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書物の姫君  作者: 最中亜梨香
第二章
13/87

3

 シャロンの襲撃から更に数日。

 日の当たる地面の一画で、ミアは庭の若葉に水をやっていた。屋敷に来たばかりの頃はなんにも生えていない地面だったが、今はほんのわずかな一画であるものの、緑が芽生えている。

「早く花が咲かないかな?」

 ミアはうきうき顔で庭の前をうろついている。その横でヨールは金槌をふるい、ベンチを作っている。

「あんまり動き回って、うっかり芽を踏まないようにな」

 手元から顔を上げずにヨールは言った。

「分かってますよ!」

 ミアはわざとらしく頬を膨らませ、その後朗らかに笑った。

「花を咲かせなきゃいけませんから。きれいな花が咲いたら、王子様も一目見ようと窓を開けられるかもしれません」

 ミアは屋敷の二階の窓を見た。そこはディーロの部屋の窓だった。鎧戸はきつく閉ざされ、一度も開いたことはない。庭はディーロの窓からちょうど見える位置にある。

「気長に待っていればいつか会えるさ……よし、できた。座ってみて」

 ヨールは作った椅子を地面に置いた。ミアはすぐに座る。

「あー、腰が楽です。とても良いです」

「良かった。じゃあ油でも塗るか」

「油ですか?」

「油は水を弾くんだ。だから塗っておけば長持ちする」

「台所の油は量が少ないですよ」

「物置のやつを使うんだ。とってくる」

 ヨールは地面から腰をあげる。勝手口から屋敷に入り、台所をぬけて廊下を歩く。応接間(とは名ばかりの小部屋)のドアの前には、レースが立ち、いつ名前を呼ばれても良いように控えていた。ドアの向こうからはアンナとシャロンの話し声が聞こえてくる。シャロンはここ最近、毎日のようにやってきてアンナにドレスを渡せと言ってくる。

「ご機嫌のようだね」

「今はね」

 喚いても思い通りにならないと学んだためだろう、最初の頃よりも癇癪を起こすことは少なくなった。しかしいつ機嫌が悪くなるかは誰にも分からない。ヨールは主人に同情しながら、倉庫へ向かった。

