16. ありがとう
アンタレス二度目の爆発の日の前日。
僕らはこんな終末近くなっても健気に営業している古びた写真館へと足を運んだ。
最新鋭の機材を使って惜しみなく撮ってもいいくらいお金に余裕はあったが、僕が電話した写真館が急に営業を取りやめることになって、こちらへ回されたのだった。
あと1日しかないのだから、無理もない。僕らはそんなことで腹を立てたりはしない。
むしろこっちの趣のある写真館の老夫婦が偶然、月見里の知り合いであったことが幸いし、緊張せずに足を運び入れることができた。
「灯ちゃん、奇麗になったね…。」
「そんな、幼いころと比べても!」
「いいや、素材は昔から良かったのだ。女の子は信頼できる男の人と出会うことで成長する。」
「あらおじいさん、自分が信頼できる男だとでもいうのですか。」
「当たり前だろう。でなければわしはもうとっくにお前に見放されている。違うかね。」
「そうですね…。」
ふふふ、と老夫婦は気品高く笑う。
とても明日死んでしまうなどとは考えられないような光景だった。
…爆発さえなければ、僕らもこんな風に老後を過ごせたのかと考えるほど、胸が締め付けられる思いでいっぱいになる。
「まさか、七五三から入学式、卒業式、成人式と結婚の写真を撮らせてもらえるなんてね。ここまで生きてきてよかったと思うわ。」
灯にメイクを施しながらゆったりとした口調でおばあさんが言う。
「照れますね…。小さいころからずっとここで撮ってもらってましたから。星一君が勝手に電話しちゃったからちょっと慌てたけどこれも運命ね。」
「知り合いがやっている写真館があるなんて誰も思わないさ。」
「にしても、こんな色男をどこで釣ってきたんだ。」
「あらおじいさん、灯ちゃんが昔から言っていた男の子だと思うわよ。ね?」
「やめてくださいよ恥ずかしいなぁ!」
紅潮して叫ぶ灯。化粧の下からもわかるほど真っ赤だ。
一足先に化粧が整った僕が、腰かけている灯の前に立つ。
「…綺麗だね。」
「あ、こらそういう不意打ちやめて星一君。泣いちゃう。」
「そうよメイクが流れちゃうでしょ色男くん。」
思ったことを言っただけなのに、女性二人に怒られてたじたじ。
そんな様子を見ておじいさんもからからと笑っていた。
どことなく、おばあさんの雰囲気が灯に似ていて。
また、おじいさんの風貌が僕と同じ匂いがした。
きっと、偶然ではなかったのだろう。
偶然が重なりすぎればそれは必然だ。
「光代おばあちゃん、私たちね、明日のお昼ごろに宇宙へ行くんだ。」
「あら。宇宙飛行士になったの?」
「テレビにでているから、てっきり芸能人かと思っていたが…。」
「ううん。タレントであってるよ。星一君の操縦で飛び立つの。」
「おや、単なる色男じゃなかったのか君は。」
「…宇宙飛行士を本業にしている人からすれば怒られそうなくらいの新米ですよ。シミュレーションしかしたこともないし、技量だって足りなさすぎます。でも、結局のところ自動操縦で大気圏から宇宙ステーションまではいけますし、なにより無事に発射しても明日で…」
「…辛気臭いことは今日ばかりは言うもんじゃない。新郎君。」
「そうよ、私たちが幼いころだってノストラダムスの大予言が外れて世界なんて終わらなかったんだから。人間万事塞翁が馬よ。」
「…そう、ですね。」
「…朝陽おじいちゃん、わたしたちまだ結婚してないよ。」
「えぇ?そうなのか。まぁ、籍を入れるかどうかなんて役所に届け出るか出ないかの違いだ。織姫と彦星は何百年も天野川で分け隔てられているが、ずっと繋がっているしな。」
「そうね。もし、宇宙であなたたちが助かったら私たちのこと覚えていてね。」
「忘れるわけないですよ!あっそうだ、二人も正装になって一緒に写真撮ろうよ。」
「今更そんなこっぱずかしい…」
おじいさんは照れているが、おばあさんは乗り気のようで…
「あらいいわね。ほら朝陽さんのタキシードどこへやったかしら?」
「…光代があんな状態になったらもうだれにも止められん。60年も付き添っているんだ、分からないことなんてないさ。」
そうやって僕に言うあきれ果てる朝陽、と呼ばれたおじいさん。
その表情には溢れんばかりの優しさが詰まっていた。
