02.彼女と歩く、寒空の下
左手に持った買い物袋が、ガサガサと音を立てて揺れ動く。重さの痛みと冷えた手。不快感が常に付きまとう。
だが、反対側の存在が不快感を緩和させてくれた。
視線だけ動かすと、隣で彼女が並んで歩いているのが見える。俺が着ているモスグリーンのダッフルコート、そのポケットに手を突っ込んでいる。
そして俺も、同じポケットに手を突っ込んでいた。
「ふぅ~、寒いねぇ」
「明日、雪でも降りそうだな」
「ん~、それはそれで楽しそう」
他愛もない会話をすると、白い息が歩く速度で流れて消えていった。
歩道のない、掠れた白い線の上を二人で歩く。電柱を見かけては、先に歩いて避けて進む。
歩いていく振動のせいで、あかりの赤いタータンチェック柄のマフラーが少しずり下がっていた。そこから見える鼻先と頬が、ちょっとだけ赤い。零れ落ちる白い息も合わさって、痛々しい寒さだと思った。
それとは逆にポケットの中は温かい。
繋がった手のひらはポカポカとして心地よく、寒さを一時でも忘れさせてくれる。実はもう一つ、寒さを忘れさせてくれる原因がある。
時々離れていくあかりの細い指先が、子供の悪戯みたいにちょこちょこと動く。指を摘まんだり、撫でたり、手のひらに爪を立ててくる。
ちょっと痛くて、くっついていた肩を押して抗議した。
「……なんだよ」
「別にー」
同じく肩を押されてやり返された。結構強く押されてしまって、少しよろけてしまう。少しだけムッとして睨んでみた。
はじめはキョトンと呆けた顔をしていた。が、俺の視線に気付いたのか、プッと吹き出して笑顔が咲く。
「もう、そんなことで睨まないでよね」
あははっ、と眉を寄せて笑い出した。赤く染まる頬と鼻先がマフラーから出て、笑う振動で髪の毛がユラユラと揺れ動く。
笑った顔、可愛いな。
一瞬、絆されそうになってハッと我に返った。緩みそうになる顔にグッと力を込めると、少しだけ足を進めてそっぽを向く。
「じゃー、見ない」
「えー、何それー」
後ろであかりがクスクスと笑う。
「もしもーし」
「……」
「さとるさーん、こっち向いて下さーい」
「……」
「一人じゃ寂しいんですけどー」
少しずつあかりが近付いて来る。グイグイと体を押し付けて、しつこく声をかけ続けた。彼女の誘惑に負けそうになるが、この状況をもう少し楽しみたい気持ちもある。
頑なに反対側を見続けると、ポケットに入った手がギュッと握られた。手のひらを合わせて、細い指が絡んでくる。
急な触れ合いにドキッとして、振り向きそうになった。負けそうになる気持ちを強く持て。我慢、我慢だっ。
「ねーねー、ごめんってー。ね?」
少し回り込んでくる気配と可愛い声に……負けた。顔を少しだけ動かして、チラッと見てしまう。
俺の前に半身を傾かせて、覗き込むような姿勢だ。傾いた頭から、さらりと流れ落ちるダークブラウンの髪。緩められた目元と口元も綺麗で、目が惹かれてしまう。が、鼻先と頬が赤くて少し間抜けで、そこは笑える。
まぁ、そういうところが可愛いというか……なんというか。
「ね、ね。許してよ~」
腕に片手でしがみ付き、さらに覗き込んでくる。白い吐息が立ち昇り、視界が少しだけ遮られた。
急な至近距離だ。過剰に意識してしまい、鼓動が高鳴る。ドクドクと音がして、緊張がバレないかと冷や冷やした。
止まりそうになる呼吸。無理やり呼吸をして、引きこもりな言葉も吐き出す。
「わ、分かった分かった。しがみ付かないでくれ、歩きにくい」
緊張を隠したくて、掴まれた腕を抜こうとした。だが、あかりはしっかりとしがみ付いて離れない。それどころか悪戯が成功したような、ずるい笑みを浮かべた。
「えぇ~。そんなこと言って、本当は嬉しいくせに」
このこの~、と肘を脇腹に押し付けられて地味に痛い。ニヤニヤと笑うあかりを見ていると、次第に焦りが膨らんでいく。
