7 執行人
フェルナンドが王になってから、王の怒りの執行人となり、罪人に接していたのは四人の魔法使いだけ。王城に残る最後の魔法使いが事切れ、王から捨てろと命じられた側近達は、これまで罪人達がどう扱われていたのか知らなかった。王の言葉をそのまま実行するほか手立てはなく、城の裏手の山中にセラフィナの遺体を運び、投げ捨てるように放置した。弔われることもなく朽ちていく、それが王を怒らせた罪人への罰としてはふさわしいように思えた。
執務をこなしながら、フェルナンドはかっとなった自分に少し後悔に似た思いを感じていた。
自分のことを言われて少し頭に血が昇っただけだ。怒りのまま下した処分は、数日後にもう一度問いかけられる。気にしていないと言えば罪は軽くなり、許すなと言えば処分される。それが執行人の仕事だ。
しかし、何日経ってもフェルナンドに問いかける者は現れなかった。
数日後、王の子を成していなかったことがわかったクリスティナは、特例として実家に戻ることが許された。クリスティナは自分のことでセラフィナが死んだことは知っていたが、王の怒りを買ったのが悪いのだ、殺した王が悪いのだ、そう何度もつぶやき、王の気が変わらないうちに早々に王城を離れた。そして他国の貴族からの縁談を受けると、逃げるように国を出た。
怒りのまま自ら剣を振るって一週間ほど経ち、フェルナンドは何かが足りないような気がしながらも、それが何かわからないでいた。
街での公務からの帰り、途中の丘にある墓地で祈る人を見かけた。
こんなところに墓地があったことを知らなかった。墓地は新しいが質素で、盛った土に木が刺しているだけの簡易なものだった。
「あんな所に墓があったか?」
とフェルナンドが尋ねると、
「さあ、どうでしたか」
と側近もよく知らない様子だった。
気になったフェルナンドは馬車を止め、祈りを終えたばかりの者に尋ねると、
「ここは、罪人の墓場でございます」
と答えた。そこはフェルナンドが王になって以来、罪人として死をもって罪を購った者のために作られた墓地だった。
「罪人の? 何故罪人なんぞに墓がある」
「王城にいらした魔法使いが、罪はあっても死者は皆弔われるべきだとおっしゃいましたので。…あそこに、前王一家も埋葬されています」
指さされた先に父王も、妃のエデルミラも、弟のアルフレドもいる。この国に来てから自分が許さなかった者達は、身分の差もなく木でできた簡単な墓標のみ与えられ、皆一様にそこで眠っているのだ。
ぞわりとした感覚が背中をよぎった。自分の恐怖心を抑えていた魔法の鍵の掛け金がボキッと折れたような気がした。
「あいつらが、あんな物を作ったのか?」
まるで、自分の罪を証拠として残されているような気がした。ひどく不愉快だった。
フェルナンドは城に戻ると、セラフィナを呼び出した。
「セラフィナはどこだ。すぐに呼べ」
その言葉に、側近達は皆一様に固まったが、うちの一人が恐る恐る口にした。
「セラフィナ様は…、あなた様の手で誅されました…」
それを聞いたフェルナンドは、顔をしかめ、側近を見ていた。
「…何を言っている。セラフィナは俺の剣など防御魔法ではじいてしまうだろう」
「あの日は何故か防御の魔法が発動せず、剣は心臓を貫き、そのままお亡くなりに…」
「嘘だ。…この城は変わらずセラフィナの防御魔法で守られているじゃないか」
「あの日は朔日でしたので、セラフィナ様が魔法を注がれたばかりでした。もうしばらくはもつかと思われますが、やがて消えるかと」
心を凍らせる魔法が揺らぐ中、あの日の記憶がまだらに蘇ってきた。
怒りのままに剣を向けた。
いつもなら、王は剣を向けてはならない、とセラフィナが止めていた。セラフィナの防御魔法は完璧だった。あの魔法を砕くことは自分にはできない。
しかしあの時、防御魔法に止められた記憶はない。
突いた剣は…どうなった?
