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書物の姫君  作者: 最中亜梨香
外伝 冬至祭
85/87

仕事と望み 中編

 ミアは、ヨールを『立派な騎士様のお家の人』だと思っているらしく、敬語で接してくれる。

 しかしそんなことはない。百年前ならいざ知らず、今日び、騎士という職では食っていけない。そんな職は、書類の中にしか存在しない。多くの、『先祖が騎士だった』家の人間は、他の職に就いているか、盗賊に身をやつしている。ヨールの家は、たまたま、昔から王家に仕えていたために没落を免れていたが、普通の家とほとんど変わらない、質素な暮らしだった。

 普通の家と違う点は、兵士になるための鍛錬があることだった。

 晴れの日も雨の日も雪の日も、朝から晩まで、ずっと鍛錬の日々だった。家の外の広い庭と森で、ヨールは、剣や乗馬、弓を父親に教わった。大きくなってからは、弟達も鍛錬に加わった。模擬試合をしたり、狩りの腕を競った。

 ヨールは、兄弟達の中では、二番目に強かった。一番強いのは、エリメイだった。身体はヨールよりも小さいが、その分素早く動き、小さな隙をあっと突かれて、負けてしまった。

 そんな様子を見て、父はエリメイを褒め、ヨールにチクチク、ネチネチと説教をした。これは辛かったが、鍛錬も父もエリメイも、嫌いではなかった。

(まあ、仕方ない。エリメイは強い。僕より年下で、身体も小さいけど、とても強い。剣では勝てないな)

 ヨールはエリメイの勝利を、心から讃えた。

 その日、昼から急に空が曇り、滝のような雨が降り始めた。雷も鳴りだした。こんな天気ではさすがに鍛錬は無理だと、ヨールと父と兄弟は、慌てて屋敷の中に戻った。

 その時、屋敷の外で柵を直していた職人の老爺も避難してきた。軒先のベンチに座り、時々眩く光る灰色の空を見上げていた。

 職人の足元に、見慣れない箱と、木の板が数枚、置かれていた。ヨールは箱に近づいた。剣でもナイフでも斧でもない。初めて見るものだった。

「どうした、坊主? これが気になるか? これはな、こう使うんだ」

 職人は、木材の切れ端で、おもちゃの椅子を作ってくれた。ただの木の切れっ端からあっという間に椅子が出来上がる、彼の手を、ヨールは見つめていた。

 やりたい、とヨールは言った。すると、彼は工具を握らせてくれ、使い方を教えてくれた。全然上手にできなかったが、金槌の重み、釘を打つ時の振動、自分の手の中で新しいものが出来ること、全てに驚いた。

 それから、ヨールは父が仕事で家にいない日が楽しみになった。父がいない日は鍛錬が無いから、自由に過ごせた。ヨールは職人の家に向かい、物の作り方を教えてもらった。彼のお古の工具までもらった。

「俺には跡継ぎも孫もいねえ。お前さんが持った方が良いだろうよ」

 彼は前歯のない口で笑いながら、そう言った。

 ヨールは時間を見つけて、おもちゃや、小さな家具を作り続けた。

 職人が亡くなった時は、木彫りの鳥を作り、彼の遺体に添えた。天上に昇れるよう、祈りをこめて。

 やがて、家族から、色々とお願いされるようになった。

「あの椅子、壊れちゃったのよ」

「棚がうまく開かないんだけど、やってくれないか?」

「雨漏りがひどいんだけど」

 鍛錬の合間に、ヨールは大工となって、皆のために腕を振るった。

 冬は特に忙しい。雪の中での鍛錬がある上に、大工の注文が増える。冬至祭の飾りを作ったり、雪の重みで壊れた物を修理しなければならない。暗く長い、冬至祭の夜、家族が集まる暖炉の前で、ヨールは木を削り、固定し、磨いていた。

「将来は、大工になりたいな」

 ヨールは呟いた。

「兵士じゃなくて、大工になりたい」

「無理だ」

 隣にいた父が、笑いながら言った。

「この家の子なんだから、お前は兵士になるんだよ。この家の息子は、兵士になると決まっているんだ」

 他の兄弟も、姉妹も、母も笑っている。完全に冗談だと思われていた。

「お前は長男だし、この家と土地を守らねばならん。立派な兵士になるんだぞ」

 父の大きな手が、ヨールの頭を撫でる。

 優しい撫で方だったが、岩のように重たい手だった。

(……ま、分かってたさ。仕方ない)

