06.彼女がちゃらついていたワケ
グツグツと煮立つ鍋が気になり、IHヒーターの電源を切る。それから改めて彼女を見た。コタツの横で少し気まずそうにして正座をしている。
ちゃらついて、ふざけていた面影が消えた。顔には戸惑いが浮かんでいるが、目は何かを伝えたい意思を感じる。
姿勢は見惚れるほど綺麗で、上半身が真っ直ぐに伸びている。胸元がしっかりと張られて、いやらしい感じがしないのが不思議だ。きちんと揃えられた足で正座をして、綺麗な両手が交差して乗っている。
正座の見本を見せられている感じがした。テーブルに突っ伏していた態度が、嘘のようだ。
そのあかりがようやく話し始める。
「前に少し話したよね、親が厳しく躾てたって」
「聞いたな、覚えている」
「この姿勢の良さとかは、その躾のせいなんだ。あっ、別に虐待とかじゃないから、そこは気にしないでね。ただ、そういう家柄だったっていうだけ」
戸惑っていた割には、明るく話してくれた。身振り手振りをして、ちょっと落ち着かない様子ではあるが。無理をしているようには見えないし、俺は黙って聞くことにした。
少しおどけていたが、突然遠くを見るように目を細める。その顔に少しの寂しさを感じた。
「高校はお嬢様が通うような、厳しいところに行ってたんだけど。まぁ、他校の女子高生を見てね……羨ましかったんだ。いいなぁ、可愛いなぁ、自由だなぁって。自分もあんな風になりたいなーって思っちゃったんだよね」
目がキラキラと光り出す。自然と表情も柔らかくなって、本当に嬉しそうに話してくれている。
高校の時の憧れか。まだ親元にいたはずだから、やりたくてもできなかったんだろうな。あかりを思うと、俺の胸がズキリと痛んだ。
「高校生の時は無理だったけど……大学生になったらあんな感じになりたいって考えていた。キャッキャして、キラキラしたキャンパスライフっていうのを、楽しみたかったんだ。まぁ、第一志望は落ちちゃったんだけど……ね。私、そんなに頭良くないからさ、あははっ」
照れ隠しなのか、痛くなる話題を出して笑う。その振動で、耳の傍で垂れ下がる髪がユラユラと揺れた。
隠していた痛みは俺には分かる。
だから、今は一緒に笑えない。
表情は明るいが、どこか哀愁の漂う雰囲気だ。諦めに似た、現状を受け入れた……悟った感じに思えた。
俺の思いを見透かすような、優しい言葉が聞こえてくる。
「今は今で満足しているよ。色々と大変だけど大学生活楽しいし、さとるにも出会えたし。今の私、憧れていた日を過ごしているんだなって、すっごく充実してる。ちゃらついた感じはなんいうか……高校でなりたかった憧れ、みたいなものかな。……もしかして、痛々しかった?」
照れていた顔が曇り、不安げに聞いていた。少し身を乗り出して、足の上に置いた手をギュッと握っている。でも目だけは俺を見続けた。
その様子に意識を奪われて、すぐに返答できなかった。慌てて声を上げる。
「いやいや、全然!」
「本当?」
「ホントホント!」
身をさらに乗り出して疑いの目で見てきた。
強く肯定するために何度も頷くが、慌てたように見えてしまったんじゃないだろうか? 信じて貰えないかもという不安がこみ上げて来て、心がソワソワしだす。
お互いにしばらく見つめ合うと、あかりが正しい姿勢に戻る。少しだけ目を伏せて、意味ありげな態度だ。緊張しながら次の言葉を待った。
「さとるに気付かれちゃったけど、染み付いた仕草はどうしても抜けなかったなぁ。頭は悪かったけど、そこは昔っから優等生だったからね。先生も黙っていればなんとか~って言われてたよ」
愛想笑いを浮かべて、あははっと声を出した。
その様子を見ていて、胸が締め付けられて苦しくなる。気丈に振舞っているように見えたんだ。だから余計に自分を責めた。
この話題は出さなかった方がいいんじゃないか。後悔が押し寄せて来て、頭まで痛くなってきた。
でも、それでも俺は――――
「あのね……さとるは、さ」
今にも消え去りそうな小さな声を聞き、ハッと我に返る。ふと視線を上げると、目を見張った。
今まで正しい姿勢を維持していたあかりが、背中を丸めて少し前かがみになっている。顔は良く見えない。少しだけ前後に揺れ、足に置いた手をギュッと強く握っていた。
傷つけてしまっただろうかと強い不安が襲ってくる。心臓がうるさく鳴り始めて、体に余計な力が入って来た。
重苦しい時間が続きそうになった時、あかりの顔が動く。伏せ気味だった顔を上げて、俺を窺い見る。
その顔は戸惑いに眉を寄せ、切なげに目が揺れ動いていた。でも赤く染まった頬を見ると違う印象が生まれる。そうして、薄く開いた口がパクパクと動くと声が聞こえてくる。
「どっちの私が……好き?」
そう言ったあかりはギュッと目を瞑った後、俯いてしまった。
一瞬呆けてしまう。予想とは違った反応に、ついていけなかったんだ。でも俺の中でその答えは、すでに出ている。
今も俯いているあかりを見つめて、俺は息を吸う。
「俺は両方好き」
短い言葉にありったけの思いを込めた。
あかりが勢い良く顔を上げる。目を丸くして、信じられないといった様子だ。
だが、真剣な目を見て信じてくれたのだろう……徐々に顔が赤く染まる。
恥ずかしくなっている様子を見て、俺も恥ずかしくなってきた。コタツに潜り込んで隠れたい衝動に駆られる。我慢しろ、せめて返答があるまでは。
するとあかりの表情が変わる。
顔が赤いまま、はにかむように明るく笑った。
「えー、なにそれ。ずるいー」
いつものちゃらついた感じだ。でも顔は嬉しそうにしていて、ホッとしながらも見惚れていた。
あかりが笑う度に俺の心が溶けていくようで、気持ちが良い。自然と顔が綻んでしまう。
お陰で少し調子づく。
「なんだよ、ずるくねぇよ。普段はちゃらついた感じが可愛いし、つい意地悪したくなる」
「あははっ、小学生か」
結構勇気を出して言ってみたんだが、あかりはツッコミを入れるだけだ。
気が緩んだのか正座を崩して、両足を外に向けて座り直した。チラつく黒タイツに目がいってしまう。
ここは流されてはいけない。咳ばらいをして、仕切り直す。
「でも、綺麗な姿勢の姿を見るとドキドキする。いつものあかりじゃなくて……意識するんだよ」
最後の方で恥ずかしさで、声が小さくなってしまう。急に押し寄せる羞恥心に体中がソワソワしだして、声を上げて騒ぎ出したくなった。
それでも興味はあかりに向く。恐る恐る様子を窺うと、あかりは少し俯いた状態だった。耳まで真っ赤にして、膝の上に置いた手がもじもじと動いている。
「そ、そう……」
絞り出すような小さな声。そして始まる、微妙な空気の沈黙。無音が広がり緊張が増していく。
だからだろうか。自分の心臓の音がやけに大きく聞こてくる。この音が聞こえやしないかと、羞恥心が高まり鼓動は早く鳴った。
エアコンを切った室内は肌寒くなったはずなのに、体が火照ってくる。
きっと鍋を煮過ぎたせいだろう、と鍋のせいにしておく。