01.彼女と駅近スーパーの前で
ガラスの自動ドアが開く。チープな機械音が流れて、外の冷気が襲い掛かってきた。
「うぅ、寒いっ」
震える声が聞こえて、俺は隣を見る。
彼女が低い声で唸り、眉を寄せて外を睨んでいた。首に厚く巻いているのは、赤い生地に黒と青のタータンチェック柄のマフラー。
顔を半分隠して、まるで子供みたいだ。笑いを堪えて、声をかける。
「ほら、ここにいたら邪魔になる」
緩んだ自分の顔に吹き付ける風は冷たい。吐く息の白さが濃く、寒さが目に見えて分かる。
でも、ここはスーパーの出入り口だ。このままいると邪魔になってしまう。この場を動こう。自動ドアの先に進んで、振り返った。
長めのストレートボブが風でさらさらと揺れている。そのたびにダークブラウンの髪色が艶やかに光り、眩しさを感じた。
「分かってるわよ……もうっ」
不貞腐れた声がわずかに震えていた。細い指でマフラーを掴み、鼻先まで顔を隠す。
白のトートバックをしっかりと肩に掛け直す。それからチャコールグレーのコートのポケットに手を突っ込んだ。一呼吸の後、足を踏み出していく。黒のショートブーツが一歩、二歩と前に進んできた。
その時、強い風が吹き付ける。
「あぁっ、寒いよぉ~」
小刻みに足踏みをしながら目の前に近づいてくる。そして、俺を風よけにした。
背中から吹き付ける風はとても冷たく、耳が痛くなる。スーパーの袋を掴む指も、食材の重みと風の冷たさで感覚が鈍っていく。
「あかり、俺も寒いんだけど」
風が俺だけに当たるのが、なんだか悔しい。眉間にしわをつくって睨んでみると、あかりがこちらを見上げてくる。
マフラーの隙間から覗く、スッと整った鼻筋。その奥に見える薄紅色の口が、わざとらしい笑みを浮かべた。
「さとるは丈夫だから平気でしょ」
か弱いとアピールしたいのか、手を胸元で組んで肩を縮こませる。わざとらしくブルブルと体を震わせているところが、ずるいと思う。
人目もはばからずにいちゃついてくる。こういう部分が少し軽いっていうか、ちゃらい印象を持ってしまう。別に嫌じゃないが、少し恥ずかしい。
でも、嬉しくなるのが性……なんだろうな。
今も冷たい風が吹き付けて、店内で温めた体が冷めていく。やっぱり悔しくて、やり返したくなった。見下すように鼻を鳴らして、言ってやる。
「大学のサークル内でインフルが流行った時。一人で元気だったやつは、どこのどいつだよ」
擦り合わせていたあかりの手が、ピタリと止まる。マフラーの隙間から見える口元がポカンと開けられていて、間抜けに見えて可笑しい。
「なっ。あれは私がしっかり予防していたお・か・げ、なんだからね」
「うがいと手洗いだけで予防できる、丈夫なあかりが羨ましいな」
「まっ、マスクもしてたわよ」
自信気に見上げていた目が逸らされた。目が泳いでいて、動揺がはっきりと見て取れる。動きが止まっていた手を撫で回して、落ち着かない様子が可笑しくて笑えた。
ふぅ、と息を吐いて適当にうなづく。
「あーはいはい。か弱い、か弱い」
「もうっ。ご飯作って上げないよ」
プイッとそっぽを向かれて、艶のある髪がさらりと揺れ動く。その動きに見惚れてしまうが、寒さですぐに我に返る。
聞き捨てならない言葉を聞いた。やり返したのに、やり返された気分だ。寒さで少し短気になっている俺は……我慢ならない。
「……卑怯だぞ。なら俺は飯を食ってやらない」
プイッとそっぽを向いてやる。だが、横顔に風が吹き付けてきて地味に辛い。情けなく顔を元に戻して、あかりを見る。
同じくそっぽを向いていたあかりが、いつの間にか俺を見上げている。怪訝な顔のおまけつきで。
「な、に、そ、れ」
むむむ、と眉間にしわが寄った。向けられた視線からは少しの怒りも感じる。
もしかして、地雷を踏んだか? どんな小言が飛んでくるのだろう。覚悟を決められず、緊張で喉がゴクリと鳴った。
そうして口を開いたあかりは――――
「……考えたら、それはそれで嫌だな」
怒るどころか、真剣な顔つきで考え込んだ。マフラーで隠れるあごにわざとらしく手を当て、ふむふむと呟く。
なんだそれ。
吹き出して笑いそうになるのをぐっと堪える。黙って待っていると、目線だけで俺を見た。上目遣いの目は薄茶色に輝き、長いまつ毛が良く見える。
「それに今日は私から言い出したことだもんね。料理を作りたいって」
柔らかく微笑んで、首を傾げた。少しの動作でも髪はさらりと動いて、触りたくなる。ピクリと指先が動くが、伸ばさずに握り締めた。
触れてもいないのに、無意識に動いたことが妙に恥ずかしい。
その時、俺の手をあかりの両手が包み込む。まだ温かく柔らかい手は、冷えた手には優しい。ゆっくりとした動作で持ち上げて、ギュッと強く包み込んだ。
少し俯いている顔にはさらさらの髪が頬にかかっている。どうやら、手をじ~っと眺めているようだ。
「あっという間に冷えちゃったね」
「全く、誰のせいだよ」
ちょっと意地の悪い言葉を投げかけた。
すると、チラッと目だけを向けてくる。あー、これは小言案件かなぁ。なんて思っていると、意外な行動をする。
角ばってゴツイ俺の手を、白くて柔らかい手がゆっくりと撫でてきた。あかりの顔が近付き、温かい息を吐きかける。
モワッとした白い息が立ち昇り、視界が白く覆われた。三度繰り返すと、冷えた手の表面が温かくなった。
別の意味で、胸の奥も熱くなる。頬も冷たいのに、熱くなりそうだ。
パッと弾けるようにあかりは顔を上げた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、一番元気な声を出す。
「はい! これで仲直り、ね?」
白い息で霞む笑顔。その息を手で払ってしまいたい。けど、片手にはスーパーの袋。もう一方の手は今もギュッと握られている。
とてもじゃないが、離せないし……離したくない。気の利いた言葉を返してやりたくて、頭を捻る。
「俺の家に来て、飯を作って下さい」
お辞儀をして、もう一度丁寧にお願いしてみた。
俺なりの精一杯の言葉はなんとも情けない。
でも、あかりは明るい声で言ってくれる。
「もちろん、任せてよ。鍋だけど」
鍋も立派な料理だもんな。
文句一つ言わずに、大事にスーパーの袋を握り締めた。
が、ここで気づいてしまう。
スーパーの前でいちゃついていたこと。
通り過ぎる周囲の目がこちらを覗き見ていたことを。
恥ずかしさが一気に襲い掛かってきて、冷えた体が一気に熱くなった。
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