再び二十数年後 ファミレスにて
再び二十数年後 ファミレスにて
あの廃墟となった別荘に尾崎凌駕と訪れた後、Web小説「殺人事件ライラック~」は連載の続きがアップされていった。いや、正確に言うと、続きがアップされただけでなく、藤沢と尾崎凌駕の対面したシーンも文章化され、冒頭と途中に挿入されていた。更に言うと、序、第一部、第二部と分けられており、小説としての体裁が整いつつあった。
そしてそれが唐突に「読者様へのお願い」で終わった。
藤沢はそれを読んで、再び尾崎凌駕に連絡を取り、こうしてファミレスで会っている。
「尾崎さん、ひょっとしてこの連載最後の読者様へのお願いというのは私に対してのお願いですか?」
「そのような気もしますね」
「うーん、何ともかんとも。それに、私とあなたが対面したシーンも書かれているじゃないですか。あれは私とあなたしか知らない内容です。やはりあなたが書いているんじゃないですか?」
「いえ、私は『尾崎諒馬』に情報を与えただけです」
「そうですか……。まあ、いいでしょう。しかし、何ですな。普通の小説の形、って書いてありますが、かなりけったいな……」藤沢は考え込んでしまう。
「まあ、いいじゃないですか。それより、読者へのお願いですが……」
「ここで、私に実際の事件の捜査について話をしろと?」
「ええ、できる範囲で構いませんが……」
「話をしないとどうなります?」
「連載はストップしたままで続きは書かれないかもしれませんね……」
「うーん、そうですか……。ひょっとしてそれでWeb小説にしたんですか? ネット上で発表した方が事件を知っている人間が読む可能性が高い、と」
「そうですね。実際、出版はできないでしょう? 協力いただける出版社が現れるわけもない。ネット上、小説家になろうだと、アカウントさえ作れば如何様にでも――」
「なるほど、まあ、私が現実に知っていることをここで尾崎凌駕さん、あなたに話せば、このミステリー小説『殺人事件ライラック~』は先に進むんですね」
「おそらく」
「おそらく?」
「まあ、私は作者でないので……」
「作者はやはり尾崎諒馬? つまり鹿野信吾?」
「ええ、そしておそらく佐藤稔」
「うーん、私も話せる範囲で話しますが、尾崎凌駕さん、あなたも話して下さるんでしょうね?」
「いや、それは何とも……」
「それはずるい」
「いえ、必要があれば、このWeb小説の続きに書かれますよ。尾崎凌駕も事件後の人物として登場してるわけですし。つまり――」
「つまり何です?」
「藤沢さん、あなただけ知ってもだめでしょう? 少ないかもしれませんが、他にも読者はいるでしょうから」
「なるほど、まあそうですね」
「今日のところは藤沢さんに話してもらって、あとはこのWeb小説の続きがどうなるか? それを読んでもらえれば――そう思います。それで、もし何かまだ疑問点があれば、また連絡くださればお会いしましょう」
「なるほど わかりました」
さて、藤沢の話――実際の事件の顛末を簡単に纏めるとこうなる。
* * *
二〇〇一年だったか、二〇〇二年だったか、はたまた二〇〇三年だったか、およそ、その頃。季節はライラックの花が咲く頃。近藤メディボーグの近藤社長の婚約パーティ――実際には二人は既に入籍を終えていたようで、正式には婚約パーティではなかったようだが――が開催された夜――
その会場となった、とある山間部の近藤メディボーグ所有の別荘で火災があり、消防が駆け付けたが、建物は全焼した。
火災現場には男性が一人、焼け出されて大やけどを負っており、すぐに病院に搬送されたが、顔にも重度のやけどを負っており、意識不明の重体であった。そのため、身元はわかっていない。
一方、その別荘から下って、二十数キロの場所にある麓の住宅地でも火災が起き、こちらも消防が駆け付けて消火に当たった。建物は半焼程度で消し止められたが、そこの住人、佐藤稔が焼け出された。彼は大やけどを負っておりこちらも病院に搬送された。
なお、佐藤稔は顔にも大やけどを負っていたが、搬送当時意識はあり、消防はすぐに身元を確定している。
消防と警察で現場検証したところ、半焼した佐藤稔宅からは頭部のない女性の遺体と、大型冷蔵庫の中からポリ袋に入った犬の頭部――頭蓋骨には穴が開けられ脳がむき出しになっていた――と、同じくポリ袋に入った人間の頭部が三体発見された。