 ヨールは、うん、兵士になるよ、とだけ言った。

 十二の歳になり、ヨールは王家で働くことになった。とはいえ、最初は父のお付き、そして見習いだった。父の後ろをついてまわって、仕事場を見学した。

 ヨールが見習いとして王宮に入ってから二年後に、エリメイは見習いとして王宮にやってきた。

 彼は、すぐに頭角を現した。王宮の中庭で行った訓練では、あっという間に同期と先輩を叩きのめした。それだけ目立てば、周りから睨まれそうなものだが、彼は持ち前の人懐っこさで、うまく回避した。異例の早さで見習いを卒業し、一人前の兵士として働き始めた。

 ヨールは、周りから「エリメイの兄」と呼ばれるようになった。

(あれが天才ってやつか)

 友達を連れて、王宮の回廊を闊歩するエリメイの姿を、ヨールは目をすがめて眺めた。

 数年後、ヨールもようやく父の許しを得て、盾と剣を持ち、仕事を始めた。

 城門の見張りをしたり、猛獣の巣を見つけたり、盗賊の足跡を辿ったりと、忙しかった。木工をする時間が全然ない。

(早く家に帰りたいな)

 草むらの中に隠れて、盗賊の住処を観察しながら、ヨールは部屋の工具箱を恋しく思った。

 この間も、エリメイの武勇伝は聞こえてきた。持って帰ってきた盗賊の首の数が新記録を更新したとか、恋人が何人かいるとかいないとか。また昇進が決まったとか。

 ある休日。

 ヨールが椅子の足に木彫を施している時、エリメイがふらりとやってきた。お互い忙しく、長話すのは久しぶりだった。

「兄貴。盗賊退治の人手が足りないんだけど、手伝ってくれない?」

「へえ。どこのどんな奴なんだ?」

 エリメイは楽しそうに、地名と人数や、詳細な情報を話した。

「本当か? それ。そこに、そんな大人数の盗賊がいるなど、聞いたことないぞ」

「鈍いなあ、兄貴。いることに『する』んだよ」

「……お前、盗賊に堕ちる気か」

 盗賊を捕らえた、あるいは殺した場合、彼らが持っていた資産のうち、いくらかは兵士のものになる。そういう決まりがある。この決まりがあることで、兵士の志気をあげるのだ。

 しかし、この決まりは悪用できる。盗賊でも何でもない金持ちの家を襲撃し、『盗賊を倒した』ことにしてしまえば、合法的に金を手に入れることができるのだ。

「やめておけ。絶対にやめておけ」

「何でだよ。懐も潤うし、戦果が稼げて早く出世できるし、悪いことなしだよ。先輩は『皆やってる』って。先輩と、先輩の友達も一緒だって」

「誰だよ、その先輩って」

 エリメイは数人の兵士の名前を挙げた。その名前は、ヨールもよく知っていた。あまり良い評判を聞かない男達だ。

「そんな奴とつるむな。強盗は絶対に駄目だ。殺されるぞ。防衛隊あたりの兵士がやってくる」

「防衛隊? あいつらは王都や国境の防衛をするんでしょ。俺達とは関係ないじゃん」

「普段の仕事が防衛ってだけだ。彼らは傭兵だから、金次第で誰の味方にでもなる。ほら、この前、川に浮かんでたやつがいただろう。あいつがそうだ。あいつも盗賊をやってた。死体を見たが、じわじわと長く苦しめて殺すやり方だった。依頼者にそうしろと頼まれたんだろうな、あいつを殺した傭兵は」

 エリメイは鼻じろんだが、でも、とつづけた。

「そんな奴ら、俺なら──」

「お前なら勝てるかもしれないな。だが生き延びて、どんどん盗みをやってると、今度は王の元に訴えがくる。そうなると、もう逃げられないぞ。お前は裏切り者という烙印を押されて、俺と親父はお前を殺さなければならなくなる」

 エリメイの顔が、強張った。

「俺はお前を殺したくない。本当に、やめておけ」

「……分かった」

 ヨールはほっと胸を撫で下ろした。

「しかしさ、兄貴。そんなことしてたら昇進しないよ」

「普通に仕事をしてたらいい」

「でも兄貴は昇進してないじゃん」

「俺は見張りや斥候をやることが多いからな。盗賊の首をとってとってとりまくるって感じではないな」

「それでいいの? 同期にも置いてかれてるじゃん」

「給金はもらっているし、何も問題はない」

「……兄貴さ。野心ってやつがないよね」

 そう言って、エリメイはヨールの部屋を見回した。狭い部屋には、所狭しとヨールの作品が置かれている。売れないし、売る予定もない木工作品たち。他には必要最低限の家具と仕事道具だけだ。

