第102話 挨拶とスラムの調査
(それにしても、良くできた矢だな。)
宿屋のベッドは、朝になるとちょうどよく日差しが入り込んでくる。その光がどさくさに紛れて持ってきた矢の矢じりに反射して、俺の顔にあたり目が覚めた。
ぼんやりと矢を眺める。矢は木製で矢じりの材質は黒曜石、矢羽根には大きめの羽根が使われ、丁寧に加工されていて美しい。戦場で面を攻撃するような用途で使われる矢とは明らかに違っており、射撃精度の高さも頷けるものだった。
昨日は冒険者として登録を行い、木材調達のために大森林の調査を行った。残念ながらエルフの女性と思われる人物に邪魔され森の中には入れず、当然木材も調達できなかった。その後は、宿屋にもどって食事をとり、体が疲れていたこともありそのまま寝床についた。
(名前も分からないし、エルフさんと呼ぼう。木材を調達したいし、今日も会いにいくか。)
そう思いながら起き上がる。良く眠れたので目覚めが良く、気温も心地良い。中々に気持ち良い朝を迎えることができた。宿泊している2階から1階に降りていくと、女将さんから、丁度、朝食の準備ができたとの声がかかったので、そのまま食堂に移動する。
(うーん。食事ははやくなんとかしたいな。)
共和国での食事は、全般的に塩味が足りないうえに、燃料に石炭を使うため独特の臭いがついてしまう。若い体でお腹は減っているのだが、石炭に含まれる硫黄や油のことを考えると健康面が心配になり、どうしても食欲がわきにくい。改善の手段はいくつかあるのだが、それが下手に普及すると、石炭の地位が盤石になる可能性があるため自重している。
「若いと、もっと濃い味が良いわよね。もちろん良いわよ。」
里から持参した塩がまだ残っていたので、失礼かもしれないが女将さん了承のうえ、塩を振って朝食を食べさせてもらった。女将さんに曰く、共和国では塩の入手場所は限られており、気楽に使えるほど安価な調味料ではないという。
里の塩を女将さんに見てもらったが、商品価値は十分にあるという。塩は里から販売用に持ってきても良いかもしれない。一部を女将さんに渡し、明日以降の朝食に使ってもらうことにした。
朝食を終え、一休みした後、昨日と同じく大森林に向かった。
・・・
「止まりなさい!それ以上進むのであれば、子供でも容赦できませんよ。」
朝食を終えた後、俺はロバたちを連れて大森林に向かった。しかし、今日もエルフさんが待ち受けており、同じような場所、同じようなセリフで止められた。相変わらず取り付く島がない。
「今日は、お土産も持ってきた。使って欲しい。」
森に近づくのを諦め、昨日拝借した矢を地面に置いて返しつつ、イーリスの里特製の竹製水筒の説明を行ったが、残念ながら違った反応を引き出すことはできなかった。テンプレのような言葉を繰り返す彼女に、それでも俺は水筒を2つほど地面に置き、使ってみて欲しいと伝えてから退散することにした。
昨日に引き続き、今日もエルフさんとは挨拶程度の接点しか持てなかったが、木材調達には関係構築が必須だと思う。挨拶を欠かさず長期的にアプローチを続けることにする。
(挨拶を日課にするとして、今日は、スラムの調査もしておくか。)
時間を少しでも有効に使うため、竹林がないかの調査も王都への帰り道を変えながら進める。そして、王都に戻ったら衛生面が特に心配で、疫病の発生の可能性が一番高いスラムの調査をすることにする。
スラムにロバたちを連れていくのは、襲われる危険性を高めるだけなので、昨日と同様に途中でルシオとロシナンテには自由にさせる。
「夕方に北門で待ち合わせだぞ。」
俺がそう話しかけると、いつもの鳴き声を出して離れていった。今日も念のため、首に『しるし』をかけておいたが、昨日も普通に戻ってきていたので問題なさそうだ。
ロバたちと別れた後、王都に戻り、そのまま南門を経由してスラムに向かった。スラムは王都を南門から出て、右側へ10分程度歩いた場所にあり、そこから南西に広がっている。
・・・
