八 講演
「昨夜現金一億円を奪って逃走した2人組の男は、今も捕まっておらず、警察はこの2人に懸賞金一千万円をかけることを決定しました」
街頭に設置された映画館並みの巨大スクリーンには、話題のニュース映像が流れている。画面の中では、盗みに入られた銀行のガードロボットが、自分の不甲斐なさにうなだれている様子が映し出されていた。ニュースは次々と切り替わる。
「先月、”たかしろ広場”で破壊行動を行なった男、通称”ブラスト”ですが、その身元は現在も分かっておらず、情報提供が呼びかけられています」
そのニュースを読み上げる女性の背景には、先日の、サイボーグ男の様子が映し出され、加えて、当時その場にいた人々のインタビュー映像が次々と流されていた。
映像は再び切り替わる。これまでニュースを読み上げていた女性とは別に、中年男性の姿が増えていた。テロップには、
”ブラストは何者か!?その正体に迫る!”
と書かれている。
「本日は、特殊犯罪分析家の難波英一さんをお招きし、様々な噂の流れる”ブラスト”の正体について、お話を伺いたいと思います。難波さん、早速ご意見をお聞かせ願えますか?」
美人キャスターに鼻の下を伸ばしながら、難波氏が得意気に答える。
「それはもちろん、君、政府による秘密実験の被害者だよ。私が独自に仕入れた情報によれば、政府は長年、激化するテロへの対抗手段として、人体のサイボーグ化を計画していたのさ」
何とも鼻につく喋り方で、難波氏は続ける。
「巷では色々と言われているがね、私は彼が再び現れると確信しているよ。私の興味はむしろ、その時誰が彼を止めるのかということだ。世界の歴史を紐解けば、強大な”ヴィラン”が現れた時、必ず彼らを止めるヒーローが現れる。必ずね」
難波氏は、片方の口角を大きく吊り上げ、ニヤリと笑った。
大小様々なニュースや広告が映し出されるスクリーンを、しかしながら街を行き交う人のほとんどは見ていない。彼らが目で追っていたのは、目の前で繰り広げられていた引ったくり攻防だ。
「誰かその男を止めて!」
バッグを奪われた女性は、異様に高いヒールを器用に履きこなしながら男を追っていた。しかし時間とともに、その差は徐々に開いていく。近くの男性がなんとか引ったくり犯を止めに入ったものの、そのガタイ良い体躯には敵わない。男は走りながら後ろを振り返り、上手く逃げおおせたと白い歯を見せて笑顔を作る。
しかし男の動きはそこで止まった。いや、正確にはあまりにゆっくりと動くので、周囲の人からは止まっているようにさえ見えた。彼の背中には、何やら小さな傘の骨のような形の機械がへばり付いている。
アキラは人混みをかき分け男に近づくと、女性のバッグを取り戻しつつ、”タイムチューナー”を手早く回収した。
「よし、なんとか逃げ切れ・・・っうぉ!」
男は突然現れたアキラに驚き、腰を抜かす。そのままあわあわと言葉にならない言葉を発し、地面に座り込んでしまった。
アキラはタイムチューナーを小さく折り畳み、左腕にはめた金属製のリングに収納する。9つのタイムチューナーを手軽に持ち運べるよう、カズキが改良したものだ。
「こっちです!早く捕まえて・・・え?」
バッグを盗られた女性は、警察を引き連れて追いついてきた。が、予想に反して地面の上で放心状態になっている男の姿に、驚きを隠せない。
「どうぞ。もう盗られないように、気を付けてくださいね」
アキラは取り返したバッグを女性に手渡した。
「ど、どうもありがとう。あなたは一体・・・」
訝し気な女性と警察の視線をかわし、アキラはもう一度タイムチューナー取り出して、今度は自分に装着した。アキラのスピードは周囲の何倍にも上昇し、誰の目に留まる事もなく、その場を後にした。
”大学生のための工学講座”
国内屈指の収容人数を誇る大講堂の入り口には、大きな文字でそう書かれていた。改めて時間を確認したアキラは、駆け足で入り口の階段を上る。しかし急いで中に入ろうとするアキラを受付嬢が制止した。
