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書物の姫君  作者: 最中亜梨香
第三章
25/87

6

 月光が照らす田舎道を、マイトの馬車は行く。

「いやあ、きれいな満月ですねえ」

 マイトはそう言ったが、少しも月の方を見ていない。

「そうですね」

「月は美しく、そして神秘的です。どうして満ちては欠けるのか、月が昇って沈む、その軌道の季節ごとの違いはなんなのか。私は天文学者ではないので、理由はさっぱり見当もつきませんが、いつか知りたいものですね」

「マイト様は、どのような研究をされているのですか?」

「今は古代文明の研究をしていますよ。古代の学者は、現在では考えられない様々な哲学や研究をしていまして、それがとても面白いんです」

 アンナは頷いた。故郷の図書館にも古代文明の哲学書があった。もっとも、彼女自身はそういうのに興味が無く、もっぱら当時の娯楽小説ばかり収集していたが。

「もしかして、興味が出てきましたか? 留学します?」

「いえ、そういう訳では。少し気になったんです」

「そうですか。ですが、もし入学の希望があるなら、すぐに行ってくださいね。手続きのお手伝いをしますからね」

「ありがとうございます」

 城が見えてきた。石造りの小ぶりな城だ。高い城壁と、その周りに張り巡らされた水路。あちらこちらに松明がつき、兵士が警備にあたっている。

 正門が開き、中に入る。地面は石で舗装され、土が見えない。壁に窓はなく、高いところに小さな明かりとりの窓がある。戦闘の実用性のみを考えたつくりだ。

 馬車を降りると、城の中から禿頭の男が現れた。

「いらっしゃいませ、アンナ様。お会いできて光栄です」

 彼は右手を差しだす。しかし、その顔つきは厳しく、アンナを値踏みするかのようだ。

「どなたですか?」

「私はフレデリック・ロベールと申します。マイト様のご友人です」

 城に入り、広い応接間へ通される。固いソファにアンナとマイトが向かい合って座る。使用人がお茶を置くと、フレデリックは使用人と共に部屋を出ていった。

 応接間に、アンナとマイト、二人きりになる。

「アンナ様。聡明な貴方に、お願いしたいことがございます」

 お茶に一切手をつけず、マイトは言った。

(何かもの凄く面倒なことになりそうだ)

 アンナの直感がそう告げる。彼女は表情を固くした。

「我々の革命に参加していただけませんか」

 部屋に沈黙がおちる。

 マイトから、いつもの柔和な表情は消え失せている。真剣で、熱意のこもった目で、アンナを正面から見据える。

 アンナは頭の中で考えを張り巡らせつつ、言葉を選ぶ。

「革命とは、今の王を倒すということですね?」

「はい。その通りです。更に言えば、王だけでなく神殿も倒します。国の隅々まで蔓延る神殿の権力を排除し、そして、新たな国の元首を国民の投票で選びます。僕は、史上初の民主政を実現したいんです」

 アンナは絶句した。

 民主政。新しい政治制度の考え方だ。製紙法と大量印刷の技術が確立され、市中に本が出回るようになった現在、王は血統ではなく、国民が選ぶべきだと考える人が増えている。当然各地の王や貴族は民主政を警戒し、運動家を反乱分子として逮捕している。

(どれほど取り締まったところで、本の流通を止めることはできない。民主政の理念もどんどん広がるだろう。いつか王政が廃れるかもしれない。でも、まさか今この時、私の目の前で?)

 マイトは形だけの笑みを浮かべる。

「驚かれてますね。意外です」

「そのような壮大な話を聞けば、誰でも驚きますよ。では、他の王家の方々はどうされるのです? 王妃、私の夫、マイト様のご兄弟や親戚はどうなるのでしょう?」

「それは彼らの出方次第です」

 アンナの手に汗が浮かぶ。

(断れば殺すつもりか)

 本日二回目の命の危機である。身体の震えを必死で抑える。

「このお話を王家の誰かにされたのですか?」

「いいえ。貴方が初めてです。他の人達は王の言いなりです。王の機嫌さえ損わなければ豪華で安定した暮らしをしていけますから、革命に手を貸す可能性は低いでしょう。しかしアンナ様、貴女は違います。教養と知性をお持ちです。貴方が革命に加わっていただければ、百人力です」