(思っていたほどでもないが、やはり酷いな。)
スラムには、主に石を積み上げ、土、泥などで補強されて作られた小さな家らしきものが乱立している。王都のような高い壁に囲まれていないお陰か、排泄物の臭いが控えめだが、また違う異臭がしている。
昼前の時間帯にも関わらず、働いていない住民が多いようだ。共和国の土地が豊で、荘園が運営できる状況であれば、人手が足りないはずで、ここまで大きなスラムはできない。大河の側に肥沃な領地を持つ共和国でさえ、耕せる農地が十分にないのだろう。
(いずれは、何とかできればとは思うが・・・)
スラム住民の大半は当然ながら元気がない。年配の住民だけでなく、元気が取り柄のはずの子供達さえも、生気のない目つきで壁によりかかっている。服はボロボロ、食事を取れていないのか、栄養失調の特徴である痩せているのに腹が出ている子供も見受けられる。
相当具合が悪いのか、道端にうずくまっている人もいるが、ありふれたことなのか、誰も感心を示さず、興味なさそうにしている。時々畑らしきものも見えるが、作物の成長は十分でないようだ。稀にだが比較的綺麗な身なりの女性もいるが、恐らくそれが必要な商売をしているのだろう。
時々粗末な武器を持った男たちも見られたが、俺を見ても無関心で、襲われるようなことはなかった。傭兵などの働き先があるのかもしれない。
スラムでは誰もが疲弊しているのだろう。酷い状況で最初こそおどろいたものの、段々見慣れてきてしまっている自分がいる。慣れてきたというより、マヒしてきてしまっているのかもしれない。
(なるほど、そういうことか。)
下水道は、当然存在していないがスラムの西側には川が流れていた。川の水は濁っており水質はあまり良くない。下水道の代わりにも使われているのかもしれない。この川が、辛うじてこのスラムの衛生環境を保っているのだろう。暫くスラムの中を歩いてみたが、幸い疫病が発生しているような状況ではなかった。
・・・
概ねスラムの状況が分かり、完全に油断していたときに、それは起こった。
「う、動くな!ってうあぁぁぁ」
いつの間にか背後から近づかれ、突然後ろから男の声が聞こえた。いきなり声をかけられてびっくりしたこともあるが、咄嗟に振り返ったところに目の前に人がいたため、反射的に相手の胸を手で突き飛ばしてしまった。
(まずい!)
突き飛ばした瞬間に手を引いたが、力の加減が出来ず、声をかけてきた男が吹っ飛んでいく。男は無様に道で3,4回転げた後、土壁にぶつかって止まった。
手には握っていたと思われるナイフも落ちている。黒曜石で作った粗末なものだ。男は多少ふらつきながらも、立ち上がり言葉を続ける。
「こ、殺されたくなかったら、食い物をよこせ!」
男は俺よりも若干背が高く、13,4歳くらいのまだ少年と言った方が良さそうな顔立ちの人物だ。恐らく脅すようなことにも慣れていないのだろう、吹っ飛ばされて倒れているのに、用意してきたようなセリフを言ってきた。何度も言うセリフを練習していたのかもしれない。
その姿は必死さと滑稽さが絶妙なバランスで、ちょっと健気だ。脅された相手だったが、毒気を抜かれてしまった。そのまま放置することも考えたが、目には何かを覚悟したような強さを感じる。大して危険もなさそうなので、少し話をしてみることにした。
「食い物は親にもらえ。俺はお前の親じゃない。脅したことは忘れてやるからさっさと去れ。」
少年は俺の言葉に少し顔をしかめながら話を続ける。
「う、うるさい。良いから食い物をよこせ。さもないと・・・」
自分がナイフを持っていないことに、今更気が付いた様で言葉を詰まらせる。あまりの道化っぷりに、少し笑えて来た。よく見れば、足がプルプル震えている。体格では負けているものの、力では負ける要素もない。他に武器も持っていないようなので、こちらから近づいて耳元で威圧する。
「さもないと、なんだって?」
少しドスを聞かせた声で話しかけただけで、少年はその場で座り込んでしまった。