「こちらで学生証をお見せください」
「あ、僕ここの学生じゃなくて・・・」
「本学の学生以外で中に入られる方は、ゲストバッジをつけて頂くことになっています。こちらを胸の部分におつけください」
そう言って、受付嬢は小さなバッジを手渡した。しかし安全ピンらしきものは見当たらない。アキラは、バッジをひっくり返したりしていろんな角度から眺めて見たが、やはり何も付いていない。困惑するアキラを見かねた受付嬢が、手を差し伸べる。
「バッジの裏側を服に軽く押し付けて頂ければひっつきますので」
笑顔を向けながらも、こんな事を知らない奴がいるのか、と不思議そうにこちらを見る受付嬢に、アキラは恥ずかしくなって、足早にその場を去った。
講堂の中は広い客席がほとんど埋まりきっていた。大学生だけでなく、近所に住む老人や家族連れ、メディアらしき人達も見える。その大勢の聴衆の中から、アキラはようやくハルを見つけ、隣に座った。
「凄い人の数だね、カズキにこんなに集客力があるとは」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ、もうほとんど終わっちゃったよ。一体何やってたの」
「いや、ちょっと色々とあって・・・」
ボソボソと話す2人に周りの視線は厳しい。皆、壇上で堂々と話すカズキの姿を真剣に見つめていた。
「ーーと、これが、私の研究の概要だ。この講演では時間の都合上、残念ながらその本論までは辿り着けないが、少しでも君たちの益となることを願う」
カズキは聴衆に軽く一礼し、話をまとめた。それを受けて司会を務めるカズキの助手が、聴衆に問いかける。
「えー、では残りの時間で、皆様からの質問を受け付けたいと思います。どなたか森教授に聞きたいことなどある方はいらっしゃいますか」
会場は俄にざわつき出したが、やがて一人の学生が手を上に伸ばした。
「どうぞ」
司会に促された学生が自身の学生証を取り出し、何やら手元で操作すると、カズキの立つ壇上のスクリーンに学生の様子が映し出される。
「僕はまだ、自分の研究したい分野を決めきれずにいるのですが、森教授はどのようにして、ガン細胞の初期化というご自身の研究テーマを決められたのですか」
王道な質問ではあったが、アキラとハルにとっても、興味深い事だった。カズキが自分自身の事について語ることは、滅多になかったからだ。
壇上のカズキは、右手で髭をこすりながら一度天を仰いだ。それから、言葉を紡ぎ始めた。
「その質問に端的に答えるのは中々に難しい。なんせ私の場合、専門が一つじゃなく、物理工学から生命工学まで幅広いからね。とは言え、”ガン細胞の初期化”については、長年の目標でもあった。そのきっかけになったのは10歳の時のことだ。私の親友の母親が亡くなってね、ガンだった。当時の医学では、完治の確率はかなり低かったが、それでも、傷つき悲しむ親友の姿を見て、子供心に何か出来る事があったのではと思わされた」
会場は静まり返っていた。司会を担当する助手ですら、珍しく雄弁なカズキの言葉に聴き入っている。
「大学の2年の時、その親友がまたも大きく傷つく場面があってね、彼のために何かできないかと改めて考えるようになった。彼は長年、母親のことで苦しんでいた。彼を救うために自分にできることは、彼の母親と同じ病を、この世から無くすことだと考えたんだ」
はじめ軽い気持ちで話を聞いていたアキラは、心を強く揺さぶられていた。まさかカズキが、そんな事を考えていたとは、思いもよらなかった。隣に座るハルが、小刻みに震えているのが見なくても分かった。
質問をした学生も、思いがけない話に面食らっている様だったが、しかし腑に落ちない事があったのか、新たに質問をぶつける。
「しかし、その様なお考えからすると、なぜ医学を志さなかったのですか」
カズキは軽く微笑みながら答えた。