一方、山間部の別荘からは、母屋から一体、離れから一体、頭部のない人間の遺体が発見された。遺体は火災により損傷が激しかったが、母屋の遺体は女性、離れの遺体は男性と判明している。
こうしたただの火災とは考えられない状況のため××県警は殺人及び放火事件と断定し、△△署に捜査本部を設置、捜査を開始した。
まず、住宅地の火災宅から焼け出された佐藤稔は近藤メディボーグの従業員で、事件について何らかの事情を知っていると判断した警察は任意で事情聴取を行ったが、佐藤稔は意識はあるものの意思の疎通は難しい状態で、回復手術も必要だったこともあり、事情聴取は難しい状況であった。
しかし、半焼した佐藤稔の自宅の状況と、佐藤稔が別荘での近藤社長夫婦主催のパーティにも出席していたことから、警察は佐藤稔が殺人と放火の犯人で、最後焼身自殺を図った、と断定し、逮捕状を取った。動機は不明であるが、佐藤稔宅から「サイコパスを連想させる類の猟奇的な資料等」が多数押収されている。
なお、佐藤稔宅で発見された人間の頭部三体の鑑定から、殺された被害者の身元はすぐに判明した。これら三つの頭部は大型冷蔵庫に入れてあったため、火災の中でも損傷は少なく、遺族に面通しも行われ、身元判明には時間はかからなかった。
まず、一つの頭部は佐藤稔の妻、〇〇で、残りの二つの頭部は近藤勝男と近藤良美――つまり近藤メディボーグの社長夫妻であった。この三人とは火災発生後連絡が取れておらず、被害者の身元は疑いもなく確定している。
続いて頭部のない遺体の方だが、まず、佐藤稔の自宅で発見された遺体は、大型冷蔵庫にあった佐藤稔の妻〇〇の頭部とDNAが九十九%の確率で一致した。一致率が高いのは火災が半焼だったので、遺体の損傷がそれほど酷くなかったためである。
一方、別荘で発見された頭部のない遺体二体は損傷が激しく、DNA判定は困難を極めたが、遺体胴体部と頭部のDNAは七十%以上の確率で一致との判定で、捜査本部は別荘での殺人事件の犠牲者は近藤メディボーグの社長夫妻、近藤勝男と近藤良美と断定し、佐藤稔が別荘から二人の切断された頭部を自宅に持ち帰ったと見ている。
それにより、検察は佐藤稔を殺人および放火の罪で××地裁に起訴した。
一方、別荘で焼け出され大やけどを負った男については、終始意識が戻ることはなく、身元不明のまま死去した。
また、佐藤稔の裁判は検察が死刑を求刑し、弁護側が精神鑑定を求めていたが、佐藤稔が死亡したため、そのまま被疑者死亡で終了している。
* * *
藤沢の話が終わると尾崎凌駕が呟く。
「現実の話を実際捜査された藤沢さんから伺えたのは収穫でした。今の話はこれが小説になったときには会話の形ではなく地の文で書かれると思います」
「地の文? それはどういう?」藤沢が怪訝な顔をする。
「藤沢さんがこう言った、という提示ではなく、実際にあったこととして地の文で提示する、と――。つまりはミステリーとして、絶対的な真実として提示する、と――」
「なるほど、すると、勝男、良美、といった名前はどうなります? 実名――本名のままでいいのですかね?」藤沢が訊く。
「小説でも、勝男、良美となっていたはずですので、いいんじゃないでしょうか? 苗字の方の近藤は実際とは違うわけで、完全に実名公開しているわけではないですし……。佐藤稔の妻の方は完全に隠して〇〇とされるかもしれませんが」
「なるほど。え? いや、しかし……」
「苗字の佐藤は本名ですし、名前の方は伏せた方が――まあ、いいじゃないですか。とにかくこれで現実の事件の事も判明したわけですが、謎は逆に深まっているかもしれないですね」
「そうですね。Web小説の方は何やらよくわからない書き方が多いのですが、現実の事件と比較すると遺体が一つ消えて――いや、移動かな? まあ、そうなってしまいますよね。離れのバスルームとベッドに二つ。母屋の二階に一つ。生首の方は離れに一つと、二階に一つ。一体これは――」
「彼の奥さんもパーティに来てたということですかね? それらしき描写は一切ありませんが」と尾崎。「仮に来てたとして、その奥さんの首は小説には一切出てこない。確かに生首が一つ足りない」
しばらく沈黙が続く。
