御気の毒ですが、呪いが発動しました
7/30 誤字脱字報告ありがとうございます!
7/31 誤字脱字報告ありがとうございます!
ご指摘があったので、ジャンルを変更いたしました。
今日、一人の罪人が死んだ。
罪人は、私の元婚約者だ。
あんな者が元とはいえ、私の婚約者だったなど、私にとって人生の汚点としか言えない。
アレは、生きていたときにも私を煩わせたが、死んでなお、私を煩わせる。全く以て度し難い存在だ。
あの女は、拷問の最中に死んだ。
建前上拷問、と言っているが、実際はただの私刑のようなものだ。
あの女は、自分を磨くこともせず、努力することもなく、私の寵愛がアレの妹に移ったことに嫉妬したらしい。しかも、こともあろうか、半分とはいえ血のつながった妹に、陰湿な嫌がらせを繰り返し、揚句、その命さえ狙ったとか。
私が彼女の様子がおかしい事に気づき、彼女から真実を聞いていたから良かったものを。秘密裏に護衛をつけていたおかげで、彼女を暴漢の手から救うことができた。
本当にクズな奴だ。
自分の手は汚さず、人を使う。そのうえ証拠もあるというのに、自分ではないと言い訳を続ける姿は醜い。その言葉以外では言い表せないほど醜かった。だから、私はアレに己の罪を理解させるため、同じように人を使い、アレを拷問と称した私刑にしたのだ。しかしアレは最後の最後まで否定していたと聞く。全く、己のしでかしたことさえ理解できていないとは、本当に醜悪な事だ。
それにしても、後日適当な理由をつけて処刑する予定だったが、それより先に死んでは隠蔽しなくてはならない。
処刑日まで生きていたことにして、処刑後に、とも思ったが、諸々の手続等を考えると、処刑には一月はかかる。それまで死体を保存するすべはない。
この国では、高位貴族は処刑された場合、罪状と共にその遺体を晒さねばならない。
死体を保つ方法がない以上、無理だ。
となると、アレは貴族のまま病死という扱いにせねばならない。
あんな罪人が貴族として名を残すなど、ふざけた話だ。いや、腹立たしいが、逆に良かったのかもしれないな。あんなのでも、彼女の姉だ。私は彼女を正妃に、と望んでいる。だが、罪人を出した家、となってしまうと、周りが邪魔するだろう。
うむ、逆に良かったのだな。
アレは病のため私の婚約者を辞退。代わりに彼女が新たな婚約者となる。
姉から妹。なんら問題ないではないか。
アレを彼女の姉、と言うのも不愉快だが、それも一時の事。むしろ処刑せずに良かったな。アレがずっと姿を見せていなかったことが噂になっているが、それがアレが病だったという話に信憑性を持たせる。
その間、私は彼女を連れて様々な夜会や、公式の場に出席していた。彼女が私の新しい婚約者として紹介されたとしても、これと言って混乱はないだろう。
なんだ、何も問題ないではないか。
こう考えると、アレが死んだのは僥倖だな。
しかし、心優しい彼女の事だ。あんなのでも姉。死んだと知れば泣くかもしれないな。もしかしたら会いたい、と言い出すかもしれない。だが、会わせるわけにはいかない。アレの私刑は私の独断だ。アレの遺体の様子に、私が何を命じ、アレに何があったか知られるわけにはいくまい。
よく似た別人の遺体を渡すか。
一応、彼女を襲った主犯として秘密裏に捕え、牢に入れている、というところまではアレの実家には伝えてある。そして、アレとの婚約は破棄し、次の婚約者として彼女をと告げてもある。
しかし、それにしても妙だったな。
アレの事を伝えるなり、公爵は早々にアレと縁を切った。まるで、初めから望んでいたかのような手際の良さだった。それに、アレとの婚約破棄を告げ、絶縁されたとたん、彼女の素晴らしさについて語り出した。そう、それも、自分の唯一の子で、自慢の子だと言わんばかりに。
公爵の親馬鹿は、社交界で知らぬ者はない。だというのに、アレに対する対応は、とてもそうは見えなかった。正直、ようやく要らないものを処分できた、そう言わんばかりだったな。
まぁ仕方のないことかもな。
アレは、出来損ない。そう言われても仕方のない存在だった。泣きも笑いも怒りもしない、人として、感情の欠落した出来損ない。そのうえ、見てくれだけは取り繕おうとしていた。それに比べ彼女は、よく泣き、笑い、ときに頬を膨らませて拗ね、怒る。もちろん、貴族として振る舞わねばならないときはきちんと淑女の仮面を被り、穏やかに微笑む。公私に渡り共にありたいと思わせるほどの完璧さ。
何もかもアレは彼女に劣る存在。
親の愛情に差があっても致し方あるまい。
しかし、彼女の事を考えていると会いたくなってきたな。今は丁度仕事もひと段落した。多少出かけても問題はないだろう。
ゆっくりと立ち上がる。
部屋を出ようと横切った時だった。
ばさっと何かが落ちる音。
振り返れば、床に一冊の本のようなものが落ちている。
……変だな?