「それはまだ君が、物事の本質を捉え切れていないから出る疑問だよ」
カズキは続ける。
「私の見てきた医学は、少なくとも私の感性に合うものではなかった。私は本来、全ての事は自然の流れの中にあると思ってる。その考えを実践で扱うには工学の方が都合が良かったのだ。病を治すのは医学だけじゃない。もちろんそれも必要だが、皆が皆そこを目指したところで、物事は何も進歩しないのだ。一つの事を前進させるには、様々な考えと感性を持つ人達が、あらゆる角度から物を見て、取り組まなくてはならない。そうやって我々人類は、科学の時計の針を、少しずつ、進めてきた」
会場からはどこからともなく拍手が起こった。当のカズキは、少し恥ずかしげに続けた。
「まぁ色々と偉そうに言ったが、きっかけなんて些細な事でいいんじゃないだろうか。小さい頃に読んだ漫画の世界を実現させようと研究する発明家や、小学生の頃に”新聞”で数独にはまり、大数学者になった者もいる。その大きさなんて関係ない。時に小さなきっかけが、大きな結果を導くんだ。だから君たちにはそんな些細なきっかけを大切にして欲しい。そして出来ることなら、次の世代にとっての”きっかけ”になって欲しい。少なくとも私は今、ここにいる誰かの、何かのきっかけになればと思い、この場所に立っている」
質問した学生は、静かに礼をして、席に着いた。それからも、いくつもの質問が飛び交ったが、カズキはその一つひとつに丁寧に答えていった。
講演終了の時刻が近づき、司会が質問を打ち切った。そして最後の挨拶をカズキに求めた。
「それでは森先生、学生たちに何か一言、お言葉を頂戴できますか」
カズキは改めて聴衆に向き直り、話し出した。
「これから先、君達はそれぞれの未来を歩む事になる。しかし中にはまだ、霧のかかった迷路を彷徨っているものも多いだろう。大人達はよく、”自分で決めた事なら後悔しない”などと言うが、これほど無責任な言葉もあるまい。失敗すれば、結局は後悔する。むしろそうするべきだ。だがそれは、どうにもならない事をいつまでも引きずることじゃあない。時は巻き戻せない、終わった事を変える事は出来ないんだ」
カズキはそこで一度言葉を切った。そして真剣な眼差しで、最後の言葉を届けた。
「所詮何事も、なるようにしかならない。それ以上を望んでもどうにもならない。だからこそその中で、常に最善を模索し、努力し続けられるものだけが、前に進む事ができる。私はそう考えている」
講堂の前の広場は、会場から出てきたばかりの人々でごった返していた。その中心には、サインや写真撮影に応じるカズキの姿があった。カズキは、多少めんどくさそうな素振りを見せながらも、慣れた様子で笑顔で対応していた。アキラとハルは、幼馴染の少々意外な一面を、遠くから楽しげに眺めていた。
30分ほどして、ようやくほとぼりが冷めてきた。講堂付近にいる人の数もぐっと減り、最後の学生にサインを書き終えたカズキが、アキラたちの元へとやって来た。
「悪かったな、待たせてしまって」
「ここじゃカズキは凄い人気なんだな、アイドルみたいだったじゃないか」
「まぁ、メディアに出る回数もそれなりだからな」
カズキはわざとらしくドヤ顔を見せる。顔に入ったシワが、大人の格好良さを演出していて、アキラは少し羨ましく思った。
「講演の内容も、すごく良かったわ!アキラはほとんど聞けなかったみたいだけど」
ハルは横目でアキラを責めた。
「いや、だからあれは・・・とにかく、一番大事な最後の挨拶はちゃんと聞いてたから、大丈夫だよ」
アキラは慌てて弁明した。
「ハハ、別に構わないさ」
「それよりもさっきの、最後のあれ、”時間は巻き戻せない”ってのは、タイムマシンでここにいる僕らへの皮肉みたいだったな」
アキラは冗談っぽくそう言ったが、その言葉で、カズキの表情が少し固くなった。そして真剣な様子で言った。
