表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロノマン  作者: 蛙の介
5/12

五 迷道

 森の中には、人の手による光はほとんど届かない。空では、母親の後ろに隠れる恥ずかしがり屋の子供の様に、月が雲の隙間から少しだけ顔を覗かせ、その周りで星達が、楽しそうに思い思いの光を放つ。微笑ましい夜空の一場面は、そこが30年後の未来であるということを疑いたくなるほどに、変わらず、見る人の心を和らげる。

 ふかふかの芝の上に仰向けになったアキラの目には、しかしながら、その光景は写っていなかった。頭の中にあまりにたくさんの事がめぐりすぎて、目に映ったものが入り込むだけのスペースがなかったと言うべきかもしれない。この数時間の間に起こった出来事の数々を思えば、頭の容量が足りなくなるのも、無理もないだろう。

 カズキは、あの後も話を続けた。カズキによれば、アキラの父トーマは、オルゴールに入っていたタイムマシン「ループ」を開発した後、数日前に突如として姿を消したのだという。

「トーマは俺の研究室に学生として入ってきた。その時点ですでに、あいつの中でタイムスリップ理論は完成していたらしい。もっともはじめのうちは、アキラから話を聞いていた俺を除いて、誰も耳を傾ける者はいなくてね。俺と2人で、ここで研究を続けていた。しかしどこから情報を仕入れたのか、数ヶ月前、ループの完成間近になって、”三堀産業”という企業が興味を示した。タイムスリップ技術を高額で買い取りたいと。トーマは断った。そして姿を消した。おそらくはループを使い、過去へ行ったんだろう。そして、お前が生まれた」

 カズキの話を思い出しながら、アキラは考える。父さんは未来の人間だった。母さんはその事を知っていたんだろうか?ペンダントやオルゴールの事は・・・

 熱くなる頭を、冷たい夜風が冷ましてくれる。冷静になるにつれて、徐々に身体も外の寒さを思い出し始めた。

「すごい星空ね。今にも溢れて降ってきそうなくらい」

 そう言って、ハルがアキラの横に腰を下ろした。その声で我に返ったアキラは上半身を起こし、改めて空を見上げた。

「本当だ、こんなに綺麗だったなんて、今気づいたよ」

 2人はしばらくの間、黙ってその景色を眺めた。その間、ハルは自分の手をアキラの手の上に重ねた。その冷えた手は、逆にアキラの心をあたためてくれる。静かに、時間が流れた。

「ループ、だっけ?あのオルゴール、壊れてる部分はすぐに直るって」

 雲が空を覆い、星も月も隠れ始めた頃、ハルが口を開いた。

「でも、30年ものタイムスリップには、やっぱりエネルギーが足りないんだって。どうやって貯め直すかは、改めてカズキが考えるから、アキラのペンダントを預かりたいってさ」

「そっか」

 アキラは、それは好都合だと思った。ここにはまだ、やらなきゃいけない事や知らなきゃいけない事がたくさんある、そんな気がした。

 ハルは、難しい顔をしたままのアキラに向き直った。そしてその手を握ったまま立ち上がって、明るく言った。

「明日街にショッピングに行かない?せっかく未来に来たんだし、バスの窓からだけでも見たことのないものがたくさんあったじゃない!あの中に入ったらきっともっと楽しいものがいっぱいあるわ!」

 自分に向けられたハルの笑顔が、とても眩しい。優しさに満ちたハルの眼差しは、アキラの心を溶かしていくような気がした。今はとりあえず、その優しさに甘えよう、そう思えた。

 そんな幼馴染2人の様子を、カズキはコーヒー片手に静かに眺める。その表情は、どこか暗く、寂しげだった。そして

「・・・」

 何かを小さく呟き、部屋の奥へと入っていった。


 翌朝、リビングのソファで目覚めたアキラは、昨日一日の出来事が夢でなかったことに、今更ながら少し驚いた。部屋の隅のボタンに触れると、それまで光を遮るように少し曇っていた窓が一気に透明になって、外の様子が目に飛び込んで来た。芝の上には露がキラキラと光り、周りの木々は僅かに風に揺られている。木の上の小鳥たちの歌は、その美しい音色に反しどこか寂しげで、灰色の空とともに少しばかり陰鬱な空気を家の中まで運んで来ていた。

