楯無明人/約束された未来~おかえり~
敗北を認めたノアが両手を広げると、迷宮区全体がぐらぐらと揺れ始めた。
「この揺れは……?」
「この地下迷宮区はその存在意義を失くした。つまり、もうすぐで無くなる。あのキマイラも漏れなく全て消滅させよう」
ノアがパンと手を叩くと、その場で控えていたキマイラが光の粒子となって消滅し、そしてノアの身体もまた、つま先から徐々に消えていく。
ノアは消滅の間際、俺とアリシアに言う。
「ボクは君たちと剣を交えて改めて『人間の持つ可能性の力』を痛感したよ。現代の人間は、世界を率いるに足る存在である……ボクはその可能性にもう一度だけ賭けてみようと思う。頑張るんだよ、慧眼の少年と獣の少女」
「あぁ。つっても、もうすぐで俺は元の世界に戻るんだけどな」
「私もいつまでもこの世界にいるわけにはいきません」
「うん。でも君たちの志はこの場にいる全員が受け継いでくれるだろう。志や想いは伝播し、受け継がれていくものだからね」
ノアが消滅する直前、俺は言う。
「なぁ! お前、さっきの戦いで手を抜いたりしてなかったか? 手加減されたんじゃ意味がないんだが」
「考え過ぎだよ。これが今の時間のボクの全力。七年後の千分の一くらいの力しかない」
「全盛期はこの千倍かよ……」
「負けたのは悔しいけど、久々に楽しかったよ。それじゃあ、また会わないことを願っているよ」
そう言い残すとノアは完全に消滅し、次の瞬間、俺たちは眩い光に包まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「んっ……ここは……?」
目を開くと、そこはリヒテル国営公園だった。
辺りを見渡すと、本来あるべき『地下迷宮区の入り口』が綺麗さっぱり消えている。
親父が安堵の意味合いを込めたため息も漏らしながら呟く。
「これで全部、終わったのだな。――――いや、これは『始まり』か」
母さんが返す。
「だね。ノアが認めた人間の可能性を見せつけていかないと。これから大変だぞー? 頑張んなさいよ、私の自慢の旦那なんだから!」
「あぁ、最善を尽くすさ。ここにいる全員の力を借りれば、きっと上手くやれるはずだ。そうだろう、みんな?」
親父の言葉に、全員が一斉に頷いた瞬間だった。
アリスが不穏な声色で小さく呟いた。
「……え? これは……」
アリシアの方へ目を向けると、その身体に異変が起きていることに気が付いてしまった。
――――アリシアの身体が、少しずつ薄れ始めたのだ。
誰よりも早くその異変に気付いた母さんがアリシアに飛びつくも――――。
「アリス!!」
「母上!!」
無情にも、その身体を素通りしてしまう。
母親の抱擁を両手を広げて待ち構えていたアリシアは、そっと手を下ろした。
「そうですか。もう……あるべき場所へ帰らなければならない時間のようですね」
アリスは顔を俯けて声を絞り出すようにそう囁いた後、努めて明るい笑顔を作った。
「どうやら、お別れの様です」
「待ってよ! そんなの……そんなのはあんまりだよ、アリス!! 私はまだあなたと話したいこと、沢山あるのに!!」
「私も、もっとたくさん母上とも、この時代の皆様とも、色々なお話をしてみたかったです」
アリシアは視線を順番に仲間一人一人に視線を向けて、細い指で零れ落ちる涙を拭った。
その身体は既に、目を凝らさなければ見えない程に薄まっている。
「兄上」
半透明のアリシアが俺に目を向けた。
「若いお姿の兄上にお会いできて嬉しかったです」
「俺も未来の妹に会えて嬉しかったよ。まさか、未来から妹が来るなんて思ってなかったけどな」
「ふふっ、私も自分が生まれていない過去に行くことになるとは思ってもみませんでした」
アリシアはすすっと俺の近くに歩み寄り、耳元でこう囁いた。
「別れの時が来たら、ちゃんとみなさんにお別れを言うのですよ? 兄上のことですから『じゃあな』の一言で済ませてしまいそうですけど」
「まぁ、頭には入れとくよ」
アリシアは続いて、俺の隣にいたカヤに目を向けた。
「それと、カヤ様。これからも兄上のこと――」
「私はいいわ。あの二人の元に行きなさい」