「まあ、頭部を車で運ぶのは一人でできそうですが、胴体も、となると大変ですね。何かトリックがあるのかもしれないですね」沈黙に負けたのか? 尾崎はそれで質問を収めた。
藤沢はもっと多くの事件に関する情報を知っていたが、これ以上話すのはまだやめておこう、そう思っていた。
「結局、別荘で焼け出された男は身元不明のままだったんですね」尾崎が話題を変えてそう訊く。
「ええ、本人確認できるものを何も所有してませんでしたしね。顔も大やけどでぐちゃぐちゃでしたし、意識も戻らないまま死亡しましたし」
「それでも何かわかることはなかったんでしょうか?」
尾崎の重ねての問いに藤沢はこう答えた。
「実は別荘の駐車場に車が二台残っていて、ナンバーから一台は近藤勝男のもの、もう一台はその妻良美さんのもの、それはすぐわかったんです。まあ、二人ともその車で別荘に来て、その別荘で殺されたんだから、車は残ってて当然です。犯人の佐藤稔も自分の車で別荘に来たのでしょうが、犯行後その車で自宅に戻った――車には被害者の生首とかが積まれていたかと思うと少しぞっとしますが――そういうことで犯人佐藤稔の車は別荘の駐車場には残っていなくて当然です。実際、彼の車は自宅で発見できています。でもそうなると、別荘で焼け出された身元不明の男はどうやって別荘に来たんだろう? ってことですよ」
「捜査本部はどう推定したのですか?」
「いえ、結局わからずじまいでした。一応は捜査したんですが、既に佐藤稔を犯人とみていたので、その辺は重要でないとの判断でうやむやに――」
「それだけ? ですか?」尾崎が怪訝な顔でそう訊く。
「いえ、個人的には気になって事件後、裁判も終わってからも情報収集してたんですが、気になる放置自動車が発見されてました。本当に山の中の私有地なんで、関わったのは生活安全部の地域課で、更に実際に動いたのは行政の方です。△△市役所の何課はわかりませんが――」
「その車が身元不明者の彼のものだと?」
「ええ、類推にすぎませんが」藤沢は説明する。「ナンバーは外してありましたが、過去事故でも起こしたのか? 特徴のある傷が車体にありまして、いろいろ修理工場をあたった結果、それらしい車の登録情報がわかりました」
「ほう、執念ですね!」尾崎は感心する。
「まあ、捜査の公式記録にはない、警察としては大して意味のない情報なんですけど、その車の所有者が佐藤稔でした。しかし、住所は犯人の佐藤稔の自宅ではありませんでした」
「つまりは、やはり同姓同名の別人?」
「ええ、それで本当はやってはいけないのですが、その住所に行ってみました。結構田舎の一軒家ですが空き家になっていて――、でも生活感はあって、まるである日突然、主が行方をくらませたような……」
「つまり、令状なしで空き家に侵入したと――」
「まあそうです。オフレコでお願いします」藤沢は小さな声でそう言う。
「まあ、いいんじゃないですか? で何かわかったんですか? その空き家で――」
「これを――」
藤沢はバッグの中から書類を取り出した。だいぶ古いものなのか? 黄色く変色している。サイズはA4くらいだろうか?
見ると「針金の蝶々」と題された原稿が……
――――――――――――――――――――
針金の蝶々
プロローグ
八月三日、私を乗せた列車はS駅に向かって走り続けている、あと二、三分で、到着するはずである。窓から見える景色は草や木の緑ばかりで、かなりの田舎であることが一目でわかる。
一昨年、昨年と、私は夏を会長の別荘で過ごした。会長というのは、近藤製薬の会長で、近藤克夫のことである。
(中略)
日野茂。三十歳。これは私である。職業は売れない推理作家である。私が会長と知り合ったのは……
(中略)
高柳一。三十歳。ギャンブラー。ギャンブルというものが果たして職業として認められるかどうか……
(中略)
高柳は相変わらずピアノを弾いている。曲はどうやらショパンの「別れのワルツ」のようである。
(以下略)
――――――――――――――――――――
「ほう!」尾崎は原稿にざっと目を通すと「本当に『針金の蝶々』の原稿があったんですね。近藤製薬の会長、近藤克夫――妙な一致ですね。あ、苗字の方は小説の方をこれに合わせたのか。今、最初の方だけざっと目を通しましたが、藤沢さんは全部読んだんですか? 事件は起こってます? トリックとかは? 密室でしたか? 首のない死体?」
