七章
七
水沼は二階の寝室に入る。ノックも「すみません」の一言も必要なかった。鹿野信吾は離れで気絶している。意気地なしのあいつは意識が戻っても何にもできないだろう。念のためスマホは奪っているから、警察に連絡することもあるまい。固定電話は心配しなくていい。今の御時世、固定電話のない家などかなりある。ましてやここは滅多に使われない別荘だ。ここに固定電話がないことを水沼は知っていた。
鹿野を相手にするのはもうちょっとあとでいい。意識が戻っても恐らく興奮してるだろうから――まあ、こんな血塗られた惨劇の真っただ中にいたら、いくらミステリー作家でも……、おっと彼はミステリー作家失格だったな、殺人事件が苦手らしいし。
さて、と――
水沼はベッドに近づくと、しばらく、ただ眺めている。生首はやはり不気味なので無視しよう、そう思ったのか? 水沼は視線を逸らした。
「良美ちゃん、ちょっとごめんね」
薄明りの中でネグリジェの裾が捲り上がっている。先刻、水沼が捲り上げたままだった。多少の後ろめたさはまだ水沼にはあったのだろうか? 彼は部屋の照明は常夜灯のままで、その薄暗い中で作業した。
うつ伏せで見えている良美の下半身。ショーツで隠された臀部と両脚。水沼は手を伸ばしショーツを膝辺りまで引き下げる。
覗き込むと、肛門と――
そっと手で押し広げる。
「リアルだな。まあ、当然だが。それに……」
女性器とそこの茂み――陰毛が確認できた。
「実にリアルだな」
と、急に明るくなった。振り向くと鹿野信吾が照明のリモコンを持って後ろに立っていた。鹿野信吾はナタを手に持っていた。
「よせ!」水沼が叫ぶ!
* * *
このあとどうなったかは少しぼかさなければならない。
水沼を詰問する鹿野信吾。手にはナタを持って非常に興奮している。懸命に何やら説明する水沼。
「とにかく、そのベッド上に死体がある! それは事実だ! それをお前は犯そうとして! お前が――」
「違う! 犯そうとしたんじゃなくて、ちょっと確認――あ!」
水沼は何かに気付いたように変な声を上げた。
「どうした言い訳できまい!」
「あ、え?」
「それに離れの生首だって!」鹿野信吾が更に迫る。
「え? ちょっと待って!」
水沼は慌てて寝室を飛び出し、扉の脇に置いておいたゴミ袋を確認する。
「え? 嘘」
「嘘のわけないだろう! 近藤の生首は紛れもない本物だぞ!」鹿野信吾はナタを握りしめる。
「よせ! しっかり確認させてくれ」水沼は再びベッド脇に戻り、良美の頭部を覗き込む。
「嘘! 本物か? 本物の生首! しかし、あ!」水沼は大声を上げる。「良美……?」
鹿野信吾もちらりとベッドの死体の方を見る。
「うっ!」
吐き気がこみあげてきて鹿野は思わず口元を押さえる。
生首そのものというより、その切られた断面が鹿野にとってやはり強烈すぎた。
鹿野信吾が狼狽えた隙に、水沼は寝室を飛び出していく。鹿野が慌ててナタを手にしたまま追うが、水沼は階段を下に駆け下りて、玄関から外に出ていく。
――鹿野に殺される! 警察に連絡を!
スマホを取り出すが……
――この状況をどう説明するんだ?
とにかく身を守る必要があった。水沼は裏の物置に急ぎ、護身用の武器が何かないか物色した。
――あった!
両手で持つような大きめなハンマーがあった。ナタに勝てるかはわからぬが、多少の防御にはなる。
ハンマーを手に振り向くと、鹿野信吾がナタを持って息を切らせて立っていた。
「待て! 落ち着け! 俺は何も――」水沼は懸命に説明しようとする。
鹿野信吾は粗い息をしながら聞いている。とにかく説明を聞くつもりではあるらしい。
ある程度説明をし終えたが、鹿野は首を横に振った。
「それが正しいにしても、近藤と良美は死んでいる。殺されたんだ。そしてここには俺とお前しかいない」鹿野が絞り出すような声でそう言う。
「ちょっと待ってくれ! 俺にも確かめさせろ!」水沼はそう言って離れの中に飛び込んでいった。
「本当に近藤も殺されたのか?」水沼は奥のベッドの首無し死体を確認したようだ。「それに、バスルームのあれは? 死体が全部で三つ? え?」
「何を寝ぼけているんだ! 近藤の死はゴミ袋の中の生首で確認しただろう? おい! 外に出ろ! お前はこっちのスマホを奪ったじゃないか? お前が犯人だという間違いない証拠だ!」鹿野が外で叫ぶ。
「待てよ!」水沼が外に出てくる。「ここは嵐の山荘でも海上の孤島でも――つまりクローズドサークルじゃないんだ。そうだ、あの変装した――サングラスとマスクで変装したあの――」
「あれはお前の変装だろう?」鹿野がはっきりそう言い切った。
「いや、確かに……」水沼は狼狽する。「しかし、密室はどうなる? 俺には犯行は不可能だ。勿論、信吾、お前にも――」
水沼は懸命に何かを考えているように見えた。そして結論が出たのか、こう呟く、
「いずれにしても、やるか、やられるかだ!」
* * *
さてこのあとどうなったか? それはまだ詳しく書くことはできない。
事実として近藤社長と良美は死んでいる。状況から殺されたとしか思えない。ここまでの記述だと生首が二つに、首のない死体が三つ。足し算が合わないが、殺人事件が起きたのは事実。
現場にいたのは鹿野信吾と水沼だけ。
クローズドサークルではないので他にも誰かいるかもしれない。しかし――
ここで名前すら与えられていない、その誰かが犯人だとして読者は納得するだろうか?
これはミステリーではないのか?
夢の国――ワンダーランド
あの「いちりとせ」のあと、何かが狂ってしまったのか?
動機は何であろう?
太陽のせい?
しかし、今は夜だった――
しかし、それでも太陽が眩しかったから殺したのかもしれない。
サイコパスは病気だ……
肝心なことを書き忘れていた……
二階の寝室は違うが、離れは密室だった……
ドアチェーンによる施錠という少し不完全な密室ではあるが、誰も出入りはできない……
ドアはチェーンの長さ、およそ十センチ開くのみ……
窓は内側から施錠されている。
首を撥ねられている以上、自殺ではない……
つまりは密室殺人……
やはりこれはミステリーなのだ。




