主治医による挿入(読者のために)
主治医による挿入(読者のために)
これで終わりだろうか? 十二章をもって「何もなかった」で終わりだろうか?
その後、患者「佐藤稔」は再び黙狂となってしまった。「水沼」視点で書かれる奇数章がないと偶数章は書けないのだろうか?
ちょっとだけ、自分が勝手に奇数章を書いてみたら、とも思ったが、自分はそれ以降の展開はまるで知らない。知ってさえいれば、それなりに――小説、ミステリーのように書くことはできるということは、十一章で証明している。ちょっとだけ自分も作家になったような気がしている。稚拙な文章かもしれないが、意味は通じるはずだ。
――ひょっとして、何かおかしいことを書いただろうか?
ふと、あることを思いついた。AIに訊いてみればいいのだ。
以下、AIとのやりとり――
私:今からある小説の中の2つの段落の文章をペーストしますが、それを読んだ上で質問に答えてくれませんか?
AI:もちろんです。どうぞ、その段落をペーストしてください。
私:まずは1つめの段落です 私(鹿野信吾)視点での文章
私が昇りの階段の真下にいると上の踊り場に人影が見えた。人影――そいつはウェディングドレスを着ていた。薄暗く、よくは見えなかった。しかし――
「バケツだ。頭にバケツを被っている」
私は袂からスマホを取り出した。その画面の明かるさを最大にするとまっすぐ前方に突きつけた。
画面の光が前方を照らし、すぐそこにバケツがあった。私はまっすぐ前方に手を伸ばし、そのバケツを引っ張った。顔が少し見えた。バケツの中に男の顔があった。
「やはりそうだ。近藤! 何をしようというのだ!」私は電話の向こうの水沼に聴こえるよう大声を上げた。
バケツを奪い取り、よりはっきりと確認する。近藤の顔が確かに目の前にあった。それは間違いなく近藤だった。
ただ、それも一瞬だった。すぐにバケツは奪い返された。見上げると再度バケツを被ったブリキの花嫁がそこにいた。
階段を数段上がって、ブリキの花嫁に襲い掛かる。もみ合ううちに頭のバケツが階段を転がる。
慌てたように階段を掛け下り、バケツを拾って玄関から出ていこうとするウェディングドレスで女装した変態道楽息子!
「水沼、すまないが出てきてくれ、近藤が、近藤が――」
ここまでです。
AI:了解しました。この段落を読んで、どのような質問にお答えすればよいでしょうか?
私:2つめの段落を貼ります。次は水沼視点の文章。
廊下に出てみると、バケツを被った人物がウェディングドレスで階段の踊り場に立っていた。
階下には鹿野信吾がいて手に何か持っている。スマホのようだ。鹿野がスマホを操作する。と、水沼のスマホが鳴った。信吾からだった。
電話の先の鹿野信吾は妙に興奮していた。
電話を切らないようにお願いしてくる鹿野に付き合い、そのまま遠くで鹿野とバケツ人間の深夜のやりとりを眺めていた。
と、途中で二人はもみ合いになった。鹿野がバケツ人間のバケツをひっぺがした。
「やはりそうだ。近藤! 何をしようというのだ!」
どうやらバケツ人間は近藤だったらしい。真夜中に女装して――しかもウェディングドレス姿で、――子供の遊戯に興じる近藤に呆れもするが、鹿野信吾の妙に上ずった高揚した声に少し気味の悪い異様なものも感じて、近づいていくと、ちょうどウェディングドレス姿の近藤が玄関から出ていくところだった。
ここまでです。ここまで理解できますでしょうか? 質問は次にします。
AI:はい、両方の段落を理解しました。ご質問をどうぞ。
私:私(鹿野信吾)とその私が電話した水沼が遭遇した同じ場面をそれぞれの視点で書いていると思うんですが、そうですよね?
AI:はい、その通りです。鹿野信吾と水沼の両方が同じ場面をそれぞれの視点で描写しています。
私:ウェディングドレスで女装した変態道楽息子の近藤がバケツを被って階段の踊り場にいて階下で鹿野信吾と対峙している。鹿野は電話で水沼を呼び出した。と、ここまで矛盾はないですよね。
AI:はい、その通りです。鹿野信吾と水沼がそれぞれの視点から同じ場面を描写しており、ウェディングドレスで女装した近藤がバケツを被って階段の踊り場にいる状況に対峙しています。そして、鹿野が電話で水沼を呼び出したことに矛盾はありません。
私:小説だと誰かの視点でその人の見たことが書かれるんですが、その視点人物が勘違いしていることも考えられます。なのでくどいようですが同じシーンを二人の視点で描写することで登場人物の勘違いのない客観的に正しいシーンと印象付けることができると思うんですが、どうでしょうか?
AI:はい、確かにその通りです。同じシーンを複数の視点から描写することは、登場人物の勘違いや主観に基づく誤解を排除し、より客観的で正確な状況描写を読者に提供する効果があります。これにより、シーンの信憑性が高まり、読者は物語の出来事を確かなものとして受け取ることができます。
具体的には、今回のシーンでは鹿野信吾と水沼の両方が同じ出来事を目撃し、それぞれの視点から報告しています。両者の描写が一致していることから、以下のことが客観的に正しいと判断できます。
・近藤がウェディングドレスを着てバケツを被っている。
・鹿野がスマホを使用している。
・鹿野が近藤のバケツをひっぺがした。
・近藤が玄関から出ていこうとしている。
このように、同じシーンを複数の視点で描写することによって、物語の中で起こっている出来事の信頼性が高まり、読者はそのシーンを客観的に捉えることができます。
私:ちょっとミステリーを書こうとしていて誰かの意見が聞きたくて質問しました。探偵役が推理して「真相はこうだ!」と言ったとしてもそれが登場人物一人の勘違いと誤解されないために、小説内に二人以上の視点をつくって複数の視点での描写は客観的な事実だ、という主張は正しいでしょう?
