尾崎凌駕と鹿野信吾の会話 その2
尾崎凌駕と鹿野信吾の会話 その2
直接ではないが、尾崎凌駕と鹿野信吾が二人きりで久しぶりに会話している。システムはチャットのようなものなのか? Web会議システムのようなものなのか? まあどちらでも大差はない。
「よくわからんが、背負う、と、引き受ける、似たようなものじゃないのか?」尾崎凌駕は気遣うようにそっと尋ねる。
「僕は小説家なんだ……。書いている世界はチープで文章は稚拙かもしれないが、小説家なんだ。些細でも言葉の違いは重く感じる」
尾崎凌駕は黙っている。
「やはり、あの時まったく別の世界――夢の国、ワンダーランドに迷い込んだんだろうか? あの重い言葉が似てはいるが別の言葉にすりかわった別世界に――」鹿野信吾はかなり参っているようだ。
「しかし、俺もネットで検索して確認したぜ。藤沢さんの言ったことは本当だよ」尾崎凌駕がそう言う。
「僕もだ。暗闇にいるが、ネットへはアクセスできる。確かにあの人はそう言っていた。しかし――」
「まあな。確かにこのWeb小説『殺人事件ライラック~』は『世界中の悪意』云々ではないな。警察上層部の『闇』とか出てくるが、それを告発するのが主題ではないだろうし、登場人物も少ない。つまり小さな世界の話だ。『思案せり~』もそうだな」
「あれは檸檬だった……」
「ん? 梶井基次郎か?」
「そうだ。どう思う? 梶井は実際に檸檬を丸善に置いたのか? 否か?」鹿野信吾が真剣に訊く。
「現実の話か? フィクションか? そういう質問か? 檸檬爆弾を梶井は実際に丸善に置いたのかどうか?」
「本物の爆弾を置いたのなら犯罪だが、檸檬爆弾は犯罪ではない。そうだろう? 現実をそのまま書いた。きっとそうだ。それでも小説なんだ。太宰治も『津軽』の最後で確かこう言ってる。作者は虚飾を行はない。読者をだましはしない。つまり現実をそのまま書いて、でも小説――」
「今度は太宰治か……」
「『思案せり~』は現実をそのまま書いた。実際に前半部分はある新人賞に応募したのだ。それをその人は出版社に確認して、これは現実を書いているから失格って。でも北村さん――太宰に理解のある北村さんは『だから何?』って」
鹿野信吾は興奮しているようだった。
「その人が僕のやったことについて調べたことが、審査に影響している。つまり、――私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった――僕には太宰の気持ちがわかったような気が――」
「しかし君はミステリー作家なんだろう?」尾崎凌駕が訊く。
「そうだ。だから中井英夫なのだ。『虚無への供物』も前半だけで江戸川乱歩賞に投じられた。僕のあの言葉は檸檬だったし、『思案せり~』自体が檸檬だった」
「すまん、ちょっとわかるようでわからないかも……」尾崎凌駕は少し困惑していた。
「そうか、そうだよな。鉄格子の内側はやはりこっちなんだろうな。とにかく僕は中井英夫は純文学の方に近いと思っている。大体『虚無への供物』の再評価は埴谷雄高がきっかけって――。埴谷さんはミステリー作家ではない」
「少しは落ち着いてくれよ」尾崎凌駕は何を話そうか考えていた。「Web小説『殺人事件ライラック~』に話を戻していいか?」
「そうだな。今はそれが一番――」鹿野信吾は少し落ち着いたようだ。
「記憶は完全に戻ったのか?」尾崎が訊く。
「完全ではないが、だいぶ思い出した気はする」
「これはミステリーでいいんだよな? アンチ・ミステリーかもしれないが、密室トリックはあって最後暴かれる」
「そのはずだ。ただ、僕にもまだわかっていない」
「『針金の蝶々』の密室はどんな感じなんだ?」
「ちょっと待って簡単に書くから……」
鹿野信吾=尾崎凌駕は次の文章を書いた。