 奥の寝室で寝ていたハルはまだ起きていないようだったので、アキラは音を立てないよう静かに動いた。冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注ぎ、キッチンに置いてあった食パンを皿に出す。アキラがジュースを飲む喉の音と、パンを噛む音だけがキッチンに響く。それらを流しに置いて、昨日引っ張り出してそのままになった本を、適当にパラパラとめくってから、元の位置に戻して綺麗に並べ直した。

 それから、アキラはクローゼットの中から適当に服を選んで着替えることにした。中には街で見かけたような”未来らしい”服もいくつかあったが、あえて無難なものを取り出す。少しサイズが大きかったが、カズキ曰くそれくらいが若者の流行りらしいので、よしとする事にした。

 特にやることもなくなってしまったアキラは、何をするでもなく部屋の中をうろついた。

 すると部屋の隅に置かれた椅子の上に、綺麗に畳まれた上下のアンダーウェアが置かれているのに気がついた。

「これは俺が開発した、運動サポート機能付きのアンダーウェア”TECHNO”だ。まだ試作品だが、是非一度使って感想を聞かせて欲しい」

 その、小さく角張った文字で書かれたカズキのメモに従って、アキラは仕方なく、服を着替え直した。

 それからアキラは、ソファに深く腰掛け、母の日記をめくった。所々に血でできたシミが、母の柔らかい字を滲ませていた。それらを目で追えば追うほど、頭は白くなり、心は遠くへ行くようだった。

 どれほど経っただろうか。アキラのページを進める手は、あるところで止まった。何か違和感を感じて、しかしそれが何か分からなくて、ページの角を軽く三角に折り込み日記を閉じた。

 10分ほどして、ハルが寝室から出てきた。女物の服はなかったので、なるべく着やすい形のものを選んだ。しばらく眠そうにしていたが、カズキに聞いたバスの時間になる20分前には、準備を終え、揃って家を出た。

「ねぇ、バスはタダだけど、買い物するお金どうするつもり?」

 バス停に向かってのんびり歩きながら、アキラが言った。

「カズキが帰る前に、カードを借りといたから大丈夫。ついでにお勧めのものも聞いておいたから」

 ハルは嬉そうに笑った。

 バスは1秒の遅れもなくやって来た。「バス」に目的地を伝え、誰もいない車内の、一番端に座る。

「未来の服とか小物とか、可愛いのあるといいな!」

「僕は未来の漫画が読みたいな。紙のものが売ってるのか分からないけど」

 2人は未来の買い物を想像しながらバスに揺られた。カズキに教えられた目的地は、昨日アキラ達がいたあたりよりも少し遠く、より大きな街になったところらしい。そこなら大抵のものは見られるはずだとカズキは言った。


「ご乗車ありがとうございました。またのご利用を心からお待ちしております」

 バスを降りた2人の目の前にあったのは、それ自体が一つの街のようなスケールのショッピングモールだった。あまりに広いので、移動するのに乗り物に乗る人達もいるようで、入り口には無数の、例の宙に浮かぶ板が用意されていた。それぞれの店舗は、広々とした店内に多くの商品が並べられており、博物館のように「魅せる」事に注力した様々な展示方法によって、一つ一つの品が主役として輝いている。そんな店が、どこまで広がっているのか分からないほどたくさん立ち並び、さらにそれらが縦に5階分もある。そして5つのフロアのさらに上に広がる天井は、その存在を忘れてしまうほど高い位置にあった。

 全部見るには一週間くらいかかりそうだな、とアキラは思った。正直言って、アキラは買い物があまり好きではなかったので、少し参ってしまいそうだった。普段着ている服も、実はほとんどはハルが選んでくれたもので、アキラはいつも、服やなんかを見るのは一時間くらいで飽きてしまうのだった。

 とは言え、そんなアキラでもここなら楽しめるかもしれない。何せ、立ち並ぶ店の種類は、数え切れない。服、家具、飲食店、靴、ペットショップ、薬に本、おもちゃから家電製品まで、全てが揃っている。中には変わったものもあって、ハンガーの専門店とか、電池ばかり何百種類も揃えたところとか、誰が買うのか分からない実物大の動物やら恐竜の模型が置いてある店もあった。

