アリシア/暗き道の上で~狂気の獣~
カヤ様が開いた転移門に放り込まれた私。
両手で抱える様に持つは『魔剣グラム』――父上の剣だ。
周囲は真っ暗闇で、うねうねした光の道が奥の暗黒に向かって果てしなく伸びている。
――聞こえるかしら?
空間に響くカヤ様の声。
「カヤ様! 私をそちらに戻して下さい!」
――悪いけど却下するわ。時間が無いの。一度しか言わないから聞いて。
カヤ様は状況の説明を始めた。
グリヴァースが地下から溢れ出た魔物に襲撃されているという事。
敵の戦力は強大で、このままでは人類の敗北は避けられないという事。
それを破滅の未来を防ぐためには、過去へと戻って手を打たねばならないという事。
話は理解できた。でも分からないことが多過ぎる。
「カヤ様! なぜ私なのですか!? それに過去に戻るなんて、一体どうすれば!」
――あなたがクロノスだからよ。それと、過去に戻るにはその道を進みなさい。その道の先は『あの日』に続いている。戦いが終わり、アキトがまだグリヴァースにいるあの時間に続いている。
「兄上がいた時間?」
――この破滅の未来を変えるためには【慧眼】を持つアキトは欠かせない。残念ながら、今のアキトは【慧眼】を持っていないから。
私が次代のクロノスとして覚醒してしまったからだ。
「じゃあ、私のせいでこんなことに……」
――それは違うわ。これは世界創造よりも前に定められた戦いなのよ。あなたの役割は地下迷宮区第十層にいると思われる黒幕を……時間が無いわね。
「カヤ様!」
――最後に。この旅はとても辛く険しいものになるわ。時間の逆光――それも七年もの過去への転移なんて私も始めての事だから、マドカに教わったとはいえ、何が起こるか分からない。でもあえて厳しい言葉を言わせて貰うわ。――――乗り切って見せなさい、アリス。あなたには、神童と呼ばれるだけの才能と力があるわ。
「私にそんなこと……。剣だってまだシズク様から一年も習っていません!」
――あなたはあの二人の娘なのよ。胸を張りなさい。任せたわよ、私たちの未来。
「カヤ様ぁああああ!!」
ぷつん、と通信が切れる様に近くに感じていたカヤ様の気配がぱたりと消えた。
包まれている様な感覚が失われた途端に気付いてしまった。
この空間にいる――――魔物の気配に。
「ひっ!?」
私は父上の剣をギュッと抱いて魔術を唱える。
「わっ、わたっ、私の姿を隠せ――ハイド!」
魔術で姿をくらますも、暗闇の奥から、魔物の気配が着実にこちらに迫っている。
――怖い。
暗闇から現れた魔物は、大人の人間よりも大きな狼の様な魔物だった。
――怖い、怖い怖い。怖いよ。
グルル、グルルと得物を求める様に涎を垂らしながら周囲を徘徊する狼。
姿を隠す魔術『ハイド』で視えないとはいえ、匂いはきっと伝わっている。だから私の周りをうろうろしているのだろう。
私はぎゅっと目を瞑って祈り続ける。
――いや、来ないで。私に気付かないでこのままどこか行って。
その私の懸命な祈りは届かず――。
「っ!?」
次に目を開けた瞬間――――大口を開けた狼が、私のすぐ目の前にいた。
「ひうっ!?」
私は反射的に後ずさっていた。
ガチン! と鋭い歯が合わさったのと紙一重だった。
「いやぁああああ! 来るな! 来るなぁ!!」
私は咄嗟に父上の剣を抜いて懸命に身体の前で振っていた。
剣術の型も何もない。迫る命の危機の中、シズク様から教わったことは全て抜け落ちていた。
『グワゥッ!!』
狼は私が振った剣にガブリと噛みつき、地面に叩き落とした。
カラン、と足元に転がるグラム。
狼はそのまま私の着ているドレスの裾に噛み付いて暗闇へ引きずろうとした。
「いやっ! いやだ! 父上! 母上っ!!」
いつも手を差し伸べてくれる両親はこの場にいない。
「兄上! カヤ様!! 助けて下さい!! どうか! どうか!!」
私の憧れの人たちもこの場にはいない。
「いぎぅ!?」
狼はもがく私の左足に前脚の爪を立てた。
ジワリと広がる痛みと鮮血。
「いやっ……」
――このまま私は、食べられてしまうんだ。
「そんなのいやだ……」
無意識に後ろ手に彷徨わせる右手の指先に、父上の剣の柄が触れた。
私はその剣を握って――。
「私に触るなぁあああああっ!!」
狼の眉間にグラムを突き刺した。
『ギャオッ!?』
「まっ……魔剣グラムの力を、か、解放します!!!」
私は父上の真似事のように詠唱を始める。
「『同調』を始めます! 私の中に眠る【中級炎魔術】よ! グラムに宿れ!!」
銀色の刀身が徐々に赤熱し、頂点に達した瞬間、真っ赤な火の手を上げた。
『ギュルオ!?』
「燃え散れぇえええ!!」
炎の剣から放たれた熱で魔物は瞬く間に丸焦げとなって、その場に死骸となって転がった。
「はぁっ……はっ……魔物……死んだ、の……? ――――ハッ!?」
周囲から感じる、多数の魔物気配。
私は既に様々な種類の魔物に囲まれていた。
狼だけではない。
ゴブリンもいる。
トロールもいる。
その奥に見えているシルエットは、ドラゴンのものだ。
