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記憶

2頭の白馬が引く豪奢な馬車の上で、フィリップ様が美貌の令嬢と腕を組む姿を、私は呆然として遠巻きに見つめていた。


人混みの中で、興奮した人々の声が嫌でも耳に届く。

「まあフィリップ様、お美しいわね。メアリ様とお似合いですこと」

「美男美女ね。勇者様を助けた治癒魔法使いと、攻撃魔法の使い手。…本当に、お似合いね。ご婚約もおめでたいお話ね」

「メアリ様は、この国の三番目の姫君でもいらっしゃるのですもの。きっと華やかな結婚式をなさるのでしょうね。今から楽しみだわ」

「あら、今日は魔王討伐の立役者、ザカリー様はいらっしゃらないのね、残念。あの信じられないくらいにお綺麗なお顔を拝見する機会と、首を長くしておりましたのに」

「それは残念だわ…!でも、ニコラス様も素敵よね。彼はどなたかお相手はいらっしゃるのかしら?」


ざわめき立つ群集の中で、私はただただ、フィリップ様の姿を食い入るように見つめていた。

馬車上に英雄と呼ばれる3人の姿があるのはわかる。けれど、私の目はフィリップ様だけを追っていた。


目の前の出来事に、私は2つのことを理解した。

フィリップ様が生きていること。それも、勇者様の仲間の、高名な治癒魔法使いとして。

そして、もう1つは、彼は他の女性と婚約しており、私にはもう心がないということだった。


喜んでいいのか、悲しんでいいのか、私にはわからなかった。あれほど切望していたフィリップ様の姿を、今まさに目にしているというのに。


その時、なぜかフィリップ様が私の視線に気付いたかのように、こちらに目を向けた。

…一瞬、私と目が合った、そんな気がした。彼の瞳が瞠られる。


私の瞳にはじわりと熱いものがせり上がってきたけれど、彼に涙なんて見せたくない、そう思って慌てて顔を伏せようとした、その時だった。

真っ黒な服装に身を包んだ青年が、そのマントでひらりと私を覆い、フィリップ様と私との間を遮るようにした。


驚いて青年の顔を見上げると、夜の教会で出会った、悪魔と呼ばれると言っていたあの彼だった。

艶のある黒髪が夕陽に輝いてさらりと流れ、翡翠の瞳が私を捉える。

「あ、あなたは…」


私が言葉を言い終えないうちに、周囲の人混みからどよめきが走った。

「あれは、勇者様じゃないか」

「こちらにいらっしゃったのね」

「ザカリー様よ!こんなに近くでお姿を見ることが出来るなんて…」

「魔王を討伐してくださって、ありがとうございます…!」


しかし、彼はそんな人々には一瞥もくれずに私を見つめ、その指先で私の目元を拭うと、美しい顔を近付けて私の耳元に囁いた。

「君のことは、俺が貰い受けると言っただろう。何を泣く必要がある?

…君は、俺だけを見ていればいい」


そして、彼が軽く手を翳すと、白い光が私たちを包み込んだ。


***

「あの、ここは…?」


気付いた時には、彼と私は立派な邸宅の中にいた。


「ああ、ここは王都に俺が与えられた屋敷だ。君も自由に使って構わない」

「…大丈夫です。今日は宿を取ってありますし…」


夜の教会で私の願いを叶え、悪魔とも呼ばれると言いながら、勇者と讃えられる彼が何者なのか、そしてなぜ私を庇うようなことをしてくれたのか、私にはさっぱりわからなかった。


けれど、黒ずくめの彼は警戒に身を竦める私の心を見透かすかのように、柔らかく笑んだ。


「王都の繁華街にある宿より、ここの方が余程安全だ。


疲れているだろう、部屋を用意してある。ゆっくりと過ごすといい、エレノア」


(どうして、彼は私の名前を…?)