「すっげー!これポケモンの最新作だぜ!実際にポケモン育ててバトルできるんだってさ!」

「いいなー 僕もポケモンリーグ出たいよ。でもママが絶対買ってくれないよなー」

 子供達がおもちゃ屋のショーウィンドウにこれでもかというくらい顔を引っ付けている。驚く事にその中では、本物のピカチュウが元気に動き回っていた。

「ほんとにすごいね。何をどうすればいいのか全然分かんないよ」

 あまりのスケールと活気に、アキラの心の声が漏れる。その様子を見たハルは嬉そうに手を引っ張って、

「色々見たいところはあるけど、その前にまず手に入れなきゃいけない物があるからね!」

と人混みの中をズンズンと進んだ。

 2人が来たのは、たくさんある店の中でも特にデザイン性にこだわった店構えのところだった。シンプルな外装と、ガラスでできた店内は、優しい明かりで包まれてシックな雰囲気を作り出している。

「ここって・・・?」

「ブレインキューブよ。カズキ曰く、この時代にいる以上、最低一つは持ってないと何にもできないんだって」

 店内には、色や形、大きさの異なるブレインキューブが100種以上展示されていた。アキラがそのうちの一つを手に取ると、

「いらっしゃいませ。ようこそOrangeへ。当店では、お客様のご要望に合わせたお客様だけのブレインキューブを作ることができます」

目の前のガラスに女性の姿が映し出され、突然アナウンスを始めた。バスの時と同様、人ではなくAIが接客もしてくれるらしい。

「私はやっぱり、可愛いやつがいいわ。でも、あんまり凝ってない、上品な感じの。それってできる?」

 ハルが早速注文を始める。こういう時、女性の方が頭が柔軟で、順応は早いのかもしれない。

「もちろん可能でございます。より具体的なご要望があれば、遠慮なくお申し付けください」

「えぇっと、そしたら・・・」

 ハルがガラスの中の女性に次々と注文する間、アキラは店内をブラブラと見て回った。一口にブレインキューブと言っても、機能は段階的で、スマホと同程度のことができるだけのものや、そのままUSBメモリのように使えるもの、空中に立体的に映像を出してそこで操作できるものや、中には足が生えて来て、自立して動いたり飛んだりするものまであった。

「ねぇ、アキラは選ばないの?」

 ハルがガラスの向こう側から声をかける。

「僕はノーマルなデザインのやつでいいよ」

 そう答えてから、アキラは付け足した。

「でも、機能は一番上のやつがいいな。このトコトコ歩くやつ、ちょっと可愛いしね」

 すかさずAIが対応する。

「かしこまりました。それではこちらでお会計をお済ませ下さい。3分33秒で商品がご用意できます」


 相変わらず、時間はピッタリだった。アキラはバスで見たものとほぼ同じような外見のもの、ハルは落ちついたゴールドで、少し模様のついたオシャレなものになった。

 それから2人は少し早めの昼食を取ることにした。野球ドームくらい広いフードコートは、ありとあらゆるジャンルの食べ物で溢れていたが、調理場がロボットで埋め尽くされていた以外、中身はアキラ達の時代と特に変わらなかった。驚かされた事と言えば、セットについてきたポテトが全て完璧に同じ硬さ・長さ・太さだったことくらいだ。

「この後どうしようか。お互い見たいものも違うだろうし・・・」

「何時間か別行動しよっか。アキラ、私と一緒に服とか見るの嫌なんでしょ?」

 そう言って、ハルは笑った。アキラは心を見透かされたようで少し悔しかったが、何も言い返せず苦笑するしかなかった。

「でも、別れちゃうとお金が困るよね。カズキのカード一枚しかないし、それにこれだけ広いと一度離れたら二度と会えなさそうだよ」

「何のためにこれ買ったと思ってるの?ブレインキューブをかざせば、昔のお財布ケータイみたいに使えるんだから」

 ハルは自分も未来の人のような口ぶりで言う。

「それに、さっきのお店で私とアキラのブレインキューブを接続してもらったから、どこにいるかはこれで分かるの。アキラがフラフラしてる間にちゃんとやっといたんだからね!」

 最後の言葉は、腰に手を当てわざとらしく姉さんぶって言った。しかし、

「でもハル、方向音痴だし・・・この広いモールの中で迷子にならないといいけど」

と心配するアキラには、

「子供じゃないんだから、大丈夫だもん」

ハルは少し子供っぽく答えた。


 4時間後にフードコートに待ち合わせをして、アキラはハルと別れた。それほど買い物をする気のないアキラは、地下にある映画館に入ることにした。その道中、2件目のハンガー専門店を見つけ立ち寄ったが、予想に反してどれも機能的で、気がつくと4つほど買ってしまっていた。