「いえ、事件は起こらず、冒頭部分しかありませんでした。ほぼ、登場人物紹介と、あと要点のメモのようなとこが――。ほら、ここに――」
藤沢に促されて原稿を確認する。
――――――――――――――――――――
敷地内にはいろいろ植物が植えられているが、渡り廊下付近のライラックの茂みと母屋裏の樫の木は重要である。
――――――――――――――――――――
「ほう! ライラック!」尾崎は少し驚いたように大声を上げた。「この渡り廊下というのは?」
「別荘の母屋と離れを繋ぐようですよ」藤沢は答えた。
「しかし、母屋裏には樫の木なんてなかったような……。まあ、なかなか興味深いですねぇ。とにかく、やはり身元不明の男は尾崎諒馬――本名は佐藤稔」尾崎が呟く。
「ええ、やはりそうなりますよね? 逮捕した佐藤稔が別宅を持っていて二重生活を送っていた、とかいう可能性もあるかもしれないですけど」
「いや、普通に二人の男がいて、一人が近藤メディボーグの研究員の佐藤稔で、もう一人がミステリー作家、ペンネーム『尾崎諒馬』で本名佐藤稔。小説内で言えば、前者が『サングラス&マスクの変装男』で、後者は『鹿野信吾』。つまり、偶然ですが、二人は同姓同名だった、と」
「そうだと思いますが」藤沢が更に問う。「『水沼』はどうなります? ペンネームで言えば『坂東善』」
「そっか、人が一人消えますね。確か、前にもそんな話になりましたが――。じゃあ、やはり、研究員の佐藤稔は実は『水沼』だったんじゃないですか? 作家を諦めて就職したとか言ってましたよね、小説の中で」
「うーん、すると冒頭の死刑囚の手記はどうなるんでしょう? 我々が逮捕した研究員の佐藤稔が死刑囚なわけですが『私』と一人称で書いている部分で『坂東善』と話をしている」
「いや、正確には『坂東善と名乗る男』と話をしている、です」
「え?」藤沢が怪訝な顔をする。
「先ほど山の中の私有地で発見された放置自動車ですが、カルディナだったんでしょう? トヨタの――」
「ああ、なんか複雑ですが、そういうことか……」藤沢は腑に落ちたようだ。
「つまり、冒頭の死刑囚の手記で『坂東善です』と言ったのは『鹿野信吾』――つまり『尾崎諒馬』かもしれない、ということです。つまり本当のペンネームを胡麻化した、と。さらには二人は顔見知りだったのに変装してたのでとぼけて遊んでいただけかもしれません」
「いや、わかりましたよ。確かにそうかもしれませんね。で、両者ともやけどが原因で死んだと……。でもWeb小説がその死んだはずの『尾崎諒馬』名義で連載されはじめたんで、ひょっとしたら生きているんじゃないかと思ったんですよ、私は。で、作者と連絡を取ったらあなたが出てきて尾崎と名乗るんでひょっとしたら、と」
「いや、違いますけどね」尾崎はそっけない。
しばらく沈黙が続く。
「話を戻しますが、要は、既に逮捕した佐藤稔を犯人とみていたので、警察は身元不明の男の調査は怠った、ぞんざいだったと?」尾崎がそう切り出した。
「警察の無能ぶりを吐露しているようでまったく恥ずかしい話です。正直……」藤沢は低い声で「容疑者を逮捕して捜査結果の記録と共に検察に渡すのが警察の仕事なんです。佐藤稔の半焼した自宅から『大型冷蔵庫に入った被害者の頭部』や『サイコパスを連想させる類の猟奇的な資料等』が出てきた時点で、そっちは必死に追いかけますが、身元不明の男――おそらく彼も被害者ですが――それが誰なのか? 調べるモチベーションが落ちても仕方ないのです」
「なるほど、仕方ないですね」尾崎はそう呟いてから、おもむろに藤沢にこう尋ねた。「お忘れかもしれませんが、前回お会いした時に何か言いかけましたよね? 藤沢さん」
「え? 何でしょう?」
「だいぶ前なのでお忘れかもしれませんが、現実の事件はミステリーのようには書けませんよ、から始まって、最後、とてもミステリーのようには――、それに実際には――いや、これはやめておきましょう、と。あれは何を言いかけたんですか?」
