第95話 共和国の宿屋と不安
(流石に心細いな。)
共和国に無事入国できたが、これまで一緒だった炭鉱夫たちは去っていき、俺はロバ2匹と取り残されるような恰好になっていた。周りは当然見慣れない風景で、知り合いも誰もいない。
12歳程度の子供が1人、都会に出てきた田舎者に見えるだろう。それでも都会特有なのか、注目されることも、声をかけられることもない。治安の良さもあるのだろう。
(ようやく、目的の場所にたどり着いたんだ。まずは落ち着く場所を決めて、色々と調べて見るとしよう。)
イーリスの里や村から出てきた目的は交易先を見つけること。ようやく人が多く住む場所にたどり着くことができた。交易先の人口としては十二分だが、流石に距離が遠すぎて、交易は難しいかもしれないとは思うが、まだ諦める段階ではない。
縁に恵まれようやく入国できた国でもあるので、じっくり調べたいとは思うが、不安が募ってきた。寂しさからだけではなく、共和国の王都に入ってから感じる空気の影響も大きい。王都の空気は澱んでおり、気温と湿気が高く不快感が高まる。
(この不快感は、季節的なものではななさそうだな・・・)
俺は立ち止まり、ゆっくりと周りを見回してみた。
「汚いな・・・」
共和国の王都は壁に囲まれており、入国審査もしっかり実施している。入国費用が高いこともあり、王都にはある程度裕福しかおらず、暮らしは一定水準以上に統制されているものと期待していたが、どうやら見込み違いだったようだ。
確かに入国前から、嫌な予感はあった。2つ目の門をくぐる前から気になっていたが、とにかく鼻が曲がるほど臭い。臭いの原因の1つは、いたるところに放置されている糞尿だろう。常に人目がある門に直結している道はでさえこのような状況なら、裏路地などはどうなっているのか・・・考えたくもない。
(考えて見ればありえない話でもない。)
前世の中世ヨーロッパでは、古代ローマでの洗練された衛生習慣は継承されることなく、主要都市ですら衛生環境がひどく、動物のような有様であったのは、それなりに知られている話だろう。
糞尿の処理はインフラが整っていない場所ではかなりのコストがかかる。下水道がなければ、廃棄物として処理するしかなく、回収、廃棄場所への輸送、廃棄、廃棄場所の管理と、膨大なコストがかかる。国が公共事業として処理する決断ができなければ、今のような状況になるのは自明なのかもしれない。恐らくこの共和国も中世ヨーロッパ同様なのだろう。
周りを見渡した限り、清潔に保たれているのは、教会と思われる建物くらいだ。教会はどの時代でも、清潔に保たれていることが多い。イメージもあるのだろうが、もしかしたら、教会は病気の原因などについて、あたりを付けていて、衛生習慣の大切さを知っており、聖職者などの日常習慣に取り入れることで清潔さを保っていたのかもしれない。
ここまでひどい衛生状態であれば、汚染されていない綺麗な水すら貴重だろう。例えばその水を聖水と呼び、傷口を洗うだけでも、破傷風などの病気の防止や病状改善の効果も見られるはずだ。効果があれば、綺麗なだけの水を聖水と言って販売しても、だれも文句はつけられないかもしれない。
(ふむ。綺麗な水を売るというのは、もしかしたらありかもしれないない。)
それはさておき、しばらくすると臭いに鈍感になり馴れてきた。人間の鼻は臭いにマヒするようにできているので、共和国の住人たちは、ここの酷い臭いもあまり意識していないのかもしれない。俺も慣れていくのかと思うと、怖くなってきた。それでも湿気が多く、不快なのはあまり変わらない。
(しかし、このままだと不安しかないな。長期滞在すべきかもしれない。)
共和国の衛生状況や環境などが思ったよりもずっと酷い。この状態が続くと遅かれ早かれ前世と同じ歴史を辿るはずだ。今後の方針を練り直す必要があるのかもしれない。ひとまず、親方に紹介された宿屋を探して、宿を確保して落ち着く方が良いだろう。長期滞在も視野に、稼ぐ方法の確認も必要になりそうだ。
