再び二十数年後 別荘廃墟にて
第二部 太陽が眩しかったから
再び二十数年後 別荘廃墟にて
尾崎凌駕は藤沢が手渡してくれた新聞の切り抜き――「尾崎諒馬」のインタビュー記事を読んでいた。
――――――――――――――――――――――
〇〇町在住のミステリー作家 尾崎諒馬さん
横溝正史賞。念願の文壇デビューでしたね。
〇〇町からミステリー作家が誕生した。処女作「思案せり我が暗号」が第十八回横溝正史賞で佳作に入り、五月下旬に角川書店から出版される。
「あと三作は出してもらえることになった。そろそろ次の作品に取り掛かりたい。南九州を舞台にした殺人事件が起こるかもしれませんよ」受賞の喜びをかみしめる間もなく、頭の中ではいろんな小説のアイディアが膨らんでいるようだ。
二年がかりで執筆した受賞作は、題名の通り暗号をテーマにした推理小説。自殺した友人の遺書にメモされた不可解な楽譜をもとに、謎解きが始まる。「暗号の原案は十年前から温めていた。暗号が小説の小道具ではなく、物語の全体を支配しているという点が目を引いたみたい」審査員には内田康夫さん、北村薫さん、宮部みゆきさんら大御所が名を連ね「トリックが凝っている」と高い評価を受けた。
(中略)
武者小路実篤のような作家が目標。推理小説とは無縁のようだが、「自己肯定が強く自分と共通しているところがある。謎解きばかりで読ませるのではなく、人間性や情景をしっかり表現できるようになりたい」と。
(中略)
近所は人通りが少なく、ひっそり「夜一人でストーリーを考えていると怖くなることがある。ミステリーを書くのにはいい環境です」と笑った。本名は佐藤稔さん。
(××支社・△△△△)
――――――――――――――――――――――
藤沢はWeb小説「殺人事件ライラック~」をスマホであちこち拾い読みしている。既に読んだという十二章までの疑問点を再確認しているようだ。そうしてそれを尾崎にぶつけた。
「とにかく、十二章まで『本当に何もなかった』で唐突に終わってしまったわけで、いやいやそれは違うだろう、とかは思うんですが、それは置いておきますし、あと、死刑囚と患者、二人とも署名が『佐藤稔』で同じというよくわからない点もありますが、それもとりあえず置いておきます。偶数章の私と彼が誰か? は、主治医の説明でわかったんですが、とにかく一番の疑問は――」藤沢は説明を始める。
「サングラスとマスクで変装した男は誰かということですよ。例えば――」
藤沢がWeb小説を拾い読みしながらサングラス&マスク男が出てくるところを上げていく。
ある死刑囚の手記:私(署名では佐藤稔)
三~六章:近藤の会社の研究員
「それに加えて、八章には、二階の近藤の寝室の机の上にサングラスとマスクがあったかもしれない、などと書いています。一体、サングラスとマスクで変装していたのは誰なのか? 途中、水沼は何も疑わず、近藤の会社の研究員が実際に別荘に来ている、そう思っているようですが、鹿野信吾の方は水沼の変装ではないか? と疑うところがあります。ほら、あの妙なところ……、『おかしい』とひらがなで書いて、笑える、面白い冗談だ――の『可笑しい』なのか? あれ? 変だな? 怪しい――『可怪しい』なのか? つまり『笑』なのか『怪』なのか? わからなくなるところ……。面白い冗談の方の『可笑しい』なら、確信を持って『水沼の変装』だと思っているわけですし、怪しいの意味での『可怪しい』だと、ひょっとして『水沼の変装』なのか? いや違うのか? そう半信半疑で思っているわけです。すると研究員というのはやっぱり水沼の変装で彼が鹿野に対してとぼけている可能性があると思うのですが、冒頭の死刑囚の手記で変装男が坂東善、すなわち水沼と会話してるので水沼の変装ではない――勿論四章で鹿野信吾も変装男ではないことがわかります。なので、結局、よくわからないのですよ。鹿野信吾の疑った通り、やっぱりサングラス&マスク男は水沼の変装じゃないか? って私は考えるんですけど、そうなると冒頭のやつがわからない」
「じゃあ、やはり、一章から十二章では名前を与えられていない、実際の研究員がいたのではないですか?」と尾崎。
「すると、その研究員と鹿野信吾と水沼、三人いたんですよね? でも現実の世界で人が一人消えてしまうんですよ。どうしても水沼か鹿野信吾が消えちゃうんです。自分の解釈では消えたのは水沼なんですが、鹿野信吾の可能性もゼロではないかも、そうも思ってもいるんです。何らかの叙述トリックが――」
「なるほど鹿野信吾が変装男の可能性は、冒頭の死刑囚の手記の本名での署名と、この尾崎諒馬のインタビュー記事からですね」
「ええ、最後に本名が載ってます。『尾崎諒馬』の本名も『佐藤稔』です」
「で、実際警察が逮捕したのは?」
「近藤メディボーグの主任研究員『佐藤稔』です。実在してます」
「なるほど」
「ええ」藤沢は頷いた。「確かに『佐藤稔』というのは実在してそいつを逮捕したんです」
逮捕の話で藤沢が少し興奮したのか、Web小説の話は中断され、現実の話になった。
「小説の話ではなく現実の話ですが――」
「その『佐藤稔』は自宅で焼身自殺を図ったんですよね。しかし自殺は未遂に終わってそれを逮捕した、と」藤沢を遮り尾崎が確認する。
