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書物の姫君  作者: 最中亜梨香
第五章
45/87

9

 神官兵の舟が近づく。

 マオ達は息をとめて、船底に伏せていた。幸い、矢は当たらなかったし、大量に飛んでくることもない。先程のあれは、威嚇のつもりだったようだ。だからといって、状況が好転するわけでもないが。

「貴様ら、動くな!」

 神官兵がドカドカと舟に乗りこむ。腰の短刀を抜き、殴り、マオ達の背に馬乗りになる。マオは背骨が軋む音を聞いた。

 警備兵は泣きだした。

「ま、待ってくれ! 殺さないでくれ!」

 もう一つの舟からも怒声と悲鳴が聞こえる。

「いたぞ! 魔物の手先だ!」

「男七人、女二人、しかも一人は老婆です! 逃亡犯と一致します!」

「やめてくれ! 俺達は何もしてない!」

 警備兵らが泣きながら叫ぶ。

「私達が何をしたっていうの!」

 レースは神官兵に手足を縛られてもなお、気丈に振る舞う。

「お前達だろ、ティルクスから禁書を輸入しようとしているのは!」

「知らないわよ、何の話?」

 レースが聞き返した。

「ディーロ王子の妻、アンナが魔物を召喚する本を輸入していると判明した。その本のために、ティルクスに使者を送った。お前達がそうなんだろう?」

 マオは、王都の練兵場で聞いた話を思いだした。ティルクスとの国境で魔物に関する本が見つかっている、と。

「アンナ? 誰よ、それ!」

 レースが叫んだ。

「俺達は知らねえぞ!」

 ヨールも彼女に続いて声をあげる。二人の言い方は、何もないのに突然捕まり、酷く混乱している村人そのものだ。

 マオは、声が聞こえてくる方法を、ちらりと見た。何とか息を整える。

「だったらお前達は何だ? こんな朝早くから、ひっそりとどこへ行く?」

「川下の大神殿です!」

 マオは声を張りあげた。

「みんなで安産を祈願しに行くんです」

 川下の町に大神殿があることは事実だ。マオは一度、警備でその神殿に向かったことがある。そこは、病の治療や安産祈願で有名だ。

「男達は腰に剣を下げているが?」

「護身用ですよ! 追い剥ぎと犬から身を守らないと、危ないでしょ?」

 マオの背に乗っている神官兵は動かない。

「おい、本当にこいつらなのか?」

「男が七人で若い女と老婆が一人ずつだ。こんな集団、そうそういないだろ。こんな朝に川を下っているのもおかしい」

「お金が無くて、宿に泊まれなかったんです。仕方なく舟で寝ていたのですが、いつの間にか岸から離れてしまいました」

 息をするように嘘をつくマオ。次第に、小さな希望の火が、心の中に灯った。

(彼らは、宿で襲った神官兵とは別の部隊だ。この様子だと、私達の顔や人相の情報が伝わってないんだろう。もしかすると、うまく逃げられるかもしれない)

 背中にかかる圧に負けじと、マオはぐっと腹に力をこめる。

「魔物の本とか知りません。何かの間違いですよ。私は神殿のペンダントを持っています!」

「見せてみろ」

 マオはゆっくり手を伸ばし、らせんのペンダントを首から外した。神官兵が乱暴に奪いとる。それを、部隊の長に見せた。

「……お前達の言い分は分かった」

 長は重々しく言った。

「とりあえず、連れていけ。陸の連中に顔合わせをしてもらう」

 マオ達は無理矢理立たされ、神官兵の舟に乗せられる。舟の向かう先は、大型船だ。薄明の光でも、その大きさがよく分かる。

 蛇のように細長い船体。巨大な帆。横からは長い櫂が何十本も突きだしている。川で船を使う場合、上流から下流に向かう時は水の流れに任せたらいいが、逆はそういかない。だから、大人数で漕いで上流へ向かうのである。