 映画館は、もはやアトラクションのようだった。特にアキラが観た作品がそういった仕様になっていたらしく、360度の立体映像と小石の転がる音まで聞こえる音質は、完全にその世界に入り込んだように錯覚させてくれた。

 一方ハルは、目に付いた店に片っ端から入っていった。雑貨や駄菓子、文房具などありふれたもののどれもが、細かく進化しており興味深い商品ばかりだったが、何より意外だったのはのは、バスやブレインキューブの店Orangeの時とは違い、多くの店で接客を人がしていることだった。もっとも、なぜか家庭用ロボットを売っていたのはロボットだったが。

 服屋も、ブランドの種類こそ大きく変化したものの、店の様子はそれほど変わっていない。ハルは声をかけて来た店員に流行りの服を聞き、何着か試着した。サイズが非常に細かく設定されており、ピッタリのものが見つかったのは良かったが、なぜか店内にはどれも一着ずつしか置かれていない。どうやらこの時代では、たいていの店では在庫はほとんど置かず、実際に見て選ぶだけ選んだら直接家に配送されるシステムになっているらしかった。


 映画を観終わったアキラは、残りの時間を本屋で潰すことにした。驚いたことに、その様子は30年前とほとんど変わっていなかった。他の店舗が売り方や商品の中身を色々と変えているのに、ここだけは、店いっぱいに本棚が並べられ、そこに色々な厚さ・大きさの本が窮屈そうに収まっていて、懐かしさすら感じさせる。

 アキラはひとまず、漫画の売り場を探すことにした。未来の世界でどんな漫画が描かれ、売られているのかとても興味があった。

「あのー、漫画コーナーってありますか?」

 アキラは若い男性店員に声をかけた。細身で長身のその見た目は“若い”頃のカズキによく似ていたが、顔つきはもっと大人しくて優しそうだった。

「はい、こちらになります」

 案内された場所は店の中でも特に広いスペースで、かなり古い作品や週間の漫画雑誌、大判のコミックや海外の作品などがずらりと並ぶその光景は圧巻だった。

「こんなにあるんだ」

 呆気にとられているアキラに、店員が親切に答える。

「漫画は幅広い世代の方に読んで頂けるジャンルですから。なるべく色々な作品を置くようにして、新刊が出るときは特設コーナーも設けていますよ」

 なるほど、確かに一つの作品だけで大々的に展示されているものがいくつもある。初めて見る作品だらけだったが、どれも興味をそそられるものばかりだ。

「何ですか?その写真。随分と古そうですけど・・・」

 大量の漫画本に囲まれ、感傷に浸るアキラに、店員が問いかける。その声で我に返ったアキラは、上着のポケットからはみ出ていた例の写真を引っ張り出した。

「あぁ、これ、両親とその友人みたいです。まぁ、もう亡くなってるんですけどね」

「それは、失礼なことを。申し訳ありません」

「いえ、気にしないで下さい」

答えながら、アキラが写真をパタパタと左右に振ると、店員が再びそれを興味深そうに覗き込んだ。

「裏に、何か書いてありますね。住所と・・・これは、何かの絵ですか?」

 そう言われ、アキラは写真を裏返す。

「この住所は父が昔住んでいたところなんですが・・・こっちの絵の方は何が何だか、よく分からないんですよ」

 アキラも、改めて写真の裏に描かれた絵をまじまじと覗き込んだ。


挿絵(By みてみん)


「これ、踊る人形みたいですね」

「は?踊る人形?」

 店員の唐突な言葉に、アキラが驚く。確かに、踊っている人間に見えなくもないが、それが何だというのか。そんな様子に、店員は優しく説明を加えた。

「あ、私、ミステリーが好きでして。その、特にホームズが。所謂シャーロキアンというやつです。そのホームズのシリーズの中に、ちょうどこんな感じの絵で作られた暗号が出てくるんです。それが踊る人形ってやつでして。