 アンナはカップの中の茶に視線を落とす。薄氷の上を歩く心地で、言葉を絞りだす。

「私に、力はありません。ただ屋敷で静かに過ごすことしかできません。貴女の足を引っ張るだけになるでしょう」

「先ほど申しあげました通り、貴女の書物に対する価値観や知性はなにものにも変えがたい力になります。同志も、貴女に是非参加していただきたいと考えております」

「同志?」

「はい。先ほどお会いしたフレデリックがそうです。他にも、たくさんの同志が、新たな同志と施政者を望んでおります」

「なるほど」

「どうでしょう、アンナ様? どうかお力をお貸しいただけませんか?」

 ちょっと家で考えたいです、とはとても言えない雰囲気だ。

(どうして、どいつもこいつも物騒なことばかり考えてるんだ。それでどうして私を巻きこむんだ)

 お腹がキリキリと痛む。

「……私には、夫がいます。家族同然に大切にしている使用人がいます。彼らの安全と立場を保証してくださるのであれば、応援いたしましょう」

「そうですか!」

「はい。私は何をすれば良いですか?」

 マイトはフレデリックの名前を呼んだ。即座にドアが開き、彼が紙を片手に入ってくる。

「アンナ様。革命へのご参加、誠にありがとうございます」

 彼は紙を机の上に広げた。それは地図だ。中央にエレア王国、北にティルクス王国。東にパルフィア。他にも名前を知ってる国々が書き込まれている。しかし何故か、南東の何もない場所にぐるぐると丸印がつけられている。

「アンナ様にお願いしたいのは、武器の調達のルートです」

 フレデリックは丸を指差す。

「ここは名もなき小国ですが、火薬と銃の生産国でもあります。ここから銃を輸入しようと思うのです」

 銃。アンナは名前だけは知っていた。小さく細長い筒から、勢いよく玉を発射する新型の武器だ。しかし動作は不安定で、弓矢の方がよほど信頼がおける。

「実際に使えるのですか?」

「僕が行って見てきました。あれなら、非力な者でも簡単に敵を倒すことができます。これを運ぶルートとして、ティルクスを経由することを考えています」

「随分と遠まわりになりますよ」

「はい。しかし、先日の大雨で、状況が変わりました。多数の街道に被害が出ているため、人が集まっています。見つからないよう運ぶには、ティルクスを経由するしかありません。アンナ様、貴女なら故郷から荷物を取り寄せても不審ではありません」

 できるか!

 アンナは怒鳴りつけるのを、すんでの所で堪える。

(そんなことができるくらい私に権力があったら、仲の悪いこの国に嫁いでない! 無理難題にも程がある!)

 癇癪を起こしたい気分を押さえつける。

「ティルクスでは、例え王家の荷物といえども、国境で検査が行われます。万が一、荷物や荷物の運び手に刺客が紛れていないとも限りませんから」

「荷物の偽装はこちらで行います。貴女はただ、ドレスや宝石を注文すればよろしいのです」

(それができないんだってば)

 アンナは地団駄を踏みたい気分だ。

(でも、『できません』とか言ってしまったら、絶対ここから生きて出られないんだろうな)

 どうしようもないので、彼らの望む通りの返答を口にする。

「分かりました。そちらのおっしゃる通りにしましょう」

「ありがとうございます」

 フレデリックは、荷物を頼む日時、業者の名前、荷物の中身を書いた紙をアンナに渡す。

「どうか、無くされませんように」

「分かってます」

 アンナは紙をポケットにねじ込む。

「そろそろ、失礼してもよろしいでしょうか。屋敷に戻らないと怪しまれるので」

「ええ、どうぞ」

 フレデリックはうなずく。マイトは席を立った。

「僕が送りますよ」

 二人は城を出て、馬車に乗った。月はすでに西へ傾きつつある。

「アンナ様」

「何でしょう」

「貴女が革命に参加してくださって嬉しいです」

 彼はそっとアンナの手を握る。

「革命が終わっても、貴女とこうしてお話をしたいものです」

「……そうだと嬉しいです」

 アンナはこう答えるのが精一杯だった。

(どうすれば、この状況を生きぬくことができる? 明日、明後日、その次の朝を無事に迎えられる?)

 冷たい月光が、アンナの横顔を照らし続けた。

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