 マオは船を観察する。櫂が突きでている穴は小さく、人間が出られる大きさではない。

 舟は大型船の船尾までやってきた。上から縄梯子が降りてくる。最初にレースが登ろうとするが、三段目まで登った辺りで、足が止まった。

「私にこの梯子は登れません。揺れて揺れて、手足に力が入らないのです。神官様、どうかここにいさせてください」

「はあ、仕方ない。ならお前はここに残れ。他の奴らは登れ」

 マオは船を見上げた。ここに何人いるんだろうか。船の漕ぎ手のことを考えると、百人はいるに違いない。胸の中に灯った火が、急速にしぼんでいく。

 揺れる梯子の登りにくさは想像以上だった。手足を酷使し、苦労して甲板に上がると、手をきつく縛られ、座らされる。目の前に神官兵が立ち、マオ達を睥睨する。

 陸地に向かった神官兵が帰ってきて、マオ達が『密輸犯』だと確定したら、すぐに処刑するつもりなのだろう。この場所では、逃げることもできないし、暴れても負ける。

 マオは俯き、船の揺れを感じていた。足元から、紛れもない死の恐怖があがってくる。しかもただの恐怖ではない。地獄行きの恐怖だ。ヨラ神は、マオがたどってきた道を、誤りだと断じたのだから。

(せめて……せめて、レオは私と同じ場所に来ませんように。無事でいますように)

 角笛が鳴り響いた。ハッとなり、顔をあげる。

 南東の方角から、大型船が三隻、猛烈な勢いで近づいてきている。

(もう帰ってきたの?)

 マオの首を冷や汗が伝う。

「河賊だ!」

 兵の長が叫んだ。え? とマオ達は神官兵を見る。

「総員、配置につけー! 下にいる奴ら、戻ってこい! 賊が出た!」

 レースと共にいた神官兵が素早く登ってきた。全員が甲板の左右にずらりと並ぶ。船が急に旋回を始める。マオ達はバランスを取れずに転び、背中を強かに打つ。

 痛みに顔を歪ませながら、マオは目を開ける。全員と目が合った。警備兵もヨールもマオも、同じことを考えている。

 マオは精一杯しゃがみ、靴の中に仕込んでいた隠しナイフを取りだした。指を切らないよう注意しつつ、ロープを切る。自分の両手が自由になったら、他の人のロープを素早く切る。

 船尾から下を覗きこんだ。レースを乗せた舟は、ロープ一本で大型船と繋がり、グラグラと水面で揺れている。レースは舟に必死でしがみついている。

 警備兵とヨールは次々と飛び降りた。必死で泳ぎ、舟に登る。船を漕ぐ音や掛け声がやかましく、神官兵は気づいていない。

 最後にマオが飛び降りる。水面に落ちた瞬間の衝撃で身体が一瞬痺れる。それでも己を叱咤し、必死で泳ぐ。ヨールがマオの手を掴み、引きあげた。マオはすぐにロープを切った。警備兵達は猛然と櫂を動かし始める。

 大型船は脱走に気づいていないのか、気づいていても構っていられないのか、どんどん離れていく。

 日が完全に登り、水面が光り輝く。近くには誰もいない。遠くでは商船が行き来している。

 舟は北へ、ティルクスの方へ進む。夏の太陽がジリジリと肌を焼く。汗がダラダラと流れ、喉が乾く。川の水を一口二口飲み、凌ぐ。

 一隻の大型船が近づいてきた。神官兵の船と似たような形だ。

──あれは何の船だ?

 全員が、船を注視する。

 船はみるみるうちに近づいてくる。帆にかかれた紋章が、次第に見えてくる。

「ティルクスの国章だ!」

 ヨールが叫んだ。

「おーい! おーい!」

 両腕をブンブン振るヨール。レースもすぐに立ち上がり、腕を振った。警備兵も歓声をあげる。マオは腕を振ったり大声をだしたりしないが、大きく息をはき、目を閉じた。

 ティルクス軍の船が舟の前で止まる。縄梯子が降ろされ、兵士が降りてくる。

「どうした? お前達は誰だ?」

 レースとヨールが身分と事情を説明している間、マオは南の空へ顔を向けた。

(レオ。無事だよね? この空を見てるでしょ?)

 雲一つ無い、真っ青な空。しかしマオには、暗雲が立ちこめてくるように見えた。

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