 まぁ残念ながら私に彼のような推理力はないので、これも意味は全然分かりませんけどね」

「なるほど、暗号か。それは考えなかったな・・・」

「良ければ、そのホームズの本、読まれますか?数あるミステリー作品の中でも、やっぱりホームズは特別ですよ。まさしく時を超えて語り継がれるべき名作というやつです」

 店員の声に、徐々に熱がこもる。その気に押され、アキラはミステリーが置かれたコーナーへと案内されることとなった。

 移動の途中、目につく何万冊という本の山を見ながら、アキラは声を漏らした。

「紙の本は減ってくばかりだと思ってたけど、そんなこともないんだ」

「あなた、面白いことを言いますね」

 店員は、驚くアキラを不思議そうに見ながら続けた。

「確かに私が生まれる前くらいまでは、デジタルに押されて漫画とかも減っていたらしいですけど、今はもっぱら、紙の本が人気ですよ。それに、ロボットも増えましたけど、物を買うなら人からだっていうことで、うちみたいな昔ながらの雰囲気の店は無くなりませんしね」

 彼の言う通り、店内に貼られたポスターには手書きのものも多く、本の整理などもあえて人が行っているらしかった。

「不思議ですね、あなた私よりお若いのに、なんだか父や祖父の世代の人と話しているみたいです」

 店員は興味深そうにアキラを眺めながら、笑った。お爺ちゃんはやめてほしいな、とアキラは思ったが、それほどに、時代の変化は大きいのかもしれない。

「あなたのお父さんは、僕みたいに紙の本に驚くんですか?」

「驚くと言うよりは喜んでますけど。父は若い頃、NU大学で文学を学んでいたらしくて。その時の論文で”もう一度紙の本の時代が来る”って書いたそうで、脚本家になってからも度々そう主張したとか。その通りになったと、しょっちゅう自慢してます。渡正文って、ご存知ありませんか?昔医療ドラマが大ヒットしたらしいんですが・・・あ、ホームズはここです。それではごゆっくり」

 店員は、少し恥ずかしそうに、でもどこか誇らしげに言った。


 同じ頃、ハルは男の子の手を引いて歩いていた。ハルがこの少年と出会ったのは、数分前。ペットショップの前を通りがかったとき、カエルの水槽の前でキョロキョロと不安そうに辺りを見渡す彼を見つけ、声をかけた。少年曰く、彼は母親と買い物に来ていたのだが、水槽の前で立ち止まった彼に母親が気付かずに、はぐれてしまったらしい。そこで、迷子センターに連れて行くことになったのだった。

「あなた、名前はなんて言うの?」

 ハルは少年を安心させるため、話しかけた。

「ライト。もう直ぐ8歳」

 ライトはちょっとぶっきら棒に答えた。

「ライト君は、カエルが好きなの?私はちょっと苦手だけど・・・」

「今はみんな、カエルとかヤモリとかが人気なんだ」

「犬とか猫とかじゃないんだ?」

「そんなの時代遅れだよ」

 ハルはなんとか心を開いてもらおうとしたが、ライトは下を向いたままボソボソっと答えるだけだ。

 その時、2人の前に、小さな女の子に声をかけるロボットの姿が見えた。どうやら迷子を見つけ、迷子センターに連れて行くロボットのようだ。ロボットはその場で、女の子の年齢や特徴を調べ、あらかじめ連絡を回しておくらしい。

「ねぇライト君、あのロボットに助けてもらおうか」

 ハルは立ち止まって、ライトの方へ向き直り、聞いてみた。ところがハルの提案に、ライトは首を縦には振らなかった。

「僕、ロボットは好きじゃないから。固いし冷たいし。だから僕、ブレインキューブも持ってないんだ。家にロボットがいる友達もたくさんいるけど、僕はパパさえいてくれたら・・・」

 最後の方は、少し泣いているようだった。その様子にハルは、小さい頃のアキラを重ね、やるせない気持ちになった。

「そっか。じゃあこのままお姉さんと一緒にママのところに行こっか」

 そう、ハルに優しく声をかけられたライトは、涙を見せまいと下を向いたまま目を袖で拭って、小さく頷いた。

 それからは、ライトは少しだけ明るく話すようになった。好きなアニメの話や、学校の遠足のことなど他愛のないものばかりだったが、テレビ本編より盛り上がるCMのことや、学校の先生は授業はせずに生活や行事の指導のみをするらしいことなどは、ハルにとって未来の様子を知れる興味深いものだった。