カヤの言葉に対し、アリシアは目をぱちぱちと瞬きし、自分の身体の薄まり具合を確認した。
アリシアに残された時間は短い。カヤはその限られた時間を親父と母さんに譲ったのだろう。こいつはほんとにさぁ……良い奴だよ。
「お気遣い、感謝致します」
「近い将来、また会いましょう」
「はい」
アリシアは歩みを進め、未来の両親の前に立った。
母さんの目からは大粒の涙が流れ出ており、親父は腕を組んで毅然とした態度で佇んでいる。ちょっとだけ泣きそうにしてるけど。
「父上、母上。多大なご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんてっ……会えて嬉しかったし、感謝してる。あなたが来てくれなかったらこの世界の平和は保たれなかった訳だし」
「ならば、苦難を乗り越えてここまで来た甲斐がありました。母上が未来とお変わりない様で安心しました。そして再認識致しました。母上は、私の目指すべき女性像そのものです」
「っ……私なんかを目指したら将来苦労するよ?」
「そんなことはありませんよ、母上」
アリスは母さんに歩み寄り、薄れゆく身体で抱擁をした。
透けていく身体では、その抱擁に感覚は無いはずだったが、母さんには何かが伝わった様だ。
「……アリスの身体は、温かいね」
「これも、母上がくれた温かさですよ。母上は私の目標です。それはきっと、これから生まれ来る私も変わらないと思います」
「そうだと、良いな」
「そうですよ、きっと。……そして、お父様」
アリシアは親父に目を向けて、腰に差した魔剣グラムに手を添えた。
「この魔剣グラムには数えきれない程、助けられました。これが無ければ私はこの時代に来ることは出来ませんでしたから」
「数々の窮地を凌いだのはお前自身の力だ。その剣はその補助をしたに過ぎない。自分の力を、正しく誇ると良い」
「ふふふっ、父上ならそう仰って下さると思っていました。……どうか、父上もお元気で」
「あぁ。また会える日を楽しみにしている」
「はい。私の事、大事に育てて下さいね?」
「当たり前だ。俺とロザリーの大事な娘だからな。沢山甘やかして、沢山叱って、今のお前の様な娘にしてみせるさ」
親父は静かに歩み寄ると、アリシアの頭に手を添える様な恰好を取った。
それが触れられない娘に対する、目一杯の愛情表現だった。
「ありがとうございますっ……父上」
「胸を張れアリシア。俺はお前を誇りに思う」
「はいっ……!」
アリシアは胸を張って今一度、俺たちに視線を向けた。
「さよならは言いたくありません。ですので、この言葉を」
アリシアの姿が細かい光の粒子となり、俺たちに最後の一言を告げて――――。
「いってきます!」
アリシアは消滅し、その光の粒子は母さんの身体へ吸い込まれる様に、還っていった。
母さんは頬に一筋の雫を垂らしながら、静かに言葉を漏らした。
「…………また、会おうね。……アリス」
俺の妹アリシア・c・オーレリアは、品行方正でお嬢様の様なお淑やかさと、獣の様な野性味を合わせ持った女の子だった。
母さんに似てトラブルメーカーのきらいがあって、放っておけない存在だった。
たった一週間って短い期間だったけどさ、俺を兄だって呼んでくれて嬉しかったぜ。
またいつか、一緒に剣の稽古でもするか。その時までには俺もお前が手も足も出ないくらい強くなってるからさ。
だからそれまでは、さよならだ。
「一緒にいて楽しかったぜ。アリシア」
「アキト? 何を呟いているの?」
「……いや、なんでもねぇよ。次こそは俺の番だなって、思ってな」
「アキト…………」
――――そしてその二週間後。
「じゃあな」
俺もまた、元の世界に帰還した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日、一人の赤ん坊が産声を上げた。
母親はその赤子を抱き上げ、優しく微笑んだ。
父親は妻の肩に手を添えながら、赤子の顔を覗き込む。
窓から差しこむ光の領域の中で、二人は生まれた赤子に対し、こう告げた。
「「おかえり、アリシア」」
次回のおまけエピソードで番外編は完結です




