ミス・マープルを探せ事件(前編)
父親が生まれ育った町は、国際貿易港を中心に発展した港町だ。父親と一緒に新幹線を降りて、ローカル線に乗り換える。二駅乗った所が目的地。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが揃って改札口で待っていた。
「クリスティ!」
「クリスちゃん!」
父親の手を離し、もつれる様に走る。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに交互にハグされながら、クリスティは懐かしい匂いを吸い込んだ。
「おじいちゃんと、おばあちゃん、モコモコ」
「ダウンコート着ているからな。クリスティのピンクのダウンコートも可愛いよ」
「お互いモコモコして、抱っこし難いわね」
春休みのある週末、母親は他県で開催される学会に出席する為に家を留守にすることになった。古い友人とも会うので、前々日から四日間ほど家を空けるという。「わたしも、どこかへ、行きたい」と言う娘のリクエストに応えるべく、父親は祝日と土日の間に有休を取り、クリスティを連れて実家に遊びに来たのだった。
「ミス・マープル」
お祖母ちゃんは、屈んで父親の持つケージの中をそっと覗き込んだ。
「しんかんせんで、おりこうに、していたんだよ」
「そう、良い子だったのね。早くお家に行って、此処から出してあげたいわね」
にゃーん
ミス・マープルは、お祖母ちゃんを見上げた。
祖父の家は、駅から車で十分ほど。坂の途中にある。『阿形歯科医院』と書かれた看板が目印だ。今は、若先生ことクリスティの父親の兄が医院を継いでいる。
医院の奥に二世帯住宅の自宅があり玄関を開けると、従兄弟が待っていた。
「クリスちゃん! いらっしゃい!」
兄弟が声を揃える。
「アッちゃん、ヤッちゃん、こんにちは」
アッちゃんは、小学一年生。ヤッちゃんは、クリスティと同じく年中さんだ。
顔を合わせるのは久し振りなので、どこか気恥ずかしい。顔を見れずに、ちょっと視線を外してしまう。アッちゃんとヤッちゃんは、恥ずかしくないのかな。
「遠い所、大変だったわね」
ミエ伯母さんはスリッパを並べながら、クリスティと父親に交互に笑い掛けた。
「お義姉さん、二、三日お世話になります」
父親は、買ってきたお土産を差し出した。
「あら、K軒のシウマイとJ飯店のパイナップルケーキ! ご馳走様」
「クリスちゃん、こっち、こっち」
アッちゃんとヤッちゃんが、家に上がるやいなやクリスティの手を引く。
「う、うん。ちょっと、まって。ミス・マープルに、おみずや、おやつを、あげたいの」
お利口にしていた愛猫をケージから出して抱っこして見せる。
「めが、きれいだよね」
「きんめ、ぎんめって、いうんだっけ?」
兄弟は、ミス・マープルを触ろうとして、猫パンチされた。
「ちぇ、なんだよー」
「なれないところに、きたから、きんちょう、してるの」
「ふーん、ネコを、かったことがないから、よくわからないや」
アッちゃんとヤッちゃんは「あとから、きて」と言って居間に行ってしまった。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、もう一つの玄関から入って、荷物とコートを置いてくると言った。
水やおやつをもらって、少し落ち着いたミス・マープルを兄弟が遊ぶ居間の床に降ろした。ブルーグレーのシャギーカーペットの上で、ミス・マープルはクリスティの側を離れない。大きなガラスの掃き出し窓からは、庭の木越しに医院の建物が見える。
兄弟はテレビゲームで遊んでいた。
ジャンプしたり、走ったり、戦ったり。
目まぐるしく動く画面に兄弟は殆ど瞬きもせずコントローラ―を手に集中している。
「うぉっ」
「くそっ、なんだよー!」
BGMや電子音が絶え間なくする中に、大きな独り言が混じる。
「クリスちゃんもやってみる?」
アッちゃんが、気付いて振り向き、声を掛けた。クリスティは、テレビゲームをあまりやったことがない。謎解きゲームはやったことがあるが、こういうアクションゲームは自信が無かった。
「ううん、みている。やりかたが、わからないの」
「おしえてあげるから、すこし、やってみ?」
アッちゃんは、コントローラーを譲り、操作方法を教えてくれるが、上手くいかない。
「あれ、あれ、おしているのに、おかしいな」
「まって、まって、そっちじゃない!」
思わず、声が出てしまう。
「クリスティ、そろそろ行くかい?」
父親が居間に顔を覗かせた。
お散歩に行く約束をしているのだ。
「パパと、おさんぽに、いってくるね」
念の為、ミス・マープルはケージに入れた。ケージの中の方が、落ち着いているように見えたからだ。
父親の実家に来ると、いつもクリスティは父親と散歩に行く。小さな商店街があった場所や、消防署、父親が通っていた小学校や保育園。父親が話す思い出を聞きながら歩くのが好きだ。
中でも、クリスティが好きなのは、父親が通っていたカトリック系の保育園だ。父親も父親の実家もキリスト者ではないが、最寄りの保育園が此処だったのだと言う。尖った塔が二つあり、塔の上に十字架が付いている。塔の後ろにはレンガ色の大きな屋根が見える。
「えほんに、でてくる、おしろ、みたい」
クリスティは初めて見た時、そう呟いた。
「まどが、いろんな、いろで、きれいだね」
「ステンドグラスっていうんだよ」
もう、何度も聞いたけれど、何度でも聞きたい。
「木で作られたゴシック建築で、中がまたすごいんだよ。白くて天井が高くてね。本当にヨーロッパのお城みたいなんだ」
父親は目を輝かせる。
父親の話は、よく分からないところもあるけれど、最後に決まってこう言うのだ。
「パパがね、建築のお仕事を目指すようになったのは、この教会を、すごいなぁ、綺麗だなぁって思ったからなんだ」
(パパのおしごとは、けんちくしだけど、ほかにも、ある。それは、サンタさん!)
