ひねもん様
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~ん、ここんところ寒暖の差が激しいぜ~。
なんか一日経つと、夏と冬を反復横跳びしているような空気が漂ってさ。四季がはっきりしていると評される日本の気候も、やがては夏と冬しかなくなるんじゃないかと心配しているの、僕だけじゃないんじゃない?
衣替えをはじめとして、僕たちは来たる季節への準備を着々進めていく。
自分を取り巻く気候に対応するためには、当たり前のことだろうけど、他にも意味があるんじゃないかと、僕は思う。
みんながそろって行うラジオ体操。ひとりだけ違った動作をしていたら目立つだろう?
それと同じようにさ。みんなが一律で動く中、妙な動きをしている者がいないかどうかを割り出す。
なるべきようになっていないところを探すのに、この準備て大切なんじゃないかなと思うのさ。
僕が聞いた昔話なんだけど、耳へ入れてみないか?
僕の地元は山間にあるということもあって、冬が近づくとあっという間に冷え込むらしい。
蓑に上着に、寒さよけとなるものを家々で引っ張り出してさ。大人から子供に至るまで、それらをしっかり着込むよう徹底させた。
体調の管理もそうだが、もう一点大切なことがある。
「ひねもん様」がお越しになっているかそうか、確かめる意味があるのだとか。
ひねもん様は、僕の地元に伝わる神様の名前だ。
もっとも土地神様のように、ずっとその地域に腰を下ろされている神様ではなく、あちらこちらを廻られる神様らしいのだけどね。
うちの家だと渡り鳥ならぬ渡り神様と呼んでいた。
ひねもん様のご利益は、「まわる」ものが滞りなく「まわる」ことだとされる。
季節などの周期から、輪廻などの生まれ変わりまで。流転していくものすべてに働きかけるとされ、四季の訪れにも大いに関係しているのだとか。
もしお目見えになっていることを察したのなら、注意しなくてはならないと。
この冬場へ近づいたおりには、皆が上着を着ることによって判別を行っていくのだそうだ。
たいていは、上着を着ていてもしばしば身震いしてしまうほどの冷え込みが、地元に訪れる。
そのような日に、自分の周りでやたら暑がる人がいる場合は、注意が必要なのだとか。
まずは風邪などの体調不良でないか、発熱をはじめとする健康状態を診る。
暑さを感じる以外に異状が見られない場合には、その人を村やその周りの山野へ連れ出して、歩き回らせるのだそうだ。
変調をきたしている人は、ひねもん様にあてられている。そのひねもん様のおわす場所を特定することの力になれるのだと。
伝わっている話には、山の頂の場合があったみたい。
周りを囲う山々の一角。そのてっぺんに、ひねもん様がやってこられたそうなのさ。
ふもとは身震いするほどの寒気だったというのに、そのあてられたものは周囲の皆よりも薄着になりたがり、「暑い、暑い」としきりに額へ浮かぶ汗を拭っている。
この暑さの増す方へ進めばいいとは、彼自身も理解していた。自らの感ずる暑さが増していく方向へ、皆を引っ張っていく。それが山を登った先だったというわけ。
標高数百メートルほど。
登れば登るほど寒さを増しがちな傾向に逆らって、先に立つ彼以外の面々も、自らの服装に暑苦しさを覚え始めていた。
一枚、二枚と、足の進むうちに羽織っていた衣類は、おのおのが腕へ引っかけていくようになる。中腹を越えてくると、すでに皆は夏と見紛う薄着姿となっていた。
てっぺんに着くころには、皆が着る一枚の「あわせ」さえ存分に汗に濡れて、ぞうきんのようになっている。一歩歩くごとに、足元へぽとぽとと汗のしずくが垂れるほどだった。
そうして訪れた山のてっぺんは、ぐるりと見渡してみると、すぐおかしな点が目に入った。
この辺りを囲うのは松の木々で、大きく手を広げるような格好で頂上の周りにそびえているが、その一角。
幹が異様にたわんでいた。
二本の木の左側のものが左に、右側のものが右に、大きく「く」の字をかたどるように、身体を大きく曲げている。
そうして、余計に生まれた空間は大きな管を通すかのごとき形状。そのうえ、この山から見える景色は一面の曇り空だというのに、その幹の作り上げた空間から見る遠方だけは、いやに晴れ渡って目に映ると来ている。
ひねもん様が来られていると、村の皆は判断した。
すると彼らは、自分の脱いでいた服たちを一枚一枚、松の幹からこの山頂の中心部にまで、橋になるように並べていく。
その架橋作業が終わると、見計らっていたかのように、敷板代わりの衣類たちがみしりと、音を立てながら一斉に地面へうずまった。
とはいえ深さはさほどでもなく、上から重いものに押さえつけられて、土もろともその重さに少し耐えかねたかといったところ。その沈み具合は畑から根菜を引っ張り出すときくらいのへこみようだった。
ひねもん様がくつろがれているらしい。
我々がこたつへ足を入れるように、諸国をめぐられるひねもん様も、こうしていずこかの地へ腰をおろし、体の一部を突っ込んでくつろがれることがあるんだ。
ひねもん様のお体がより楽になれるよう、あてられた人を中心にして、その用意をする。衣服並べもその一環なのだとか。
しかし、そのときは間が悪かったのか。
ややあって吹き寄せた風がまわりの松を揺らし、その細い枝を折ってしまう。枝は風に流されるまま、うずまる衣服の一箇所をかすめつつ、かなたへ転がっていった。
すると、ほどなく大きな地揺れが起きる。
どしん、どしんと音が立つたび、皆が作った衣服の橋はなお土の下深くへ潜り、あの松の幹もかけらが足元にまき散らされていく。
揺れのおさまったときには、衣服の橋たちは大人の背が簡単に隠れてしまう深きへ落ちていた。松の木もまた、その幹を断ち折られ、空間の先もあたりと変わりない曇り空を広げている。
どのような理由であれ、それにひねもん様もご機嫌を損ねたか。
その年の冬の気候は例年に比べて何ヶ月も長引いたらしいのさ。