本が落ちている床の周りには何もない。
本棚は壁につくように設置され、その中に納まる本の類はきっちりと収まったままだ。机の上には何も置いていない。落ちようがない。
では、これはなんだ?
まるで何もない空間から突然現れ、床に落ちたみたいではないか。
天井を確認するが、天井に異変はない。
奇妙だが、たかが本。恐れる必要はないだろう。
床に落ちた本を拾う。
表紙を確認するに、どうやら日記のようだ。
私のではない。私はそのようなものをつけたりはしていないからな。では、これは誰のものだろうか。
それはほんの僅かな好奇心。
表紙を捲る。
途端に興味が失せた。
どうやら、これはアレの日記のようだ。
閉じ、投げ捨てようと思ったのに、何故だか私の体は勝手に動く。
目は、白い紙の上に書かれたたどたどしい文字を追い始めた。
日記は、アレが三歳六か月の頃から書き始められたようだ。
……三歳?
たった三歳で文字を習い始め、こんなはっきりとわかる文字が書けた? しかも、自分が三歳六か月だという認識をしていた?
年を数えるだけならできるだろう。だが、三歳と後どれほどの月日が経過しているのかの認識を、三歳児がするのか?
わからない。
私が明確に認識できたのは五歳になるころだったと思う。それまでは、ただ漠然と『誕生日』という日がくると年が一つ増える、という認識だった。
だとすると、アレは私より優秀な子供だった?
……そんな馬鹿な。
どうせ周りの大人が言うがままに書いただけだろう。気にする必要はない。
ふん、と一つ鼻を鳴らし、読み進める。
それは、日記と言うほどのものではなかった。
年齢、日付に一行。
母親の調子が良さそうで嬉しかった。調子が悪そうで悲しかった。それに一行。
たった二行の日記が延々と書き連ねられている。
たどたどしい文字。文章とも呼べない、単語を書き連ね、ただひたすら母親の様子を伺い、その体調に一喜一憂する、まるで普通の子供のよう。
知らない。こんなアレの様子は知らない。アレには、感情は、なかった。喋るのも必要最低限。自分からは滅多な事では口を開かず、開いたかと思えば、やれ民を慮れ、一人に傾倒せず、周りを見よ、だの苦言ばかり。鬱陶しいだけの存在だった。
もう、読むのを止めたい。そう思っているのに、何故か手は勝手にページをめくる。
アレが五歳二か月。アレの母親が死んだ。
『母が死んだ、悲しい。苦しい。葬儀に父が新しい母を連れてきた。半年違いの娘を連れてきた。私の世界の全てが壊れた』
なんだ、これは?
確かに、彼女とアレは半年しか違わない、と聞いていた。
私は、何も考えていなかった。それが、何を意味するのか。
アレが生まれてからなのか、生まれる前からなのかは知らない。けれども、公爵は、ずっと前の奥方を裏切っていた。そして、正妻が死んだその日に新しい正妻として連れてきた。それは、どれほどの裏切りなのだろう。
そういえば、今までの日記に、父親が一度も出てきていない。
公爵は、親馬鹿。貴族全員が知るほどの。それなのに、何故父親の影が一度もでてこないのか。
導き出される答えに、苦い思いがよぎる。
アレの世界は、確かに壊れたのかもしれない。母親と言う世界だけで生きていたのだとしたら。
目が、次の日記を読む。
『義母が殴る。痛い。父は無視をする。義妹が私の物を盗んだ。それを言ったら義妹が泣いた。父が殴り、私の物は義妹の物になった。母がくれた、大切なものなのに。酷い。嫌い。皆嫌い。死ね』
公爵夫人が、アレを殴った?
前日母親が死んで葬儀を執り行ったばかりの、娘を?
公爵はそれを黙認した?
馬鹿な。
ありえない、だろう?
確かに、後妻と前妻の子供は折り合いが悪い事の方が多い。だが、あの一家は仲が良い、というのが私たちの認識だった。公爵は積極的にアレを褒め、夫人もそれに追従していたはずだ。
どういことだ?
それに、彼女が盗みを働いただと?
馬鹿な!
彼女は天使のように愛らしい。人の物を盗るような浅ましい性格はしていない。できそこないのアレの事さえ姉と呼び、慕っていた!
それに、なんだこれは?
