ローゼリア/未来の血筋~アリシア~
目の前のベッドで静かに寝息を立てている少女。
名前はアリシア・C・オーレリア。
未来における私とシグルドの娘であり、アキトの妹だ。
髪色は銀に近い灰色。九年にも及ぶ時渡りの旅の中で整える暇も無かったのだろう。無造作に伸び放題で毛先なんてぼさぼさだ。
髪の毛でそれ。身体なんてもっと酷かった。
今でこそイリスちゃんによって完全に治癒しているけれど、ついさっきまで全身くまなく傷だらけだったのだ。
眠る前のアリスが言うには、常に傷の絶えない戦いの中で、命に係わる傷を優先的に治癒して小さい傷は放置していたらしい。そんなことをすると、いくら小さい傷でも悪化してしまう。更に、この子は回復魔術を中級の『アークヒール』までしか扱えない。それでは少し手の込んだ応急処置ぐらいしか出来ず、欠損した部位の復元は出来ない。
当時七歳で中級まで扱えたという見方をすればその才能は聖女であるイリスちゃんにも匹敵すると言えるけど、一人で多数の魔物と戦うには明らかに不十分。
その状況で九年もの間戦い抜いて来れたのはきっと――――クロノスの力のおかげだ。
まだこの子がどんなオリジナルスキルを持っているのかは分からないけど、イリスちゃんの仮説通りなら、限界以上の魔力を発揮できる『リミッター解除』の様な能力なのだろう。
私の【空間断絶】と同じくらい物騒な能力だ。私の先代クロノスであるキグナス王の【千里眼】やアキトの【慧眼】はまだ大人しいというか、小回りの利く能力で羨ましい限りだよ。
「お互い、大変だねぇ」
私がそう言いながらアリスの髪の毛に優しく触れると、アリスは薄目を開けた。
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
「いえ、ちょっと喉が渇いてしまって」
「ここに水あるよ?」
「頂きます」
私が渡したコップの水を一気に飲み干すアリス。
一気に飲み過ぎて気管に入りそうになったのか、アリスはむせた。
「んぐっ!? げっほ!」
「ほーら慌てないの。たくさんあるんだから。一気飲みしなくても」
涙目のアリスが呼吸を整えてから答える。
「ごめんなさい母上。この九年間、他の魔物に奪われぬよう、養分の摂取は最低限の時間に留める必要がありましたので、つい焦ってしまう癖がついてしまいました」
「養分の摂取……って、時渡りの最中に食料なんてあったの?」
「いえ、食料らしき食料なんてありませんでした」
「えっ……じゃあこの九年間、何を食べてたの?」
アリスはにこっと天使の様な微笑みを私に向けて答えた。
「魔物のお肉って、ちゃんと処理すれば美味しいんですよ?」
頬が引くついてしまう私。
「……まじ?」
「まじです。ウルフ系統なら太もものお肉が腹持ちに良くて尚且つ高タンパクなのです。タートル系統なら、身を引きずり出してからひっくり返して、甲羅の上で血を沸騰させてから――」
「わっ! 分かったもういいから! 明日の分の食欲無くなっちゃうから!」
けらけらと笑い合うと、今度は目に涙を溜めて肩を震わせ始めたアリス。表情のころころ変わること変わること。
「ど、どうしたの?」
「ぐすっ……ふえぇええん! 寂しかったです! 辛かったですっ! 母上ぇえ……!!」
ぶわりと決壊。アリスはどうやらリサ並みに涙もろい様だ。見た目は十六歳だけど、中身はまだ七歳のままのところも多いのだろう。
私はアリスの首に手を回し、ゆっくりと抱き寄せた。
「そうだね。辛かったね。でももう、大丈夫だからね」
「ごめんなさい母上……私っ……泣いてばかりで」
「いいのいいの。それにこういう風に子供が泣くのを見られるのって今のうちじゃん? 私、アキトのそういう時期見逃してるから逆にラッキーだよ」
アリスは視線だけを私に向けて微笑む。
それにしても、贔屓目に見てもこの子可愛いな。
「母上はこの時代からポジティブだったのですね。兄上にも見習って欲しいです」
「あの子、斜に構えたとこあるからなぁ……。あ、未来のアキトって元気? それとも、こういうの聞くのってご法度かな?」
「いえ、問題ないですよ。兄上は普段はグリヴァースにはいませんが、未来のグリヴァースでも救世主と名高い人物です。そこに至るまでのお話は、七年後もリヒテルにおられるシズク様やミア様、ルミナ様から度々お聞きしますが、相当な苦労があったとか」
「そりゃあもう、伝説となって語り継がれてもおかしくないほどの戦いがあったんだよ」
するとアリスはくすくすと笑った。
「ふふ、本人は余りその伝説を語りたがらないですけどね。いつも教えてとねだっても『俺は周りに支えられてばっかだった。何もしてない』って返ってきます。私の目から見ても兄上はすごいお人なのに」
「そういう男の子なんだよ、アキトは。力をむやみやたらに誇ろうとしないの。ちなみにシグルドもそう。ほんと似てるとこはとことん似てるんだから、あの二人」
「父上も意外と不器用ですよね。【技能創造】なんてすごいスキルを持っているのに」
「そうなの! でも私はそういう所が好きでさー」
するとアリスの目がキラリと輝いた。
『興味津々』という言葉がこんなにしっくりくる表情が他にあるだろうか。
「そういう話、もっと聞きたいです! 父上と母上のなれ初めとか、私が生まれる前に起きた事とか、未来にいた時は『大きくなったらね』ってはぐらかされていたので」
「じゃあ色々あって大きくなれたし、聞いとく?」
「はいっ! お願いします!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからどれくらいの時間が経っただろう?
色々な事を話し込んでいるうちに空が少し白んでしまっていた。
「げっ! もう明るい!? 四時半!?」
「未来ではこの城の朝食は八時からなのですが、変わらずですか?」
「あ、うん。あと三時間しか寝れないや」
「三時間でも寝ないよりましです。寝ましょうか」
アリスはベッドに横たわり、私を見た。
その左側頭部に付いている、私と同じ花飾りに目が行った。
「ねぇ、アリス? その花飾りって――」
「はい、私の五歳の誕生日に母上から頂いた物です。その昔、父上から頂いた大切な物だと聞いています」
アリスの言う通り、あれは私の誕生日に貰ったシグルドの手作りの花飾り。
リヒテルに山ほど咲いてる『アリシア』の花から作られている。
「子供の五歳の誕生日って盛大に祝うのが通例だもんね。私がそれをあげるのも頷けるよ」
「大事にしなさいって散々言われましたけどね」
「わたし……らしいなぁ――」
眠気で意識が沈んでいく。
「おやすみなさい、母上。また後で、お話しましょうね」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うわぁっ!?」
がばっと起きると七時半――三時間が経っていた。
「起きてアリス、もうご飯のじか――」
ぺたんと均された掛布団。
目の前のベッドから――アリスが姿を消していた。