そのまま、テンションの高い女性二人が奥へ消えた頃合いを見計らっておじいさんは僕に語り掛けてきた。
「星一君、といったかな。君は悔いのないように人生を歩んできたかね。」
「…20歳を目前に死ぬことと、灯とこれからずっと一緒に暮らせないこと以外は、悔いはありません。」
「君は強いな。私は悔いだらけだよ。ただ、光代と共に暮らしてきてからの人生には悔いはない。彼女に出会う以前の自分に悔いがたくさんある。しかし、君は私と真逆の境遇だな。」
「凄いですね…。やっぱり、光代さんと出会ってからは人生が変わりましたか?」
「うむ…。以前…と言ってももう50年以上前のことだがね。私は一人の友人を自分の過ちで失ってしまったんだ。」
「…ッ」
頭の中に、"あの時"の記憶が蘇る。
「悔やんでも悔やみ切れなかった。私が犯した過ちさえなければ、彼はまだ私のすぐそばで笑っていたかもしれない。」
僕が天体観測がしたいと言わなければ、白鳥は傍で笑っていたかもしれない。
「…灯ちゃんから"彼の事"は聞いているよ。でもな星一君。彼の死が君と彼女を繋いだとは考えられないかね。」
「…。」
「命ある限り、終わりは避けられない。私たちも明日、終わろうとしている命だ。また、あの時の天災は誰にも予見できなかったことだし誰のせいでもないんだ。」
おじいさんは、戸棚から一つの古ぼけた写真を取り出して続けた。
「これは、私が初めて撮った写真だ。何を対象に撮ったかわかるかね。」
「…ごめんなさい、分からないです。」
「そうだ、私にもわからないのさ。」
「えっ…?」
「"何もないものを撮った"んだ。その一瞬の、時間を切り取って保存した。一見、何も写ってないように見えるが、これを見るだけで私はあの時の記憶が蘇る。…もっとも、良い記憶とは限らないがね。」
「戒め、ですか。」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。今じゃこの写真はあの事を忘れないようにするための戒めの品になっているが、これを撮った当時はそんなことのために撮ったわけではないだろう?」
僕は、はっと息を呑んだ。
ようやく、おじいさんの言っている意味が分かってきた。
「同じ写真でも見方を変えるだけで、意味合いが変わってくる。
彼の死があった"せい"で人生が変わったのではない。
彼の死があった"から"、今の君がいる。私はそう思っているよ。」
「…そう、ですね。」
「死者に対してかなり失礼なことを言っていると思うし、君に怒られても仕方のないことを言っているつもりだけれど、彼がこのまま生きていたら、君と灯ちゃんは今のようにいられたかな?」
どうだろう…。
灯が僕を心配して毎日毎日連絡をくれていたから、今の僕がいる。
昔のまま3人で、ずっと仲良く過ごしていたら今みたいに、こんなに灯を大切に思っていただろうか。
…白鳥がいなくなってから、そういう気持ちが生まれた。それは間違いないんだ。
「私は不器用だから、こんな言い方しかできない。でもな、私は昔の友人が亡くなってから光代と近しくなって、そして結婚して今に至る。昔は三人でよく遊んでいたのさ。そして私もまた、君と同じように塞ぎ込んでいた時期がある。それを支えてくれたのが、彼女だった。…作り話ではないぞ?」
さっきの写真を戸棚に戻し、おじいさんは鏡を見ながら白髪の混じった髪の毛を櫛で整えて言った。
「友人の死が無ければ、私と君は彦星になれていなかったのかもしれない。人は夜空で瞬く星のようにたくさんいるのだからな。
だから、死んだ友人に感謝しなければならない。『ありがとう』と。」
「…はい…。」
「…言ってからなんだが、遺族に殴られても文句は言えないようなことを言った気がするな…。」
「それを言わなければ完ぺきだったと思うんですが…。」
「…まぁ、ようするに共に友人の死を乗り越えてきたから今があるって話をかっこつけて言っただけさ。喋りすぎたか…。」
「あらおじいさん、星一君と何の話をしていたのですか?タキシードありましたよ!埃被ってますけど。」
朝陽おじいさんは、いたずらな表情で、人差し指を口の前に出して、『内緒』のポーズをとった。
僕はおじいさんの表情に笑って、3人に『ありがとう』と言った。