第十一話 確認してはいない
たつ子は言う。
「例の大隈さまの憲法意見書とか、今、手元にある? 福地さんとの約束どおり、持ってきてくれた? もし、よければ、僕に預からせてもらえるかな?」
「次に福地さんが来たときに福地さんに見せる。今回、福地さんは約束を守らなかった」
と、武太郎。
すねている。
最初から、ずうずうしい願いだ、と頼む側も思っていた。
できたらいいかな程度の話。
福地のおじさんの言いつけだから、一応、たつ子もおうかがいを立てただけ。
「武太郎くんが今日の福地のおじさんのすっぽかしに腹を立てているのなら、お断りされたということで話は終わり」
徳太郎が、
「もったいぶる必要はないんじゃないか、武ちゃん」
と口をはさんできた。
武太郎が言う。
「もう、馬鹿だな。徳ちゃん。こいつを渡してしまったら、吾曹先生にとって、僕はいらない子になってしまうかも。そうなったら、また、僕が襲われるようなとき、誰が僕を助けてくれるっての?」
「え・・・?」
目を白黒させる徳ちゃん。
そいつは武ちゃんの言うとおり。
福地のおじさんは優しい人ではあるが忙しい人でもある。
「好きにしなヨ」
と、たつ子
徳太郎からの質問。
「その憲法意見書のために、大隈さまは武ちゃんを殺そうとしたのかな?」
たつ子の答え。
「いや、違うと思う」
「どうして?」
と、徳太郎。
同じ疑問をもって、たつ子は兄の次郎一に先にたずねている。
三宅花圃(田辺たつ子)の三つ年長の兄である田辺次郎一は、海外留学経験もあり、異例の若さで現在に商法講習所(一橋大学)で学ぶ。
説明の受け売り。
「東京でもっとも利口な子どもが集まるという評判の二中の生徒を殺す。
騒ぎを大きくする。
全国の関心をかき集めてから、憲法意見書の内容をバンと出す。
政府に止める時間的余裕を与えることなく、自分の憲法意見書の内容を瞬時に広める。
そして、不満連中を糾合して大砲芝居。
大隈さまが政権をほんの一・瞬・だ・け・で・も・握りたいというようなお心づもりならば、そういうやり方もアリ」
「アリなわけか?」
「あわてなさんな。あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみだ。徳ちゃん、あわてる乞食は何とやらだよ。
大砲芝居で明治政府を倒せたとしても、後を続けられない。
西南の役の後始末だけで四苦八苦している。もう一回、派手にやれば、わが国はもたない。
めちゃくちゃして全てをいったん御破算にする?
よその国から売国の報酬を得る?
わが国を潰す御心算を大・隈・さ・ま・がお持ちになることがありうるものかどうか、チョイト考えてみる」
「ふむ」
「一つ目は、今の大隈さまは、インフレ問題の対処にお悩みであるが、全てを御破算にしたいと狂うほどにはお困りではない。
二つ目は、よその国が大隈さまのような政府高官を寝返らせるつもりならば、国内外でそれとわかる大きな動きがあるはず。
結論を述べると、外務省の目から見て大・隈・さ・ま・は問題ない。つまり」
「つまり?」
「今、武太郎くんのことを殺したところで、大・隈・さ・ま・には得られる利益がない」
武太郎が口を挟んできた。
「いや、あの物の怪みたいな書生が神保町で人を斬ったよ。それが何の事件にもなっていない。大きな政治の力が働いたとしか思えない、大隈さまのような」
その件であれば、たつ子は偶然にその場に居合わせていた。
目撃した。
「神保町の件では斬っていないよ。峰打ちか何かで気を失わせたけ。あの時、僕も現場にいたから保証する」
「え?」
「君が逃げ出すところもこの目で見た。そのあとから、倒れた奴が息を吹き返して、特にケガもない様子で、大隈さまの書生たちに引っ張られていった」
「僕は血が飛び散るのを見た」
「見間違えたんだな。マア、君一人の幻覚だろ。
君以外の誰も、その人斬りの現場を見ていない。何の大事にならなかった。大隈さまが政治の力を使って揉み消すべき事件は最初から起きていない」
「峰打ち」
徳太郎はうなる。
「そういうこともあるのなら、校門前で武ちゃんが襲われたという時も、向こうは殺すつもりはかったのかも。ひょっとして?」
「いや、アレは違う。あの時は武太郎くんのことを後ろから追いかけて首を刎ねようとしていたヨ」
直接たつ子が対峙した時の感触。