できそこないのアレが、たった五歳で、何故義母や、義妹などという言葉を理解している? 使用している?
アレは、それらを五歳で理解していたのか!?
五歳児が大人のような言葉を使っていた!?
そんなこと、ありえないだろう!?
アレは、落ちこぼれのできそこないだろう!?
信じられない思いで続きを読む。
『義妹が、母の形見のペンダントを当然のようにつけている。綺麗な、真っ青な宝石がついた、鳥の羽の形をしている。私の、大切な思い出の品。でも、口に出せば、義母に、父に、殴られる。それを見て、義妹は嗤う』
知っている。
そのペンダントを、私は知っている。
彼女がよく身に着けていた。
お忍びで街に出かけたときに一目惚れした、と言っていた。衝動買いだと。私は、あのペンダントが、前公爵夫人の形見だなんて、聞いていない。
何故だ。
何故、彼女は嘘をついた?
『理解した。口にすれば殴られる。でも、頭の中で思い描くだけなら誰にも殴られない』
突然そんな言葉が飛び込んできた。
その一文の後から、アレの日記は再び簡素化された。
『婚約者に挨拶。暴言を吐き捨てられた。頭の中で椅子で殴って耐える』
婚約者……。
私だ。
私とアレが出会ったのは互いが五歳の時。
暴言、だと? 私が? 何があった?
記憶を探る。
アレと初めて会ったのは、婚約者との挨拶の時。場所は王宮の一室。たしか、庭が見える部屋だ。
ソファーに座る私の前で、アレは五歳ながら、綺麗なカーテシーをしてみせた。そして、儚げな声で挨拶をした。それを見て私は……そうだ、気持ち悪かったんだ。
アレの光のない目。私を見ているようで見ていない、あの目。それに、今にも消え入りそうな声が不気味だった。
今思えば当然かもしれない。実の母親が死んで一月も経たない頃だったはずだ。
公爵は、何を考えていたのだ?
母親を亡くしたばかりの五歳の娘を、婚約者として王家に差し出すなど。まるで、まるで……あの家には要らないから、出て行ってもらいたくて、私の婚約者にしたようでは、ないか。
そうだ。普通に考えれば、彼女の方でも良かったはず。それなのに、何故、半年とはいえ、長子であるはずのアレを私の婚約者にした? 普通に考えれば、アレは婿を取り、公爵家の後継ぎとなるはずなのに。
そして私は、アレになんと言った?
そうだ。気味が悪い、と口にした。それに、儚げに掠れた声も、真っ青な顔も、病を抱えていそうで、そんな者は私の隣に立てない。責任ある立場の側に、弱者は要らない。私の婚約者だというのなら、それに相応しくあれ、と言った。
母親を失い、傷ついていた、五歳の少女に、私は、何を言ったのだ?
アレが私に向かって笑わなかったのは、それが原因か? いや、だとしても、だとしたら、余計にくだらないではないか。子供の頃の擦れ違い程度でいつまでもウジウジと。
確かに私も悪かったのかもしれない。けれど、いつまでも態度を改めないようなアレのほうが問題だろう。
やはりアレは、責任ある立場の隣に立つ、ということが理解できていなかったのだな。
チ、と一つ舌打ちして、日記を閉じようと思ったのに、手が、次々とページをめくる。目が、書かれる文字を追う。
『王妃。王妃教育で失敗したら罰だと鞭で打つ。完璧にこなしたらご褒美だと鞭で打つ。私を叩いて楽しんでいるだけ。頭の中で、王妃を、肉が抉れるほど鞭で打って耐える』
母上が、幼い子供を理不尽に痛めつけていただと?
ありえない!
『王。感情を表に出さない訓練と称して、ドレスを破る。肌に手を触れてくる。気持ち悪い。頭の中で、ハサミを何度も突き立てて耐える』
父上が、幼いとはいえ、令嬢を辱めていた、だと?
ありえるわけがない!
この日記には嘘ばかりだ。
真実なわけがない。
もう、読む気も起きない。
それなのに、何故!