「やっぱりハル、迷子になったな・・・」

 アキラはブレインキューブの時計で、3度目の時間確認をする。待ち合わせの時間はかなり過ぎていたが、ハルは一向にその姿を現さない。昼時を過ぎ、人のまばらになったフードコートでアキラはすでに30分以上待たされていた。

「ちょっと不安だし、探しに行くか」

そう一人呟いて、アキラは席を立った。


「おかしいなあ、お店、なくなっちゃった」

 アキラの予想通り、ハルは完全に迷っていた。2人が今いるのはメインの店が立ち並ぶところからは外れた、まだオープン前の店ばかりがあるエリアだった。あたりには人もロボットもおらず、閑散としている。

「お姉ちゃん、全然地図、見ないからだよ」

ライトが不満を漏らし、

「やっぱりアキラの言う通りだったな・・・」

ハルは肩を落とす。

「今度はちゃんとブレインキューブで調べるから・・・」

「僕トイレ!」

 ハルがブレインキューブを取り出す僅かな隙に、ライトが走り出した。ところがよほど慌てていたのか、ライトはトイレの表示のあるところではなく、店と店の間の、裏に通じた通路に入って行ってしまった。

「そっちじゃないわ!」

 ハルはその後ろを小走りで追う。

「もう、よく見ないとダメじゃな・・・」

 そこで、ハルの言葉が途切れた。誰かいる。嫌な雰囲気を感じ取ったのか、ライトもその場で固まっていた。奥から、男たちの低い声が聞こえて来る。

「次で結果を出せなければ、我々はもう、貴様らNEVERに金は出さん」

「分かっているさ、"烏”よ。もう計画は最終段階だ」

 男のうちの一方は、外国人のようにも見えたが、言葉は流暢だ。マスクで顔は見えないが、ちらりと見える右腕の義手が不気味さを演出している。もう一方の背の高い男はニホン人の様だが、その無機質な声は、ロボットよりもずっと冷たい。

 ハルは、本能的に危険を察知した。まだこちらには気づかれていないが、見つかればタダでは済まないだろう。

「ライト君、音を立てずにゆっくり下がって」

 ハルに耳打ちされたライトは、コクッと小さく頷く。そして2人は一歩ずつ、決して気づかれないように下がり始めた。極限の緊張感の中、一瞬一瞬が何時間にも感じられる。ゆっくり、ゆっくり、2人がようやく出口に近づいたその時だった。

「痛っ」

 ライトが声をあげた。隣のハルの足につまずき、転んだのだ。

「誰だ!?」

 義手の男が声をあげる。気づかれた、早く逃げなくては。そう考える頭とは反対に、体は接着剤で固定されてしまったかの様に少しも動かない。もはやそれが、自分の身体なのかどうかさえ、分からないほど・・・

「聞かれたか」

「監視カメラだらけの街中よりはマシかと思ったが、こんな所に入ってくるネズミがいるとはね」

「さっさと黙らせろ」

 長身の男の言葉で、義手の男が2人に近づいて来る。そして義手とは逆の、太く長い腕が、固まって立ち尽くすハルの喉元に伸びるーー

 ガシッ

 覚悟を決めたハルの目の前で、男の手が止まった。

「・・・アキラ?」

 間一髪、2人を助けたのはアキラだった。男の手首を握るアキラの手元からは、カズキの開発したアンダーウェア"TECHNO”がちらりと見えている。

「この子達から離れてもらえますか」

 アキラは男とハルの間を自らの身体で遮り、静かに言葉を放った。その一言で、ピリッと空気が張りつく。それほどの凄みがあった。

「何だ、このガキは・・・!」

 男はアキラの手を振り解こうともがいたが、ビクともしない。そらどころか、痛みで顔がひきつる。アキラがパッと手を離すと、男は腕を押さえながら思わず三歩奥へと下がった。

