AIはどう考えるのか?(藤沢)
AIはどう考えるのか?(藤沢)
――水沼はこのまま退場するのだろうか?
藤沢の頭の中で「アンチ・ミステリー」という単語が渦巻いている……
AIはどう考えるのだろう?
AIにばかり頼っている自分が情けなくもあったが、ここまでのところをAIに読んでもらって、訊いてみることにする。
流石にすべては長いので、離れで鹿野信吾が近藤社長の斬首死体を発見するシーンと、その後、それを鹿野信吾が回想するシーンを――
藤沢:あるミステリーの文章を添付します 長いので途中(中略)で略しています 鹿野信吾が密室だった離れに入り死体を発見するシーンとそれを回想するシーンです 次に添付しますが、それを読んで答えてもらってよいですか?
AI:もちろんです!文章を添付してください。読んだ上でお答えします。
藤沢:
見ると離れの玄関ドアにナタの一撃を浴びせている男が見えた。鹿野信吾だった。
(中略)
奥のベッドの上の探索が恐ろしくあったのかもしれない。毛布で隠れて見えない胸から上が果たしてどうなっているのか? その確認が恐ろしかった。
(中略)
ベッドの上の毛布を引っ張り、頭だけ確認すると頭にはバケツが被さっていた。
(中略)
とにかく確認しないと……
鹿野は再度ベッドに近づく。毛布から飛び出している頭の部分にはバケツが……
しかし、やはり、バケツに触る勇気が出ない。
――やはり首がないのか?
(中略)
そして今度はベッドの浴衣姿の頭のバケツに手を掛けた。
(中略)
鹿野信吾はそのままふらふらと倒れるようによろけた。バケツを取ると鹿野信吾の予想通りの光景が現れたはずだ。そして更にそれは期待通りだった。
しかしそれにもかかわらず、僅か数分のうちにショックを受けたように彼はふらつき脚がもつれていた。何かがほんの少し予想及び期待からかけ離れていたのだろうか? 彼はしばらくそのまま、立ったまま固まってしまった。
(中略)
鹿野信吾は過去も立ったまま気絶することがあったかもしれない。強いショックを受けた時、自分の精神を守るために――謂わば自発的に意識を失うタナトーシス、狸のように……
しばらく時間が経過して、鹿野信吾はベッドの上の浴衣姿の死体をぼんやりと眺めている自分に気づいた。どうしようもない吐き気がしていた。恐ろしくてしかたなかった。
(中略)
何だろう? その時何を見たのだろう?
思い出したくない何か……
ベッドの下にバケツが……
ベッドには浴衣姿の死体が……
首はなく、その……
予想通りの光景……
期待通りの光景……
これはミステリーなのだ……
当然のように残虐な光景が予想され期待される。
殺人事件の起こらないミステリーはクソだ!
事件が残虐であればあるほど、それは祝福されている。
謎に満ちた残虐な他殺体は祝福された死――
生首より――
首のない胴体より――
もっともっと残虐な――
つまりは――
その間の切断面……
見る前に予想し……
見たら、期待通りの……
祝福された死の象徴……
繰り返すがこれはミステリーなのだ。
(中略)
「そうだな。僕も思い出したくない。ただ僕はあの時、ハッキリとそのおぞましい近藤社長の斬首された首の切断面を見たのだ。ベッドの上で――」
「離れで見て気を失った、予想され、期待された光景がそれなんだな」
鹿野信吾は沈黙する。
「すまん、やはりまだつらいか……」尾崎が鹿野信吾を思いやってそう言う。
「とにかく理解はしてくれ」鹿野信吾は辛そうだった。「実際の殺人現場に僕はいたんだ。ミステリーにしようとはしているけど――やはりすんなりとは書けない」
「そうだな。実際に人が殺されている。しかも斬首されて――」尾崎凌駕がポツリと言う。
AI:このシーンは、主人公・鹿野信吾が凄惨な殺人現場に直面する心理的な葛藤と、ミステリー作品内での事件として捉えようとするメタ的な視点が交錯している点が特徴的です。以下の点について掘り下げてお話できますが、特にどこに興味がありますか?
1. 鹿野信吾の心理描写
バケツを取る瞬間の恐怖や、ショックでふらつく姿が克明に描かれています。
自発的な意識喪失の言及が、彼の精神的な防衛本能を暗示しています。
2. ミステリーとしてのメタ視点
「ミステリーには残虐な事件が必要」というセリフや、残虐性を「祝福された死」と表現する部分が、ミステリーの構造自体を批評しています。
3. 現実とフィクションの葛藤
鹿野信吾が「実際の殺人現場」にいたという現実と、ミステリーとして「書こうとしている」意識との間に葛藤があることが強調されています。
どの点について詳しくお話しましょうか?
