温かな眼差し
「う……ん」
眩しい陽光が差し込む部屋の中で、私は薄く目を開いた。
身体がひどく怠く、重く感じた。汗ばんだ皮膚に服が張り付いている感覚がある。
寝覚めが悪かった。今度は何か悪い夢を見ていたように思うけれど、はっきりとは思い出せない。
目を擦り、重い上半身をどうにか起こした私は、人の気配を感じてびくりと固まった。
大きな窓とはベッドを挟んで逆側に、椅子に腰掛け、長い足を優雅に組んでいる黒髪の青年、ザカリー様の姿があった。
朝陽に照らされ、さらりとした黒髪が光を弾き、翡翠色の瞳が輝く姿はさながら一枚の絵のようで、思わずその美しさに息を飲んだ。
そして、その深く澄んだ緑の眼差しは私に向けられていた。
「…目覚めたようだな」
彼はその長い足を解くと、ゆっくりと立ち上がって私の方に近付いて来た。
慌ててベッドから出ようとする私を制すと、彼は眩しい程の美貌を綻ばせ、私の頭を優しく撫でた。
「勝手に部屋に入ってすまない。
この部屋から君の小さな悲鳴が聞こえてきてな。何かと思って見に来たら、うなされているようだったから、しばらくそのまま寝かせていたのだが。
まだ疲れが残っているだろう、無理はしなくていい」
彼は私の髪を撫でた掌を、今度は私の額にそっと当てた。白くて滑らかで、そして少しひんやりとしたその手は、火照った顔に心地よかった。
普段なら恥ずかしさに身を竦めているだろうと、ぼんやりと熱い頭で考えながらも、私は鉛のように重く感じる身体には抗えず、彼に為されるがままに大人しくしていた。
彼は微かに顔を顰めた。
「熱が出ているようだな。安静にしていた方がいい」
彼が私に向かって手を翳すと、淡い緑色の光が私を包んだ。
その途端、身体が軽く楽になり、悪寒が去っていくのを感じた。
(これは、魔法なの…?)
驚く私に、彼はふわりと甘く微笑んだ。
「これでは、体力までは回復しないからな。そのまま、しばらく横になっていた方がいいだろう」
強引そうに見えた彼の意外な優しさに、私は驚いていた。
「お気遣いありがとうございます。…あの、ザカリー様?」
「ああ、何だ?」
名前で呼んだら何故か嬉しそうな様子を見せた彼に、私は内心首を傾げながらも、幾分か明瞭になってきた意識で問い掛けた。
「わざわざ、私のことを見守っていてくださったのでしょうか。
…なぜ、私などに優しくしてくださるのですか?」
「君のことは、俺が貰い受けたのだからな。俺のものになった君を気遣うのは当然のことだ」
剣呑な言葉とは裏腹に、その瞳には労るような光が浮かんでいた。
私はそんな彼の温かな眼差しにつんと鼻の奥が痛くなり、目元がじわりと熱く滲んだ。
…自分の身と引き換えに蘇りを願った相手が、もう他の女性に心を移していたなんて、どれほど私は彼の目に滑稽に映っていたことだろう。
心が疲れ切っていた私に、彼の優しさは痛い程に染みた。
「…フィリップ様は、やはり貴方様が蘇らせてくださったのでしょうか?」
「俺のことはザカリーと呼べばいい。
…まあ、そうだな。フィリップの姿は昨日見ただろう?」
「…ええ」
影が差した私の表情を見て、彼は一拍置いてから続けた。
「君は、俺に願ったことを後悔しているか?」
私はしばらく口を噤んだ後、ようやく口を開いた。
「いえ、後悔はしておりません。
…ただ、ザカリー様はご存知だったのでしょうか。フィリップ様に、婚約者がいらっしゃったことを」
自嘲気味な私の言葉に、彼は直接は答えなかった。
「俺は、君さえ手に入れられればそれで良かったからな。
俺にとっては、それ以外はどうでもいいことだった」
なぜ、彼はまるで私のことを欲しがっていたかのような言い方をするのだろう。
私が彼の言葉に首を傾げた時、部屋のドアを軽くノックする音が聞こえた。
ザカリー様が入れと声を掛けると、1人の男性がドアを開いた。手には大きな盆を掲げていて、その上には彩り豊かな美味しそうな朝食が乗せられていた。部屋に食欲をくすぐる香りが満ちる。
ついさっきまで、ほんの少しでさえも食欲など感じなかったのに、ザカリー様の魔法のお陰なのだろうか。
ベッドサイドのテーブルに盆を置いた、体格のよい長身の男性には見覚えがあった。昨日、フィリップ様と一緒に馬車に乗っていた、ザカリー様と同じ黒髪の男性だ。
…英雄と呼ばれる男性に食事を運んでもらうなんて。
面食らっている私に、彼はにこりと笑い掛けた。
「エレノア様、朝食をお持ち致しました。私はザカリー様の側仕えをしております、ニコラスと申します。
少し顔色が良くなられたようで、何よりでございます」
「ニコラス様、私のことはエレノアとお呼びください。私はただの村娘です。英雄であるニコラス様に、そのように呼んでいただくなど…」
焦る私に、ニコラス様はくつくつと楽しそうに笑った。
「いえいえ、エレノア様はザカリー様の大切なお人ですから、当然です。
…随分と和やかにザカリー様とお話されていたようですが、ザカリー様のことを覚えていらっしゃいますか?」
「えっ?…ええ。先日、夜の教会でお会いしたのです。勿論覚えておりますが…」
ニコラス様は僅かに苦笑し、小声で何かを呟いた。
「…道理であの時、ザカリー様が不機嫌でいらっしゃった訳だ…」
「…何か仰いましたか?」
首を傾げた私に、ニコラス様は軽く咳払いをした。
「いえ、何でもございません。
さあ、どうぞ温かいうちにお召し上がりください」
ニコラス様がザカリー様に目配せをすると、ザカリー様は軽く頷いてから、私を見つめた。
「体調の悪いところを邪魔したな。
また後で見舞いに来る」
背中を向けて部屋を去ろうとするザカリー様を、私は慌てて呼び止めた。
「あの、ザカリー様!」
「何だ?」
振り向いた彼に、私は頭を下げた。
「ザカリー様の魔法のお陰で、身体の具合も随分と良くなりました。ありがとうございます。
…ザカリー様は、治癒魔法も使えるのですね?」
彼は肯定を示すように私に微笑みかけてから、ニコラス様と連れ立って部屋を後にした。
***
ザカリーが邸宅の正面玄関を出ると、植木の傍から人影が現れ、ザカリーに近付いた。
「フィリップ、こんなところで何をしている?」
冷ややかに問い掛けるザカリーに、フィリップは小声で、しかし必死の形相を浮かべてにじり寄った。
「ここに、エレノアがいるんだろう?
昨日、随分と派手に転移魔法を使ったそうじゃないか。見ていた群衆も多かったから、僕の耳にも入ったんだ。
…頼む。彼女に会わせて貰えないか?」
「お前に、そんなことを言う権利があるとでも?」
フィリップは青ざめ、ぐっと言葉に詰まった。
「お前がこんなところにいたら、あの女がエレノアに何をするかわからないだろう。
まあ、俺がついてはいるがな。早く帰れ」
「メアリのことは、僕が何とかするから。
お願いだ、エレノアは僕の……!」
「エレノアが、お前の何だと?
…耳障りだ。さっさと立ち去れ」
さらに吹雪くような冷気を纏ったザカリーがくるりとフィリップに背を向けると、邸宅の正面玄関は大きな音を立てて閉まった。
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