手が動く。勝手に。
目が、文字を追う。私の体なのに、自由にならない。
ページが進み、アレの年齢も上がっていく。
不当な暴力に、暴言に、耐える日々が続いている。
『義母。ワイナリーを地下牢に作り替え、私の部屋をそこにした。服は与えられず、虫が居そうなボロが一枚。頭の中で、この部屋につないで、ワイン瓶で殴って耐える』
『父。外出するときか、客がいるときだけ、綺麗な服を着せ、褒める。でも、逃げられないよう、ドレスの中で足枷をつけている。頭の中で、燭台であの男の頭が割れるほど殴って耐える』
『婚約者。会えば暴言。会わずに去れば、糾弾してくる。鬱陶しい。頭の中で、毒を飲み、痙攣しながら死んでいく姿を想像して耐える』
『使用人。わざと物置小屋に閉じ込め、一晩放置された。小屋に閉じ込め、火をつけ、焼けていく姿を想像して耐える』
『王。ドレスを剥ぎ取り、体中を舐めまわしてくる。気持ち悪い。毒ヒルを全身に貼り付けて、のた打ち回る姿を想像して耐える』
『王妃。若い騎士との逢瀬を目撃。背の肉が抉れるほど鞭で打たれ、口外したら殺すと脅された。愛人と一緒に磔になる姿を想像して耐える』
なんだ、これは……。
アレの周りは敵だらけだとでもいうのか?
そんな妄想に取りつかれていたのか?
というか、なんだ?
アレは、この私をなんだと思っているのだ!?
どこまでページをめくっても、私への賞賛はなく、むしろ、私と言う存在を疎ましく思っているようではないか!
私だぞ!? この国の王太子だぞ!?
容姿も頭脳も武術も優れる、この私の婚約者になれたことを感謝こそすれ、何故疎ましそうに書いているのだ? 全くもって理解ができない。
アレは私を愛しているのだろう? 私を取られたくなくて、いやらしくも彼女に嫌がらせを繰り返していたのだろう!? それが、何故、私が死ぬ姿を想像しているんだ!?
それに、父上がアレに手を出していた!?
どういうことだ!
母上に愛人だと!?
馬鹿な!
ありえん!
父上も母上も清廉潔白な方だ! そのようなおぞましい事、ありえるはずがない!
否定して、日記を投げ捨てようとしても、相変わらず体は動かない。
私が彼女と逢瀬を楽しむ姿を見るようになると、自分と婚約破棄してとっとと目の前から消えればいい、という文章にまでなってきた。
アレは、私との婚約を解消したかったというのか?
私が、アレごときに要らぬと言われたということか!?
許さん!
絶対に許さんぞ!
出来損ないの、おちこぼれ風情が!
自分ができないから叱責されているのを逆恨みして、こんなありもしない妄想の類を書き記しおってからに!
途中で日記は終わった。
十年分もあったのに、一冊の途中で済むほど一度の文章が少ない。
余白のような部分を眺め、ふと、気づく。
最後のページにシミがある。
一度日記を閉じ、裏表紙に手をかける。
めくって、心から後悔した。
白いはずのページ一面に、日記に名を連ねるアレの妄想の敵の名前。そして、死ね、消えろ、と殴り書かれていた。
幾度も。
幾度も。
幾度も。
白い紙の部分はほとんど見えない。
どれほど繰り返して書き続ければこうなるのか。
綺麗に横一列に並べていない。
縦に横に斜めに、ただただ感情に任せて書かれ続けたのだろうということはわかる。
怒りを示す文字体に、白いページが黒く見えるほど夥しい呪怨と怨嗟の言葉に、アレが狂っていたのだと知った。
ひやり、と何かが後ろから抱きつくような感覚がする。
驚いてバッと振り返るも、誰もいない。
当たり前だ。ここは私の部屋で、私一人しかいなかった。扉の前には護衛が待機しており、誰かが来れば護衛が声をかける。それもなく、私の部屋に誰かが訪れるなど、ありえない。
おぞましいものを読んだせいで、気が高ぶっていたようだ。
ふ、と息を吐き出し、振り返った私は、息をのんだ。
目の前には一人の女。
アレが、いた。
馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! ありえるものか! アレは死んだ! 私は死体を確認した!
髪は全てむしりとられ、右目は抉られ、顔の左半分は焼かれていた。爪は全て剥がされ、指の骨もすべて折られていた。舌は死なないように切り取られ、背は肉が抉れても鞭で打った。
乳房は両方とも覆うほどの釘を打ちつけ、左足は切り落とし、右足の骨は抜いていた。
そんな、そんな、アレが、何故、立っている。
何故、ここに、その姿で立っている!?
まるで何もないかのように、立っているのだ……!
にたぁ、とアレが笑う。
ひきつるような、不気味な笑み。
「み、ま、し、た、ねぇ……」
舌を切り落としたはずのその口で、アレが言う。地を這うような不気味な声。こんな声、一度だって聞いたことがない。
誰か!
誰か、いないのか!
何故誰も入ってこない!
私の部屋に、私以外の声がしたというのに!
アレは、ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。
片足がないのに。
平然と。
全ての指があらぬ方向に折れた手が、伸ばされ、私の口から、私のものとは思えない声が、絞り出された。
気晴らしと一人称練習に書いたんだけど……
どうしてこう、私は薄気味悪い話ばかり書くんだろう……