03.彼女が家に上がり、脱ぐ
一人暮らしをするなら、オートロックマンション。この部分が譲れなくて、住む家は少し不便な場所を選んだ。家賃を抑えるために。
駅から徒歩ニ十分にある場所。周囲は戸建てと低めの小規模マンションが立ち並ぶ、閑静な住宅地だ。徒歩十分圏内にコンビニすらない。
三階建ての12戸。エレベーターなしの築九年。単身者向けのオートロックマンション。これが俺の自宅だ。
「着いたー。早く入ろ、寒いよぉ」
マンションが近付くと、彼女が小走りで出入り口に駆け寄った。体を縮こませて、早く入りたいと小刻みに足踏みをして急かす。
大股で近付き、出入口の横にある鍵穴に鍵を差し込んだ。ウィーンという機械音がした後、ガチャッとギミックが作動した。
「あー、寒い寒い」
即座にあかりがドアノブを掴んで開けた。体を中に滑り込ませて閉じようとする。
「おい」
慌ててドアを掴む。開こうとしても抵抗をしていた。だが、そこは女子。腕に力を入れるとドアが開いていく。すると、あかりが引きずられながら登場した。
「あーあー」
「なに、してんだよ」
引き腰になりながらも、無邪気な笑顔を向けてくる。
さらっと揺れ動く艶やかな髪。毛先がマフラーに掛かり、あちこちに跳ねていた。無邪気な笑顔に、赤い鼻先と頬。まるで外で遊んでいた子供のようだ。
「何って、邪魔しているんだよ。分からないの?」
「いいから、さっさと入れてくれ」
「もう、ちょっとじゃれてただけなのに」
すぐにふくれ面になり、名残惜しそうにドアノブから手を離した。
正直言って、誰かに見られないかと冷や冷やしていただけ。本音を言ったらさっきみたいに、また身動きが取れなくなりそうだったから言わない。
中に入ると買い物袋の音が反響して、大きく聞こえた。目の前にある灰色の階段を昇った先、左側にある部屋。そこが俺の部屋だ。
あかりが先に昇り、玄関扉の前で待機する。両手を重ね合わせて、息を吐いた。階段部分でも薄く白い息が立ち昇るほど寒い。でも外よりはましだった。
「早く入れてー」
「へいへい」
階段を昇り、先ほどの鍵を鍵穴に差し込んで回す。すぐに横からあかりの手が伸びて来て、ドアノブを掴む。
「それじゃ、お邪魔しまーす」
よいしょっと声を出して、玄関ドアが開かれる。一人しか入れない小さな玄関が見えた。玄関扉を掴んでやる。
「お先にどうぞ」
「ありがと」
部屋に入るあかりの横顔。目だけがちらりとこちらを見る。嬉しそうに口元を緩めていて、なんだか照れ臭くなった。そのままストッパーの役割になり、後ろ姿を見守る。
「やっぱり部屋だと寒さが違うね」
少し屈むと、白い壁に手をつく。チャコールグレーのコートの下から少し突き出されたお尻に、ちょっと目がいってしまう。気恥ずかしさを感じて、慌てて視線を下げる。
片足を後ろに上げて、黒のショートブーツのチャックを開けた。今度は逆にして、また開ける。それからブーツを脱ぎ始めた。が、その動きが止まった。
どうしたんだろう?