「金も名誉も欲しがらないし、女とも遊ばないし」

「そんなことはない。金は欲しいさ。名誉も、まあ、いらなくはない。女も嫌いじゃない。時々娼館に行って遊んでるよ」

「でも『盗賊狩り』には行かないし、恋人もいないでしょ」

「別に普通に働いていても、それなりに手に入るだろ。恋人はいたけど、すぐに自然と別れたよ。続かなかった」

 エリメイは腕を組み、うーんと首を傾げた。

「兄貴は、何というかその、熱がないんだよ。いつもからっとしてるというか。いつも平熱。何にも心を動かされない」

 同じようなことを、父にも言われたことがあった。お前は何にも執着がない、と。それが美徳でもあり、欠点でもある、と。

「そんなんで大丈夫かな。許嫁の子に愛想をつかされたりしない?」

「あれは家同士が決めたことだ。何にも問題はないよ」

 許嫁は遠い親戚の子で、何度か会った。ヨールが十七になったら婚姻の儀をあげる予定だ。

「そうかなあ。もっと情熱的に、手紙や贈り物を送った方がいいんじゃない? 仲良くするにこしたことはないじゃん」

「んー……気が向いたらそうする」

 だが、この婚姻の儀、執り行われることはなかった。

 許嫁が別の男と駆け落ちし、家を出ていったからだ。

 父は怒り狂った。許嫁の親も怒り狂った。今にも剣を取って、二人を殺しに行かんばかりだった。

 怒り狂う家族達を宥めたのは、ヨールだった。

「どうしてお前は平然としているんだ! 怒らないのか?よその男に取られてしまったんだぞ!」

 怒ってないといったら、嘘になる。しかしヨールは微笑んだ。

「他に好きな人がいるなら仕方ないよ」

 これも本心だった。ヨールにできることは、せいぜい、二人の幸せを祈るくらいだ。

「……それもそうだな。新しいお前の妻を探さなければ」

「それなんだけどさ。俺じゃなくていいと思うよ」

「は?」

「エリメイにこの家を継がせたらどう?」

 許嫁の逃亡の知らせを聞いた時よりも、父は驚いた顔をしていた。

 隣で話を聞いていたエリメイも、ポカンと口を開けていた。

「お前、何を言ってるんだ! 長男が当主になると、昔から決まってるんだ、その掟を──」

「考えてみてよ。エリメイは、俺よりずっと昇進している。これからますます活躍するに違いない。人望もあるし、恋人もいる。あいつが当主になった方が、この家は栄えるさ」

「駄目だ。伝統を破ると、争いの元になる」

「俺は今の状態で十分満足している。それなりに暮らしていける金と、たまに物を作れる時間があれば、それで良いんだ。相続でモメないよう、一筆書いてもいい」

 父は苦虫を噛み潰したような顔で、ヨールの話を聞き、考えこんだ。

「いやいやいやいや、駄目だって。兄貴が跡取りになるべきだって」

 エリメイは慌ててヨールと父の間に入った。

「兄貴、疲れてるんじゃないのか? 少し寝たら?」

「ずっと前から考えていたことだ。お前の方が、この家を大きくできるさ」

「だが──」

「この家、ボロボロだろ。しょっちゅう雨漏りするし、ドアの立て付けも悪いし。俺は職人じゃないし、全部直すのは無理だ。それに、弟妹達も、まだまだ手がかかる。弟達の初陣のための鎧とか、妹達が嫁ぐ時のドレスとか。この家には金がいるぞ」

 最終的には、父もヨールの考えが正しいと思ったようだ。エリメイが、正式な跡取りになった。

 この話題で、王宮は盛り上がった。跡取りが変わることなど、そうそうない。しかも次の跡取りが、兵士達の人気者。様々な噂や憶測が流れた。

(なんか、いづらくなったな)

 王宮の廊下を歩くたびに、遠巻きに見られるし、上司も友人も無駄に気をつかって話しかけてこない。工具を持つ手が重い。

(ここを出ていくか。その方が気が楽だ。王都防衛隊に入ろうか)