 一方部屋の中では、シャロンが好戦的な目でアンナを見ている。

「もしドレスを渡してくれたら、私の指輪をあげるわ」

「お気持ちだけ受け取っておきます。指輪はあなたが大切に持っておくべきです」

 下手に物を受け取って、後々面倒なことになったら大変だ。

「なら、ネックレスはどう?」

「あなたはいつも物を渡して自分の望みを叶えようとするんですか?」

「いつもじゃないけど。でもそうね。ここに来る時は王宮の門番に渡してるわ」

 アンナは軽く頭痛を覚え、こめかみを抑えた。

「本当にそんなことをしてるんですか? 賄賂じゃないですか」

「ワイロ? へえ、そういうのね」

「『そういうのね』じゃありません。賄賂は良くないですよ。そんなことを続けていたら、貴女が本当に困った時、誰も助けてくれません」

 シャロンはむっと顔をしかめ、そっぽを向いた。

「その時は真珠のブレスレットを渡せばいいわ」

「そういう話では……だいたい、ポンポンとあげていい物ではないでしょう。宝石は高いんですよ」

「いらないわよ。白と黒ばっかりだもん」

 シャロンは吐き捨てるように言う。

「もっと前はね、色とりどりの宝石とドレスがあったのよ。でもある日突然、全部捨てられたの。赤や青の宝石も、ドレスもね」

 十歳の女の子に似合わない、低く暗い声。彼女は怒っている。癇癪の時のような怒り方ではない。もっとずっと前から心の底で燃えている怒りだ。

「お庭の花は全部刈り取られたわ。それからずっと白と黒。いくら他の色が欲しいっていっても、誰もくれないわ。みんな持ってないんですって」

 ほら見て、とシャロンは両腕を広げた。彼女のドレスは真ん中から右が黒、左が白色である。刺繍やレースといった装飾は一切ない。

「でも貴方のドレスはとても素敵。白くても、ふわふわしてて、とても綺麗。そんなの、おかしいわよ。腐れ髪のくせに」

 アンナの目つきが鋭くなった。

「私の髪は腐っていません」

「でも黒いじゃない」

「生まれつきです。私の故郷では、みんな髪が黒いんですよ」

「でも私達は茶色よ。黒いのなんか変よ」

「貴女のお屋敷に犬はいますか?」

 突然犬の話になり、シャロンは戸惑う。

「え、ええ。いるわ。猟犬が何頭も。お兄様達が狩りで使うのよ」

「犬の毛の色を思いだしてください。茶色いのも黒いのも白いのもいましたよね。でも色が違っても、犬は犬です。そうでしょう? 人も同じですよ。髪の色が違っても人は人です。変でもなんでもありません」

 むうっとシャロンは唸る。

「そう言われてみれば、そうね」

「そうでしょう? 分かったなら、二度と腐れ髪なんて言わないでくださいね。それは使ってはいけない言葉です」

「分かったわ」

 アンナは微笑んだ。

 しかし、心の中では冷や汗をダラダラと流している。

(やってしまった。私としたことが、ミアのことをとやかく言えないな)

 今後のことを考えると、急にお腹が痛くなる。この事をきっかけに同盟解消からの戦争勃発となったら。

(ああ、もっと慎重に振る舞わないと)

 アンナが苦悩している横で、シャロンは首をかしげる。

「……でもどうして犬といい人といい、色が違うのかしら」

「え? あー、えーと、昔読んだ本に似たようなことが書いてありました。場所や地域によって髪や肌の色が違うのはなぜか、と」

「肌? 肌の色も違う人がいるの?」

「オーリン地方の人々は肌が黄色いそうです。目や口の形も私達とは異なるとか。会ったことがないので分かりませんが。しかしそれでも言葉は通じるし、ちゃんとした人らしいです。他にも、砂漠地帯の人々は肌も木炭のように黒いんだとか」

「へえ。不思議ね」

 シャロンはようやく笑った。年相応の笑顔だ。

「もしかして、食べる物の違いかしらね? 砂漠の人は黒い物を食べているから肌が黒くて、オーリンの人は黄色い食べ物を食べているのかもしれないわよ」

「本を書いた人は砂漠に数年住んでいたそうですよ。黒い人たちと同じ物を食べたり飲んだりして過ごしたそうです」

「どうなったの?」

「日焼けして、肌の薄皮がボロボロむけたそうです。黒くなったとは書いていませんでしたね」

「ふうん。なら何故かしらね」

 考えこむシャロン。アンナは冷めたお茶を飲み、一息つく。怒っている時と違い、今の彼女の顔はとても愛らしく、賢く見える。

「そういえば貴女、さっき本で読んだって言ってたわよね」

「ええ」

「文字が読めるのね?」

「はい」

 シャロンは更に何か考えこむ。

「あのね、これは秘密なんだけど、私は本を持ってるの」

 彼女は小声で言った。

「一冊だけ。かわいい絵本よ。ディーロ兄様がくれたの。他の本は全部燃やされちゃったけど、これだけはうまく隠してるの。今も見つかってないのよ。今度持ってくるわ。それで読んでほしいの。私は文字が読めないから」

 アンナは考えを素早く巡らせる。その本はこの国にとって好ましい内容だろうか。もしそうでなかったら、シャロンの身が危ない。

「その本は貴女の宝物ですよね。大切にしまっておきましょう」

「でも読んでほしいわ」

 アンナは首を横にふる。その時、一瞬視界の端で何かが動いた。咄嗟に目で追う。目線の先は窓だった。鎧戸が開け放され、涼しい風が入ってくる。だが動く物は何もない。

「どうかしたの?」

「……いえ。何でもありません」

 遠くから鐘の音が聞こえてくる。夕方を告げる音だ。

「もう帰った方がよろしいでしょう。日が暮れます」

「えー、やだ」

「晩ご飯が待ってますよ。ほら」

 シャロンは渋々立ちあがる。

「明日また来るわ。本を持ってね」

「神官に見つかったら大変なのでおやめください」

「神官が何よ。絶対持ってくるわ」

 アンナは玄関でシャロンの馬車を見送った。

(ああ、マズい。面倒なことにならないといいんだけど……)

 彼女の胸の中では大きな不安が渦巻いていた。

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