懸命に思い出す鹿野信吾
懸命に思い出す鹿野信吾
僕は二階で近藤社長が良美ちゃんを殺して首を撥ねるのを呆然と見ていた?
神の視点を持つ、青服と黒服がカメラの映像を見ていたが、それが佐藤稔だったとしかわかっていない。水沼の可能性もある。しかし、首猛夫もそのシーンを後で見ており、その佐藤稔が離れで首のない死体の胸に牛刀を突き立てているのを見ている。
離れの首のない死体は人体模型だったわけで、牛刀を突き立てたのは僕だった。それは記憶がある。あれは人体模型だとわかってたわけで……
いや、それが問題なのではなく、僕は本当に二階で近藤社長が良美ちゃんを殺し、首を撥ねるところを見ていたのだろうか?
確かに、僕は二階に上がっていった。あの「いちりとせ」の前に……
そこで近藤社長に小説が売れないのなら別の道を探した方が……、そんなことを言われて……
丁度、第一部の……
あった、ここだ……八章
いちりっとせ、わかるでしょ?
今、二階にいます。
良美ちゃんからそうメッセージが届き……
深夜に二階に行った僕は……
寝室でバケツを被った良美ちゃんを近藤と間違え……
女装して仮面を付ければ、近藤と良美ちゃんは入れ替わることが可能――。そういうトリック。それをあの時、僕自身が証明した。
その後、近藤と話をした。
何を話したんだっけ?
机に上に何かあった気が……
何があったんだっけ?
九章はなくて十章……
近藤と口論になった……
そうだ、小説が売れないのなら別の道を探した方が……、そう言われて……
私は早々に自分から折れた……
アンガーコントロール……
そうだ。特に喧嘩にはならなかったはずだ。しかし……
謂わば自発的に意識を失うタナトーシス、狸のように……
一体何があった?
……のこと、絶対に許さない。
……助けて……
良美ちゃんはそう言っていた?
助けて?
僕は助けられなかった?
ただ、呆然と見ていた?
そう言えば、水沼の手記に瀉血処理の話があった。
そうだ、あの時も……
自分のアンガーコントロールで近藤とは喧嘩にならなかった。それでそのまま僕は自分の部屋に戻るつもりだった。が……
良美ちゃんが目で僕に訴えてたかもしれない。
……助けて……
彼女はそう訴えていた?
彼女は近藤社長に瀉血処理を施していたはずだ。400ccほど血を抜いて、血液バッグに血液を採取する。
それで、二人は交代して?
近藤社長が良美の瀉血処理を?
……助けて……
良美ちゃんは僕に助けを求めていた?
しかし、僕は怯えて動けなかったのか?
そのまま血が抜かれ続けて……
謂わば自発的に意識を失うタナトーシス、狸のように……
僕は立ったまま気絶していた?
しかし、最後、良美ちゃんと話をして自分の部屋に戻ったはずだ。
第一部の十章でこう書いている。
良美の言葉が頭の中でグルグル繰り返されていた。
……助けて……
その言葉……
確かに二階であの時良美ちゃんは助けを求めた。
俺は……
私は……
僕は……
鹿野信吾は……
尾崎諒馬は……
良美ちゃんを救うことだけを考えた。
二階ではなく離れで一人で寝ること……
僕はそう助言した。
やはり、離れで寝ます。おやすみなさい。
良美ちゃんはそうメッセージくれた。
わかった。おやすみなさい。
僕はそう返事をした。
すぐに駆け付けるから……
きっと助けてあげるから……
――今、近藤がそっちに行ったんだが――
そう、メッセージを送ったら、すぐに飛び出して来い!
そう、良美ちゃんに言い聞かせていたはずだ。
しかし……
ひょっとして僕が会話していた良美ちゃんは顔を隠していた?
近藤社長の変装?
バケツなのか? 仮面なのか? マスクとサングラスなのか?
聞いた声はボイスレコーダー?
僕は近藤社長に催眠術でもかけられていたのか?
わからない……
未だにわからない。
あっ!
そうか!
やはり水沼……
いや……駄目だ……
やはり、何もなかった……
そうだ。そういうことにしてくれ!
殺人も何も起きなかった。
近藤社長、良美ちゃん、水沼がサプライズで殺人事件を演出する――つまり僕にドッキリを仕掛ける!
その話を二階で近藤社長は僕に暴露したんだ。きっとそうだ。
第一部の十章の続きはこうだ。
あの時、アンガーコントロールなどせずに近藤と喧嘩をした方がよかったのかもしれない。しかし過ぎてしまったことは仕方ない。近藤は「あることをする予定だったが結局やめる」そう言っていた。
結局やめる!
そうだ! 僕へのドッキリは中止された!
しかし――
ドッキリのターゲットを水沼に変更する!
生首のおもちゃはよくできた本物そっくりなものが実は別にあった。それを水沼は知らない。
そうだ!
それで、良美ちゃんの胴体の人体模型と精巧な本物そっくりの生首のおもちゃを使って二階で……
それが近藤社長が良美ちゃんを殺して首を撥ねるシーンだ。
それを僕が見ていた。
僕と近藤社長は逆に水沼をドッキリに……
そうだ!
精巧な本物そっくりの近藤社長の生首のおもちゃで離れで密室を……
水沼にドッキリを仕掛けて!
つまり逆ドッキリ!
しかし、水沼はすっかり本当に殺人事件が起こったと思い込んで……
僕が犯人だと思い込んで……
ハンマーで僕を……
いや……
もうそれでいいだろう?
楽になりたい……
これはアンチミステリーで……
良美ちゃんはまだ僕を想っていてくれていた。
僕は良美ちゃんの初恋の人なんだろう。
僕は良美ちゃんを連れて逃げるべきだった……
「近藤! お前に良美ちゃんは渡さない!」
そう言って遠くに逃げるべきだった。
……助けて……
彼女の心の声を僕は……
離れよりもっと遠くに……
近藤社長から良美ちゃんを遠ざけるべきだった。
アンガーコントロールなどせず……
僕は近藤に激怒するべきだった……
そのまま良美ちゃんをカルディナに乗せて別荘を去ればよかったのだ。
でも……
結局……
僕は良美ちゃんを助けられなかった。
僕が良美ちゃんを殺してしまったのだ。
そういうミステリーを僕は書きたくない……
僕はミステリー作家失格……
僕には殺人事件は描けない……
もう、それで許してほしい……