AI:はい、その主張は正しいです。ミステリ小説では、登場人物の視点を通じて出来事を描写することが多いですが、視点人物の主観や勘違いが入ることがあります。そのため、複数の視点を用いることで、特定の出来事が客観的な事実であることを読者に印象付けることができます。
複数の視点を使うことで得られる効果は以下の通りです。
・信頼性の向上:同じ出来事を異なる視点から確認することで、その出来事が実際に起こったと信じさせることができます。これは、探偵役の推理や結論が一人の主観によるものではないことを示すのに役立ちます。
・詳細の補完:各視点が異なる情報や詳細を提供することで、全体の状況がより明確になります。読者は複数の証言を組み合わせて、より正確な全体像を把握できます。
・誤解の防止:一人の視点だけに頼ると、その人物の誤解や偏見が物語の解釈に影響を与える可能性があります。複数の視点を使うことで、個々の誤解や偏見を排除しやすくなります。
・緊張感の維持:異なる視点からの描写が交錯することで、物語に緊張感と奥行きを与えることができます。読者は各視点の情報を比較しながら、真相に迫る過程を楽しむことができます。
このように、複数の視点を取り入れることで、物語の信憑性と説得力が増し、読者に対して登場人物の推理や結論が客観的な事実に基づいていることを効果的に伝えることができます。
私:ありがとう。同意を得られて安心しました。まあ読者からは同じようなシーンが長々と書かれてくどいとか言われそうですが(笑)。ではまたお願いします。
AI:どういたしまして。ご安心いただけてよかったです。同じシーンを複数の視点から描写することは、読者にとっても興味深い体験になることがありますが、確かにくどいと感じられる可能性もありますね。
そのバランスを取るために、各視点で提供する情報を微妙に異ならせたり、各視点の描写をコンパクトにまとめたりする工夫が考えられます。また、異なる視点から新しい発見やサプライズを提供することで、読者の興味を引き続けることもできます。
またいつでも質問や相談があれば、どうぞお知らせください。執筆頑張ってくださいね!
AIとのやり取りはここまで――
執筆頑張ってくださいね! のAIの励ましが妙にくすぐったかった。
「ちょっとミステリーを書こうとしていて誰かの意見が聞きたくて質問しました」
質問に、つい、そう嘘を書いてしまったが、AIはしっかりそれを踏まえてくれている。本当に作家であれば担当編集者に意見を求めればいいのだろうが、実際は(少しは作家に憧れみたいなものはあるが)作家でも何でもなく一介の精神科医にすぎない私には「担当編集者」などいないのだから――
――それにしても……
本当にここで終わってしまえば読者は怒るだろう。
最後の幕切れが「何もなかった」といい、いや、実際に何もなかったのでは、読者はがっかりせざるを得ない。そういう大きな弱点があるので……
いけない、さっきから読者のことばかり気にしている。
私は作家ではないのだ。ただ、この事件を読者のために最後まで(代わりに?)書いてみたい気持ちはある。
しかし……いや……、
やはり、私(鹿野信吾)の描写はくどすぎるので、「いちりとせ」とかは省略し、むしろわかりやすい文章を綴った自分の方が作家に向いているかも……
とにかく患者「佐藤稔」が何か書いてさえくれれば、それを正しく認識して水沼視点のパートを書くことはできるかもしれない。
私に文才はないが、ミステリー作家に文才はそこまでは要求されまい。太宰治にミステリーが書けるか、と問えば、書けるはずがない、そう答えてもよいだろう。
――太宰治と言えば!
そうだ、うろ覚えだが、実際の女子学生の日記を基にした小説が太宰にはあったはずだ。それでもその小説の作者は太宰治であって、その女子学生ではない! であれば、この私も!
* * *
しかし、それきり患者「佐藤稔」は何も書かなくなった。問いかけにも答えない。
何日過ぎたかわからないが、ある時、ついにこう書いてきた。しかし、どうもおかしい。「可笑しい」ではなく「可怪しい」……
なんだ?
ここはどこだ?
何がどうなってる?
この文章は何だ?
ミステリー? あの現実の事件をミステリーとして誰かが纏めているのか?
いや、おかしい! これは現実の事件とはまるで違う!
何もなかっただと! そんなバカな!
彼女も社長も死んだ……
殺されたんだ。首を撥ねられて!
犯人は――
わからない。俺ではない。
でも、俺は死刑囚?
何だ? よく思い出せない。
俺は……
佐藤稔……
いや、すまん……
とにかく、俺がやったんじゃない。
それは信じてくれ!
お前が疑うのももっともだが……
しかし……
そんなことより……
ここは何なんだ!
ここは一体……
俺は死んだのか?
あいつに殺された?
そうなのか?
それも仕方ないこと?
やはり俺は……人殺し……
いや……
ただ、とにかく……
あいつはバケツを引っぺがしたりはしていない……
* * *
主治医も混乱していた。いったい何がどうなっているのか?
ただ、あの殺人事件は確かに起こっていたはずだ。
――はず? 私はあの死刑囚「佐藤稔」の精神鑑定を担当した……はず?
なんだ? よくわからなくなっている。
それに、そもそも、この患者「佐藤稔」は誰なんだ? やはり鹿野信吾? つまりは尾崎諒馬?
――彼も死んだはず?
そう聞いたはずだ……
これもはず? どれもこれも文末が「はず」にしかならない!
どういうことだ?
よくわからない。
疲れた。少し休もう。