「い、やだ…………死にたくない」
私にはやるべきことがある。私が死んだら、全部終わっちゃう。
未来を託してくれた人達の想いを、無駄には出来ない。
「こんなとこで……死んでたまるかぁ!」
決意を言葉にした瞬間、自分の中の焦りがふと鳴りを潜めた。
私は抜き身のグラムを一度鞘に納めて、シズク様に教わった記憶に新しい構えを取った。
腰を深く落として鞘に納められた状態の剣を構え、右手を体の前で脱力させる。
『ゲレゲレゲレゲレ!!!』
「斬ります!」
襲い掛かるゴブリン。
私は鞘から引き出した剣でそのゴブリンを両断し、再び鞘に剣を納めた。
――【明鏡止水】。魔力を抜刀の初速に変換して敵を一刀両断する技。
シズク様が教えて下さった抜刀術を私なりにスキルとして落とし込んだものだ。
「寄るならあの魔物と同じ様に斬りますよ! 引いて下さい!!」
人語を解さない魔物に対しての注意勧告など意味を成すわけもなく、残されたトロールなどの魔物はじりじりとこちらに、にじり寄ってくる。
私は魔物の群れから遠ざかる様に一歩また一歩と後退するも、光の道の淵に立たされてしまう。
これ以上後退すれば、暗闇の底に飲まれてしまう。
「っ……もう、やるしかないのですね……」
これだけの数の魔物……今のままの私では絶対に勝てない相手だ。
そう、『今のまま』では勝てない。
もう、『あの力』に頼る他ない。
「……私に眠りしクロノスの力よ――――目覚めなさい」
私は自分の中の『獣』の力を呼び起こした。
――――幻聴が聞こえる。
私の心の中に巣食う、獣の声だ。
――力が欲しいの?
「はい。身を守る力を私に下さい」
――けらけらけら! おっかしーのぉ!!
滑稽だと笑う、もう一人の私。
――自覚しちゃいなよ。あなたが求めているのは『守るための力』なんかじゃない。『殺すための力』だよ。
「違います! 私は本当に……」
――憎いんでしょう、魔物が?
「なっ、なにを……」
――さぁ、目の前の魔物を憎んで。憎しみは力となるんだから。
「私は、憎しみに囚われません!」
――綺麗ごと言っちゃってさぁ。憎しみは簡単に消せないよ?
私はその幻聴を懸命にかき消し、限界まで練り上げた魔力を一気に――解き放った。
「――【獣神覚醒】!!」
ドクンッ!
「っ!?」
身体の内側から叩かれるような衝撃と共に、魔物に蹂躙されるリヒテルの人々の光景が過った。
魔物に鋭い爪で引き裂かれる人々。
魔物に爪や武器で貫かれる人々。
魔物に踏みつぶされてすり潰される人々。
「いやだっ……こんなの、見たくない!!」
――憎いんでしょ? 大切な物を奪った魔物が、憎いんでしょう? 自分に正直になりなよ。
「自分に……正直……に」
――そうそう。自分の気持ちと向き合ってさ。ほら、目の前にあんなにたくさんの魔物がいるよ?
「魔物……ま、ものっ……! 魔物は……にっ……くい……憎い!!」
――だったらさ、身を委ねちゃいなよ。一緒に魔物を殺しちゃお?
その囁きで一瞬の内に――気を持って行かれてしまった。
「ウァアアアアアアッ!!!」
まただ……。また、制御出来なかった。
「魔物……! マモノォオオオオオオ!!!」
自我を代償に、魔力が体の奥底から際限無く湧き出てくる。
私は著しく向上した腕力で力一杯に握った瞬間、魔剣グラムに黒いオーラが纏われた。
「マモノ! 殺すッ!!!!」
呪詛の言葉と共にグラムを薙ぎ払うと、私の数倍にも及ぶ巨体を誇るトロールが、臓腑をまき散らして息絶えた。
「死ね! 死ね死ね死ねぇ!!!」
撤退を始めた魔物を追いかけて剣を突き刺し、刃をねじ込む。
「許さない! 魔物は死んじゃええええ! 爆ぜろグラムァ!!」
突き刺した剣に炎を宿して魔物を燃やし尽くす。
死骸と化した魔物を見ても、心が晴れることは無い。
なら――――もっと殺すしかない。
一方で、敗北を確信して逃亡を始める魔物。
だけど、お前たちは逃げ惑うリヒテルの人々を、追い駆け回して――殺した。
許すものか……許すものかっ!!
「逃がして……たまるかぁあああ!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ううっ……」
次に目を覚ました時、私の周りには数百にも及ぶ魔物の死骸が転がっていた。
「私が……全部やったの? いっつ!?」
右脇腹に噛まれて食い千切られた様な傷が出来ていた。
戦う前に身に纏っていたドレスは、もはや原型を辛うじて残す程度にボロボロとなってしまっている。ほとんど裸体に近い格好だ。
「はっ……はぁ……まずは傷口を塞がないと……。――アークヒール」
回復魔術で傷口を塞ぎ、目指すべき光の道を見る。
七年前に戻るのに、どれくらい時間がかかるのかは分からない。
でも、私がやらないとダメなんだ。
「このまま歩くのはちょっと……。……皮を、貰って行きますね」
私は最初に倒した狼の皮を剣で綺麗に剥いで身に纏い、過去へと歩み始めた。
そして、目的の時間軸に辿り着くまでに――――九年の月日を要した。