「ああ、あれですか。言い掛けたのは実際の事件で冤罪が多発する理由ですよ。要はですね――」藤沢は説明を始めた。「勿論最初は状況を把握し、地道に証拠を集めていくわけですが、捜査会議である程度『こうに違いない』という『上』の妄想が先に出来上がるわけです。あとは、それと証言が食い違っても脅しをかけるように――つまり、その『上』が作った妄想を認めるように容疑者に迫るだけです。被疑者がずっと黙秘を貫いても、最後力ずくで『はいその通りです』と言わせてしまう。妄想と食い違う証拠はもみ消されるし、ひどい場合には証拠が捏造されることもある」
「今回の事件の場合も? そういえばカメラがあったが、記録映像は破棄されたとか……」
「いや、まあそうなんですが何とも言えない。とにかく佐藤稔はほとんど黙秘を貫いたわけで、脅しに屈したわけでは……。ただ、あの焼け出された被害者を身元不明のまま、死なせてしまったのは警察の落ち度でしょうね」
尾崎凌駕は何も答えない。
「ミステリーだと」藤沢が顔をしかめながら苦しそうに「容疑者が『自分はシロ』だと熱心に供述して、その中に『犯人しか知らないはずの情報』が含まれることを指摘して『犯人』と断定するじゃないですか? でも現実の警察の捜査では容疑者は知らないかもしれない『犯人しか知らないはずの情報』を盛り込んだ供述を『上』が妄想で作り上げて、脅してそれに同意させるだけですよ『お前がこうやったんだよな、そうだろう? イエスと言えば楽になるぜ』と」
「なるほど、怖い話だ」尾崎は首をすくめる。
「まあ、この話はここまでとさせてください。ところで尾崎さん」藤沢が話題を変える。「あなたは何も知らないのですか? というか、最初からの疑問に戻りますが、あなたはどうしてあのWeb小説の作者に私が連絡を取ったら出てこられたのです」
「作者は現実の世界に出て来られないからです」尾崎がそう答える。
「と、いうか……」藤沢が真面目な顔で「このWeb小説を現実に当てはめると、死んだ人が連載しているようになってしまいませんかね? 勿論死刑囚の方の手記は死ぬ前に書かれたものだと思いますし、患者――彼は別荘で焼け出された身元不明の男なんですよね? つまりは『鹿野信吾』で『尾崎諒馬』――その患者の手記も死ぬ前に――いや、彼はずっと意識不明のまま死んだはずです。ああ、余計に混乱するな。AIがどうたら、とか訳わからなくなってきてますし、ここでの読者としての私の話が今後の展開に影響するとなると、誰がこのWeb小説を書いているんですか? 尾崎凌駕さん、やはりあなたが書いているんじゃないのですか? いや、そうか! あの主治医? しかし……」
尾崎は何も答えず、少し考え込んだ。そうして徐にこう質問した。
「人間、どうなれば死ぬんでしょう?」
「医学的にですか? 心臓の停止、または脳死ですか?」藤沢が訊く。
「いえ……、忘れてください。今の質問」
「えっ! 気になるじゃないですか? 何を言い掛けたんです?」尾崎の発言に食らいつこうとする藤沢。
「先刻、警察の闇について話してくれたじゃないですか、だったら医療機関にも闇があるとは思いませんか? 特に『上』の方に……」
「えっ? それは一体!」
「いずれ話さないといけないでしょうね。藤沢さんだけいろいろしゃべらせて、こっちは黙狂とか、不公平ですよね。ただ、もうしばらく待ってもらえませんか? 今はもうちょっとWeB小説『殺人事件ライラック~』の連載がどうなるか? 見守っていただけませんか?」
「そうですか。まあわかりました」藤沢はしぶしぶ同意した。
「では、これでお開きとしましょう。またお会いしましょう。ところで、先ほどの『針金の蝶々』の原稿ですが、お借りするか、コピーさせてもらえませんかね? ちょっと興味があるので」と尾崎。
「コピーするのであればいいですよ。すぐ近くにコンビニにあるのでそこに寄りましょう」藤沢は快諾した。
コンビニで藤沢と尾崎凌駕は別れたが、別れ際に藤沢が思い出したように言った。
「ライラック 階段を誘う 夢の国 というあなたの俳句ですが、あれは何だったんです?」
「別に何も。強いて言えば、季語が季節に合っていない……」
「ええ、季語ライラックが春で、今は夏。あ!」藤沢が言い掛けてやめた。
「ええ、日差しが眩しいですね。そうだ! 猟奇的な殺人の動機は『太陽が眩しかったから』だとしたら?」尾崎が呟く。
「それは頭がおかしい」藤沢が首を横に振る。
「つまりはキ……。いややめておきましょう」尾崎が笑った。「また、お会いしましょう」