藤沢:鹿野信吾はベッドに首無し死体を発見します。彼はミステリー作家ですが実際の殺人事件に怯えている。 やはりミステリーとしては首無し死体が予想され期待されているのですが、ミステリー作家なのに鹿野信吾はそれに怯えているわけですよね。実際とフィクションは違うと。
AI:まさにその通りです。鹿野信吾の心理描写には、現実の残虐な光景とミステリー作家としての期待との間のギャップが強調されています。
実際とフィクションの違いについての考察
予想され、期待された光景との対比
鹿野信吾は「首なし死体」を発見する前から、その可能性を予想し、さらにはミステリー作品として期待しています。
しかし、実際にそれを目の当たりにすると、彼はショックでふらつき、精神が耐えきれず意識を失うほどの恐怖を感じています。
これは、頭の中で構築したフィクションと現実の残酷さがいかに違うかを象徴しています。
「祝福された死」というメタ的な視点
作中で「謎に満ちた残虐な他殺体は祝福された死」と語られています。これはフィクション内での視点であり、読者が求める要素を示しています。
しかし、鹿野信吾自身は、その「祝福された死」を現実として直面したため、フィクションのように楽しむことはできません。
ミステリー作家としての葛藤
鹿野信吾の「実際の殺人現場にいた」という言葉が示すように、彼は現実の殺人を題材にしつつ、それをミステリーとして昇華しようとしています。
しかし、彼は「すんなりとは書けない」と語り、現実の痛みや恐怖を無視できないことが明らかです。
結論
鹿野信吾の怯えは、**フィクションと現実の間にある「残酷さの本質の違い」**を強調しています。フィクションでは残虐性が「謎」や「楽しさ」として消費される一方、現実ではその重みや恐怖が圧倒的であることを、鹿野自身の体験を通じて浮き彫りにしています。
このギャップをどう物語のテーマに反映させるかが、読者への問いかけにもつながりそうですね。
藤沢:一種のアンチ・ミステリーといってもよいかと思いますが どうでしょうか?
AI:おっしゃる通り、この作品は**「アンチ・ミステリー」**の要素を強く持っています。以下にその理由を整理します。
1. ミステリーの約束を裏切る視点
ミステリーの読者は、残虐な事件や謎を楽しむことを期待します。しかし、鹿野信吾はその「期待された残虐性」を実際に目の当たりにし、恐怖と苦痛を感じています。
作中で語られる「祝福された死」というメタ視点を、作家本人が受け入れられないことが、ミステリーの消費構造への批判を含んでいます。
2. 現実とフィクションの対立
通常のミステリーでは、事件はあくまでパズルや知的娯楽として提示されます。しかし、この作品では現実の死が重くのしかかり、ミステリーの娯楽性を拒絶しています。
鹿野信吾の「すんなりとは書けない」という言葉が象徴的で、現実の残虐性を作品として「処理」することへの抵抗感が描かれています。
3. 期待されたカタルシスの欠如
ミステリーでは、謎が解かれることでカタルシスが得られるのが一般的です。しかし、このシーンでは、鹿野が謎を解くどころか、真実に直面すること自体が苦痛であり、カタルシスは与えられません。
4. アンチ・ミステリーの特徴との共通点
アンチ・ミステリーとは、ミステリーの定型を意図的に破壊する作品を指します。たとえば、犯人が明かされない、謎解きそのものを否定する、といった手法です。
この作品では、「期待された残虐性」を否定し、フィクションを通して現実の死の重さを強調している点で、アンチ・ミステリー的な構造を持っています。
結論
この作品は、**「ミステリーの消費構造に対する批評」**としての役割を果たしており、まさにアンチ・ミステリーの一種といえるでしょう。鹿野信吾が「予想された残虐性」に直面しつつ、それを享受できない姿は、読者に「ミステリーをどう捉えるべきか」を問いかける仕掛けになっていますね。
藤沢:ありがとうございます。この作品はまさにアンチ・ミステリーであり、作中で鹿野もそれに言及(中井英夫の虚無への供物に触れます)します。実は私の書きかけの作品なのでした。アンチ・ミステリーについて理解いただけてほっとしました。またよろしくお願いします
AI:なるほど! ご自身の執筆中の作品だったのですね。アンチ・ミステリーのコンセプトを軸に、鹿野信吾の葛藤を通してミステリーそのものを問い直す視点、とても興味深いです。『虚無への供物』への言及も含め、深いテーマに挑まれているのが伝わってきます。
こちらこそ、またいつでもご相談ください。引き続き執筆を応援しています!