「どうして僕だけ?」
また、武太郎がお姫さまムーブで泣き騒ぐ。
「不知」
面倒なので、たつ子は短く応じる。
「大隈さまの書生たちが動いたということは、大隈さまからの命令があったということでしょう!」
うるさい。
本当に面倒だ。
見かねた徳太郎が注意する。
「おいおい、武ちゃんさ、大隈さまと大隈さまの下の書生は別だ」
「え?」
「外務省の密偵にしても、大隈さまの屋敷にいる書生一人一人を調べきることはではやしねえ。中に変なのが混じっていたっておかしくはない」
「・・・わかったよ」
不満そうな顔をしつつも、武太郎はうなずいた。
「だネ」
と、たつ子。
長々と【おてつ牡丹餅】で話してきたが、店の貸し切りは二時間。
そろそろ時間切れであった。
話の結論。
「これは上(兄)の意見だが、少なくとも大隈さまは安心だ。大隈さんに直接に面会して憲法意見書を手渡しでお返しすればどうか?」
「大隈さま?」
「どうやって?」
そこまでは田辺兄妹も考えていない。
考える必要がないと思った。
しょせん他人事。
「吾曹先生(福地桜痴)に大隈さまにつながる伝があるはずだよ。大隈さまの書生たちのことは無視して、直接に大隈さまに武太郎くんがお目にかかるべし」
━━伝があるはず━━
実際のところ、伝があるかどうか確認してはいない。
後は福地のおじさんにまかせる。
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話を終えて、たつ子はお花と一緒に【おてつ牡丹餅】を後にした。
お花は感心しきり。
「本当に二中の子どもたちは頭がイイね。文明開化の時代とやら、あたしも思ったヨ」
「利口な子が集められているから、二中は」
と、たつ子。
東京府立第二中学校。
それは現在の東京都立日比谷高校の前身である。
山田美妙(武太郎)も尾崎紅葉も(徳太郎)も後に大学予備門(東京大学の予備機関、教養課程)に進学している。
今のところ、この物語には、十代の少年少女の登場人物として、後世の歴史に名前を残した才人しか出てきていない。
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三宅花圃(田辺たつ子)の兄、田辺次郎一も俊傑であった。
明治十七年(一八八四年)、次郎一は満二十歳の若さで三井物産ロンドン支店長の地位に着く。
同年に病没。
その法事において、たつ子は、兄妹そろって贔屓をしていた落語家の三遊亭圓朝を呼んできて、「毎度馬鹿馬鹿しいお話を」と一席演じさせた。
┅┅兄者はしめっぽいのが嫌いだったし、こういうのがイイんだヨ。きっと兄者も草葉の陰でふざけた妹を持っちまったなァと笑ってくださるヨ。
と。
両親からの教育と縁は薄いが、田辺兄妹は、ともに規格外の明晰な頭脳を持つことを周囲の大人に早くから認められた。
兄妹の関係は、強敵と書いて親友と読ませる類。
その日の夕暮れ時、下二番町の田辺の屋敷にて、たつ子は首をひねっていた。
「あたしには、まだ、わかりません。
兄者のおっしゃる通り、大隈さまの書生の誰かが、おのれの損得勘定の料簡で、二中の生徒を殺して騒ぎを起こす心算だったとしましょうヨ。
それでも、そういう心算ならば、殺すのは別に武太郎くん本人でなくても構わなかったのではないのでしようか?」
「ちょっと待て、言うな」
次郎一は素早く頭を働かせる。
「とりあえず大隈さまの書生が憲法意見書を紛失した。二中生の誰かが持っている。そのからみで二中の生徒が誰か死ねば十分に騒ぎになる。
大隈さまの憲法意見書のからみで、二中の生徒が死んだという形を用意するだけで、騒ぎを起こす目的ば果たすことは可能だ。
いちいち武太郎を探すのは余計。
もちろん、偶然に武太郎が襲われた可能性もある。
そのような低い可能性についても、忘却することは許されない。
しかし、情報の少ない今の段階において、そこまでの偶然まで考慮するようなことは、問題を過度に複雑化するだけである。よろしく捨象するべし」
指でテーブルを軽く叩く。
「現段階の手持ちの情報を総合すれば、犯人には武太郎を殺して国家転覆につなげる騒ぎを起こす心算はないものと私は判断する。
私たちの意識がまだ及んでいない別の心算をもって、犯人は武太郎の首を刎ねようとしたのやもしれないネ」