朔日ですから。…この城の守りを重ねがけしました
かつて、セラフィナ自身がそう言っていた。朔日は魔法を補う日だと。そして城だけでなく、フェルナンドの部屋にも魔法を追加し、ふらついているのを見かけたことがあった。守りの魔法を重ねがけしたせいで、充分な魔力がなかったせいだとしたら。
あの時、ふらつくのを見ながら、手を貸すこともしなかった。同じように弱っていたセラフィナに剣を向けていたとしたら…
「本当に、…死んだのか?」
「…はい」
「では、セラフィナもあの墓地に…」
「墓地?」
その場にいた者は皆、首をかしげていた。そこに罪人の墓地を知るものはいなかった。
城から墓地に死体を運び出し、埋葬していたのは、魔法使いの依頼を受け、罪人の身につける宝飾品を報酬に引き受けた城外の者。そのことさえ誰も知らなかった。
「墓地など存じず…。セ、セラフィナ様は、王の…、捨てておけとのご命令に従い、裏の山に…」
フェルナンドはすぐに場所を聞き出し、城の裏手の山へと向かったが、暗い夜の山中のどこに放置されたかもはっきりしなかった。翌日、日が出てから再度その周辺を探したが、それらしいものは何も見つけることはできなかった。
フェルナンドはただ呆然となり、声は上げなくともあふれる涙を止めることができなかった。
恐怖を消す魔法は恐怖以外のものも、フェルナンドの心をも消していた。どんなに人を殺めても心に響くことはなく、動じないことが強さだと思っていた。
まさか、ずっと共に戦ってきたあのセラフィナを、自分を守ってくれたセラフィナをあんなつまらない怒りで殺すとは。
死ぬはずがないという思い込みで振り返りもしなかったとは。
許されると甘えて放置したとは。
任せる気持ちで捨てさせたとは。
手の中に残る、記憶にない感触。
痩せて筋肉は硬く、日に焼けた肌はかさつき、花のようないい香りはしない体。それをみずみずしく柔らかな肌よりも好ましいと、愛おしいと、そう思った。あれは、…セラフィナだったのではないか。しかし確かめようにも、死体さえもない。
そして思い出す。
恐怖に震え、悪夢にうなされていた自分を慰めてくれた、守りの力…。
城を出て戦う日々に、ソシアス国にいた時も、そしてこの国に戻ってからもずっと。
セラフィナは、まさに罪ある者への執行人だった。
恐怖から逃げ、罪を犯した王に罪を認めさせ、ごまかしの魔法を解き、悲しみという感情を思い出させたのだ。
城を包む守りの魔法が消え去った頃、フェルナンドは滅多に怒ることはなくなっていた。
冷静で思慮深い王は、国を導くための決断は揺るがず、話し合いで決着がつかないときも決して感情のままに決めてしまわないよう、三日をおいて再度話し合うことを常とした。
また罪に対する刑を明文化し、王が気分のままに誰かを殺めることはなくなった。刑を執行する者を王以外の者と定め、王はその執行を監視する者となった。
フェルナンドは王城に残った二人の妃候補を家格の順に第一王妃、第二王妃とし、そのどちらも平等に扱った。
やがて第一王妃には男の子が二人と女の子が一人、第二王妃には女の子が二人生まれ、母親は違っても同じ家族として協力し、仲を違えることなく過ごした。
王の自室に続く王妃の部屋はどちらの王妃にもあてがわれず、扉が外され、埋められ、壁となった。王の部屋に入ることを許された者はおらず、夜を共にするときには王がそれぞれの王妃の部屋を訪れたが、その後も朝まで部屋に留まることはなかった。
フェルナンドは自分の後継者を育てることに力を入れ、王子が二十歳になった誕生日にその位を譲り、国を託して引退した。そして贖罪となる役割を果たしたその翌日、王城から忽然と姿を消し、二度とその姿を見ることはなかった。