05.彼女と楽しく鍋をつつきたい
アウトレットで購入した、緑色のホーロー鍋。IHヒーターの上でグツグツと音を立てている。湯気がふわっと広がって、鴨出汁のいい匂いが鼻先をくすぐる。
もうお腹は限界だ。
斜め向かいに座った彼女が膝立ちになる。目の前に膨らんだ胸が登場して、別の意味で喉がゴクリと鳴ってしまった。
髪を一つに結ったままのあかりが俺を見る。
「とりあえず、適当によそうね」
「お、おう」
ドキッとした。下心がバレたんじゃないかと冷や冷やする。
腕まくりをして、白い肌が露出した。目に嬉しい光景に、ニヤつきそうになる顔に力を入れる。
お玉を傾かせて、器用にすくって緑色の深皿に盛り付けていく。お玉から一滴の汁も零れていない。
あかりの仕草って綺麗なんだよな、だからつい見てしまう。厳しく躾けられたって言ってたが、全然そんな風には見えない。自然の仕草は嘘をつかないだろうから、本当の話なんだろうな。
その時、湯気の立つ深皿を渡される。
「はい、どうぞ」
「お、ありがと」
受け取ると、強い鴨出汁の匂いがした。そういえば、凄く腹が減っていたことを思い出す。見下ろす深皿には様々な野菜と鶏肉が入っていた。……鴨は出汁だけな、あいつ高いから。
そんなことを考えていると、あかりの分も盛り終わる。スカートを抑えながら、綺麗に足を折り畳んで正座に戻った。
姿勢の綺麗さが目を引く。背筋がきちんと伸びていて、丸まっていない。いつもふざけている感じだけど、不意に綺麗な姿勢を見せられると意識してしまう。
その姿勢のまま、細い指先で缶をプシュッと開けた。カコンと蓋を折る音。両手で添えて持ち、こちらに向けてくる。丁寧な仕草にやっぱりドキッとしてしまう。
「乾杯しよ」
不意に向けられる笑顔にも弱い。外ではあんなに赤かった鼻と頬が、すっかり白い肌に戻ってしまった。あれはあれで可愛かったから、良かったんだけどな。
俺も缶を開けると、片手で差し出す。
「乾杯」
「かんぱーい」
カコンと缶がぶつかり合う。さて、食うか。
◇
一言でいうと、美味しい。目についた具材を適当に放り込み、はふはふと口の中で冷まして食べる。じゅわっと染み出す鴨出汁が、食欲をそそった。
「美味しいね、コレ」
嬉しそうな顔をしてあかりも食べ進める。食べる姿もつい見てしまう。
正しく持たれた箸で、先で軽く摘まむように一口サイズの野菜を持ち上げる。汁が落ちるきるまで上げない。落ちなくなってから、片手を添えて口の中に運ぶ。その片手を口元に添えてシャキシャキと食べる。
「んー、よく染みてるね」
緩んだ目元で見てくる。幸せそうに蕩けた目をしていて、俺まで幸せが伝わってくるようだ。胸の奥が温かくなる。
気が緩んで、つい思っていたことを口走る。
「あかりの食べる仕草って綺麗だよな」
「えっ」
「姿勢とか箸の持ち方とか、そこまで綺麗に保てるやつ見たことない」
なんとなく言ってみた。本当に何気ない一言だ。
予想に反してあかりの顔から一瞬、表情が抜け落ちた気がした。
「あ、えーっと……」
ハッと気づいたように、目を泳がせる。コトリと深皿と箸を置き、気まずいのか俯いてしまう。
何か可笑しい事を言ったのか? 態度の豹変に血の気がサーッと引き、鼓動がうるさく鳴った。息も詰まり、苦しくなる。
俯いていたあかりが窺うように、少しだけ顔を上げた。不安げに揺れる目で見てくる。
「その、気持ち悪く……なかった?」
言葉の意味が分からない。
思考が止まり、お互いに無言が続いた。
それでも俺の目はあかりの様子を捉えている。落ち着かない様子で、垂れ下がった髪を片手でかき上げて耳にかける。テーブルの端に両手を置き、細い指先同士で突き合っていた。
あ、それ可愛い。そう思えるようになって、ようやく思考が動き出す。