わからないことだらけだったけれど、慣れない長旅の後で、そして心の中を整理できずに疲れ切っていた私は、もう考えることを放棄することに決め、無言で彼に頷いた。

それに、私は彼との契約で、この身と引き換えにフィリップ様の蘇りを願ったのだ。これ以上反論する気にもなれなかった。


広くて柔らかな、今までに経験したことのないほど上質なベッドにぼふりと身を投げると、まだ焼けつくような胸の痛みの中で、フィリップ様との記憶に思いを馳せた。


***

私がフィリップ様と初めて出会ったのは、黒髪の彼に出会ったのと同じ、あの教会だった。


その日、教会でハンカチを落としてしまった私に、彼は声を掛けてくれた。

「これ、君のハンカチだよね?落としたよ」


彼が拾った私のハンカチを差し出すのを、私は固くなって見つめていた。


緋色の髪をした呪術師の末裔として虐げられていた私に話し掛ける人自体、そもそも村では少なかった。親切にハンカチを拾ってくれる人なんて、なおさらだ。


驚きに言葉を発せられずにいた私に、彼は怪訝そうに首を傾げた。


「…君がこれを落としたように見えたんだけど、僕の見間違いかな?」

「い、いえ!私のハンカチです。ご親切に拾ってくださって、ありがとうございます」


慌ててぺこりと頭を下げた後で初めて、ちらりと視線を上げて彼の顔を見た。

絹糸のような薄茶の髪に、白磁のような肌には濃紫色の瞳が輝いている。

この村で見掛けたことのない顔。そして、今までに見たことのないような、美しい容貌だった。


男性と話し慣れていないこともあり、思わずすぐに俯いた私の目を、彼は面白そうに覗き込んできた。


「せっかく綺麗な顔をしてるんだから、下を向いてちゃ勿体ないよ?」

「…!き、きれ…!?」


全く言われ慣れない言葉に頬を染め、何と言ってよいものかと答えあぐねる私に、彼はくすりと笑うと右手を差し出した。


「僕はフィリップ、よろしくね。君の名前は?」

「…私は、エレノアと申します」


恐る恐る差し出した私の右手を、彼はその温かい手で力強く握ってくれた。


彼に聞いたところによると、彼は商家の末子で、両親の仕事の都合でこの村を訪れているのだという。

また来週来るから、ここで会えるかな、と微笑む彼に、私はこくりと頷いた。


彼はその翌週、また教会で顔を合わせた私を呼び止めると、他愛のない話をし、そしてまた次に会う約束をした。そんな何気ない話をすることさえ、私には新鮮だった。


週末にこの村を訪れることが多いという彼と会うことが、私の楽しみになっていった。

彼は家の仕事の関係で、王都をはじめ国中の多くの街や村を訪れているらしく、私の見知らぬ広い世界の話をたくさん私にしてくれた。

彼と会う度、私の頬は熱を帯びた。


ある時、彼は私の掌に、花を象った金色の髪留めを乗せた。


「王都で見付けたものなんだけど、君に似合いそうだと思って。よかったら、使ってくれないかな?」


私がただ目を瞠って、掌に乗せられたその髪留めを見つめていたからか、彼は自らそれを手に取って、私の髪に飾ってくれた。

私は喜びと戸惑いに揺れながら、おずおずと彼に尋ねた。

「こんなに素敵な髪留めを、いただいてしまってもよいのでしょうか。

…私の緋色の髪なんかに、勿体ないのでは…」


歯切れ悪く、この村では緋色の髪の持ち主が呪術師の末裔として蔑まれていることを話した私に、彼は慈しむように私の髪を撫でた。


「ここは狭い村だからね。…一歩村から出てごらんよ、そんなことを言う人なんて、まずいないと思うよ。

僕は君の髪色を美しいと思うし、この髪飾りもよく似合ってる。

前も言ったけれど、君はとても綺麗だよ、エレノア。

自信を持って、もっと顔を上げてごらん」


フィリップ様はそう言うと、大切なものを見るかのような目で私を見て、ふわりと優しく微笑んだ。

それは、私の長く白黒に見えていただけの生活に、鮮やかな色が付いたように感じた瞬間だった。

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