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書物の姫君  作者: 最中亜梨香
第三章
27/87

8

 地下道から倉庫へ戻ると、弓を携えたヨールが待っていた。

「おかえりなさいませ」

 ディーロは怯えて一歩後ずさり、後ろにいるアンナにぶつかる。

「お初にお目にかかります、殿下。ヨールと申します」

 ヨールは胸に手を当て、挨拶をする。

「どうしてここに?」

 アンナはぶつけた鼻をさすりながら尋ねた。

「あなた方の護衛をしていました。屋敷の外へ出る以上、危険だと思いまして。見えない場所で待機しておりました」

「は、話を聞いてたの……?」

 アンナの後ろから、ディーロが恐る恐る問いかける。

「いいえ、二人の話は聞いておりません。聞こえない場所で待機しておりました」

「ほ、本当に?」

 ヨールは落ち着き払って頷く。

「彼は信用できます」

 アンナの言葉で、どうにかディーロは落ち着きを取り戻す。

「もう屋敷の外には出ない。下がっていいよ」

「かしこまりました」

 ヨールが物置から出て行った後、ディーロは壁の隠し扉を開いた。人ひとりが通るのがやっとの、狭い通路が姿を現す。

 まずディーロが、続いてアンナが中に入った。身体をねじ込むようにして通路に入り、ゆっくり歩く。埃っぽく、息を吸うたびに喉が苦しくなる。咳が壁の向こうに聞こえてはまずいと、アンナは口元を押さえた。

 通路の突き当たりにある、今にも壊れそうな梯子を上る。

 かびと古い紙の臭いが鼻をついた。

 カチカチ、と火打ち石の音が鳴り、明かりが灯る。

「え? こ、これは……!」

 アンナは目を丸くした。

 床の踏み場がない。至る所に物があふれている。紙束、くしゃくしゃの服、何か分からないもの。壁際には本が山のように積まれている。ベッドも箱やら何やらで埋まっている。

「すっごい! 本が、たくさん!」

 アンナが目を輝かせていると、燭台を持ったディーロが、器用に床の物を避けて歩き、壁のガラクタの山に手を突っ込み、そこから一冊の本を取って、アンナに持ってくる。

「これは先生が書いた本です」

「え?」

 薄汚れた紙の本。表題は、アンナも故郷の図書館で見たことがある。古代の文明について書かれたものだ。

「こっちはアンナさんの小説が載ってる本です」

 ディーロは机の上にある本を持ってきて、アンナに見せる。懐かしい表紙だ。

「もしや、ここにある本は全部──」

「先生と私の本ですよ。私がここに運びこみました。父上に見つかる前に」

 ディーロは本の塔と塔の隙間から椅子を引っ張り出し、アンナの前にどうぞ、と置いた。アンナが座ると、彼はベッドの空きスペースに座る。

「本を禁止する法律ができる噂が聞こえてきた頃に、持っていた本を少しずつ、こっそりここへ運びました。先生と一緒に。もし法律ができても、本を守ろうって約束していました」

 その独白を聞くうちに、アンナの目が少しずつ見開かれていく。

(家庭教師が殺されたショックと、王への恐怖で、部屋に引きこもってるんだと思ってたけど、もしかして)

「その後、法律ができて、先生が捕まりました。先生だけでなく、たくさんの学者や作家が捕らえられ、処刑され、たくさんの本が広場で燃やされました。

 ここの屋敷の本は、すぐには見つけられませんでした。でもそれも時間の問題でした。私と先生がここを出入りしていたのは、向こう側に見られていました。私は焦って、いてもたってもいられなくなって、ここに閉じこもりました。中から鍵をかけて誰も入れなければ、本を守れるって」

「それだと、逆にここに大事なものがあるって、声を大にして言ってるのと同じ……」

「うん。今思えば、そうですよね。でも、あの時は必死で、他に何も考えられませんでした」

 ディーロは雑誌の表紙をそっと撫でる。

「閉じこもってから、色んな人が来ました。侍女とか親戚の貴族が、説得に来ました。何も答えなかったら、次に兵士が脅しに来ました。それでもじっとしていたら、あの双子が食事を持ってくるようになりました。それからずっと、ここで暮らしています」

 アンナは本の山に近づき、目を凝らす。紙束はどれも数年前の日付のチラシだったり、小さな冊子だったり、メモ帳だったり。検閲の法ができる前の、人々の自由な記録がここにある。

「父上はね、私が部屋から出てこなくて、死人のように静かにしていればそれで良いって思ってるみたいです。だから今まで引きこもっていられました」

 ディーロはそう言って、床の空いた場所に、膝を抱えて座った。

「よかったら、読んでみてください」

「いいんですか?」

「どうぞ。いつまでこうやって隠しておけるか分かりません。今のうちに、どうぞ」

 アンナは近くにある本を手に取り、パラパラとページをめくる。紙の感触、インクの臭い。この国に来てまだ半年も経っていないのに、数十年ぶりに本を触っている気分だ。久しく感じていなかった高揚感が、胸の底から湧き上がる。

「本が好きです。本を読んでる時間だけは、現実を忘れられるから」

 アンナは本から彼に目を向けた。

 家庭教師が遺した本の表紙を撫でながら、ディーロは、静かに語り続ける。

「だから、死ぬまで部屋に閉じこもっていようと思っていました。本が読めさえすれば他はどうでも良いって。私にこの国を変える力は無いんだからこれで良いんだって、そう言い聞かせていました。でも、そうやっているのも無理なんですよね」

「残念ながら、無理ですね」

 ディーロは小さなため息をつく。

「私は、この本を守りたいです。そして、自由に本を読んだり書いたりできる、かつての国を取り戻したいです……どうすれば良いか、何にも思いつきませんが」

「一緒に考えますよ」

「あ、ありがとうございます。でも私、何も分かりません。もしもどうにもならなかったら、どうしよう」

「その時はまあ、ここの全員でどこか遠くへ逃げましょう」

 その辺を散歩しよう、と同じ口調で、アンナはのんびりと言った。

「え、ええ? それは……逃げたら、虐殺と革命が起きますよ。たくさんの人が死んでしまいますし……」

「クソ真面目ですねぇ。まだ時間はありますし、ゆっくり考えましょう。とりあえず、今夜は本を読みたいです。久しぶりに」

 アンナは本を手に取り、ページを捲る。一ページ、また一ページ。

「──アンナさん、本のことしか頭にないでしょう?」

「別にそんなことは。国のことも大事ですよ。明日になったらちゃんと考えます。ところで、これ、シリーズものですよね? 続きはどこです?」

 蝋燭の明かりを頼りに、アンナは本を読み漁る。時折、ディーロと本の感想について、ああだこうだと言い合う。笑い。それは違うと言い争い、そしてまた共感する。

 久々の読書は、とても楽しい。何よりも、いつだって、素晴らしいものだ。本好きの友ができたら、そりゃあ最高だ。

「そういえば、貴方のことを何とお呼びすれば良いの?」

 いつの間にか敬語も使わなくなった頃、アンナは何気なく問いかけた。手紙で、殿下と呼ばないで欲しいと書いてあったことを思い出したのだ。

「えーっと……じゃあ、ディーアと呼んで。先生も友人も、そう呼んでくれたんだ」

 ディーアは女性名だ。しかし、アンナは「そう」と頷く。本について語り合う時に、性別など瑣末なことだ。

「では、ディーア、と」

 読書会は、東の空が白むまで続いた。

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