しまった、無言のままだった。
「あ、全然! 全然気持ち悪くない!」
ビクリとあかりの肩が跳ねた。俯いた横向きの顔が恐る恐るこちらを向く。伏せがちな視線がゆっくりと上がり、じっと見つめてくる。
「ほ、本当?」
少しどもりながら聞いてきた。まだ信じられないのか、表情は硬く身構えているように見える。
この話題はそんなに重要だったのか。心を入れ換えるように深く呼吸をして、改めて伝える。
「本当」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない」
真剣に伝えれば、あかりの緊張も解れていく。どことなくホッとしたような、安心感のある表情になっていた。
でも、まだいつもの笑顔じゃない。それが酷く寂しく思えた。
ここは俺が勇気を振り絞る番だろ。一つ咳ばらいをして、見つめながら重い口を開く。
「俺はあかりの仕草、好きだよ」
「えっ」
弾けて上がる顔。少し驚いたように目を見開いて、口をキュッと結んでいる。期待の眼差しで見てきていて、少し緊張する。
凄く照れ臭くなって、視線を逸らしてしまう。
「俺の方こそ気持ち悪いかもしれないんだけど。つい、気になって見ちゃうんだよ」
「ど、どんなことを」
「えっ、まぁ……色々と」
「色々って、なに?」
こちらを向き、身を乗り出して聞いていた。いつになく真剣な目つきをして、言葉を待っている。
予想以上の食いつき方に少し戸惑う。下手なことは言えない雰囲気で、緊張感が増してきた。鼓動が少し早く鳴るのを聞きながら、ようやく決心がつく。
「えーっと。普段はその辺にいる女子みたいに、ちゃらついた感じなんだけど」
「うん、それで」
「時々な、違うんだよ」
「どんなところ?」
口を挟むあかりがグイグイ来る。少しずつ俺に近寄ってきているようで、真剣な表情がとても迫力があった。
これからいう言葉で気恥ずかしくなり、つい視線を逸らしてしまう。
「んと、立ち姿がきちんとして綺麗、だとか。座ったら背筋を伸ばして、丸まっていない所もそうだし。箸を持つ手の形とか動作とかが、きちんとしていてすげぇなっとか」
言ってて急に恥ずかしくなってきた。そんなところまで見ていたのかよ、って思われていたらどうしよう。いやでも、伝えた方がいいんだよな?
一度深く呼吸をして、勇気を振り絞って口を開く。
「少しちゃらついた感じじゃない所が……綺麗で。凄く気になっていたんだよ」
精一杯な言葉に自然と俺の顔が熱くなる。あー、くそ。恥ずかしくて顔が見れない。でも、反応が気になる。
どうしようかと葛藤するが、やっぱり気になる気持ちの方が強い。チラッと視線を戻してみた。
「そ、そっか……」
少し俯いていたあかりが耳まで真っ赤にしていた。それを見て、俺の恥ずかしさも高まる。お互いの緊張が混ざり合って、余計に意識してしまう。
「その、あのね」
「……うん」
声がして視線を向ける。薄茶色の目が微かに揺れながら、控え目に見つめてきていた。いつものちゃらい感じじゃない。俺の知らないあかりみたいだ。
目が逸らされて、薄紅色の唇が戸惑いがちに開く。
「……わざとなんだ。わざと、ちゃらついた感じを作っている……んだよね」
最後の言葉は微かに聞こえるほど小さいものだった。気まずそうに俯き、耳にかけた髪がさらりと零れ落ちる。
「そうなんだ」
「別に嘘をついていた訳じゃないよ。どっちも本当だし、そういう風に見られたかった……というか」
どんどん俯き加減になって逆に心配になる。あかり自身は凄く気にしているようだけど、俺はそんなに気にしてないんだよな。なんて言えば良いのだろうか?
悩んでいると、あかりが先に動いた。顔をゆっくりと上げて、真剣な眼差しで見つめてくる。
「少し私の話……聞いてくれる?」
俺は静かにうなずいた。