クリスティは、手を繋いでいる父親を見上げてニマニマする。昨年のクリスマスに知ってしまったすごい秘密。
「うん? クリスティもこの教会好きかい?」
「うん。すてきだね」
坂道を上ると、小さな商店街があった場所。
「昔は、八百屋さんとかお肉屋さんとか、お魚屋さんが、全部別々にあったんだって。お祖母ちゃんが言っていた」
「スーパーは、なかったの?」
「パパが子供の頃には、スーパーしかなかったね」
「此処は、パパが通っていた小学校」
「もんが、しまっている」
「中には入れないか。クリスティに見せたかったな。随分と歩いたね。そろそろ、帰ろうか」
「パパが、そだった、ところを、みるのは、おもしろいよ」
何度歩いても面白い。小さな父親を想像して、不思議な気持ちになる。
クリスティと父親が阿形歯科医院に戻ると、家の中が騒がしかった。
「クリスちゃん、ごめんなさいね」
慌てた感じで玄関に出て来たミエ伯母さんが、いきなり謝った。
何がなんだか分からずに、父親と家に上がり居間に行くと、ヤッちゃんが大泣きしていた。
「うわぁーん、クリスちゃん、ごめんね、ごめんね」
「どうしたの?」
兄のアッちゃんが、深刻な顔で床に置かれたケージを黙って指差した。
ミス・マープルを入れたケージの扉が開いている。
「ミス・マープル?」
クリスティは、嫌な予感がしてしゃがみ込んでケージを覗くが、そこに愛猫はいなかった。
「……ミスマープルが、いない」
「どうしたのかな?」
状況が呑み込めず放心したように座る娘に代わって父親が訊ねる。
「ヤッちゃんが、ケージから、だしたんだ。そうしたら、そこのまどから、そとに、にげちゃった」
「うっ、ぐっ、だって、せまくて、かわいそうだったんだもん。ぐすっ、ぐすっ」
「ごめんなさいね。丁度、私が換気の為に掃き出し窓を少し開けてあったの」
ミエ伯母さんが、申し訳なさそうに付け加えた。
「そ、れで? ミス・マープルは……うっ」
涙が溢れて全部を言えなかった。
クリスティは、春休み前にノリコ先生が言ったことを思い出す。
『春休みにお出掛けする子もいるかもしれないから、大切なお話をします。お出掛け先は、皆が知らなかったり、慣れていなかったりする場所です。迷子にならないように、一人で何処かへ行かないようにね。先生とのお約束ですよ』
(ミス・マープルは、しらないところで、まいごになって、ないているかもしれない)
心配で胸が潰れそうだ。クリスティの頬を後から後から涙が伝い、しまいには声を上げて泣き出した。
「それって、いつの話? どっちに行った?」
代わりに父親が、訊いている。
「二人が帰って来るちょっと前なの。すぐに庭や医院の駐車場の付近は見たのだけれど」
「ということは、通りの方に出たのかな」
父親は独りごちる。
「……クリスティ、探偵のお仕事だよ」
父親は娘の金髪クルクル巻き毛を撫でた。
「探偵」と聞いて、クリスティは、目をギュッ瞑り、唇を引き結んで泣くのを堪えた。
いつもなら、アユちゃんの「じけんよ~! じけんよ~!」で、探偵スィッチが入るが、今は春休み、アユちゃんはいない。
「うっ、ぐっ……じ、じけんよ~! じけんよ~!」
クリスティは涙声で言うと、荷物の中から赤い伊達メガネと可愛い手帳を取り出した。しゃくりを上げながら、涙を手の甲で拭う。
「ひっぐ……たんていの、でばんの、ようね」
「さぁ、パパと一緒に探しに行こう。持って行く物は、ミス・マープルのバスタオルとおやつ。あと玩具かな」
父親は、クリスティの涙と鼻水を、優しくティッシュで拭いた。
「ぼくたちも、いっしょに、さがすよ」
アッちゃんは、泣き顔の弟と顔を見合わせ申し出た。
「GPS付きの首輪をしているから、大丈夫だよ。家で待っていて」
父親はスマホを取り出して、ミス・マープルの位置を確認する。数メートル単位で分かるというものの、電波障害や建物などで情報が遮断されたり、干渉したりして位置情報がずることもあるようだ。
「医院の駐車場を出て、右の方、坂の下の方へ行ったみたいだ。さて、探偵さん、どうやって探すかな?」
クリスティは、右手のグーを顎に当てて考える。
「まずは、ききこみ」
「ミス・マープルの写真を持っているかい?」
「……うん」
クリスティは、手帳の裏にいつも挟んである写真を見せた。
金目銀目の白いペルシャ猫が赤い首輪をしている。大好きで大切なミス・マープル。クリスティは、写真を右手の指先でそっと撫でた。
(まっていてね。すぐに、みつけるから)