「なんでアキラがここに・・・」

「君が言ったんじゃないか、何の為にブレインキューブを買ったんだって」

 アキラは手に持ったキューブを振りながら、優しく笑いかけた。

「クソッ、こんなガキにこの私が・・・!」

 男はもう一度アキラに襲いかからんとする。アキラも身構える。しかしその時、

「辞めだ、ここは引くぞ」

 奥で見ていた長身の男が言い放った。

「しかし"烏"、こいつらは・・・」

義手の男は戸惑ってそちらを向いたが、

「黙れ」

長身の男のその一言で諦めたようだった。義手の男は小さく舌打ちをすると、通路の奥へと入っていった。長身の男も、黒の長いローブをはためかせ、その後に続く。闇に消える直前、長身の男はこちらに振り向き、アキラの方をじっと見た。深いキズの間から覗く、その刺す様な視線は、アキラを見ているようでもあり、同時に他の何かを見ているようでもあった。

 2人の男は見えなくなった。アキラは長身の男の顔に見覚えがある気がしたが、どこでだったのか思い出せなかった。

 緊張が解け、ハルは腰が抜けてしまっている。ライトも、その場で座り込み、かなりの量の冷や汗をかいていた。アキラはハルを何とか起こし、ライトをおぶって迷子センターへ向かった。

 先程までの恐ろしい体験から逃れるように、ライトは父親のことを話し始めた。話し始めてみて、ライトは自分でも驚くほどたくさんの事を話した。何も言わず、ただ静かに聞いてくれるアキラとハルが、とても居心地が良かった。

 父親の事を2人に話しながら、ライトは幼い頃のことを思い出していた。

 ライトの家には、父の写真がほとんどない。ライトが生まれてからも、父は一年のほとんどを仕事に追われ、家にはいなかったからだ。父が仕事に出かける時、両親の表情はいつも重々しかった。父がいない夜には、母が自分の目を盗んで泣いているのを、ライトは陰で知っていた。

 それ故にライトは幼い頃より、父がいない事について母を問い詰めたりした事はなかった。母と2人での生活に不自由はないし、暇を見つけては遊びにも連れて行ってくれる。そんな毎日は十分幸せで、ライトは両親のことが大好きだし、尊敬もしているのだった。

 しかしかつて一度だけ、ライトが父に駄々をこねた事があった。それは5歳になる誕生日の前夜だった。その年は、生まれて初めて誕生日を父と祝える事になっていた。ライトはそれが楽しみでしょうがなかった。母と一緒に大きなケーキを作り、部屋の飾り付けをして、ワクワクしながら布団に入った。その時、父に電話が入った。急な仕事の要請だった。

 ライトは父を引き留めようと泣き喚いた。そんな息子を、母は叱ることなどできるはずもなかった。泣いて泣いて、泣き疲れたライトに、父が膝をつき、ライトの頭に手を置いて、その目をじっと見ながら言った。

「ごめんな、ライト。でも、これがパパの役目なんだ。明日、お前の誕生日を祝えないのはパパも辛いよ。でもな、パパはこれから先も、ずっとお前の成長を見ていきたい。その為に、この国が、平和で安全な場所であり続けるよう守っていかなくちゃ。今は分からなくてもいい、今はパパの事を恨んでくれてもいい、でもいつか、分かる日がきっと来るよ」

 ライトは泣く事をやめなかった。未来のことなんていいから、今、一緒にいて欲しかった。そんなライトに、父は続けた。

「辛いなら笑うんだ、ライト。パパも笑ってるだろ?辛い時に笑って、嬉しい時に泣く。それが強く生きるって事だ。それが、幸せになる為に一番大切な事だ」

 そう言って父は、ライトに最大級の笑顔を見せた。それからすっくと立ち上がって、母の頬にキスをし、振り返る事なく夜の闇に消えて行った。その大きな背中が、僅かに震えているのを、ライトはよく覚えていた。


 迷子センターに着く頃にはライトは元気を取り戻し、アキラの背中から飛び降りて母親の元へ走って行った。ライトの母親は、我が子をぎゅっと抱きしめ、アキラとハルに何度も何度も頭を下げていた。その横で、ありったけの笑顔を向けるライトに、ハルが軽くかがんで、別れの挨拶をした。

「ライト君、もう迷子になっちゃダメだよ」

「お姉ちゃんこそ、迷子にならないようにね!」

 手を繋ぎ、去って行く親子の背中をアキラとハルは並んで見つめる。ハルが、呟くように言った。

「あの子見てたら、昔のアキラ思い出しちゃった。寂しがり屋なのに強がりで、何より家族を強く想ってるーー」

 アキラはハルの言葉を黙って聞いていた。やがて親子の姿は人混みの中に消え、見えなくなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