「ええ。大やけどを負って病院に収容されたんで警察が直接身柄を拘束したわけじゃないですけど、状況証拠で逮捕状は出ましたよ」
「その自宅にもこれから行ってみますか?」尾崎が訊く。
「いえ、もうとっくに更地になって月極駐車場になってます」
「そうですか。ところで、Web小説の方はまだ事件起きてませんが、あれが二十数年前、現実にこの別荘で起こった事件を書いているのだとすると、藤沢さんは小説の先を知っていることになりますね」
「いや、先を読んでみないとわからないですが――。いや、それより本当にこのWeB小説が二十数年前のあの事件を書いたものだとすると、十二章までで、何もなかったとか言って終わってますけど、実際にはその後殺人事件が起こるはずです。で、結局、このミステリーを書いているのは誰なのか? と。作者は『尾崎諒馬』――作中の『鹿野信吾』のはずですが、彼はどうなったんでしょうね? いや、彼は死んでいることになりそうなんですがね。このWeb小説の登場人物を実際の人物と重ね合わせると確かにそうなるんですが」
「おやおや、そうですか。死人が執筆をねぇ」尾崎がとぼけたようにそう言う。
「うーん、まあ変なんですけど――。とにかく、私はこのWeB小説を読んで作者と連絡を取って、尾崎と名乗るあなたとこうして会っている。ひょっとしたら『尾崎諒馬』は生きていてこれを書いてるんじゃないか? それであなたが『尾崎諒馬』じゃないか? とも思ってたんですが、あなたは『尾崎凌駕』だと言う――」
「その前に――。死んでることになりそうと言った『尾崎諒馬』がなぜ生きてるかもと思ったんですか?」尾崎が藤沢を遮って訊く。
「先刻言った、人が一人消えちゃうからです。水沼が消えたように感じていましたが、鹿野信吾つまり尾崎諒馬が消えたようにも思えてきませんかね? 要は――」
「なんか、余計わからなくなってきてませんかね」尾崎が再度藤沢を遮る。
「えっ? まあ、そうですか……」
「とにかく、私の話をすると、私は『尾崎諒馬』ではないです。新聞記事の写真とも違いますし――。ただ私は『尾崎諒馬』つまり『鹿野信吾』と面識はありました」
「『尾崎凌駕』は『鹿野信吾』の親友でしたよね?」
「親友……、うーん、小説上はそうですが、ただ私は『尾崎凌駕』のモデルになったというだけで……、まあ、そこまでの付き合いではないです。まあ、私もそうですが、彼も孤独を愛してましたから」
「そうですか」藤沢は首を横に振って「結局ですね。どうしても現実世界で人が一人消えちゃうんです、それがわからない」藤沢が頭を抱える。
「そうですね。いろいろ考えられますが――」尾崎は言い淀んだが、ふいに思いついたように「例えばですよ。今ここで尾崎凌駕と藤沢元警部が会って廃墟になった別荘に来ている。それを小説の一シーンのように書いてみると――
二人の男がこうして初めて対面している。
『尾崎さんですか? 初めまして、藤沢です』
『藤沢元警部ですね? こちらこそ初めまして、尾崎です』
そう、自己紹介したあとは二人の男は尾崎と藤沢になってしまうわけですよ」
「つまり?」
「さあ?」尾崎はとぼけた。
「うーん、ややこしいな」藤沢が困った顔をした。
「先を読むとわかるかもしれない。いや、余計こんがらがるかもしれないですけどね。藤沢さんは十二章までしかまだ読んでないんですよね? その先を読みませんか? 今ここで。私は既に読んでますので、その方が話が噛み合うと思いますが――」
「読んでもいいですが、時間かかりますよ。その間、尾崎さんは何を?」
「別に一人で考え事するのは苦にはなりません」尾崎は笑った。
今は夏でうだるような暑さ。日差しも眩しい。燃え残った見事な階段が影を作ってくれるので、階段に二人少し離れて座った。藤沢はスマホで小説を読んでいる。
尾崎もスマホで何やら見ていたが、時折、何か入力していた。
「何、してるんです?」藤沢がスマホから顔を上げて訊く。
「ちょっとAIと会話してたんです」
「AIですか? こっちでも主治医がAIと戯れてますが……。尾崎さんはAIとどんな――?」
「ちょっと息抜きに見てみますか?」尾崎はスマホを藤沢に渡した。
尾崎:ライラック 階段いざなう 夢の国 俳句でしょうか?
AI:「ライラック 階段いざなう 夢の国」は非常に美しい表現の俳句ですね。
尾崎:この俳句季語は? 季節はいつでしょう?
AI:「ライラック」は季語として使われる場合、春を示します。したがって、この俳句の季節は春です。ライラック(またはリラ)は春に咲く花であり、俳句においても春の季語として認識されています。
尾崎:作者は誰ですか?
AI:「ライラック 階段を誘う 夢の国」という俳句は、あなたが作成したものと理解しています。もし他の有名な俳人や詩人の作品でない限り、この俳句の作者はあなた自身となります。
俳句は個人が作成するものが多く、特定の作者がいない場合もありますが、今回の場合、質問の流れからこの俳句はあなたのオリジナル作品と考えてよいと思います。とても美しい表現ですので、自信を持ってください!
「AIに褒められましたよ。稚拙な俳句だと自分では思っていますがね」尾崎が笑った。
藤沢は何も返事をせず、スマホでWeb小説「殺人事件ライラック~」の続きに戻った。
※尾崎諒馬のインタビュー記事は 1998/3/17 南日本新聞