不思議に思って視線を上げてみる。あかりがこちらを振り返っていた。
「……後ろから見て、さとるはエッチだなぁ」
ニヤッと口元が上がり、目元がいやらしく細められた。
その指摘にドキッとして、顏が熱くなる。
「う、うるせぇっ。仕方ないだろ」
「はいはーい」
俺の反応を見て楽しんでいるな。反論出来なかったことが悔やまれる。
少し邪な目で見ると、いつもからかってくるんだよな。何かあるんじゃないかって勘ぐってしまいそうだ。
あかりはブーツを脱いで、一度しゃがんでから端に寄せた。動作が一々綺麗でなんとなく見てしまう。
立ち上がり振り返った先には、ドアが開けられた薄暗い居間。躊躇せずにトタトタと入って行く。
「さとるー。もう暗いから電気つけちゃうね」
「おう。あ、エアコンとコタツもつけといて」
「了解ー」
声をかけると、パチッと居間の電気がつく。シャーッとカーテンが閉められる音もした。
トタトタと歩く音が玄関まで聞こえて、自由に居間を歩き回っているのが分かる。その内、ピッとエアコンが付く音、カチッとコタツの電気が付けられた音がした。
勝手知ったる彼氏の部屋。
何も聞かずに次々とスイッチをつけていく音を聞くと、自然と顔がにやけてしまった。これじゃまるで、同棲しているみたいじゃないか。
あかりが見ていない隙に、色々と妄想してしまった。落ち着くために一呼吸をすると、靴を脱いで上がる。
居間に入り扉を閉めた。部屋の中央、絨毯の上にはコタツと二組の座布団。壁際にはテレビと本棚、雑貨が適当に置いている。
廊下の裏手側に曲がると台所があり、そこに買い物袋を置いた。
「ハンガー二つ借りるね」
「おう」
振り向くと、首に巻いているマフラーに手を掛けていた。もぞもぞと手を動かして、くるくると巻き取っていく。
白く細い首筋が見えた。冬になるとあまり見えなくなる肌だ。じっと見つめて、勝手にドキドキしてしまう。
曲げた肘にマフラーをかけて移動して、視界からいなくなり。すぐに寝室にあったハンガーを二つ手にして現れた。
居間のカーテンの前まで近寄り、背伸びをした。カーテンレールにハンガーをかけようとしているようだ。が、身長が足りない。
「さとるー」
「ん」
背伸びをしながら、振り向いて呼ばれた。プルプルと震えているのが面白くて、少し見入ってしまう。
近付くと背伸びを止めてしまった。残念、もう少し見ていたかったな。
「はい、お願いします」
自然と綻んだ顔を向けられた。赤みの引いた顔は白く、滑らかできめ細やかい肌だ。薄く塗られたアイシャドウとチークが可愛らしく感じる。
異性を身近に感じる状況、しかも自分の家の中だ。邪な考えが浮かんで、少しだけ緊張する。視線を逸らしたいけど、逸らしたくない。
それだけでは収まらず、頬を撫でみたい気にさせられた。
溢れそうになる劣情をぐっと抑えて、ハンガーを手に取る。緊張が和らいで、息をついた。
「なにその溜め息」
えっ。
突然の言葉で現実に引き戻される。見てみると、不機嫌に眉を寄せていた。
「どうせ、私の背が小さいの面倒って思ったんでしょ」
「ち、違う違う! そんなじゃない」
「ふーん、どうだか」
拗ねた顔をして、ツンと顔を背けられた。
邪な気持ちを誤魔化せたことを喜べばいいか、変に思われたことを嘆けばいいのか。また溜め息をつきそうになるが、ぐっと堪える。
腕を伸ばして、カーテンレールにハンガーをかけた。ふと、視線を逸らすと、あかりがコートを脱ぐところだった。
長めのストレートボブの髪が、顔を少し隠す。さらっと動いて、頬と口元を隠している。さらに視線を下げると、白い指が一つ一つボタンを外していった。
それを見て、またいらない妄想をしてしまう。コートを脱いでいるだけなのに、俺はどうしてしまったんだ? 自然と高揚していくのが分かり、恥ずかしくなる。
手がボタンから離れて、コートの襟を掴む。するりと脱げると、曲げた肘で止まる。それを見るだけでも意識してしまう。
中はピンクベージュのニットセーター。体の線を強調するようなデザインだ。ちょっと凝視してしまうのは、仕方がない。
意識を違う部分にずらしたくて、胸に下がったネックレスを見る。
去年のクリスマスイブにプレゼントしたものだ。シルバーのロングネックレスで、立体感のある青い花がついている。
可愛らしい色合いを好んでいたあかり。アクセントになれば、と選んだものだ。会うたびに付けてくれていて、気に入ってくれているようで嬉しくなる。
「はい、コートもね」
「お、おう」
しまった、ボーっと見入ってしまった。
少し慌ててハンガーにかけられたコートを受け取る。
――――ふわっとあかりの匂いが漂ってきた。
香水でも制汗剤でもない。
シャンプーとかボディソープの清涼感ある、すっきりとした匂いだ。
クラッと体がよろけた、気がした。
にやけそうになる口元に手を当てて、見せないようにするのが精一杯だ。
まだ家についたばかりなのに、先が思いやられる。