 そんなことをつらつらと考えながら、ひとりぼっちで仕事をしていると、ある日突然、隊長に呼び出された。

「どうしましたか、隊長」

 隊長はむっすりした顔で、淡々と言った。

「ヨール。昇進だ。お前は、第八王女の護衛につくことになった」

「第八王女様……」

 その王女のことは知っている。とても有名な王女だ。

 一日中部屋にこもって本ばかり読む、髪の短い王女。確か、母親の王妃が亡くなってから、王宮の端にある離れの屋敷にいらっしゃったはずだ。

(侍女が足りないと兄の王子に言ったら、娼館のした働きの、口がきけない愚鈍な少女を送られたとか、なんとか)

 風の噂で聞いた話を、ヨールは思いだした。

 他にも、魔女だとか、魔物を呼ぶ儀式をしているとか。とにかく変わり者と評判の王女だ。

「アンナ姫は、市内の別のお屋敷にお引越しされた。新しい護衛が必要なんだ。その役目に、お前が選ばれた。大出世だな」

 大出世とは言うが、実質は左遷だ。

(誰が決めたんだろう。王族の方? それとも親父? エリメイ?)

 誰かが推薦したはずだ。そうでなければ、ヒラの兵士のヨールなど選ばれないだろう。何か、政治的な思惑があって、選ばれたのだ。

(……まあ、何でもいいか。毎日食っていけて、たまに大工が出来れば、それで良いんだから)

 ヨールは微笑みを浮かべた。

「承知いたしました」

 僅かな荷物を持って兵士の寮を引き払い、ヨールはアンナがいるという場所へ向かった。

 よく知っている大通りの片隅。そこに、小さな家が建っていた。壁に花の絵が描かれた、可愛らしい家だ。

 ヨールは玄関を控えめに叩いた。レースと名乗る、中年の女が出てきた。名前と身分を告げると、彼女は破顔し、中へ案内された。

 中は、大量の木箱があった。そこらじゅうに積み上げられている。

「ごめんなさいね。引越ししたばかりなのよ」

 レースは箱の間を抜けて、奥へ行く。ヨールは荷物を頭の上に乗せて、彼女の後をおった。

「手伝おうか?」

「是非ともお願い。三人だけでは、全然進まないから……」

「三人?」

 その時、廊下の奥から、ひょこっと若い女が現れた。髪がとても短い。ヨールは荷物を床に下ろし、姿勢を正した。

「アンナ様。新しい護衛の方が来ましたよ」

「ああ、来たんだね。良かった。見つからないかと思ってたよ。私はアンナ。貴方は?」

「ヨールと申します」

「よろしくね。今、ちょうど引っ越しの荷解きをしてるんだ。荷物が多くて」

 彼女は、手に持っていた冊子の束を、空いた箱に入れていく。

「それは……本ですか?」

「うん。数が多くてね。中々大変だよ。手伝ってくれる?」

 案内された部屋には、冊子や本が山のように積まれていた。こんなに大量の紙を、ヨールは今まで見たことがなかった。

 背後から足音が聞こえた。振り返ると、少女がこちらに歩いてくるところだった。

「アンナ様。二階は全部終わりました」

「ありがとう、ミア。そこの廊下の束をお願い。右から順に、上の棚に並べていって」

「はい!」

 ミアはポケットから紙束とペンを取り出し、何か書きこむと、廊下の端に積まれていた紙束を、外へ持っていった。

「ヨール、あの子はミア。しょっちゅうメモを取ってるけど、気にしないで。そうしないと覚えられないの」

「は、はい。かしこまりました」

 あの子が、『口がきけない愚鈍な少女』だろうか。そうは見えないが。

「早速だけど、貴方はこっちの部屋を手伝って」

 アンナと共に、紙だらけの部屋に入った。壁際の本棚が壊れ、周りに紙が散らばっていた。

 ヨールが本棚を見ていると、アンナが近づいた。

「紙の重みに耐えられなくてね、壊れちゃったんだよ。職人を雇わなくちゃ」

「よろしければ、私が修理しましょうか?」

 アンナは目をパチクリとさせた。

「え、できるの?」

「はい」

「じゃあお願い!」

 ヨールは周りの本を退けると、本棚を見聞した。棚板は真っ二つに割れているので、これは替えなければならないが、他は無事だ。

 荷物から工具箱を出すと、早速作業を始めた。まずは壊れた棚板を外しにかかる。

 アンナはしばらくの間、隣で作業の様子を眺めていた。

「ヨール、もしかして、こういう大工仕事、得意なの? 本棚もイチから作れる?」

「はい、作れますよ」

「じゃあ、いっぱい作ってほしいんだけど。この家じゃなくて、書庫の方に」

「ショコ、ですか?」

 聞きなれない言葉だ。文脈からして、本に関係するもののようだが。

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