぐは昼休みを一緒に過ごすようになった。

最初は桜の花びらを見たいがために出たベランダで、私たちは二人で青葉を、色づいた銀杏を、そして雪をみた。

不思議と私たちが話すのは昼休みだけで、他の休み時間や帰りなど、私はめぐが何をしているのか誰といるのか知らなかったし、まあ知りたいと思ったことはあるけれど、それでも他の誰とも違うめぐとの距離が特別な気がしてそれに触れることはなかった。


その代わり、私たちの昼休みの逢引は卒業するまで続いた。

音楽以外は私たちの趣向はまるで違っていて、好きなファッションも好きな俳優もめぐは何だか落ち着いていて、私は密かにそんなめぐに憧れていた。


「ああ、チバみたいな彼氏ほしいなあ。」

「ミッシェルの?」

「うん。キヨはアベでしょ?」

「うん、アベのギターになりたい」

私のいかれた答えに、めぐは楽しそうに「うははは」と笑う。

私とめぐが揃って好きなバンドが最近発売したCDが最高に気に入ったせいで、もっぱら二人の話題はミッシェルとそのメンバーのことだった。

この頃には私は、買ったCDはめぐと最初に聞くことに決めていて、もう四代目になったイヤホンを当たり前のように分け合っていた。なぜ四代目なのかというと、聞いているうちに、あるいは話しているうちに興奮してしまう私たちが、各々自由な方にうずくまったり跳ね上がったりしてしまうもので、イヤホンが裂けてしまうことがしばしばだったのだ。

阿呆な理由だ。


「キヨは、結婚とかしたい?」

方耳でチバががなるのを聞きながら、呟くようにめぐが口にする。

何故か私のほうを見ずに、遠くの寒々しい銀杏の木々を見つめていたのが印象的だった。

「わかんないよ、だって、まだ付き合ったこともないもん」

「まじで?」

「うん、興味ないもん。とりあえずアベがギター弾いているうちはしない。他に目が行く気がしないもん」

「アベと結婚すりゃ良いじゃん」

「あたしにはもったいないもん」

「なんじゃそら」


うははは、と笑うめぐはいつものめぐで、それが返ってさっきまでの寂しげな瞳を私の中で引き立たせた。

その時は、いきなりめぐがそんな話をしたのは、チバとのことを思い描いたのだと思っていたが、後になってめぐの両親がその頃離婚していたと聞いたときになって、それが彼女の中に引っかかっていたしこりなのだとわかった。


「めぐはいないの?」

ニ年近く一緒にいて、私たちはこんなことも知らないほどの奇妙な距離だった。

何せ、めぐが私のフルネームを知ったのだってつい最近なのだ。でもそんなことを知らなくても、私たちは十分楽しかった。

「・・・いるよ」


正直なところ、意外だった。だって、そんな噂は聞いたことなかったし、一緒になって好きなミュージシャンに悲鳴を上げていた口である。

「え、うちの学校?」

「そう。F組の園田。」

ちょっと視線をそらしためぐが、自分から言ってくれたことも意外だった。私は誰、とかどんな人、とか聞くつもりがなかったし、そんなことを聞くのは私たちの距離には必要のないことだと思っていたのだ。


「初めて聞いた」

「だって、初めて言ったもん」

照れるように笑うめぐは、変な表現だけれど今までで一番高校生っぽくて、可愛らしくて、私は不覚にも始めて誰かを抱きしめてしまいたいと思ったほどだ。

園田は、軽音部でギターを弾いていて、ちょっとした人気者だ。話に寄れば、もう一年近くも前のことで、たまたま同じライブ会場で出くわしてから、仲が良くなって、付き合いだしたらしい。


私は、めぐの日常に、しかも内緒の日常に初めて触れたことが嬉しかったけれど、同時にやきもちを焼いてしまったのも事実で、それから何を口にしていいかわからなかった。

聞きたいようで、これ以上園田のことをめぐの口から聞きたくもない。そんな感じだ。


「でも、チバのが100倍かっこいいけどね」

私の戸惑いを汲んだのか、めぐは茶化すように言うと、傍らでがなったままのチバと一緒に歌いだした。

それがいつものめぐだったことに、私は自分の子供じみたやきもちが一人相撲であることに歯がゆさを覚えたけれど、おかげで強がりを言う余裕が出来た。


「ちゅーしたのかよ」

意地悪く囁く私に、めぐの歌が誤魔化すように大きくなる。

「したのかよこのやろう!」

めぐのわき腹をくすぐりにかかれば、直ぐにげらげらと体をよじって笑うので、結局四代目のイヤホンはお陀仏になってしまい、チバの声も途絶えてしまった。

それでもくすぐり続ける私と大笑いするめぐの声に、窓からベランダを覗き込む生徒もいた。一瞬だけ、遠くの窓から園田が見えた気がしたのは、幻覚だろうか。


「言うから、やめてって!」

その言葉に漸く私がめぐを解放すれば、めぐは涙ぐんだ目を拭いながら

「したよ」

と、いともあっさりと言った。言われてしまえば、後はどう話をしたらいいか困ったのはこっちの方で、考えた挙句。

「どんなだった?」

などと、下世話な問いかけをしてしまった。


「うーん、普通。手にキスするのと変わんないよ」

「ふーん。レモン味?」

やっとのことで茶化してみた言葉に、めぐは思いのほか真剣な顔をしていた。

「人間の味。・・・うーんなんていったら良いかな。ああ、他の人間ってこんななんだ、ってわかるような。うん・・・人間の味って言うのがしっくるくるかな」

「・・・人間の味って・・・グロテスクだね」

「・・・確かに」

そういっためぐはもう笑っていて、だから私はもうそれ以上園田の事について聞くのはやめた。

園田とめぐが別れたのはその五ヵ月後、私がめぐから聞いたのはその更に二ヵ月後だった。

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