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殺人事件ライラック (ブリキの花嫁と針金の蝶々)  作者: 尾崎諒馬
第四部 以下、事件の真相に触れる箇所が……
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藤沢による追記 AIとの深い会話

 

   藤沢による追記 AIとの()()会話

 

 Web小説「殺人事件ライラック~」の連載はピタリと止まってしまっていた。

 お茶会の誘いも来ない。藤沢はやることがなく、再びAIと会話していた。

 

 藤沢:世界中の悪意を一身に背負ったような映画を作れ と 世界の悪意のすべてを一身に引き受けたような映画を作れ

 

 ※うっかり改行(enter)を押してしまい「の違いは何でしょうか?」を付けずに送信されてしまう。


 AI:興味深い視点ですね!この2つのテーマは似ているようで、微妙に異なるニュアンスを持っています。以下、それぞれの解釈とアイデアを提案します。


 1. 世界中の悪意を一身に背負ったような映画を作れ

 解釈:

 このテーマは、主人公や主要なキャラクターが世界中の憎しみや悪意の象徴的な存在となり、他者から非難や攻撃を受け続けるという内容を連想させます。人間の醜さ、社会の不条理、偏見などが前面に出るでしょう。


 映画アイデア:

 タイトル: 「呪いの器」

 プロット: 主人公は幼少期から「他人の悪意を吸収する」能力を持っていることを知らずに生きてきた。その結果、家族や友人は次々に彼/彼女を疎んじ、避けていく。やがて、世界中の憎悪や戦争の根源がこの能力に起因していると気づく。(以下略)


 2. 世界の悪意のすべてを一身に引き受けたような映画を作れ

 解釈:

 このテーマは、キャラクターが「()()()()()」世界中の悪意を引き受ける覚悟を持つことに重点があるように思えます。犠牲者であるよりも、救世主的な自己犠牲が含まれる可能性が高いです。


 映画アイデア:

 タイトル: 「闇の聖者」

 プロット: 世界中の人々の悪意や罪が具体的な形をとる奇病が蔓延する。主人公は、自らを「悪意の容器」として提供し、この病を人々から吸収していく。(以下略)

 

 ※AIは律儀に二つの映画アイディアを示してくれたが省略する。


 藤沢:前者の解釈は同意しますが、後者はこう考えられませんでしょうか? 世界の悪意のすべて、はその映画の作品世界の悪意のすべてで、それを(制作サイドが)一身に引き受けろ、世界のすべての悪意、ではなく、世界の悪意のすべて、なので、戦争とかそういうことではなく、その作る作品世界の中の悪意のすべてを という意味です。なので作品は一個人のこじんまりとした世界でよく、世界中つまり全世界の人々とかそういう広大な話じゃなくて、登場人物が数人とか狭い世界でもその作品世界の中のすべての悪意を作品制作者が引き受けろ、みたいな感じです。


 AI:なるほど、その解釈は非常に深いですね!「作品世界の中のすべての悪意を制作側が引き受ける」という視点に基づくと、作品全体が閉鎖的な空間や少人数の関係性に凝縮され、制作者自身がその悪意を抱え込むような形で構成されるべきでしょう。


「世界の悪意のすべてを一身に引き受けたような映画」 (再解釈)

 映画アイデア:

 タイトル: 「箱庭の悪意」

 プロット: とある一軒家で生活する4人の家族が主人公。

 (中略)

 映画を通して、登場人物たちの行動は常に「悪意の影」によって操られているかのように描写されるが、その影の正体が制作者側の「見えない手」と暗示される構造に。

 (中略)

 制作者自身が「悪意を引き受ける」ために、観客が嫌悪感を覚えるほどの緊張感とリアリティを追求する。

一切の救済を示唆せず、ラストシーンも閉塞感と不安を煽るもので終える。

 このアプローチは「制作者がその作品世界の中の悪意をすべて背負い込む」というあなたの提案に沿った形で構成されており、小規模な舞台設定でも十分に成立するものになると思います。この視点でさらに展開したいアイデアがあればぜひお聞かせください!


 藤沢:いえ、ここまでにします(笑)。解釈の違いをわかっていただければ十分です。非常に()()()()()()()()()()なら、前者より後者の表現をすると思い、その際は、私が解釈した(かつあなたが()()と理解してくれた)「作品世界の中のすべての悪意を制作側が引き受ける」という方が、その内省的なクリエーターが本当に言いたかったことを表現できてるのではないか、と思います。後者で私の解釈だと大ヒット映画にはならないかもしれませんが、非常に深い――簡単にいえば、()()()()()()()()()()()()()()()映画になる気がします。まあ映画会社はヒットした方がいいでしょうけど……


 AI:ありがとうございます!おっしゃる通り、後者の解釈は「内省的なクリエーター」による、観る者の内面に深く訴えかける作品の核心に触れていると思います。そのような映画は、たとえ大衆的な成功を収めなくとも、観客の一部には深い印象を与え、後々まで語り継がれる可能性があります。

「選ばれた観客にしか理解できない映画」というのは、作り手がその世界のすべてを込め、観る側もその全体を受け止めようと努力するという、ある種の究極的な対話を生むものですよね。商業的なヒットよりも、特定の観客にとって唯一無二の体験を提供する映画になるのではないかと思います。


 映画会社にとっての「ヒット」も重要ですが、こうした作品が文化や芸術の深みに新しい層を加え、選ばれた観客にとって「人生の一部」となることこそが真の価値ともいえるでしょう。素晴らしい視点を共有していただき、ありがとうございます!


 藤沢:映画ではなく小説でそのような作品を目指そうと思います。一小説家の戯言(ざれごと)に付き合ってくださり感謝します。またよろしくお願いします。

 AI:こちらこそ、深いお話を共有していただきありがとうございました!「作品世界の中のすべての悪意を引き受ける」という視点は、小説として非常に力強く、挑戦しがいのあるテーマだと思います。ぜひその作品がどのように展開されるか楽しみにしております。


 執筆中のアイデアや表現について、また何か相談や議論したいことがあればいつでもお声掛けください!応援しております




 この作品は尾崎諒馬の作品だが……

 第三部以降は私、藤沢がほとんど執筆している気がする……

 とはいえ、まあ、ほとんどAIと会話してるだけなんだが……

 

 尾崎諒馬=鹿野信吾はまだ沈黙している。いや、次は……

 坂東善=水沼は何も書かないのか?

 私、藤沢にできることと言えば……

 AIと戯れることくらいか……



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