差し伸べられた手
フィリップ様とメアリ様の結婚式当日は、まるでお膳立てされたかのように、雲一つない晴天だった。王都全体も祝福に沸いている。
それもそうだろう。著しい戦績を残した王家の三番目の姫君が、同じく魔王を倒した英雄の1人と結婚するのだから。
フィリップ様は、その功績が認められ、侯爵位と家、そして多額の金銭が与えられ、そこに姫が嫁ぐ形になるらしい。
昼過ぎから始まる予定の彼らの結婚式を前に、私はザカリー様に付き添われて王宮の中庭に来ていた。
新緑が美しく、涼やかな風が通り過ぎて行くそこで、私は落ち着かないままにフィリップ様を待っていた。
フィリップ様の蘇りを願った頃の私なら、いったいどのように感じたのだろうか。
彼はこれから、彼が選んだ女性と幸せになる。なぜ、彼が最後に私に会いたいなどとザカリー様に頼んだのか、私にはやはりわからなかった。
遠くに、フィリップ様の姿が見えて来た。
真っ白なタキシードに身を包んでいる彼は、記憶の中にある彼の姿と同様に、遠目からでも美しかった。
(昔は、ああいう姿をした彼の隣に立つことを想像したこともあったけれど…)
彼は、1人で来ていたのではなかった。
彼の隣には、純白のウェディングドレスに身を包んだ、華やかな顔立ちの美しい姫が立っていた。私とは、地位も容姿も纏う雰囲気も、そして能力も、何もかもが違う。
彼が望んでいたものは私には無かったのだと、私は改めて思い知らされていた。
フィリップ様は彼女の方を向いて二言、三言何かを告げると、彼女が頷くのを待って、彼女を残して1人で私の方に足を踏み出した。
私は身体をこわばらせて、彼が近付いてくるのを眺めていた。何だか他人事のようだった。
薄茶色の髪が陽に透けて、紫色の瞳は私の姿をはっきりと捉えたように細められた。
「…エレノア」
懐かしい彼の声が聞こえたと思った瞬間、晴れ渡っていた筈の空にいくつもの黒い影が通り過ぎた。
どこからだろうか、悲鳴が風に乗って聞こえてくる。
「…魔物だ、魔物が出たぞ!」
「魔王を倒したんじゃなかったのか…!?」
「た、助けて…!」
きっと、魔王討伐後、しばしの平和に安心しきっていた兵士たちも、魔物の急襲に迎え撃つ準備が出来ていないのだろう。特に、今日はフィリップ様たちの結婚式で、皆が浮足立っている筈だから。
空を見上げると、多数のガーゴイルたちが雲に代わるように空を覆っていた。
私も呆然と空を見上げた。細かな震えが、抑えられず身体に走る。
数体のガーゴイルが、彼らの顔がはっきりと認識できるほどの低空まで舞い降り、羽音を響かせて私のすぐ近くを通り過ぎて行った。
その時、思ってもみない姿が目に飛び込んで来た。
…フィリップ様が、花嫁のメアリ様を残したまま、私に駆け寄って来る。
「エレノア!…大丈夫?」
心配そうに私を見つめるアメジストのような濃紫の瞳には、昔、生まれ育った村で会っていた時に私に見せてくれたのと同じような、私を気遣う懐かしい色が見えた。
どくり、と心臓が鳴る。
(いくらメアリ様が攻撃魔法の優れた使い手とはいえ、これほどの魔物に襲われたら無事でいられる筈がないのに。
なぜ、メアリ様ではなく私のところに…?)
「エレノア、さあ、早くこちらにおいで」
…彼が私を迎えに来てくれることを、私はいったいどれ程夢に見ていたことだろう。それこそ、何年も、何年も。
彼は私に手を差し出してきた。まるで、私を攫ってでもいきそうな勢いで。
それとほとんど同時に、ザカリー様の声が聞こえた。
「エレノア!」
ザカリー様の声に振り向くと、彼も緊迫の面持ちで私に手を差し伸べている。
棄てられた私のことを包み込むように癒してくれた、息を飲むほど美しい彼の顔に輝く翡翠の瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。
思わず私は再度、私に手を差し出している2人の顔を見比べると、迷わずそのうち1人の手を取った。