俺は考えるのを一旦止めて、親方に紹介してもらった宿屋へ行くことにした。
・・・
(流石親方。迷いようがないな。)
目的の宿屋はすぐに見つかった。門からつながっている大通りに面しており、門からも近く、迷うこともなくすぐ見つけることができた。宿屋は全体的に石造りだが、一部にステンドグラスを使っており、素朴だがおしゃれで好印象だった。ロバのルシオとロシナンテに、宿屋の前で待つように伝えて、宿屋に入っていった。
宿屋に入ると、中年の女性が受付に座っていた。見た目からして貫禄があり、頼れそうな印象だ。この宿の女将さんだろう。俺は話しかけ方に迷ったが、こちらを見てきたので、直球で要件を伝えることにした。
「今日から泊まりたい。一番安い部屋で1週間頼みたいが、部屋はあるか? それと、値段も教えてくれるとありがたい。」
女将さんは少し驚いたような顔をしながら、おれの周りや、入り口近くを眺めてから聞いてきた。
「ぼうや、両親はどこだい? 部屋は空いているけれど、うちは人数で値段がかわるのさ。何人で泊まる予定になるかな?」
当然かもしれないが、女将さんは俺が一人だとは思わなかったようだ。誤解は早めに解く必要があるだろう。
「悪いが俺は一人だ。泊まる人数は1名になる。正確には俺と、ロバが2匹。鉱山の親方オルデンに、この宿を紹介してもらった。子供だけでは部屋を貸せないということであれば他をあたるが。」
女将さんは少し慌てた様子で、すぐに返事を返してきた。
「そ、そいつは失礼したね。オルデンさんの紹介なら何も問題ないよ。もちろん1人での宿泊も歓迎さね。ロバはつないでおくだけで良ければ、水場もあるし、裏にしておくれ。王都治安は良いから、それだけで大丈夫だと思うよ。まあ、保証まではできないけれどね。」
俺はうなずきながら、価格やその他の条件についても確認していく。
「わかった。ご厄介になりたいが、1週間の宿泊でいくらになる?」
「そうさね。今空いている部屋で希望のものになると、7日間で泊まりのみで銀貨7枚、朝夕の飯付きで銀貨10枚になるけど、オルデンさんの紹介ということであれば、朝夕の飯付きで銀貨8枚に負けておくよ。」
親方からはもろもろの報酬として、金貨2枚(銀貨200枚相当)と銀貨20枚受け取っている。さらに物を売った銀貨50枚もある。
銀貨10枚は入国審査料として支払っているので、手持ちの銀貨は60枚、8枚であれば金貨を両替する必要もなく、銀貨も十分手元に残るので丁度良い金額だ。
「ありがたい。朝夕付の銀貨8枚で1週間頼む。場合によっては延長をお願いするかもしれない。」
そういうと女将さんは少し嬉しそうな顔をしていた。
「あいよ。親方の紹介であればこっちも安心だしね。サービスして、少しでも長い滞在になることを期待しようかね。それじゃ入国許可証を出しとくれ。それとこの台帳に名前の記載をしておくれ。」
俺が台帳へ名前を記載し、銀貨を前払いで8枚渡すと、女将さんは部屋に案内してくれた。
(ほう。あまり広くなくて落ち着けそうだな。)
案内された部屋は、18平米くらいだろうか、ビジネスホテルのシングルくらいの大きさで、窓が1つ、テーブルにベッドがあるだけの簡易の部屋だった。お風呂はなく、トイレはお丸のようなものが置いてあるだけだ。
入り口の扉には、前世のような鍵はついておらず、中から閂を通す形になっていた。小さめの部屋だが、逆に落ち着ける。俺は部屋で1人になった後、今日見たものなどを思い出していた。
「ふぅ・・・・・どうしたものかな。」
俺が見る限り、共和国は非常にまずい状態にある。しかもリスクが複数存在していて、その1つ1つが深刻な状況になりかねない。正直、前世で起こった悪夢の歴史を思い出してみれば、ここ10年以内に、王都が壊滅的なダメージを受ける可能性は、かなり高いだろう。何か対策を考える必要がありそうだ。