「皮肉なんかじゃないさ。時はどうやったって巻き戻せない。タイムマシンで進めたり巻き戻したりできるのは歴史だけだ。人一人ひとりに流れてる時間はただ一方向で、やり直したりはできないんだよ。
だからアキラ、ハル、お前たちもくれぐれも無茶はするなよ。後悔だけじゃ、済まないこともある」
アキラには、そう話すカズキが一瞬、寂しそうな目をしたように見えた。しかし次の瞬間にはいつも通りの優しい目に戻っていた。アキラはそれが見間違いだったのかどうか、確証が持てなかった。
それから3人は、少しばかり講堂の周りをふらふらと歩き回った。講堂の前には綺麗に手入れされただだっ広い芝と、その周りをぐるりと囲む、数十本もの桜の木とがあった。腕をいっぱいに広げ、美しい空の青を覆う淡いピンク色。そこからチラチラと、無数の花びらが平和を報せる白い鳩のように吹き乱れる。その下に響き渡るのは、花見に興じる人々の笑い声。その様子は30年前と寸分違わぬもののように感じられた。
もっとも、少し周りを観察すると、5メートルおきにゴミ回収ロボットが動き回り、人々の座るブルーシートはふわふわと宙に浮いている。誰もがストレスなく楽しめる技術があちこちにあった。
「まさかこうして、お前たちと3人で花見が出来るとはな」
最も太く、大きな桜の下で立ち止まり、カズキが言った。
「何言ってるの、つい数ヶ月前にしたじゃない」
ここに来て一月半、今の生活に慣れてしまい、ハルもアキラも自分たちが未来に来ていることをつい忘れてしまう。
「お前たちにとってはそうでも、俺にとっては30年ぶりだよ」
カズキは静かに笑いながらも、どこか遠くを見るような目で応えた。少しの間、何もない時間が流れる。
辺りの賑やかさとは対照的なその沈黙を破ったのは、意外な声だった。
「あのー、もしかしてあなた達って、先日ライトを助けてくれた・・・」
突然の問いに、3人ともが驚き一瞬固まったが、その間に下からも言葉が続いた。
「やっぱりそうだよ!あの時のお姉ちゃん達だ!」
声の主はライト親子だった。カズキの目に溜まった熱いものを隠すように、ハルが間に入って会話を返した。
「久しぶりだね、ライト君。今日は何しに来たの?お花見?」
「ううん、森教授の講義を聞きに来たんだよ、ママがファンなんだってさ」
退屈なものに付き合わされてしまってやれやれだとでも言いたげなその口調に、大人達は苦笑する。
「それはそれは、光栄です。聞くに堪えるものだったかは分かりませんが」
「まさか!とっても素敵なお話でしたし、こうして直接お会いできて、こちらこそ光栄です」
そう話す彼女の手には、カズキの著書と黒のペンが握られている。それをさり気なく受け取りサインに応じるカズキに見惚れる母を、ライトがツンツンと小突いて言った。
「声をかけたのはそんなおじさんのサイン貰うためじゃないでしょ!お姉ちゃん達にお礼するんじゃなかったの!」
息子に叱られ我に返ったライトの母は、そのやり取りを見てニヤニヤしているアキラとハルの方に向き直って、恥ずかしそうに言う。
「そうでした。私ったらつい・・・あの、先日はまともにお礼もせずに別れてしまって、申し訳ありませんでした。かなり動揺していたもので。大したことは出来ませんが、今夜一緒にお食事でもいかがですか?近くに良いところがあるみたいで。良かったら森先生も・・・しかし皆さんがお知り合いだったとは・・・どうゆうご関係で?」
尚もカズキの方をチラチラ見て、最後には話がすり替わってしまった母親を、またライトが小突く。
「ご迷惑でなければぜひ、ご一緒させて下さい。ねっ、2人とも」
ハルが3人を代表して答えたおかげで、アキラとカズキは頷くだけで済んだ。レストランの場所を聞き、3人はそこで一度、親子と別れた。
それから3人は、カズキの提案でもう少しだけ花見を楽しむことにした。カズキは終始感傷的で、「歳をとると桜が心に染みるんだ」と苦笑した。空では太陽が少しづつ、傾き始めていた。