何か言わなきゃ。そう思うたびに、考えがこんがらがっていった。
だから、つい本音が零れるのは仕方がない。
「……そりゃ、まぁ。嬉しいよ」
こんなことされて平常心でいられるほど、意識してない訳がないだろ。吐き出したら楽なんだろうけど、さらっと言える度胸はない。
意識に意識して、冷たい頬が内側から熱くなっていく。高揚して少し息が上がった。吐く息の白さがだんだん濃くなるのを見て、少しの恥ずかしさを覚える。
「えっ」
縋りついてきたあかりの重みが、少し軽くなる。ポケットの中で握られている手が、戸惑いがちにゆっくりと緩む。
これで少しは懲りただろうか? 鈍い動きで顔を向けてみる。
真横で見上げるあかり。目を見開いて、マフラーから出た口がポカンと開けられていた。鼻先の赤さは変わらないのに、頬の赤みが濃くなったように見える。
「え、えーっと……あー」
目が合うと、戸惑いの声が漏れた。顔は逸らさずに、目だけをキョロキョロと動かして、視線が落ち着かない。
間抜けに開けられていた口がキュッと結ばれる。少し俯き加減になる顔。立ち昇る白い息で霞む。
「そ、そういうのは……ここで言われたくないし」
ぼそぼそと小さな声で呟いた後、少し尖った唇。拗ねているのか、恥ずかしがっているだけなのか。良く分からないが、何とも言えない空気が漂う。
あかりは腕から離れず、俺のポケットに手を突っ込んだままだ。気恥ずかしくて、一動作するのも躊躇してしまう。
さっきまで痛いほど寒かったのに、指先まで熱くなっていくみたいだ。寒かったコートの内側の温度が上がる。
一番熱いのは、二人の体温が混ざり合うポケット。
熱さを意識してしまって、俺の手がピクリと動く。すると、あかりの手もピクリと動く。お互いの緊張が伝わり、気恥ずかしくてどうしようもない。
それに……無言なのがかなり堪える。
意識を逸らしたくて、顔を上げる。その時、後ろから近付いて来る自転車の音が聞こえた。ふっと振り向くと、スマホを弄りながら走行している姿が見えた。
「あっ」
とっさにポケットから手を出して、あかりの反対側の肩を抱く。腕に力を入れて、白い線の内側に体を引き寄せた。
「うおっ、あぶねっ」
自転車に乗っていた男性がこちらに気づき、フラッと反対側に自転車を傾けて避ける。そのまま何事もなくシャーッと自転車は去って行く。
男性に苛立つよりも、あかりの方が気になった。
「ごめん、急に引き寄せたりして。大丈夫だった?」
腕の中で肩を竦ませている。体が硬直しているのが腕から伝わってきた。怖がらせてしまったのか、不安になる。
「俺が反対側になれば良かったな」
安心させるように肩をポンポンと叩く。だが、あかりは身を縮こませているだけで反応してくれない。気になって、腰を屈めて覗き込んでみる。
「えっと……あかり? そんなに怖かった?」
少し俯き加減の顔は、髪に隠れて良く見えない。不安がどんどん膨らんでいくと、ようやくあかりが顔を上げた。
「違い……違うのっ。バカッ」
なぜか言葉を訂正した。いつものあかりではないブレを感じた。ふと、日常の違和感を思い出す。
あかりから積極的に触るくせに、逆に触ろうとすると避けること。嫌味な感じではなく、絶妙な距離を測って離れられる感じだ。何度焦らされたか分からない。
「あっ、ちょっとっ」
その声で我に返って見てみると、上目遣いの目で睨まれる。それも気になったが、他も気になった。
顔が赤い。さきほどとは違い、全体的に赤く染まっていた。
「へっ?」
「見て……分からないの?」
そこでようやく、自分の態勢に気づく。
自分の胸に抱き寄せるように、あかりの体が密着していた。
ブハッと口から白い息を吐き出す。
寒空の下、なぜかコートを脱ぎたくなる。
そこから自宅へ帰る道は、いつも以上に長く感じた。